Act2 「オレって“愛してる”とか似合わないよなー……」

「海馬、愛してる」
「……何か悪いものでも食べたのか。拾い食いはするなと常に言っているだろうが」
「ちょ、何その反応。酷くない?オレ結構真剣なんだけど!」
「貴様が真剣であれば真剣であるほど心配なんだ。大丈夫か」
「……ちぇ、やっぱそうなるよなー」
「何が」
「なんつーかさぁ、オレって“愛してる”とか似合わないよなーと思って。なんかガラじゃねぇだろ、そういうの」
「似合わないと思うのであれば言わなければいいだろうが」
「そうだけどーたまにはそういうカッコいい事も言ってみたいじゃん。男なんだから」
「オレは別に聞きたくない」
「あーそうですか。まぁ、そうでしょうとも。朴念仁の海馬くん?」
「なんとでも言え。大体男にそんな言葉を言われたところで気色悪いだけだ」
「んでもさ、一応そういう感情があって付き合ってる訳だし、たまには確認の意味で必要だと思わねぇ?」
「常に好き好き言っているだろうが。確認する必要がどこにある」
「好きと愛してるじゃ違うじゃんニュアンスが!」
「しつこいな。どうでもいいわ」
「っかー!男のロマンが分からねぇ奴だなぁ!」
「何がロマンだ。5点のテストをちらつかせて言う事か」
「それを言うなよー」

 不気味な事を口走っていないでさっさと目の前の課題を終わらせろ。0点だったら顔の形が変わるまでつねってやる。

 そう言って目の前の鬼教師……もとい、オレが「愛してる」と囁いた愛しい恋人海馬くんは、長い足を優雅に組み替えて手にした書類の束に目線を戻した。

 夏休み初日の日曜日。オレは直前にやった学期末テストの成績が散々で、膨大な宿題の他に担任から特別に頂いた課題をもやって行かなければならなくなった。

 最初は一週間の特別講習の予定だったんだけど、バイトの関係もあってそれは無理だと散々ごねたら「ならその時間にする筈だったモノを家でやってこい」と数冊の問題集を投げつけられた。

 そんなわけで、オレは見ただけでうんざりするそれを抱えて、駆け込み寺である海馬邸にやって来た。そして、ご親切にも「オレが教えてやる」と悪鬼のような顔で言ってくれた海馬くんの管理監督の元、必死になってそれに取り組んでいる最中だ。

 ちょっとでも気を抜くと足や手が飛んで来るから、全然サボれない。けど、この調子で行くと提出期限である一週間後を待たなくても終わりそうだ。苦しみは短い方がいいから、オレは割と真剣にそれに取り組んでいた。こんなもの早く終わらせて、珍しく連休を取ったらしい海馬と遊びたいってのもあったし。

 けれど、オレの集中力なんてたかがしれたもんで、1時間もしたら完全に飽きてしまった。やっているのが苦手な英語だっていうのもあったけど、もう何をやっても全然頭に入らない。

 そんな中、問題集に出て来た長文の途中に『I love you』の文字を見つけた。何かの実話らしいその話の内容はさっぱり理解できなかったけれど、そういう単語を見つけるのは得意なんだよなーオレ。なんの役にも立たないけど。

 そこからオレの頭はどんどん横道にそれて行き、ついに声に出してしまった。そして、今に至る。
 
『愛してる』
 

 確かにその言葉はオレには到底似合わない。なんて言うか、イメージ的にもっと大人でカッコいい奴が口にする言葉なんだよなそれって。気持ち的にはそんな奴等に負けない自信が当然あるけど、そう言うのって気持ちじゃないし、やっぱ見かけだし。

 ちら、と目線を上にあげる。海馬は相変わらず真剣に仕事中だ。気難しい顔をして鋭い視線で書類に目を走らせている。その姿はなんていうかビシッとしていて、めちゃくちゃカッコいいと思う。それは惚れた人間の欲目とかじゃなくって、誰もが口にする言葉だからそう思っているのはオレだけじゃないんだろう。

 カッコいいよなー。こういう奴が口にすると『愛してる』も決まるんだろうか。うわ、ちょっと聞いてみたい。絶対言ってはくれないだろうけど。

「何を呆けている。そんな暇があると思っているのか?」
「ありゃ、ばれてた?そろそろ飽きちゃってさぁ」
「まだ1時間だろうが。貴様は小学生か」
「すみませんね、小学生並の集中力で。ついでに小学生らしく何かご褒美がないとやる気が出ないんですけど」
「いつものパターンだな」
「うん。でも、ちゃんとやるだろ?」
「まぁな。……で、何が欲しいのだ」
「え?」
「『ご褒美』は何が欲しいのかと聞いている」

 くい、と口の端を吊り上げてそう言う海馬を、オレは思わずぽかんと口を開けて見上げてしまう。なんか凄く機嫌がいいんだけど、どういう事。まぁ別に怒られるよりは全然いいけど。よ、よし、このチャンスを生かして、たった今聞きたいなぁと思っていた台詞を言わせてみるか。

「じゃあさ。愛してるって言ってみて」
「はぁ?」
「オレは全然サマになんないけど、お前なら絶対カッコいいから。勿論それだけじゃなくって、純粋に言われてみたい」
「……やはり貴様拾い食いをしたな。正直に言え」
「そうじゃねぇってば。マジな話。何でもいいんだろ、ご褒美」

 男に二言は無いって、お前いつも言うじゃん!

 そう身を乗り出してしつこく食い下がると、海馬はちょっとだけ嫌そうな顔をしてオレを見る。そして深い溜息を吐いた後、仕方ないなと前置きしてゆっくりと席を立った。

「……な、なんで席を立つんだよ」
「大声で言いたくないからに決まっているだろう」
「別にいーじゃん二人しかいないんだし」
「気分的な問題だ」
「余り近づかれると困るんですけど」
「何が困る」
「何がってそりゃー集中できなくなっちゃうじゃん」
「元から集中などしていない癖に文句を言うな」

 いや、つーかそんな台詞耳元で囁かれたら、手が出ちゃうかも知れないんだけど。まぁでも本人がそれでいいっつーんなら別にいいか。

 そんな事を思いながら海馬の動向を見守っていると、奴は静かにオレの傍までやって来て、予想通り身を屈めてオレの耳元に唇を近づけると、本当に、囁く様な声でこう言った。
 

「愛している、城之内」
 

 ……その瞬間、オレは幸せで死ねると思った。

 その後、即座に目の前の身体をがっちり捕まえたオレが、勉強もそこそこに海馬と『仲良く』したのは言うまでもない。お陰で全然課題は捗らず、夜中になってしまった今死ぬ気でやる羽目になったけど、心は大いに満たされたから良しとしよう。

 オレもいつか相手に拾い食いの疑いをかけられない様なカッコいい『愛してる』を言えればいいなぁ、なんて思いながら、シャープペンを握る指先に少しだけ力を込めた。