Act3 「やきもちを焼いたのか?」

「……ちょっ、あれどうしたんだ?!てか海馬来んの早くね?!」
「あ、おはよう城之内くん。今日はゆっくりだったね」
「配達に手間取ってよ、ギリギリだったんだ。いやしかし外あっちぃな!既に30度近くあるんじゃねぇ?」
「今日は最高気温36度って言ってたもんねー夏本番って感じ。お陰で朝からクーラーが入って快適だよ。去年までは大変だったけど、今年はいいよね」
「お陰でバイト増やす羽目になったんじゃねぇか。生徒からボッタくるなっつー話だよな。大体夏は暑いもんなの!ぜーたくは敵!」
「そんな事言ってー。最近城之内くん放課後ずーっと学校にいるじゃない。本当はクーラー嬉しいんでしょ?」
「当ったり前だろ!金払ってんだから元は取らねーと」
「もう。ゲンキンだなぁ」
「それよりも、あれだよあれ。何事?」
「ああ、『あれ』?杏子から借りたみたいだよ。寒いんだって」
「はぁ?寒い?だってあいついっつもくそ寒い部屋にいるじゃねーか」
「夏服だと辛いんじゃないかなぁ。ほら、普段はジャケット着るじゃない」
「……あ、なーる。それにしてもなんかすげー」
「可愛いよね」
「……可愛い、かぁ?まぁ意外に似合ってはいるけどよ」

 そう言って朝一番に顔を合わせた遊戯と城之内の二人は、同時に教室の隅の席に座る噂の人物、海馬の事をじっと見つめた。彼等の他にも数人、似た様な奇妙な顔で同じ方向を眺めている。女子などは顔を突き合わせてひそひそと噂話に興じる始末だ。

 それもその筈、今日の海馬はいつもと少しだけ様相が変わっていた。

 少し前までは他の生徒と同じ紺色の学ランに身を包んでいた彼だったが、衣替えの時期もとっくに過ぎ去り男子などはカッターシャツを着る事さえ厭うような季節になり、皆白一色の実に爽やかな色合いに染まる中、彼だけが頑なに変化を拒む訳にもいかず、校則に倣って仕方なく夏服になったその痩躯は、現在その白の上にいかにも暖かそうな薄茶色のカーディガンを纏っていた。

 どこからどう見ても女物と分かるそれは遊戯曰く、杏子から借り受けたものなのだという。

 最近の女子の流行は自分の体よりも大分大きめのサイズを選び、裾や袖をだぶつかせるのが主流で、そのお陰で海馬より身長が大分低い杏子のカーディガンでも、寸足らずで見るに堪えない状況ではなかった。元々体系が細身の所為もあるのだが。

「……カーディガンねー。女かよ。大体この程度で寒いとか馬鹿じゃねぇの」
「でも設定温度24度はちょっと寒いかも。空調は事務室で一括設定だから。それに海馬くん、クーラーのすぐ前だしね」
「なーに二人で男の子の噂話してんのよ」
「うわっ、杏子!」
「なによこそこそしちゃって。今はね、男の冷え症も増えてるのよ?悪口言わないの」
「お前いきなり間に割って入るなよ!!つーかあのカーディガンマジお前のかよ」
「そういう杏子は寒くないの?」
「全然。あのカーディガン、冬用だもの。ずーっとロッカーに入れっぱなしだったから貸してあげたの。なかなか似合ってるじゃない」
「似合ってるってお前……皆から異様な視線向けられてるじゃん」
「そう?似合ってるーって噂されてるけど?私、逆に羨ましがられちゃった。洗っちゃダメ!って。さすが天下の海馬くんね」
「ブルセラじゃねぇんだから……女って意外に変態多いよな」
「あんたに言われたくないわよ。大体ね、こんな所で文句を言うなんて最低よ。彼氏ならオレが温めてやる!位言えないのかしら」
「や、学校だし!」
「へーえ?この間教室で何やってたっけ?」
「な、何もしてねぇよ」
「どもる所が怪しいわね。私、まだ何も言ってないけど」
「…………う」
「杏子、もうその位にしてあげて。席に帰ろう?」
「そうね。これ以上はお邪魔ですもんね。いこ、遊戯」
「うん」

 お邪魔とかなんだよ……と口を尖らせて呟く城之内を尻目に、散々騒いでいた杏子は遊戯を連れて自席へと戻ってしまう。一人取り残された形となった城之内は、仕方なく未だ脇に抱えていた鞄を乱暴に席へと放り投げると、その足で海馬の所まで歩んでいった。

 窓際の一番後ろの席に座する当の本人は周囲の興味半分の視線など全く気にせず、一人静かに多分以前に出されていたのだろう課題に取り組んでいる。

 城之内はその行動を邪魔するようにわざと大げさに頭を叩くと、キッ!と強い視線が返って来た。が、その恰好の所為で余り迫力はなかった。

「よぉ、冷え症気味の社長さん?女物のカーディガンがよくお似合いで。お前、外は30度越してるんだぜ?寒いとか贅沢言うなよ」
「凡骨か。朝から喧しいな」
「誰のせいで喧しくしてると思ってるんだか。寒いなら学ラン着て来いよ」
「この間そうしたら暑苦しいと担任に注意されたから仕方なくだ。何故学校にクーラーなどが導入されたのだ。寒くてかなわん」
「お前みたいなのはごく少数派だからだろ。こう暑くちゃ集中できね〜ってな。実際オレも金銭面で迷惑してる訳だけど」
「だろうな。全く無駄な事だ」
「まぁでも確かに学校が涼しいのは有り難いけどな。って、そんな事より、これマジで杏子から借りたわけ?」
「あぁ。貸してくれたのでな」
「嫌じゃねぇの?」
「背に腹は代えられん。寒いよりマシだ」
「そんなに辛いの?」
「手を貸してみろ」
「手?……ほい」
「ほら」
「ぎゃっ!!冷てぇ!!なんじゃこりゃ!!つーか首触んな!!」

 城之内が海馬に言われるがままに手を差し出すと、下から徐に手が伸びて来て折角差し出したそれではなく少し前屈みになっていた所為で広く開いていた首元へとするりと消える。途端に氷でも入れられた様な冷たさを感じた城之内は、言葉通り飛び上がって思わずその手を振り解いた。眼下ではくすりと笑う声が聞こえる。

「だから言ったろうが」
「っつーかお前は雪女か!!ありえないだろ!……あーでも確かにお前っていっつもひんやりしてるよな。冬は触りたくねぇほど冷たいし」
「自然の寒さよりも人工の寒さの方が辛い」
「……なるほど。じゃーあのコートも」
「寒さ対策だ」
「……へー」

 だから真夏のクソ暑い時でもあんな馬鹿みたいな格好してるわけね、良く分かった。そう言うと城之内はさり気なく周囲を見回して、既に興味を失ったらしく誰もこちらを見ていない事を確認すると、伸ばしたままだった手で海馬の指先を捕らえると、自らの体温を移す様にぎゅっと強く握りしめた。

 氷の様な指先がまるで火の様な熱さの掌に包まれて、その両極端な温度は徐々に同じものになる。

「貴様の手は熱いな」
「オレ体温高い方だから。夏はキツイんだぜ」
「だろうな」
「それにしても……お前から杏子の匂いがするのが凄く嫌だ」
「ああ、だからか」
「何が」
「先程から妙に突っかかった物言いをしていたのは」
「あ?」
「やきもちを焼いたのか?」
「えぇ?!ちょ、なんでオレがっ!」
「なんだ違うのか」
「……や、違わないけど。……うん、確かにそうかも」

 自分の恋人が、他人の……ましてや女から借りたカーディガンを身に纏い、平然としていた事実。借りたのが自分に取っても友人である杏子からという事や、そのカーディガンが海馬に似あうとか似合わないとかはこの際別として、それは恋人としての沽券にも関わる事だと城之内は思っていた。多少、大げさすぎる思考ではあるけれど。

「それ脱げよ」
「嫌だ、寒い。脱いで欲しければ代りを持って来い」
「無茶言うなよ……あ、ジャージは?オレのあるかも」
「それこそ文句を言われると思うが。大体貴様は上着なぞ羽織った事がないだろうが」
「……あー。冬でもTシャツです」
「だろう?今日は我慢しろ。次からは自分で持ってくる」
「えー今日一日こんなもん着てたら匂いが付いちゃうじゃん」
「貴様が消せばいいだろうが」
「…………!」
「こんなもの、すぐに消える」
「……お前、ここがどこだか分かってんの?教室なんですけど。朝っぱら焚き付けるような事言わないでくれる?」
「勿論分かっている。というかオレはそんなつもりはない」
「お前にはなくてもオレには火に油なわけ。今日放課後残れよ。即実行してやる」
「今日は午前中で帰る」
「却下です。帰しません」
「無茶言うな」

 そこで始業のチャイムが鳴り響き、周囲が慌ただしく席に着く。その喧騒に紛れて城之内もまた自席につくべく名残惜しげに手を離すと、どさくさに紛れて一瞬だけ海馬の頬に唇を押しあて、さっさとその場を後にしてしまう。

「じゃ、放課後なー」
「帰ると言っている!」
「早退は認めねぇって言ってんだろ!」
「勝手を言うな!」
「どっちが勝手なんだか」

 まるでこの空間に二人きりしか居ない様な感覚で交わされるその会話を少し離れた場所で聞いていた杏子は、はぁっと大きなため息を一つ吐くと、心底呆れた顔をして隣の遊戯にこう言った。

「なんかイライラするわ」
「いいじゃん、喧嘩してると煩いって言う癖に」
「今日の放課後、居残ってやろうかしら」
「そんな意地悪しないで早く帰ろう?ドミノアイス食べに行こうよ。トリプル奢るよ?」
「ほんと?じゃあしょうがないわね」
「杏子もゲンキンだなぁ、君達結構似てるかも」
「あんな色情魔と一緒にしないでくれる?カーディガン汚したら承知しないんだから!」
「……さすがにそれはないと思うよ」
 

 真夏の童実野高校は今日もとても平和である。