Act1 浴衣

「男の浴衣ってつまんねくね?紺とか白とかしかないじゃん。それに、歩きにくいし!」
「それは貴様が常に大股で歩くからだろうが。普通に歩いていればどうって事ないわ」
「この下駄がさぁ、余計に辛いって言うか」
「ならば雪駄にすればいいだろうが。厚みがない分楽だぞ」
「嫌だ。だってお前下駄履くじゃん」
「履くがどうした」
「身長差」
「何?」
「身長差が広がるだろ!これ以上差ぁついてどうすんだよ」
「ふん、下らん」
「高い奴は何とでも言えるよな!あ、つーかお前が雪駄?って奴履けよ。オレ下駄履くし。だとちょっとはマシになるじゃん」
「底に厚みがないのは好かん。それこそ歩きにくいわ」
「我儘言うな!」
「貴様が言うな」

 そう言って海馬は未だ目の前のに広げれた大量の浴衣群から全く選び取れないでいるオレを呆れた様に見下ろして、貴様などどれを着ても同じだと言わんばかりにその中から迷いなく選び取ると、いつもの命令口調で「さっさと脱げ」なんて言ってくる。

「城之内ぃ。もうオレと一緒に甚平にしなよ。これ超動きやすいぜぃ!」

 その横では既に織絣とか言う何やら高級そうな甚平を着たモクバがニヤニヤしながらオレ達の事を見ていた。甚平なんてどこからどう見ても一人で着られる癖に、わざわざ「兄サマ着せて」なんて言って甘えてんのがムカつく。お前この間浴衣も自分で着る事が出来るんだぜぃってオレに自慢してたじゃねーか!何なんだ一体!

「いい。なんかカッコ悪いし。それにしても脱げって……モクバがいる前でいいんですか?」
「何がだ」
「いや何がって。分かってる癖にぃ」
「……モクバ、二人で行くか」
「オレは兄サマと二人で行ければもっと嬉しいぜぃ!」
「ぎゃー!嘘っ!ごめんなさい!オレも行くっ!行くから浴衣着せて下さいお願いします!」
「ならば脱げ」
「モクバあっちにやってくれよ」
「必要ない。女か貴様」
「まだお嫁入り前の身体なのに」
「殴るぞ」
「ちょ……はぁい」

 まー裸を見せるのが嫌ってのは勿論冗談で、ぶっちゃけ着替えの間だけでも二人の時間を邪魔しないで欲しいなぁなんて思う訳ですが、今回夏祭りに行こうって初めに言い出したのはモクバでオレはそれに便乗させて貰う形だから、余り強くは言えないんだなこれが。あーあ。

 つーか海馬も海馬だよな。モクバにはビシッと「そういうものは友達と行け」とか言えよ。そんでもって改めてオレを誘うとかしやがれ。なんでそんな簡単な事が出来ないんだよ。気がきかねぇなぁ、もう。……まぁ尤も、奴はオレと行くよりモクバと行った方が楽しいんだろうけどさ!

 ……なんかもう凹んで来た。弟より格下の恋人ってどうよ、泣けてくるなぁオイ。

「…………はぁ」
「何を生意気に溜息なぞ吐いている。いいからとっとと袖を通せ。……服が邪魔だ」

 そんなオレをよそに海馬はやけに飄々とした態度でトランクス一枚になったオレを見つめる事もなく(当り前か)ばさりと乱暴に白くて丈がかなり短いスケスケの着物(肌襦袢とか言うらしいけど)を肩にかけると、オレが脱いだTシャツその他を蹴って脇に避ける。

 そしてオレが言う通りに動く間もなく自分から腕を掴んで強引に袖に突っ込み、やっぱり余り優しいとは言えない動作で前を合わせて今度は腰紐を掴んで器用に結んでいく。紐同士が擦れあいシュルっと響いたその音に、オレが普段強引に解いてしまう海馬のネクタイの事を思い出した。勿論全然違うけれど。

 ちなみに海馬がオレに選んだ浴衣は細かい市松柄が織り込まれてる紺色の奴で、見た目に反して柔らかな肌触りがなんかちょっと気持ちいい。そして帯は髪色と合わせたのか金色ベースでこれまた紺で麻の葉柄がくっきり入ったいかにも高級そうな一品だ。

 そのついでとばかりに奴が自分に選んだものは、クリーム色に(本当は白練色っていうんだそうだけどそんなんわかんねぇ)殆ど同系統の色で龍が描かれているかなりカッコいい奴だ。帯はオレの奴とは違って、なんつーかちっさい女の子が良く締めてるような薄くてほわほわとした布だ。

 色は紺から水色のグラデーションで、綺麗な模様が入っている。スカーフみてぇ、と言ったら「兵児帯だ」だって。ヘコってなんだ。意味不明。

 ……しっかしこういう浴衣っつーか着物って時代劇で良く見たりして、ちょっとだけカッコいいなぁなんて思ってたけど、実際自分で着てみると凄く微妙だ。尤も、着る人間の問題なんだけど。そんな事を考えながらテキパキ動く白い手を見ていたら、眼下から「視線が邪魔だ」と文句が来た。ちょ、視線が邪魔だってどういう意味だよ?!

「邪魔言うな。つーかなんで服蹴るんだよ?!足癖悪過ぎるだろ!」
「何か問題があるのか?貴様にだけは言われたくないわ」
「……う、それはご尤もなんですけど、もうちょっと全体的に優しくして頂けないですかね」
「無理だな」
「無理じゃないだろ」
「何でもいいが腕を少し上げろ。帯が結べん」
「はいはいっと。しっかしお前って器用だよな。こういう着付け?とかやった事あんの?」
「有る訳無いだろう。かなり昔に着せられた覚えはあるが」
「じゃー何で出来るんだよ」
「こんなもの、一度見れば覚えられる」
「……あ、今すげームカついた。要するにオレの事を馬鹿にしてんだろ」
「よく分かったな」
「つむじ攻撃してやる」
「ほう、帯を限界まで締めて欲しい様だな」
「へっ?!うわっ、いででででで!!ちょ、タンマタンマ!!苦しいってか痛いって!」
「ふん」
「あ、これリバなのか。おもしれー裏キラキラ」
「どう結ぶ」
「どうって言われてもな……オレリボン結び位しか知らないもん」

 まぁ、男にリボン結びもないだろうけど。なんて海馬のつむじを見ながら考えていたら、奴は一人で「凡骨には労働者風の結びが似合いだな」なんてブツブツ言いながら背後に周り、興味深げに観察に来たモクバに説明しながらまるで折り紙をするみたいにあちこち折ったり、潜らせたりしてあっという間に帯の形を整えてしまう。尤も、オレにはその過程も出来あがりも満足に見えない訳ですが。

「なかなか似合ってるぜぃ、城之内!兄サマ、これなんていう結び方?」
「職人結びだ。凡骨、足を広げてみろ」
「ん。お、動ける動ける」
「ならば完成だ。邪魔だ、退け」

 お、もう出来上がり?なんて、近くにある馬鹿デカイ姿見に自分の全身を映そうとしたら、速攻海馬に突き飛ばされて横に吹っ飛び、自分の服でつんのめる。なんだよもう!とオレが声をあげる前に、顔面にばさりと白いシャツが降って来た。このすべすべの肌触りは勿論オレのモノなんかじゃない。……と、言う事は?

「……ちょっ!」

 そう思い、恐る恐る顔を上げたオレの視界に入ったのは、ほぼ全裸の海馬くんの姿。ぎゃあ!と声をあげるより先に今度はスラックスが投げつけられた。微妙に残っている体温が生々しい。顔面から毟り取って何これオレにくれんの?って言おうとしたら、今度はモクバに両方とも奪われた。

 そうしている内に目の前の海馬くんは既に浴衣姿になっていて、今日一番のメインイベントであるナマ着替えを見られないまま終わってしまった。なんだよもう楽しくねぇな!

 きゅ、と紺色の帯を前で締めて、奴は吃驚するほどの手際の良さでちょっとだけいびつな蝶々結びを作ると、それを崩さない様にギュッと掴んでこれまた器用に動かして前と後ろを逆にする。そして後ろ手にちょっとだけ結び目を弄ると、見事立派な帯結びが完成していた。オレのとは全然違ってこっちの方がなんか可愛い。

「蝶々結びとか、お前以外に乙女なのな」
「これは兵児帯の正式な結び方だ!蝶々結びではない!」
「なんでこのひらひらにしたの。オレと一緒でいいじゃん」
「オレは角帯は好まんのだ」
「……良く分かんねぇけど。そんなに違うもんかね。つか、じゃあオレもそのヘコ帯?とかにしてくれれば良かったじゃん」
「無理無理。城之内が蝶々結びとか似合わないぜぃ!」
「お前は横から口出すなっ!」
「なんでもいいが、そろそろ行くぞ。余り遅くなると混むのでな」
「兄サマ、車で行くの?」
「行きはな。帰りはどうなるか分からん」
「じゃあオレ、蓮田の所に行って車回して貰ってくる!」
「ああ」

 そう言うと、室内なのに既に下駄に履き替えていたモクバが、カラコロと足音を立てながら廊下へと飛び出して行く。途端に開けっ放しの扉の向こうからメイドさん達の「あら」とか「まぁ」とか言う声が聞こえて来て、なんだかとっても微笑ましい気分になった。

 ヤバい、ちょっと楽しくなって来たかも。いや、大分楽しい。良く考えたら夏祭りとか随分と久しぶりだし。コブつきだけどこれって立派なデートだし!

「……何をにやけている。行くぞ」
「や、なんつーか、すげーワクワクしちゃって。夏祭りデートとかすごくね?普通のカップルみたいじゃね?」
「そうか」
「そうかじゃねーって!なんでお前そんなに冷めてんだ。空気読めない奴だなぁもう」

 大体なんだよその無表情。どっからどう見てもこれから遊びに行く顔じゃねぇだろ?もっと楽しそうにしろよこの野郎。そんな事を思いながら履き物をどれにしようか迷い、結局雪駄を選んだオレはさっさと鼻緒に足を通してもう一回だけ完成系を見てみようと近くの姿見の前に行こうとした。が、それは、何も言わずに伸びて来た白い手に阻まれる。

「行くぞ」
「へ?」
「………………」

 いや、あの、この手は……っつーか最初っからナチュラルに絡んできているこの指はなんでしょう?

 これってもしや、恋人繋ぎ?

「ちょ、海馬!」
「何か不満か」
「いや、不満っつーか、むしろ驚愕って言うか……」
「祭りの夜くらいはな」

 何がだよ。……お前のその論理、全く意味不明で訳が分からないんだけど。
 ……まぁ、でも、可愛いから良しとするか!

 効き過ぎた空調の所為で大分冷たくなっていたその指をぎゅっと強く握り返すと、オレは海馬に目一杯の笑顔を見せると楽しい夜の第一歩を踏み出した。
 

 元より少し高い位置にある顔が履いた下駄の所為で更に遠くにあるけれど、その顔が少しだけ笑っていたから。
 

 オレはもうどうでも良くなって繋いだ手を子供の様に大きく前へと振って歩き出した。