Sweet christmas 2007

「やぁ瀬人くん!今夜もお仕事ご苦労様。瀬人くんはいい子だから、サンタのお兄さんがプレゼントあげようね?」
「……来て早々なんの真似だ?この寒さについに頭がやられたか」
「あ、ひでぇ。折角来てやったのに、サンタクロースにそういう事言う訳?」
「何がサンタクロースだ。そんな格好でここに来るとはいい度胸だな」
「ついさっきまで外でケーキ売りしてたの。雰囲気出てるだろ?モクバはすっごい喜んでたぜ」
「先にモクバの所に行ったのか」
「ああ。プレゼントがあったからな」
「貴様にそんなものを買う金があったのか」
「プレゼント=金で買うものって発想、やめてくれる?そんなんじゃねぇよ。バイト先で特別に貰ったの」
「横流しか」
「っかー!いちいちむかつくなぁ。悪ぃかよ」
「いや。ありがとう」
「……うわ」
「なんだ」
「ありがとうとか……キモ……」
「オレからのクリスマスプレゼントだ」
「……それはそれは素晴らしい贈り物をありがとうございます。これでオレはいつ死んでも悔いはありません」
「そうか。では直ぐ死ね。なんならオレが天国へ道案内してやってもいい。丁度今日は聖夜だ。さぞかし安らかに逝けるだろう」
「悪乗りすんなよ。マジで言われると寂しいじゃんか」
「で、不法侵入のサンタクロースは何をしに現れた?」
「冷たいなぁ、瀬人くんは。ちゃんと玄関から入って来たんですよ?嘘だと思うのなら磯野さんに聞いて下さい」
「名前を呼ぶな。気色悪い」
「あーもう。わかったよ。ふざけねぇから怒るなよ。……クリスマスだから仲良くしようかなーなんて思って遊びに来たんです」
「……ふん。クリスマスなど関係ない癖に。そんな格好で」
「雰囲気雰囲気。……実は待ってただろ?」
「待ってるわけがないだろう。自惚れるな」
「いいからこっち来いよ」
「貴様が来い」
「…………はいはい」

 はぁ、と大きな溜息を一つ付き、巨大な扉の前に立っていたサンタクロースは、その態度とは裏腹の至極嬉しそうな笑みを口元に浮かべ、部屋の中央奥にある高価なソファーセットまで歩いていく。その手にはサンタクロースが所持するには余りにも不似合いなボロボロのスポーツバッグ。抱えた薄茶のコートも相まって、海馬は「可笑しなサンタクロースもいるものだ」と鼻で笑い、ずっと触れたままだったキーボードから手を放す。

 ちらりと見た時計の針は何時の間にか12時を過ぎていた。ここに座して作業を始めたのは確か夕食の直後だったから正味5時間は微動だにしなかった事になる。流石に体のあちこちが痛かった。

 ラップトップを静かに閉めてテーブルに乗せあげると同時にサンタクロース……の格好をした城之内がソファーまで辿り着いた。床にバッグとコートを放り投げ、頭に被っていた元々は雪が積もっていたらしい濡れた赤い帽子を取ると、徐に海馬の頭に被せてくる。

「あ、結構似合うじゃん。サンタの帽子」
「冷たい」
「だって外すげぇ雪だもん。もーびしょびしょ。あっためてくれ」
「嫌だ。脱いで乾かせ。今日も使うんだろう」
「嫌とか言うし。お前ってほんと冷たいよな。雪よりも冷たいぜ。……服は大丈夫。一人二着支給だから。新しいのはバッグの中にちゃんと入れてある」
「随分用意のいい事で」
「やー、だって最初っからお泊り予定だし」
「……夜這いをかけに来るサンタクロースなど聞いた事はない」
「そりゃ分かんねぇぜ。一人か二人くらいは子供の部屋に入るフリして、恋人の部屋に侵入するかもしんないじゃん」
「貴様と一緒にするな」

 何時の間にかソファーに座る海馬の前に屈みこむ形で城之内の顔が近づいた。手は相手の頭に乗せた帽子を押える形そのままに、ゆっくりと、けれど深く眼下の暖かな唇にキスをする。長時間冷気に曝され芯から冷え切った城之内の身体はどこもかしこも冷たかった。

 己の口に触れる少し荒れた唇すらも冷たくて、海馬はかさついたそれを潤し暖めるように、自ら舌を差し出してその唇を舐め濡らす。それに気分を良くした城之内がその舌さえも柔らかく絡め取り、彼等は暫しその行為に没頭した。城之内の……否、互いの身体が熱を持って暑い位に温まるまで。

「大分温まった。サンキュー」

 たっぷり数分間思うがままにキスをして、酷く満足気な顔で少しだけ距離をとった城之内に、海馬は濡れた唇を指先で拭い、何時の間にか膝の上に跨る形で居座っていた身体を押しのけようとする。しかし、彼はその位置が気に入ったのか微動だにしなかった。それ所か逆に肩を抱こうと身を寄せてくる。

 鼻先に触れる雪で少し湿った城之内の髪からは仄かに甘い香りがする。ここ数日ケーキ屋でクリスマスケーキを売り捌くバイトをしている所為だろう。持って生まれた調子のよさをサービス精神にシフトして老若男女問わず気軽に声をかけ、多少演技の入ったセールストークに騙される客は数知れず。お陰でバイトの癖に社員の売り上げを超越する程の稼ぎようなのだと言う。

「KCに営業として雇わねぇ?いい仕事するぜーオレ、子供にも人気あるし。オモチャなんてあっと言う間に完売させてやるよ」

 得意気にそう言って胸を反らすその顔を素っ気無く眺めながら、海馬は「ケーキと違って玩具は泣き落としが通用する商品ではない」と言い切った。その痛烈だが尤もな一言に城之内は数秒間しょ僕れていたが、その後直ぐに立ち直り「やっぱオレこのままケーキ屋の店員になろうかな」等と言って笑っていた。全く、お気楽な男である。

 そんなお調子者の髪を軽く掴み、何時の間にか柔らかな耳元に跡をつけるべく吸い付こうとした唇を制止しながら、海馬はふと思いついたように口を開いた。

「……ここに来る前に何か食べたか?」
「へ?なんで?」
「妙に甘い味がする。匂いは、ケーキの匂いだという事は分かるが」
「あーうん。食べたぜ。クリスマスケーキの残りと……店長の奢りで食ったピザとチキン」
「そんな味じゃない」
「えぇ?……人の口の中の味を分析すんなよ……うーん……後は……あ!」
「何が、あ、だ」
「食った食った。甘い奴。3つ位……美味かった?」
「美味いわけないだろう。そのものを食べたわけでもあるまいし」
「そっか。そうだよな。そう言うお前は珈琲の匂いと味しかしないな。味気ねぇ。ケーキ食わなかったのかよ」
「モクバが食べていた」
「お前に聞いてんの」
「そんなものは食べない」
「えークリスマスにケーキ食わねぇとかありえないだろ。食べられなくて泣いてる子供もいるっていうのに贅沢者め」
「……意味が分からないんだが」

 クリスマスには巨大なケーキワンホール。……誰がそんな事を決めたのだろう。無邪気で子供らしい弟がいなければ、そんなものは海馬にはまるで必要の無いアイテムだった。そもそもクリスマスという言葉すら、宗教事に興味の無い彼にはどうでもいいものだった。今は会社の利益を大きく左右する「クリスマス商戦」に関わっている分、世間とは大分離れた意味合いで大事なものではあったのだが。

「サンタクロースとプレゼントとケーキ。この三拍子が揃ってこそのクリスマスだよな」
「まるで子供だな」
「いいじゃん。だって子供だろ。まだ17だぜ?お前もオレも」
「……その割にやる事は子供らしくないようだが?」
「酒とタバコはハタチからだけど、セックスはハタチからとは言われません」
「屁理屈を言うな」
「屁理屈じゃねぇよ。お前なんでそんなにつっかかんの?クリスマス、嫌いなの?」
「別に」
「じゃー文句言うなよ。悪い子にはプレゼントあげないぜ」
「その肝心のプレゼントはどうした」
「オレ、って言ったらどうする?」
「……降りろ」
「うそうそ、嘘だってば。とりあえずお互いに一日の疲れを癒しましょ。ね?」

 そう言って再び首筋に降りてくる唇を今度は鷹揚に受け止めながら、海馬は内心呆れた溜息を吐く。これで癒されるのは貴様だけだろう。そんな意地悪気な言葉を辛うじて飲み込んで、手指の仕草で脱げと促されるままにシャツから腕を抜いて眼前の首に手を伸ばす。未だ冷たい城之内の首筋から肩にかけて暖めるように掌で撫でて腕で抱く。

 赤いサンタクロースの衣装が目に痛い。

「……貴様のその格好が、凄く、嫌なんだが」
「サンタクロースとヤッてる気分で?いーじゃん、別に。滅多に無いぜ?こう、微妙に背徳感漂うっつーか」
「漂うか。間抜けなだけだ」
「細かいことは気にすんなよ。目ぇ閉じときゃいいだろ」
「閉じていると開けろという馬鹿は誰だ」
「あー今日は言わねぇから黙れ。……な?」

 心底煩いと思っているのかただのポーズなのか、顔をしかめてそう言い切った城之内は、未だ何事かを紡ごうとした海馬の唇を塞いでしまう。途端に感じる甘みの混ざった唾液の味に、海馬は改めて眉を顰めたが、諦めたように瞳を閉じ肩の力を抜いて、身体を相手に委ねてしまう。

 クリスマス。イエス・キリストの生まれた日。

 それにかこつけて、贈り物を貰う子供達。暖かな夜を過ごす大人達。長い間そのどれにも当てはまる事がなかった自分にとっては、意味のないただの冬の日。

「あ、と。言うの忘れてた。メリークリスマス!」
「……下らん」
「かっわいくねぇ。サンタのお兄さん、優しーく抱いてあげようかと思ったけど、気が変わっちゃいそう」
「ふん、手が震えてるぞ」
「服が濡れてさみぃんだよ!お前が集中させねぇから!」
「だから脱げと言ったのに。何故着ている」
「今日、オレ、サンタクロースだから」
「……は?」
「だから、脱がない」
「………………」

 もういい、意味が分からない。サンタでもトナカイでも好きにしてくれ。そう投げやりに言い放ち、海馬は濡れて冷たい赤い衣装ごとその背を強く抱え込む。いかにも安い、薄っぺらいフェルト生地が頬に触れる。

 頑丈なソファーが僅かに軋んで、二人分の体重を受け止める。

 氷のように冷たい指先が肌を這い始めるのを許しながら、海馬は一度だけ目を開けて、この本来の役割をまるで果たさないサンタクロースをじっと見下ろし、改めて抱きしめた。

 

2


 
「ひーあっちぃ。部屋の温度高くねぇ?」
「貴様が暑苦しいのだ!早く退け、というか暑いならそれを脱げ。結局最後まで着たままで!」
「なんかもう面倒くさい。上手い具合に汚れなかったし、別にいーじゃん。さすがに精液ついたらヤだけどさ」
「変わりにソファーカバーが台無しになったがな。よく考えたら何故ベッドに行かないのだ」
「面倒くさかったから」
「そればっかりか!もういい、退け。オレは寒いし気持ち悪い。風呂に入ってくる!」
「服着せて連れてってあげよっか?」
「全力で断る!」
「……もー終わった途端これだもんなぁ。ムードもへったくれもないったら……」

 その言葉と態度通り早急に脱ぎ散らかした衣服を掻き集めおざなりに着込むと、剥がしたソファーカバーを片手に、海馬はさっさと備え付けのバスルームに消えてしまう。その様子を簡単な身繕いと共に眺めながら、城之内は大きな溜息を吐いた。どんなに近い距離にいても一人取り残されるというのは少しだけ切ないよな、と思いつつ何時の間にか床に落ちていた帽子を拾い上げテーブルに乗せてしまうと、暇を持て余し、厚いカーテンが引かれた窓際まで歩いていく。

 多少の苦労をして重たいそれを少し引き明け、既に嫌という程見慣れた外の景色を眺めてみる。窓ガラスの向こう側は過剰なほど降り積もる雪のお陰で一面の銀世界が広がっている。

 ホワイトクリスマス、なんて聞こえはいいけれど、その日労働をしなければならない人間にとってはいい迷惑だ。今日もまた店の前の雪かきから始まるんだろうか。あーしまった。張り切って身体使わなきゃ良かった。腰がちょっと辛いかも……などと、雪を眺める城之内の思考を占めるのは余りにもロマンチックとはかけ離れたものばかりで、いかにもオレらしいや、と彼は自分で自分を笑ってしまう。

 去年まではプレゼントなど一つもない、ケーキを売るだけだった、つまらないクリスマス。けれど今年はこんな風に暖かな場所で恋人と二人で過ごせる最高の日になった。人生変われば変わるモンだよな。ぽつりと呟いた台詞にも相変わらず色気は無い。

 暫くそうして何をするでもなく外を眺めていた城之内だったが、僅かに空いた隙間から入り込む冷気に汗の引いた身体がぞくりと震え、少し寒さを感じ始める。それと同時にくぅ、と小さく腹が鳴った。食べ物を食べたのは大分前の事だったし、その後も数時間外に立ち続け、おまけにセックスまでした所為で空腹になってしまったのだ。時計を見れば既に2時を廻っている。

「……なんか食わせてもらお」

 そういや海馬とは食事してねぇし。あいつケーキ食ってねぇっていうし。クリスマスの恋人ムードが足りないのはその所為だよな、うん。とどうにも明後日な方向に考えを廻らせながら城之内はカーテンを元に戻そうと豪奢な布に手をかけた。その時。

 大きく切り取られた硝子窓に、サンタクロースの姿が映っていた。それは勿論赤い衣装を着たままの自分の姿だったが、その事を失念していた城之内は一瞬目を瞠ってしまう。揃いの生地の帽子も、白い髭も、プレゼントを乗せたソリを引くトナカイもいないけれど、そこにいたのは確かに城之内が幼心に思い描いたサンタクロースだった。
 

── そういえば昔は夜も寝ないでサンタクロースの事を待ってたっけ。
 

 自分よりもまだ幼かった静香と二人、親の言う事など聞きもせずに煙突の無い小さな家でサンタクロースがプレゼントを運んでくるのを待っていた。結局夜通し起きている事はできなくて、サンタクロースに会う事は出来なかったが、枕元にはいつでもきちんとプレゼントが置いてあった。欲しいものとは、程遠いものだったけれど。

 そのプレゼントが届けられなくなったのは、母親が静香を連れて出て行った年からだった。その頃は既にもうサンタクロースの存在などありえないと知ってしまって、クリスマスの朝に枕元に置かれたプレゼントの贈り主が誰だったのか余計強く感じられて、つい涙を零してしまった。

 その瞬間から城之内にとってクリスマスは寂しさを感じる日になり、働くようになってからは虚しさを感じる日になった。サンタクロースの格好で、子供に笑みを振りまきながら目の前を歩いていく幸せそうな家族や恋人達を見るにつけ、胸の中に苦い思いを抱いていた。
 

『なぁ、サンタクロースにはさ、誰がプレゼントくれんの?』
『はぁ?サンタクロースは配る側だろ。貰える訳ねぇじゃん。ま、でもサンタクロースだって最初からジジィってわけじゃねぇし、子供の頃は貰ってたんじゃね?』
『子供の頃貰えなかったら?』
『……貰えねーだろ。多分。……っつうかお前サンタクロースじゃねーんだから、何を真面目に考えてるわけ?』
『そうよ城之内。いきなりどうしたの?』
『城之内くんは、今年もケーキ屋さんでサンタクロースをやるんだって。ちっちゃい子供に飴とかチョコを配るんだよね?あれ、今年は風船だっけ?』
『なーる。配るだけで貰えねぇから拗ねてる訳か。そいつぁ可哀想にな』
 

 拗ねてるわけじゃねぇ、ちょっとだけ、寂しいんだ。

 仲間達との会話を思い出しながら、ぽつりと小さくそう呟く。サンタクロースとケーキとプレゼント。この三つが揃わなければ、城之内のクリスマスは完成しない。最初の二つは難なくクリアしたけれど、最後の一つは多分無理だろう。あの調子を見れば結果など分かりきっている。期待なんかはしていない。

「ま、しょーがないよな。海馬だし」

 甘く優しく幸せな恋を望むなら相手がまず間違いなのだ。どんなに苦労をした所であの海馬とそんな恋が出来るなどとは思えない。手近なところで言えば、例えば自分の妹のような、可愛くて気立てが良くてどこまでも優しい女の子と付き合うしかない。けれどそれを望むかといえば、決してそんな事はなく。

 幾ら悩んでもその答えは、結局同じところに行き着いてしまうのだ。海馬という男が好きで、どうしようもない。だから、しょうがない、と。

 そう心の中で呟きつつ、カーテンを閉め窓に背を向けて城之内はカバーの無くなったソファーへと戻ってくる。暇つぶしにとバッグの中に入れていた店の読み古しの雑誌を取り出し、勢いをつけてソファーに飛び乗り、足を投げ出して寝そべった。海馬はまだ帰ってこない。

 あーつまんねぇ。とわざと声に出して呟いて、クッションを手に取りその上に腕を枕にして仰向けに寝転がる。漸く渇いた衣装は意外に肌触りがよく、暖かな部屋では心地良かった。極寒の外では全く役に立たないものではあるけれど。

「でもなぁ、プレゼントも寄越さないサンタクロースってのも、なんだかなぁ」

 今まで海馬の事ばかり考えてはいたが、その実自分もこんな格好をして、サンタクロースだと威張ってはいるものの、海馬に堂々と渡せるものなど一つも持ってはいなかった。モクバに渡した子供用のお菓子が詰まった長靴なら店からくすねてこられるが、そんなものは手渡した瞬間に「ふざけるな」の言葉つきで床か自分に叩き付けられるだろう。まあ、お菓子ばかりではなく、何を渡した所で喜ぶはずなどないのだ。あの朴念仁は。

 幾度目かの溜息を吐きながら、城之内は手にした雑誌を軽く広げる。既に一度読んでしまったそれは余り面白くなく、ざっと流し読みをする程度で終わってしまった。つまんねぇ、再び口にした言葉と共に既に用を成さなくなった雑誌を閉じて放ろうとしたその時、最後の頁の隙間から一枚の紙が落ちてきた。かさりと胸の上に落ちたそれを取り上げて、城之内は「あ」と声を上げて起き上がる。

 そういえば、これを読めって言われたんだった。

 すっかり忘れていたその存在を漸く思い出し、小さく折り畳まれたそれを元の大きさに戻すべく丁寧に広げ、改めてそこに書かれた文字を凝視する。灰色の紙にびっしりと埋め尽くされた細かい文字。城之内の手の中にあるのは、昨日付けで配布された一枚の新聞だった。
 

── 21世紀のサンタクロース。世界中の子供達に夢と希望の贈り物。
 

 その四面あるうちの一面に堂々と記された巨大タイトル。バイトの休憩時間に店の隅に放られていたこれを見た店員の一人が、面白い話もあるもんだと城之内に渡してきたものだった。いきなり目に入ったそのタイトルに、城之内はいかにもクリスマスらしい作り話だと鼻で笑い、後で読むからと雑誌の間に入れてきたのだ。暇つぶしに丁度いい。

 城之内は新聞を両手で眼前に据えると、興味を持ってその記事を読んでみる。内容はタイトルどおり、世界中の子供……特に親のない貧しい孤児達に、匿名で小さなプレゼントが届けられたという。光の下で綺麗に光る白い箱にかけられたブルーのリボン。中身は様々な菓子とM&Wカードが一枚。

 ……そこまで読んで城之内は、ふとある事に気がついた。

── 白い箱にブルーのリボン。一枚のM&Wカード。
── その、サンタクロースの正体は、もしや……。

 ごくり、と大きく喉が鳴った。城之内は無意識に身体を起こし、徐に視線をバスルームへと固定する。

 丁度その時小さな物音がして、城之内が見つめる扉から漸く海馬が姿を現した。未だバスタオルを手にしたまま、ゆっくりとこちらに歩んでくる。

「海馬」

 我慢しきれず、その名を呼んだ。海馬の視線が城之内へと向けられる。即座にこの事を聞かなければ、そう思い城之内はソファーから立ち上がり、自分から海馬の元へと歩き出した。左程遠くない距離は直ぐに縮まり、薄いシャツを羽織った体の前で立ち止まる。

「なぁ、海馬」
「……貴様は入らないのか」
「え?ああ、今はまだいい」
「もうしないからな」
「は?」
「だから、もうしない。今日も仕事だ」
「……あーうん。はいはい。オレもそんな元気ねぇよ。風呂に入らないのはそういう意味じゃなくって、寝る前に入るって事。お前、オレが風呂に入らないって言うとすぐ警戒する」
「普段が普段だからな。先程から面倒だ面倒だと煩いし。近づいてくるし」
「お前、オレをなんだと思ってるわけ?」
「万年発情期の犬」
「ひどっ……って!そうじゃなくて!」

 目の前に立った城之内の体を上手くすり抜けて、海馬はそのままソファーへと向かおうとする。そんな彼の態度に城之内は反射的にその手を捕まえて、至近距離にいるにしてはやや大きな声で口を開いた。

「お前、サンタクロースやったの?」
「は?」
「新聞の、この記事……お前だろ、これ」
「!……知らん。そんなもの」
「嘘吐くなよ。この配色のセンスといい、贈るものといい……お前しかいないだろ、こんなの」
「………………」
「道理で、さっきのサンタの帽子が似合ったわけだ」
「な、何が言いたい!」
「何って。偉いなぁって。お前は人にクリスマスの幸せを分けてあげたんだなって。自分はケーキも食わない癖に」
「それは」
「オレの友達が言うには、サンタクロースはプレゼントを配るばかりで貰えないんだと。オレもお前も、折角のクリスマスに人に幸せを分けるばかりで損してるよな。そう思わねぇ?」
「何を子供じみた事を……」
「でもサンタクロース同士、仲良く一緒にいられるから、それでいいか」

 な、青い目のサンタクロース君?やっぱり君はいい子だね。

 そう言って、城之内は少し離れた場所にあった海馬の体を引き寄せて、抱きしめた。風呂上りの暖かな身体が心地いい。その仕草にか、それとも直前に言われた言葉にか、僅かに頬を染めて罰の悪そうな顔を背けた海馬の顔を眺めながら、ゆっくりとその唇にキスをした。唇に触れるだけの軽いキス。
 

『……ここに来る前に何か食べたか?』
『へ?なんで?』
『妙に甘い味がする』
 

 ふとその時、城之内の頭に海馬のある台詞が過ぎった。そして直ぐに、ある事を思い出す。そして緩やかに顔を離し驚きの様な羞恥のような表情をしている海馬から顔を背け、城之内は衣装のポケットに忍ばせていたあるものを三つ取り出して、握り締めた。

 そういえば、これは海馬にと貰ってきたのだ。余りに余りなものだけど、何も贈らないよりはずっといい。……そう心の中で呟いて、城之内は徐に海馬の手を取り、その掌の上に握り締めたそれをころん、と転がした。海馬の瞳が大きくなる。

「はい、これ。オレからのクリスマスプレゼント」
「……なんだこれは」
「なんだって。キャンディだけど。青と白の。ブルーアイズカラーだから好きかなーって。オレはさっき赤とオレンジと黄色、食ったんだ。だから口の中が甘かったのかも」
「………………」
「あっ、呆れた顔しやがって!お前はサンタクロースなんだから、本来はプレゼント、貰えねぇんだぞ!それをオレがわざわざ……」

 一瞬呆けたようにこちらを見返した海馬の顔に、やっぱりちょっと子供じみ過ぎたか?!と焦った城之内は慌ててそう捲くし立てる。今言った事は本当だ。皆に配り歩いたキャンディが残っていて、好きな色を取っていいと言われたから、自分の分三つと海馬の分三つを持って来たのだ。自分が今渡せるものはこのキャンディくらいしかなくて、それでも何も渡さないよりはいいだろうと思って、差し出したのだ。

 怒ってるかな……怒ってるよな。キャンディだもんな。モクバの長靴よりも貧相だしな。

 そう今後の展開を思いつつ、城之内が僅かに身を竦めたその時だった。

 かろん、と小さな音がして、海馬の手の中のキャンディが一つ減る。そして、ゆっくりと、その顔が近づいた。

「……な、なに?……んっ」

 一瞬怯えて後ずさろうとした城之内の身体が強い腕に引きとめられる。そして間を置かず、唇が重ねられた。余りの不意打ちに驚いて、何か言い募ろうと開いた口に、ころりと何かが転がり落ちる。共に入り込んできた舌と共に、それは城之内の口内に甘い香りと味を押し付けた。

 それは海馬が口にした青いキャンディ。爽やかなソーダ味。

 そのキャンディを間に挟み、二つの舌は緩やかに絡みあい、二人は同じ味を共に共有する事となった。大きかったキャンディが、一回り小さくなるまで。

「それは、オレからのお返しだ」

 甘みの強い唾液で少し離れた唇同士を繋ぎながら、海馬は笑いながらそんな事を言う。キャンディは、城之内の口の中に残されたまま、コロコロと音を立てていた。

「……元はオレがあげたもんじゃねぇか」
「一度貰ったものは手放さん主義だが、プレゼントを一つも貰えないサンタクロースは余りにも哀れだから、施しをしてやったのだ」
「人の上げたもん恭しく返すとか、ケチくせぇなぁ」
「何を言う。キャンディはともかくオレのキスは金では買えないぞ。今のところ世界で一人だけだからな」
「うわぁ……すげー事言っちゃってるよこの人」
「で、どうする凡骨。このまま寝るか?それとも……時間が遅くなったが『クリスマス』がしたいのか」
「え、なんでそんな事」
「……キスの最中に腹を鳴らしておいて何を言う」
「おまっ……そういう事はこそっと言えよ!恥ずかしいだろ!」
「こそっとも何も二人しかいないだろうが。で、どうする?」

 サンタクロースとケーキとプレゼント。
 クリスマスに必要な三つの要素は見事に揃ったけれど。

「お前がそこまで言うんなら、してやってもいいぜ。『クリスマス』」

 完成した『クリスマス』を、お前と……二人で。

「……やめるか」
「あ、嘘です!やる!やります!!お腹すきました!」
「少し待ってろ。持ってこさせる」
「え?準備は?」
「そんなもの、とっくにしてあったに決まってるだろうが。ケーキも、貴様の分は残っている」
「……瀬人くん……やっぱり待っててくれたんだな!」
「名前を呼ぶな、鬱陶しい!」
「来て良かったなぁ。オレ、今日もバイト頑張れそう」
「泊まる気満々で家を出てきておいて今更何を言う!」

 先程の優しさは何処へやら、いつもの彼らしい乱雑な動作で未だ密着していた体を突き放すと、海馬は深夜にも関わらず控えているのだろう使用人と連絡を取るために壁際にある電話へと歩いていく。その背に向かって、城之内は至極楽しげにこう言った。

「ケーキは一緒に食おうぜ。オレの分、分けてやっから」
「いらんわ!」
「クリスマスするんだろーケーキは必需品だろー」
「そんなのは貴様だけだ。ケーキ屋の手先め」
「手先とか……アルバイトですぅ」
「これが売れないと家に帰れないとか、そういう惨めったらしい手口で人を騙すバイトなどやめてしまえ」
「それって偏見……」
「貴様はそうだろうが」
「まぁね」

 寒くて、疲れて、虚しくて、時には惨めになるけれど、来年もクリスマスにはケーキ屋のバイトをやろう、と城之内は思った。サンタクロースの格好で、人に笑顔を幸せを少しでも分け与える事が出来るのなら……少しくらいのマイナス要素など苦にもならない。勿論、時給もちょっぴり高いけれど。

「来年は、ちゃんとしたプレゼント買ってやるから」
「いい。いらない」
「……どうしてそうお前は……」
「来年もどうせクリスマスはサンタクロースになるんだろうが。おまけのキャンディで我慢してやる」
「……海馬」
「あのキャンディだけは、金を出しても買えないものだしな。それに貴様には分相応でいい」
「むかつくー……お前は来年なるの?サンタクロース」
「……なれるうちは、なろうと思う」

 それにどれ程の財力が必要なのか、聞きたくても聞けなかった。否、聞いたところでどうなるものではなかった。常人には到底出来ないことを密かにさらりとやってのける、城之内だけに優しくない海馬瀬人。別名、青い瞳のサンタクロース。

 今は少々意地悪気な顔をして、腰に負担のかかるあの立ち方でこちらをじっと見つめている。その眼差しをもう少し近くで受け止めたくて、ゆっくりと歩み寄る。

「オレにとって、ずっとクリスマスって悲しい日だった。けれど今日は、なんか凄く幸せだ」
「そうか。それは良かったな」
「サンタクロースが来てくれたからかな」
「阿呆が。来たのはそっちだろうが」
「あ、そっか。それもそうだ。オレもサンタクロースだった」
「プレゼントを持ってこないサンタクロースだがな」

 言いながら、海馬はまた一つキャンディを口に入れた。今度は城之内に与えるつもりは無いらしく、壁際に寄りかかったまま口の中で転がしている。少し膨れた頬に手を添えて、唇を舐め上げた。それでも、閉ざされた口は開かない。

「もう一個頂戴」
「これはオレのだ」
「ケーキあげるから」
「いらないと言っている。貴様既に四つ食べただろう。意地汚い真似をするな」
「じゃ、キスしよ」
「……どうしても舐めたいんだな」
「いや、優先順位はキスが先」
「嘘吐け」

 それでも少しだけ開いた唇に、城之内は柔らかくキスをした。酷く甘いその口付けは、確かになにものにも変え難いものだった。クリスマスじゃなくても与えられる贈り物。幸せで、幸せで、本当に幸せだった。

 この冬空の下にいる、数多の家族や恋人達より、自分が一番幸せだと思える位に。

 メリークリスマス。

 毎年、笑顔と共にこの言葉を言えますように。
 そう思い、城之内は深く、強く、目の前の体を抱きしめた。