Act1 父サマのクリームシチュー

「瀬人!髪を結ってくれ!」
「……なんだ、突然?髪位自分で結わんか。何かするのか」
「料理だ」
「料理?!今度は何チャンネルの影響だ!三分間クッキングか?!」
「違う。モクバだ」
「……モクバ?貴様、話が支離滅裂で意味が分からんぞ。順を追って話せ」
「明日はモクバの誕生日なんだろう?」
「ああ、そうだが。毎年それなりの規模で祝ってはいる。が、それがどうした」
「この間テレビでやっていたが、誕生日にはプレゼントというものをするのだそうだな」
「絶対ではないが、そういう習慣はあるな」
「ちなみに、瀬人は何をやるつもりだ」
「何って、モクバが欲しがっているものだ。それを貴様に説明する義務はない」
「オレも、モクバに何か贈りたいのだ。で、モクバに直接聞いてみたんだが……その答えが手料理だったのだ。『父サマのクリームシチュー』とやらを食べたいと」
「…………ああ」
「磯野に聞いた所、それほど難しい物ではないというのでな。作ってやりたい」
「何故……磯野に聞く?」
「あいつはモノを知っているからだ」
「……で、髪を結えと。そういう事か」
「そうだ。だから早く結ってくれ」
「それは分かったが……貴様、材料や作り方を分かっているのか?」
「分からん。お前が知っているだろう?何でもそのシチューを食べていたのはお前とモクバだけだと言うじゃないか」
「まぁ、オレの父親が作ったモノだからな。正確に言えば母親の味だが」
「そうか。なら話は早い。お前も協力しろ。というか一緒に作れ!」
「はぁ?!な、何故オレが貴様と料理をしなければならない!」
「モクバが可愛くないのか?兄なら協力すべきだろう」
「貴様が勝手に思いついた事にオレを付き合わせるな!」
「いいだろう別に。暇なのだから」
「何処が暇だ!オレは暇ではない!」
「いいから言う事を聞け!」
「何様だ貴様!」
「とりあえず何をすればいい?」
「人の話を聞かんか!」
「あ、兄サマ発見!部屋にいると思ったらこっちだったんだね!はい、これ。メイドから借りてきたよ!」
「モクバ!……なんだそれは」
「なんだって。エプロン二人分だぜぃ。厨房は一階の方を空けておいたって」
「エプロン?!」
「オレ、明日の夕食すっごく楽しみにしてるから。頑張ってね!」
「……いや、ちょっと待て、何故二人分……」
「任せておけモクバ!」
「貴様かぁああああ!始めからオレを巻き込むつもりで…!」
「瀬人、ピンクとブルーどちらがいい?選ばせてやる」
「ふざけるなッ!」
「とりあえずはまず『買い物』だな!」
「だから人を話を聞け!」

 七月六日夕方の海馬邸。
 常には比較的穏やかな時間帯にも関わらず、その日は何故か屋敷の一番奥まった場所にある書斎で賑やかな声が上がった。声の主は二人いたのだが(途中モクバも参加していたが、それは一瞬の事だった)どちらも似たような声質の為、慣れない者が聞けば一人で大騒ぎをしている様に聞こえてしまう。先日海馬邸に雇われた新人のメイドが、古参のメイド頭に恐る恐る「瀬人様は大きな独り言を言う癖でもあるのですか?」と尋ねてしまった程、『彼等』の声は頗る似ている。

 勿論それは直ぐに訂正され、「実はこの屋敷にはちょっと変わった同居人がいる」という事を懇切丁寧に説明したのだが、何故その同居人が瀬人と同質の声を持つのかまでは誰一人として理解するまでには至らなかった。

 けれど、実際存在している以上否定する事は出来ず、何よりも主がそれを認めているのだから使用人がそれをとやかく言う事は出来ないのだ。 ……そんな訳で、今日も今日とてその奇妙な居候は瀬人の元へと入り浸り、せっせと仕事の邪魔をしていた。

 現在の騒ぎは、その男が瀬人の元へ来てから数十分が経過した頃の事である。

 突然現れて意味不明な事を言った挙句、弟をも巻き込んで、あまつさえその後の予定も勝手に決められてしまった瀬人は、止まらない男の身勝手な発言に手元にあった分厚いファイルを勢い良く投げつけたが、それは余裕でかわされてしまう。 それにつり上がる眉にも全く動じず、男は両手に持ったエプロンをひらひらと靡かせながら満面の笑みを見せた。

 彼がこの笑顔を見せる時には大抵碌な事が起きないという事を嫌という程知っている瀬人は、このままではこいつの遊びに振り回される!と第二段として用意していたペン立てを机上に乱暴に戻してしまい、思い切り良く椅子から立ち上がると脱走の機を伺った。

 デスクを挟んで右と左、どちらを回れば男の魔の手から逃れる事が出来るのか。徐々に間合いを詰めてくるその身体からじりじりと後退しながら、瀬人はカーペットが敷き詰められた柔らかな床の上を靴で強く踏みしめた、その時だった。

 バサッ、と妙な音がして、瀬人の眼前が薄いブルーに染まる。男が手にしていたエプロンを瀬人へ向かって投げ付けたのだ。

「ぅわっ?!」
「オレから逃げようなどと百年早いぞ、瀬人!」

 いきなり視界を遮られてはいかな瀬人でも無闇に駆け出す事は出来ず、結局男の腕に捕らえられてしまう。頭に引っかかる形で己の目論見を邪魔したそれを勢い良く毟り取ると、瀬人は乱れた髪もそのままに、鬼の形相で男の顔を睨んだ。

「き、貴様ッ!ここまでするか普通!」
「オレ一人では如何ともしがたいのでな。協力して欲しいのだ」
「これが協力を頼む態度かッ!」
「ふむ。お前はやはり青が似合うな。ではオレはこちらで我慢しよう」
「エプロンの色などどうでもいいわ!」
「ごちゃごちゃ煩い。これ以上抵抗すると言う事を聞きたくなるような事をしてやるが」
「脅迫するな、馬鹿が!」
「では、手伝うか」
「嫌だ!」
「……床の上と机の上、どちらがいい?選べ」
「いきなり盛るな!貴様の『手段』はそれしかないのか!」
「お前が大人しくはいと言わないからだ。何がそんなに嫌なのだ。何か問題でもあるのか」
「……問題、というか……オレは……」
「無いのならいいだろう。決まりだ」
「だから勝手に話を進めるなと……!」

 これ以上何を言っても結局はこいつの意向に従うハメになるのだ。もうどうでもいい。 既に人の意見を聞く気もなく、さっさと進んでいく話に頭を痛めつつ、瀬人は不貞腐れたように口を噤むと男に向かって「分かったから少し黙れ。どうせ作るのは明日なのだから明日にしろ」と言い捨てた。そして、手にしたエプロンをソファーに放るとさっさとデスクへと戻ってしまう。

 そんな彼に特に異論が無くなった男は満足そうに頷くと、瀬人が投げ捨てたエプロンを拾って「これはどうやって着けるのだ」とか暢気な言葉を呟いた。その後姿をちらりと見遣り、瀬人はこっそりと遠い記憶の彼方にある『父サマのクリームシチュー』の味を思い出そうと頭を捻った。が、幾ら真剣に思い出そうとしても、その片鱗さえも見つける事は出来なかった。

 どう足掻いても駄目なものは駄目だ。これはまた後で考えよう。数分後、即座に記憶探りを止めてしまった瀬人は、再びディスプレイへと向き合い、キーボードに指を滑らせる。軽快に響き始めたタッチ音に神経を集中させながら、瀬人は内心深い溜息を吐きつつ、心の中でこんな事を呟いた。  

(どうでもいいのだが、オレは、味覚音痴なのだが)