Act1 気に食わない

「どうしてだ。何か問題があるのか」
「嫌だからだ!」
「でもオレは触りたい。今そういう気分なんだ」
「貴様の気分など知った事か!」
「なら、オレもお前の気分など知った事ではない。こら、暴れるな。疲れるだけだぞ」
「くっそ、離せと言っている!」
「大人しくしたら考えてやろう」
「嘘を吐け!!」

 そう、こいつの口から出るのは常に嘘ばっかりだ!オレと似たような姿形をしている癖にその中身は天と地ほど違うとはどういう事だ?!しかもその行動は悉くオレの神経を逆撫でする。

 今とて真剣に仕事に励み、丁度作業が軌道に乗ってきた所を狙ったかのように邪魔をして来た。しかもその理由は単なる個人的な我侭に過ぎない。

 触りたいだと?!昨夜散々人の事を弄繰り回して今朝の予定を駄目にした挙句のその言い草にオレの怒りは頂点に達していた。否、頂点などとっくに通り越して何順目かに突入している。

 人間怒りの臨界点を超えると無感動になるかもしくは笑うしかなくなるか、この二パターンに別れるのだが、オレはそのどちらにもなれずにただひたすら怒りを覚えていた。ここまでくるといい加減に疲れてくる。

 抗って済む話なら幾らでもそうするのだが、こいつを世に生み出した非ぃ科学的現象は何の手違いかこの馬鹿に人の数倍の腕力を与えてしまった。オレと同じ体躯の癖にその力強さは段違いで、それに加えて俊敏さや柔軟性まで全て兼ね備えている。

 幾ら一流の護身術を会得しているオレでもコイツの前ではなんの役にも立たない。それが余計に腹立たしいのだ。

 常とは違い私室での仕事だった所為で執務机ではなくソファーテーブルに書類を広げ少しだけ寛いだ様相でPCを弄っていたオレだったが、それが最大の仇となった。これまで向かい側で大人しくしていたこの男は、ちらりと時計を見ると徐に隣へとやって来て、冒頭の言葉と共にさも当然のように手を伸ばすとオレの身体をきつく抱き込んだ。

 それだけならまだしも、奴はその腕力を生かしてまるで小さなモクバをひょいと持ちあげるような気軽さで、オレの事をあっさりと自分の膝の上に乗せてしまったのだ。

 オレが使用していたラップトップは持ち運び専用の小型の奴で、奴に身体を掬われた瞬間咄嗟に掴んで持ちあげる。お陰でよくあるディプレイを閉ざされた故の強制終了や衝撃から来るフリーズは免れたが、他人の膝の上に座したこの状態ではキーボードを打つことが出来ない。

 あ、ありえない。なんだこいつは。

「貴様何をしている!!」
「そうカリカリするな。休憩の時間だ。少し休め。それは下に置け」
「休憩時間?!傍に寄ってきたのはそれの所為か!ふざけるな、誰が休むか!今一番いいところで……っ!」
「いう事を聞かない奴だな。なら、このままで仕事をしてみろ。出来るなら続けてもいいぞ」
「こ、このままって、貴様何を考えて」
「別に何も。そんなにまでしてしたい仕事ならしかたないと思ってな。その代わりオレもしたい事をするぞ」
「ちょ、待て!手!何処を触っている!」
「何処って、なんだ説明して欲しいのか」
「そうじゃない!やめろと言ってるんだ!」
「ならお前もやめろ」

 何故貴様が優位な物言いをするのだこの下種が!まだ仕事を開始して5時間しか経ってないわ!疲れてもいないのに休むなどと言語道断!片腹痛い!……そう心の中で喚きつつ、オレは沸騰し続ける頭のまま意地でも手放すものかと未だ辛うじて膝の上にあるPCを操作しようとする。

 が、場所が不安定な奴の膝の上ではそうそう上手く行かず、それどころか悪戯に服の中に手を入れてくるという追加攻撃に最早オレにはなす術がなかった。

 オレも大概いい性格とは言い難いがこいつには死んでも叶わない。人を陥れる才覚に関してはその辺の悪党も叶わないだろう。最悪だ。最悪すぎる!

「っく!……や、やめっ……!」
「なんだもうサレンダーか?これ位で諦めるという事は、やはり大して急ぐ仕事ではないのだろうが」
「こんな状態で仕事が出来るか!」
「だから休憩しろと言ってるんだ。ほら、それを寄越せ」
「そ、そのまま閉じるなよ」
「分かってる。開けたままおいてやるから」
「10分だぞ」
「いや、1時間だ。反抗するなら、この続きをするが、どうする?」

 こいつどこまでも……!人が妥協してやっているのに……!

 それでも、ここでオレが頷かない限り、奴はその言葉を実行するだけでオレにとってはなんの益もない。悔しいが、既に相手の手中にあるオレにはもうどうする事も出来ないのだ。

「……い、一時間にする」
「よし。偉いぞ」

 オレが悔しさに顔を歪ませ歯軋りと共にそう答えてやると、奴はあっさりとオレの服の中から両手を引き抜き、まるで子供を褒めるようにぽんぽん、と頭を撫でて来た。殺してやりたい。この場に銃があったら迷う事無く引き金を引いてやるのに。

 けれど。何よりも気に食わないのは……
 

 ……毎回この同じ手にかかってしまう自分自身なのだ。