携帯メール

『カイバ アイシテル (´ε`*)』
 

「ぶっっ……!」
「うわ、兄サマ大丈夫?!珈琲飲みながら携帯弄っちゃ駄目だぜぃ。制服に染みが付いちゃう」
「……すまんっ、大丈夫っ、だ」
「何か面白いメールでも来たの?」
「……いや、なんでも、ない」

 突然携帯を手に目に涙を浮かべる程盛大に咳き込んだ瀬人に、モクバは驚いて口に運ぼうとしたフルーツを取り落とした。見ているだけで苦しそうなその様子に心配をして声をかけると、程なくして落ち着いたのか、瀬人は深く息を吐いて顔を上げた。そして顔面を引きつらせて携帯を脇に放り投げる。

 早朝の海馬邸。爽やかな小鳥の囀りを背に優雅な朝食タイムを終えた瀬人は、最後の珈琲を口にしながら毎朝の日課となっている新聞の読破と、携帯のチェックをしていた。眠りはさほど深い方ではなく、真夜中でも着信があればすぐに受ける事ができるので、危急の事態を放置しておくという事はまず滅多になかったが、極たまに全く気づかないまま朝を迎えてしまう事もある為、この毎朝の確認は欠かさず行っていた。

 昨夜から今朝にかけて特に重要な着信がない事を見て、次にメールを開く。その瞬間瀬人は丁度含んだ珈琲を噴出しかけて寸での所で留まった。しかし、極微量が気管に入り込んでしまったらしく、激しく咽込む事になったのだ。

 その原因は勿論、見てしまったメールにある。いきなりダイレクトにアイシテルだのわけの分からない顔文字だのは瀬人にとって余りにも予想外で、驚愕すら覚えた。珈琲を噴出しそうになるのも仕方ないだろう。そんな奇怪なメールを寄越した相手は「武藤遊戯」となっている。しかしそのメールアドレスの持ち主の性格から考えるに彼自身が打ったものとは考えにくい。

 と、なると残る可能性はただ一つ。もう一人の遊戯の仕業である。

 最近文明の利器に大いに興味を持ち始めた彼は遊戯にせがんで色々な機械の操作を覚え始めたのだ。一番新しい情報によればDVDレコーダーでの録画と最新ゲーム機での格闘ゲームを楽しめるようになったらしい。

 そんな彼が携帯に興味に持っても別に不思議な事ではなく、送信時間が真夜中な事から大方本体の遊戯が寝入った後に彼の携帯を弄って送りつけてきたのだろう。全てカタカナなのは変換の仕方を知らないだけなのか、ワザとなのか。しかし妙な顔文字を出してくる事自体、スキルはそんなに低くはないと思われる。

 それにしても……。

「下らな過ぎる……」
「……?何が?兄サマ、独り言はやめてよ。あ、もう時間だ。オレはもう行くよ」
「もうそんな時間か。気を付けてな」
「兄サマこそ、何がそんなに面白いのか知らないけど、携帯見ながら歩いてぶつかったりしないでね」

 座っていた椅子から降りてこちらへと駆けて来たモクバは背伸びをしてずいっと顔を近づけると、念を押すようにそう言った。それに曖昧に頷いてみせると、彼は鞄を手に元気良く駆け出して行った。バタン、と大きな音を立てて扉が閉まる。

 その余韻を背に聞きながら、瀬人は脇に投げた携帯を拾い上げ、改めて画面を見る。そこに残るふざけた文面に小さく舌打ちをすると、瀬人も学校へ行く為に席を立った。
「あ、おはよう海馬くん。朝から来るなんて珍しいね」
「……ああ」
「?どうしたの?なんか顔が怖いけど…」
「もう一人の遊戯を出せ。話はそれからだ」
「えっ、なんで?」
「貴様の携帯を見てみろ。送信履歴だ」
「携帯?うーんとちょっと待って」

 学校について直ぐ海馬の姿を見つけて寄ってきた遊戯に、海馬は開口一番凄みをきかせた声でそう告げた。不機嫌なのが丸分かりなその口調に遊戯はやや驚いた様子で言われた通りポケットから携帯を取り出して操作する。程なくして常と同じ海馬からみれば少し腑抜けた顔が驚きと羞恥に真っ赤に染まった。

「うわっ、何コレ?!も、もう一人の僕が送ったの?!」
「貴様に覚えがなければそうだろうな。その下らんメールのお陰で朝から死にかけたんだが。あの遊戯にその責任を取らせろ!」
「責任って……もう一人の僕、いつ使い方覚えたんだろう」
「貴様が教えたのではないのか」
「ちゃんとは教えてないから、きっと僕のやってる事を真似たんだろうね。それにしても…熱烈だなぁ。これラブメールじゃん」
「気色の悪い事を抜かすな!いいから、遊戯を出せ!」
「ちょっと待ってて。今変わるから」

 もー僕に怒られてもしょうがないよー。そうぶつぶつ言いながら遊戯は一瞬目を閉じて何やら独り言を言っているようだった。数秒後、ガラリと変化した外見と共に再び開かれた瞳が赤い光を帯びていた。彼は不敵な笑みを口元に浮かべ、腕組みをして海馬を見る。

「よぉ、海馬。おはよう。朝から相棒を苛めるんじゃないぜ」
「貴様ぬけぬけと、今朝の……いや、正確に言えば昨夜のメールはなんだ!あれは貴様の仕業だろう!」
「メール?……ああ、ケータイのメールか。ちゃんと届いたのか」
「届いたのか、ではないわ!なんだあれは!」
「なんだって。お前、アレ読めないのか?」
「馬鹿にするな!そういう意味ではない!大体全部カタカナで、何かの呪いかと思ったろうが!」
「オカルト大嫌いなお前が呪いとか笑わせるなよ。カタカナなのはしょうがないだろ。変え方知らないし。相棒がやってるのを見てると早くて分からないんだぜ」

 あのボタンって結構扱い辛いんだよな。指がつりそうになるぜ。そんな事を言いながら切々といかに自分がそのメールを打つために研究と苦労としたかを語る遊戯に、海馬は「そんな事は聞いていない!」と一喝しようとするが、なかなかそのタイミングが掴めない。海馬の口だけが空しく開閉を繰り返すなか、遊戯は言いたい事は全て言い終わったと言わんばかりに、満足げに頷くと、「と、いうカンジだ」という言葉と共に締めくくった。

「おい!」
「なんだよ」
「そこじゃないだろう!」
「何が」
「オレが聞いているのは、あの内容はなんだ、という事だ!」
「内容?……カイバ、アイシテル?」
「こ、ここで口にするな!!」

 まるで何気ない単語を口にするかのようにさらりとそういう遊戯の口をまるでひっぱたくように掌で封じた海馬は、初冬に入り少し寒いくらいの空気に満たされた教室内で額に汗をかきつつ、素早く周囲に視線を巡らす。幸いな事に彼等の近くには人の気配はなく、クラスメイト達は少し離れた場所に複数のグループを作って談笑に興じているようだった。

 内心ほっと胸を撫で下ろし、海馬は遊戯の口を封じていた手を下ろすと、彼はまるで汚いものを拭く様にその掌を遊戯の制服に擦り付ける。その様を至極不満気に見つめながら、遊戯はやや口を尖らせてこう言った。

「だって、お前、言葉じゃ聞かないふりをするだろ」
「……はぁ?」
「だから、メールで送ったんだぜ。オレの気持ち」
「……気持ち?」
「ああもう、話が分からない奴だな。あのメールを百回読め!」
「あの気色の悪い文字の羅列をか!」
「……もう、いい。相棒に変わるぜ」
「遊戯!」
「あっ……もう一人の僕っ!……あーあ、引っ込んじゃった。……ごめん、海馬くん」
「……………………」

 都合が悪くなると直ぐに引っ込もうとするのは闇遊戯の悪い癖である。彼は海馬が引き止める間もなく、あっという間に遊戯を前面に押し出すと、沈黙してしまう。その場に残される事となった海馬と、その海馬を無理矢理押し付けられる形となった遊戯は、互いに顔を見合わせ微妙な空気を纏いつつ立ち尽くした。

「あの……えーと……」

 目の前に迫る海馬の剣幕にすっかり怖気づいた様子の遊戯がおずおずとこちらを見上げてくる様子に、海馬は殆ど無関係の「彼」にこれ以上怒りを向ける事も出来ず、大きな溜息を吐く。丁度その時、タイミング良く始業のチャイムが鳴り響き、二人の不毛な会話は終わりを告げた。
「テキストの156頁。あーここは来月の期末考査に出るかもしれないからな。しっかりと覚えて置くように」

 静けさに満たされた教室内に、教師の生真面目な声だけが響いている。黒板に所狭しと書かれる授業内容には見向きもせずに、海馬は教科書に視線を落したまま、先程遊戯から投げつけられた言葉について考えていた。

 彼が自分に向けてあのような不可解な言動をし始めたのは何時の頃からだっただろう。海馬がデュエリストとしての彼を意識したのは出会った直後からだったが、それはあくまでライバルとしての意識であり、彼の言う恋だの愛だの言う浮ついた感情は一切なかった。勿論今も断じてないし、大体男にそんな感情は持ちようがなかった。それは相手も同じだと思っていたからこそ、遊戯のここ最近の不可解な言動に乱されるのだ。
 

『……もう一人の僕が。好きだっていうんだ』
『何をだ』
『君の事』
『は?』
『だから、君の事が好きなんだって』
『断る』
『えー。断るっていわれても……直接話をしてくれる?』
『したくない。するだけ無駄だ。どうせ貴様を通して聞いているのだろうから言っておく。オレは遊戯の事などライバルという認識以外で考えた事など一度も無い。これからも永遠にないだろう。そう覚えておけ』
『あ、海馬くん!』
『その話は二度とオレの前ではするな!』
 

 数週間前のある日の昼休み、何故か複雑な表情で自分のところへやって来た遊戯が千年パズルを弄りながら、とんでもない告白をして来た。何でも、心の中の住人である闇遊戯が、夜な夜な寝しなに「海馬が好きだ」という気持ちを遊戯に切々と語って聞かせているというのだ。最初は適当に聞き流していたものの日を追うに連れてどうにも真剣である事やどこか煮詰まっている事を感じた遊戯は、ついに海馬にその事を打ち明けてしまおうと思ったのだと言う。

 当然そんな事を言われて、はいそうですかと受け入れる海馬ではなく、即座にきっぱりと断ってそれ以降も無視を決め込んでいたのだが、そんな事で諦めるような相手ではなく、遊戯すらも巻き込んで手を変え品を変え、ありとあらゆる方法でアプローチを繰り返した。その集大成が今回のメールである。

 さすがに「好きだ」は聞き飽きて既に言われても痛くも痒くもなかったが、「愛してる」は不意打ちだった。更にとどめの顔文字である。不気味としかいいようがない。

『あのメールを百回読め!』

 ── 誰が読むかッ!!

 海馬は先程の遊戯の台詞に内心そう大声で返しつつも、その声とは裏腹に携帯を手に取り件のメールを見てしまう。こんな気持ち悪いものを何時までも大事に取っておくから気になるのだ。何故最初に受け取った時に消してしまわなかったのだろう。そうだ、削除だ。とっとと削除!!

 そう心に決めて海馬が削除ボタンを押そうとした、その時だった。

「海馬くん、授業中に携帯弄りは関心しないな。それは今日一日私が預かっておこう」
「……何?!」

 不意に目の前に人影が現れたと思った瞬間、掌の中から携帯が消えていた。それはパチンと小気味いい音を立てて閉ざされ、目の前の人影……現授業を行っていた教師の上着のポケットの中にしまわれてしまう。……言われてみれば今は授業中だったのだ。幾ら大企業の社長とは言え、一度校内に足を踏み入れれば海馬も立派な生徒の一員である。教師の言葉に常と同じ態度で逆らうわけには行かなかった。こうなると、学校で猫を被るのも良し悪しである。

「放課後……いや、君は途中で帰るのかな。まあその時に職員室まで取りにくるように」
「………………」

 さらりとそういい、さっさと教壇まで戻っていくその後ろ姿に、海馬は小さく舌打ちをするとすべての恨みを込めて前方の遊戯の背を睨み付けた。彼は暢気に居眠りでもしているのか、目立つツンツン頭は不規則に揺れている。

 おのれ遊戯、貴様のお陰で余計な恥をかいたわ!覚えておけ!!

 そう心の中で絶叫すると、海馬は仕方なく開いただけで見向きもしなかった教科書に視線を落し、黙り込んだ。近くに座る城之内がさも可笑しそうに「やーい先生におこられてやんの」とにやにやしながら小声で言って来たがそれ所ではなかったため、次の休みで足を思い切り踏みつける程度で我慢をした。
「遊戯!!貴様〜!!」
「オレの所為じゃないぜ。お前が『授業中に』余計な事をしたからだろう?責任転嫁は見苦しいぜ」
「黙れ!それもこれも全部貴様のこのメールの所為だ!こんなものは即削除してやる!」
「別にいいぜ。何回でも送ってやるから」
「受信拒否してやるわ!」
「相棒のメールまで拒否しちゃまずいんじゃないのか?カードの情報交換してるんだろ、お前達」
「…………ぐっ」

 放課後、教師に言われたとおり、わざわざ入ったこともない職員室に行き、頭を下げて携帯を奪い返した海馬はすべての元凶である遊戯の元にとって返し、強引に表に引きずり出すと早速溜まりに溜まった怒りをぶつけまくった。そんな海馬に対して遊戯は悪びれた様子は一切見せず、相変わらずのらりくらりと受け答えをしながら一向に反省する様子を見せない。その態度にますます海馬の怒りは募っていく。

 たった一通の携帯メールに丸一日振り回された自分が腹立たしくてしょうがない。

 ギリギリと携帯を握り締め、余裕の表情でこちらを見ている遊戯にいい加減怒りも頂点に達した海馬はこれみよがしに件のメールを削除してやろうと、教師の手に渡ってから一度も開いていなかったそれを開き、即座に削除ボタンを押してやろうと指を滑らせた。

 が、しかし、その指はボタンを押す前に凍りついてしまう。

『カイバ、アイシテル』

 その無機質な文字がきっちり100個。ディスプレイをぎっしり埋め尽くしていたからだ。送信時間は午前11時。丁度海馬が教師に携帯を取られ腹立ち紛れに遊戯を見た際、こくりこくりと居眠りをしている様を確認した、あの時である。

「……まさかあの時に!貴様、遊戯の寝ている間に弄ったな!!」
「おう。ついさっき、コピーって奴を覚えたんだぜ!ちゃんと100個あるだろ」
「だからそんな事は聞いてないわ!!」
「全部読めよ」
「読むかッ!」
「そのうちカンジって奴を混ぜておくるからな」
「人の話を聞け!!」

 どうせならお前、使い方教えろよ。そう笑いながら言う遊戯の顔を眺めながら、海馬は酷い脱力感に襲われていた。これはもうダメだ。ダメに違いない。古代エジプト人には何を言っても通用しないのだろう。言うだけ無駄だ。

 はぁ、と盛大な溜息を吐いて未だ何やら得意気に話しかけて来る遊戯の顔を眺めながら、海馬はディスプレイに居並ぶアイシテルの文字から目を背け、鮮やかな手つきで削除した。しかし、文字を削除しても、目の前の男は削除できない。

「好きだぜ、海馬。愛してる。オレの言葉、届いてるか?」
「一生届かんわ!馬鹿が!」
「じゃー届くまで送るから。覚悟しろよ!!メールでデュエル!」
「何がデュエルだ!一人でやれ!!」

 放課後の教室で、そう大騒ぎをした二人だったが、結果は何も好転せず、翌日もそのまた翌日も、同じ様な事柄で争う事になるのである。

 どちらに勝敗が上がるのか、それは遠い未来のお楽しみ。