Act1 とてもナイーブないきものです

「だから、ごめんって言ってるでしょ。ワザとじゃないんだってばぁ!」
「喧しいっ!!とっととこの屋敷から出て行け!!」
「嫌だよ。だってもう今日は泊まって来るってママに言っちゃったし。今更帰れないよ。っていうか、帰りたくないし」
「知るかそんな事!貴様の顔など見たくもないわ!」
「もー海馬くーん」
「煩いっ!!」

 まるで悲鳴の様な声と共に聞こえたのはガチャン、と何かが割れる音。大分ヒステリックな様相で目の前の部屋に逃げ込んだ彼の事だから、大方近くの花瓶か何かを投げつけたのだろう。そんなものを床にばらまいたら怪我するよ?そう遊戯が優しく言っても、興奮状態の相手は聞く耳を持たず、「煩い帰れ死ね」を繰り返す。

「……全くもー子供なんだから」
「一番兄サマに遠い言葉だぜぃ、遊戯。否定はしないけど」
「あ、モクバくん。助けに来てくれたの?」
「助けにっていうか、お前達煩いんだもん。遊ぶならもう少し静かに遊べよな」
「……はは。ごめんね」
「で、喧嘩の原因はなんだよ?」
「……うーん、それがね……」

 ったくもー、と半ば呆れた面持ちで鍵束を手にしたモクバが彼等の元へやって来たのは件の騒ぎが起きてから数分後の事だった。ギャーギャー煩い騒ぎ声が聞こえたと思ったら、ドタバタと走り回る音がして、バタンッ!と屋敷中に響く様な凄まじい衝撃と共に閉ざされた扉の音。それだけでも十分問題なのに、トドメに陶器の破壊音まで聞こえてしまったんだから大変だ。これをスルーしろと言うのは到底無理な話だろう。

 こんな事はこの家では特に珍しい事ではないとは言え、やっぱり気にはしてしまう。故にモクバは深く大きな溜息を吐きつつ、自分よりも5歳も年上の二人の面倒を見に自室からわざわざ現場へと赴いたのだ。そして、扉一枚隔てて何やら言い争いをする彼等の間に立つのである。

「今、海馬くんとデュエルをしてたんだけど……僕のターンでブルーアイズを撃破して海馬くんが墓地にカードを送る時に、ちょっと手元が狂ってブルーアイズを床に落としちゃったんだ」
「うん」
「それをね、僕が……その、踏んじゃって」
「……まさかそれで兄サマが怒り狂ったとか、そういうオチじゃないよな?」
「そういうオチだけど」
「……はぁ?」
「僕もさ、うっかりしちゃってごめんねって一生懸命謝ったんだよ?でも海馬くんぜんっぜん聞く耳持ってくれなくて、最後にはスネちゃってここに……」
「……お、お前等なぁ……幼稚園児じゃないんだからさぁ……。ちょっと兄サマ?!」
「だ、駄目だよモクバくん、刺激しちゃ!」
「お前がそうやって甘やかすから兄サマがこうなっちゃうんだろ!もうっ!」

 ったく付き合ってらんないよ!

 そう言ってモクバは持っていた鍵束の中から迷う事無く一本の真鍮の鍵を選び出し、鍵穴に突っ込むと勢い良くノブを回す。途端にあっさりと開いた扉の向こうに駆け込むと、室内に居たらしい海馬に向かってもう一度手厳しく「兄サマッ!」と叫んだ。その声に部屋の中央にあるソファーに憤然と腰かけてそっぽを向いていた海馬は一瞬だけビクリとした後、駆け込んで来たモクバを見あげる。

 何時もは尊大な態度で周囲を威圧するその長身も、座っていて、尚且つ彼の弱点でもある弟に食って掛られては全く持って迫力など微塵も無い。彼もこの短い時間の間に少し……本当にほんの少しだが、己の行動に反省はしたのだろう。つい先程まで悪鬼の如く怒鳴り散らしていたその姿はどこかしゅんとしていて、こう言ってはかなり語弊があるが小動物みたいだと遊戯は思った。

「そんな事で一々怒らないでよ!大人でしょ、兄サマはっ!」
「そ、そんな事とはなんだっ!」
「遊戯だって悪気が無かったって言ってるんだし、許してあげなよ!大体兄サマがブルーアイズを落とすから悪いんでしょ?!」
「何?!」
「そんっなに大事なら意地でもキャッチすれば良かったんだよッ!」
 

 ……あれ、なんか論点がズレてるような気がするんだけど……?
 

 怒りの余り明後日方向に向かい始めるモクバの猛攻に、遊戯はなんだかおかしくなって一人こっそりと笑ってしまった。なんだかもう、どうでもいい。

「え、と。モクバくん、もうその位にしてあげて?海馬くんも反省してるみたいだし」
「またそうやって!お前がそうだから……!」
「うん、ごめん。でも、やっぱり僕が悪いんだ。大事なブルーアイズ、踏み付けちゃったし」
「でもさぁ!」
「海馬くんはこう見えて結構ナイーブなんだよ。ね?」
「……ナイーブって……お前」
「だから、叱らないであげて。僕が謝るから」
「……あー……うん。……なんか、もういいや」
「ありがと、モクバくん。ごめんね?」
「……今度は喧嘩すんなよ。疲れるから」
「はーい」

 はぁっ、と盛大な溜息と共に室内で一番大人であっただろう幼いモクバが足取りも荒く部屋を出て行く。その音を背後に聞きながら、遊戯は未だきまり悪そうにそっぽを向いている海馬の元へと歩んで行き、その膝の上に手を乗せると、もう一度改めて「ごめんね」と呟いた。それにちらりと目線を寄越した彼は、二三度小さな瞬きをすると、蚊の鳴く様な声で「もういい」と応えを返した。

 喧嘩も簡単なら、仲直りも簡単だ。
 

 

「……ところで、オレの何処がナイーブなんだ貴様」
「何処がって。ナイーブでしょ。こんな事で大騒ぎするなんてさ」
「こんな事?!」
「あ、ごめんごめん。そういう意味じゃなくって……えーと……」
「なんだ、はっきり言え」

 二人で散らかした花瓶の破片を拾いながら、そんな他愛もない言葉を交わす。何をやっているんだろうと思わなくもないけれど、なんだか妙にくすぐったくて、自然と笑いがこみあげてくる。

 遊戯の言葉がイマイチよく理解出来ずに不満をあらわにするその顔に、遊戯は暫く口を閉ざして考えた後、心を込めてこう言った。  
 

「君が、可愛くって大好きって事だよ」