Act1 失恋を知った日(Side.城之内)

「……城之内くん、えっと……これってすっごく言い難い事なんだけど……もう一人の僕と海馬くん……付き合ってるみたいなんだ」
「えぇ?!何時からっ?!」
「何時から……って、僕にもよく分からないけど……最近じゃないと思う」
「……ま、マジかよ……」
「ご、ごめんね黙ってて。だって僕だって、まさか城之内くんが海馬くんの事が好きだなんて……知らなかったし」
「いや、お前が謝る事ねぇけどよ……」
「でも安心して!まだキス以上は行ってないから!……多分」
「多分って……それちっとも慰めになってねぇよ遊戯……」
 

 本当に言い難そうにそう口ごもりながら、遊戯がオレの顔を見てきっぱりと口にした言葉に、オレは天と地が引っくり返る程の衝撃を受けた。

 もう大分日が落ちた放課後の、教室のど真ん中で。オレ達以外誰も居ない事をいい事に遊戯と二人、世間話から発展したオレ等の年頃では一番の興味の対象……所謂イロコイ話に華を咲かせていた最中の話だった。

 最初は、はなっからバレバレの遊戯の杏子に向けた可愛い恋心を茶化しつつ、比較的真面目にその恋に対する今後の傾向と対策について色々と話し合っていたんだけど、その矛先がオレに向いた途端、和やかだった空気が一転して凍りついた。
 

 ……正確に言えば、遊戯の顔が引きつって固まっちまったんだ。
 

「僕の事よりさ、城之内くんは好きな人いないの?」
「え?オレ?……オレはそうだな……意外って言われるかもしんねぇけど、海馬とかさ、好きだぜ」
「……海馬くん?海馬くんって、『あの』海馬くん?」
「おう。『あの』海馬瀬人だけど……それがどうか……!!」
「………………」
 

 それまでの話の延長で、至極のんびりした口調でそう問いかけてきた遊戯の声に、リラックスしきっていたオレは、ついぽろりと本音を漏らしてしまった。やべぇ!と思って口を手で塞いだけど、もう後の祭り。オレの言葉は遊戯の耳にしっかりと届いていて、奴は大きな目を更に大きくして驚愕の眼差しでオレをじっと見たまま動かなくなってしまった。

 ……あちゃー、これは完全に引いてるな。つか、普通引きまくるよな。男が男を好きだなんて言ったらよ。しかも相手はクラスメイトで、ゲームオタクで、なのに世界屈指の大企業の社長さん、海馬瀬人だぜ?更に言えばオレを散々馬鹿にして、こき下ろしまくっている最強S男。そんな奴に惚れてるなんて、それなんてM?むしろ変態だろ。そんな事分かってる。

 けど、好きになっちまったもんはしょうがないから、言い訳の仕様がない。

 それにしても遊戯の視線が痛い。本当に吃驚している表情で、それ以外の感情は読み取れないから心の底では今のオレをどう思っているのか想像も出来ないけれど、間違いなく遊戯のオレを見る目は変わったと思う。……友情に皹が入る原因の一つとして恋愛沙汰という話は良く聞くけれど、それが自分の身に降りかかる日が来るなんて想像もしていなかった。

 ああ、これからオレ、お前とどう付き合っていけばいいんだよ。そんな事を考えながら、オレは遊戯の反応をひたすら待った。こんな空気にしてしまった以上、オレの方からアクションを起こす事は、どうしても出来なかったから。

 そんな状態が続いた数秒後、遊戯は驚き顔から一転して、なんでか凄く申し訳なさそうな顔になって、おずおずとオレを見返す。そして、オレにとっては信じられない一言を口にしたんだ。
 

「……もう一人の僕と海馬くん……付き合ってるみたいなんだ」
 

 長い長い沈黙が、二人の間に流れていく。

 あーそうか。お前が凄い顔で驚いていたのは、オレが海馬を……男を好きだと言った事そのものじゃなくてオレ『も』海馬を好きだった事、そして既に一歩遅かった事に対しての同情にも似た気持ちがあったからなんだな。そっか。

 つーか、なんだよ!いつもう一人のお前……『遊戯』と海馬が付き合い始めたんだよ!そんな素振り全然なかったじゃんか!どうなってんだよ!そうオレが、目の前の遊戯の顔から目を背けつつ理不尽な憤りに頭を沸騰させかけたその時だった。

「なんだ、城之内くん。君も海馬の事が好きだったのか」
「……ゆ、遊戯?」
「話は全部聞いていたぜ。ちょっとだけ遅かったみたいだな」

 オレの目の前でいつの間にか腕組みをしてにやりと笑うその顔は、今まで表に出ていた遊戯のものではなく、何時の間にか入れ替わっていた『もう一人の僕』こと『遊戯』のものだった。奴はフン、と小さく鼻を鳴らしてどこか勝ち誇った風にオレを見あげる。……なんだよこの自信満々な笑顔。思わず怯んじまうじゃねぇか。

 そんなオレの事を知ってか知らずか、遊戯はさも面白いものをみているといわんばかりに口元の笑みを深めて、ずいっと一歩オレに近づく。思わずオレは一歩下がって、そこにあった机のフックに制服のポケットを引っかけてずるっと無様に体制を崩しながら、それでも引き下がるわけには行かないと片足を踏ん張ってその場に留まる。そして、ついさっき遊戯が教えてくれたある一言を思い出し、ただ我武者羅に叩きつけてみた。

「お、遅かったって。遊戯の話じゃーお前らまだキスまでだって言ってたじゃねぇか」
「そいつはどうかな!」
「えぇ!?」
「実際どこまで進んでいるかなんて、他人には分からないだろ?まぁ、仮にキスまでだったとしても……まだ『好き』すら告げてない君よりは十分先に進んでいると思うぜ」
「うっ……」
「それに」
「それに、なんだよ?」
「肝心の海馬の気持ちはどうかな。オレや君が幾ら好きだと言ったって、それをどう受け取るかはあいつ次第だ。ちなみに……」
「………………」
「キスなら海馬は嫌がらないぜ」

 ……それってキス以上は嫌がられてるって事かよ。やっぱり未満じゃねーかお前ら。

 とかなんとか心の中で悪態をついてはみるものの、何処をどう考えてもあの遊戯の言っている事は真実で。遊戯と海馬はどんな形であれキスは出来るっていう間柄だという事はよくわかった。勿論それは遊戯からの情報だけで判断した事であって、当の海馬がどう思っているのかはわからねぇけど。

 でも、あの海馬が『そういう事』を許すという時点で、それはほぼ確定に近いんだ。遊戯は海馬を好きで、海馬は遊戯をどう思っているかまではわからなくても、嫌いではない事は確実で。この瞬間、オレの失恋は決定したも同然だった。

「城之内くん」
「……なんだよ。まだ何か自慢したい事があるのかよ」
「自慢なんかしてるつもりはないさ。オレはただ事実を伝えているだけだ」
「もういいよ。よっく分かったからさ」
「それで、君はどうする?」
「……どうするって?」
「オレと、海馬がデキてるって事に対する、今後の傾向と対策は?」

 何時の間にか引いて距離を取った筈の二人の距離は元の通り……否、それ以上に近づいた体制に戻っていて、ひょいっと悪戯にオレの視界に割り込んでくる赤い瞳はやっぱり面白そうにオレを見る。その口が紡ぐのは、オレがついさっき遊戯に対して言った言葉とまるで同じ台詞。……からかってやがる。オレは内心舌打ちをしつつ眉を顰めると、このお遊びめいた声に対抗する言葉を必死になって探していた、その時だった。

 遊戯の口から意外過ぎる言葉が飛び出して、オレの息の根を止めそうになったのは。

「オレは、別に構わないぜ。君が海馬を好きでいても。諦めなくても」
「えっ…………」
「奪えるものなら、奪ってみればいい。恋はライバルがいた方が燃えるって言うしな」
「お前、本気でそんな事言ってるのかよ?」
「あぁ、本気だぜ?だから、何も遠慮なんかする事はないんだ。ただし、オレも君に譲るなんて真似はしない。絶対に。それだけは良く覚えておいてくれ」

 じゃ、お互いに頑張ろうな、城之内くん!

 そう言うと、自分勝手な事ばかり捲くし立てた『遊戯』は引っ込んじまう。オレは殆ど呆然と目の前の遊戯に戻った奴の顔を眺めながら、今言われた言葉の意味を考えてみた。

「……なぁ、今の、どういう意味だと思う?」
「僕に聞かないでよ。全くもう!もう一人の僕も勝手なんだからっ」
「だよなぁ……」
「僕はどっちの味方にもなれないけど……あんまり大騒ぎしないでね」
「わ、分かってるよ」
「それにしても……」
「なんだよ。怖い顔して」
「この身体は僕のなのに!僕の意思を無視して勝手に童貞喪失したら許さないから!」
「……や、それもどうか分かんねぇぞ。今の奴の言い方から言って……既に童貞じゃなかったりして……」
「ええええ?!しかも相手は海馬くん?!」

 信じられない!!ファーストキスも海馬くんなのに!!

 と勝手に騒ぎ立てる遊戯を宥めながら(何やってんだろ……)、オレはしたり顔で宣戦布告を叩きつけてきた奴の事を考えていた。あの見せ付けるようにわざと歪めた口元や、自信満々の目を思い出すだけで心のどこかがちくりと痛んでむずむずする。

 さっきまで感じていた失恋の痛手とはまるで違う、妙な高揚感のようなものが何時の間にかオレの胸を満たしていた。そうだ。まだ何も始まっちゃいない。始まらないものには終わりもない。何事も最初から負けを認めるなんてオレの主義に反するんだ!

 そう勢い良く思い切ったオレはこうなったら遊戯の言う通り、奴が先に手を出した出さないに関わらず、海馬にダイレクトアタックしてみようと心に決めた。キスより先にまだ行ってなければオレにだって望みはある。多分……いや、絶対に!
 

「よし!オレは頑張るぜ!見てろよ遊戯!」
「うん!僕の童貞、死守してね!」
「……そっちかよ!」
「応援するよ、城之内くん!」
「なんかあんまり嬉しくねぇけど……お前の気持ちは受け取ったぜ!」
 

 そんなわけで、どう考えても不利この上ないオレの恋は火蓋を切った。敵は強ければ強いほど燃えると良く言ったもんで、文字通り困難を極めるだろうこの恋愛戦線。
 

 ……最後に笑うのは、一体誰になるんだろう?