ダイナマイト・ハニー

「あ、おはよう海馬くん。今日は早いね」
「おはよう、海馬くん!」
「あぁ、おはよう遊戯くん、真崎さん」
「昨日はすっごく楽しかったよ。今度は絶対勝ってみせるぜー」
「どうかな。僕だってそう簡単には負けないよ」
「あんた達またゲームで勝負したの?暇よねぇ。男の子なら外で元気に遊びなさいよ」
「別にいいでしょ。僕らの勝手。大体、海馬くんはゲーム会社の社長なんだから、テストプレイとかも兼ねてるんだからね!」
「はいはい。そうね」

 まぁあんた達が外で元気に遊ぶ姿なんて想像つかないけどね。

 そう言って呆れた様に肩を竦めた杏子を笑顔で見上げながら、僕は直ぐ前を行く海馬くんの元に走って行ってひょい、とその顔を覗き込んだ。それに何気なく答えてくれる蒼い瞳。海馬くん、今日も綺麗だなぁ。口元に湛えられた優しげな微笑みを見返しながらちょっとだけ頬を緩めるとぼそっと「締まりのない顔をするな」と言われてしまう。

 その声は、たった今僕と杏子に挨拶を交わした穏やかな声とはまるで違う、ぶっきらぼうで低い音声だ。その天使のような表情からは到底想像出来ない声だけれど、僕はもう慣れっこだからどうとも思わなかった。だって僕はこの綺麗な顔がにやりとした悪魔の微笑みを浮かべる事を知っているから。

 そう、それが『本当』の海馬くんの姿。

 けれど『あの』海馬くんの事を知っているのは、今のところ海馬邸の皆とKCの関係者以外は僕しかいない。磯野さんが言うには高校生社長としてのクリーンで爽やかなイメージを保つ為だとかなんとか色んな理由をつけてはいたけれど、ただ単に素の海馬くんが危なすぎるから(色んな意味で)、猫を被る様に小さい頃から躾けられて来たらしい。……そう言われると僕も納得するしかなかった。だって……ねぇ。

「……僕の顔に何かついてる?」
「あ、ううん!ごめん、何でもない」

 余りにもじーっと見ていたら、海馬くんがいかにも『何を見ている!』と言いた気な顔で僕にそう言って来た。もう近くに生徒がいるから、『あの声』は引っ込めて、ここで言ういつもの海馬くんの口調に戻ってる。それに慌てて首を振った僕は「じゃ、また後でね」なんて言って杏子の元に戻って行く。するといつの間にか登校していた他の女子が沢山いて、皆でわいわい楽しそうに話していた。

 それもいつもの事だったから特に気にしないで杏子の隣りに立つと、急に肩を掴まれてがくがくと揺さぶられた。ちょ、ちょっと、痛いんだけど!

「あ、遊戯!ねぇ海馬くん、今日はご機嫌いいみたい?」
「ご機嫌?(この)海馬くんが機嫌悪い時なんてないと思うけど……」
「機嫌悪くないって!ねぇ、行って来なよ」
「やだー無理だよー」

 杏子の腕の力の所為で首が痛くなり、うぅ、と呻きながらそこを片手で押えていた僕は急に聞かれた意外な事と途端に上がる黄色い声に、今度は耳を押さえながら口を挟んでみた。

「?どうしたの?」
「この子がね、海馬くんの事好きなんだって。だから、うじうじしてる位なら行って来なよって」
「……あー」
「やっぱり今日はいいよ。も、もうちょっとダイエットして可愛くなってから……!」
「えー。あんたこの前もそう言ったじゃない!」
「………………」

 ……んーでも、幾らダイエットして痩せようが、頑張って可愛くなろうが、海馬くんはきっとOKしないだろうけどね……。

 僕を置き去りにして勝手に盛り上がる二人を少し離れた所で見守りながら、僕は心の中でこっそりと溜息を吐いた。だって海馬くんは女の子の事嫌いだし、そもそも……僕とオツキアイしている訳だし。

 まぁ、オツキアイしなければ本当の海馬くんなんて知る機会はなかったんだけどね。いいのか悪いのか、よく分んないけど。

 未だキャーキャーと騒いでいる女の子達を尻目に、僕はちょっとだけ歩くスピードを速めて、校内へと入って行った。
「海馬くん」

 教室に入ってからすぐ、まだ朝のHRまで時間が大分あったから、僕は家でやりきれなかった課題を抱えて海馬くんの席へと歩いて行った。

 仕事を持ってる海馬くんが授業中でもすぐに出て行けるように廊下側の一番後ろに設定されたその席は、結構人の行き来が多くてなんだか凄く落ち着かない。その中でも平然と持って来た本や、仕事関係の書類を眺めている海馬くんは改めて凄いなぁと思ってしまう。……ま、僕は人が周りにいてもいなくても集中なんて出来ないんだけど。

 そんな事を考えながらすぐに彼の席に辿り着いた僕は、なるべく海馬くんの邪魔をしない様に恐る恐る持って来たノートを差し出して、ぺこりと頭を下げた。

「ごめん、ちょっとここだけ……」
「そこは前も教えたと思ったけど」
「う、そうだけど……もう一回!」
「……じゃあ、ノートを貸して。計算式を書いてあげるから」
「よろしくお願いします」

 僕が海馬くんの目の前にノートを出した瞬間、一瞬だけいかにも『面倒くさい』という顔をした海馬くんは、場所が場所だからか態度は少しだけつんつんしていたけれど至って丁寧にそれを受け取って、その言葉通り空きスペースに物凄いスピードでさらさらと答えを書いてくれる。

 余りにも滑らかな指先の動きに何時もの事ながら関心して見つめていると、不意に後ろの扉がガラッ!と音を立てて、パタパタと履き潰した内履きが床を叩く音がした。この足音は……!と僕が顔をあげる前に、凄く大きな声が降って来る。

「はよー遊戯。お前まーた根暗野郎のトコでお勉強かぁ?そんな奴と付き合ってっと根暗が移るぞ」
「じょ……城之内くん。おはよう。もう、そういう事言わないでよ。海馬くんは親切に教えてくれてるんだからさ!」
「優等生の点数稼ぎに利用されてるだけなんじゃねーの?ま、どうでもいいけど」
「城之内くんッ!」
「おっと、口が滑っちまった。悪い悪い。んじゃ、とりあえずお前の宿題完成させたら、オレにも見せてくれよー頼むぜ優等生」

 言いながらポンっ、と馴れ馴れしく海馬くんの頭を叩いた今の声の持ち主であり、海馬くんとは犬猿の仲(一方的にだけど)……の城之内くんはそのまま自分の席へと歩いて行ってしまう。その様を全く別の意味で戦々恐々として眺めていた僕はごくりと唾を飲み込んだ。

 城之内くんは海馬くんの事を『見かけ通りの大人しい優等生』としか見ていないから、何をやっても怒らないし、喧嘩をすれば自分が絶対に勝つと思ってる(それ以前に海馬くんは男と喧嘩なんか出来ない、物凄い気の弱い人だと思い込んでるみたいだけど)。だからああ言う態度を平気で取るんだけど……。

 それは大きな間違いなんだよ、城之内くんっ!

「遊戯」
「はっ……な、何?海馬くんっ」

 ああもうどうしよう!と僕が心の中で頭を抱えていると、案の定眼下の海馬くんから地を這うようなドス暗い重〜い声が聞こえてくる。それに恐る恐る……本当に恐る恐る下を向くと、その目線だけで人を殺せるような物凄い眼差しと目が合った。

 バキッ、という鈍い音がして、彼が握っていた高級シャープペンが真っ二つになって机の上に転がり落ちる。うわ、これって確かプラスチック素材じゃなかったよね?そうだよね?!

 こ、これはヤバイよ!城之内くんの命が危ないっ!

「……そろそろ我慢も限界なのだが、殺ってもいいか?」
「だ、ダメに決まってるでしょ。落ち着いてっ」
「クソ犬が調子にのりおって……!」
「ゆ、優等生がそんな言葉使いしちゃダメだってば!はい深呼吸。大丈夫、海馬くんなら我慢できるよッ。城之内くんには僕がよく言っておくから!」
「………………」
「ね、お願い!」

 これが動物だったら確実に「グルルルルル」と唸ってそうな勢いに、僕は必死に彼を宥めて、なんとかその場は何事もなく収める事が出来た。チャイムが鳴って僕が自分の席に帰る時、違う生徒から話しかけられていたけれど、ごく普通に応対していたから大丈夫だと思う。

 ……でも、演技だけは凄く上手だからなぁ。全く心臓に悪いったらないよ。
 

「あのね、城之内くん。あんまり海馬くんにちょっかいかけないでよ」
「なんでだよ。別にいーじゃん。あんな頭デッカチのもやし野郎なんて怖くないって」
「怖い怖くないじゃなくってさ、クラスメイトなんだから仲良くして」
「無理だね。あいつの存在自体がムカつくし」
「僕は城之内くんの為を思って言ってるんだよ?!」
「?どういう意味だよ。ま、なんかあったらぶん殴ってやるし」
「……駄目だこりゃ」

 その後、城之内くんに注意を促すためにちょっと頑張ってみたんだけど、はなっから海馬くんの事を馬鹿にしている彼には何を言っても取り合って貰えなかった。

 ……城之内くん、次に君が海馬くんに手を出したら、多分ボッコボコにされるかも……。

 ああ見えて海馬くん、物凄く強い上に好戦的だから。この間なんか銃を持った黒服の凄腕相手に平然と素手でやり合ってたし(ジュラルミンケースは持ってたけど)後で聞いたら趣味で護身術をやってたとかで、喧嘩するのは大好きなんだって。

 その時も得意気に複数人に囲まれたけど全部病院送りにしてやったとか、本当に手に負えない事態に遭遇しても電話一本で海馬くんよりも強いSPが何十人も来てくれるとか、なんか色々言ってたけど、とにかくそういう事に関しては全く心配がないって言うか、むしろ凄すぎて心配しちゃう位だよ。何でも出来過ぎなんだよね、海馬くんは。ほどほどでいいのに。

 そう思いながら、全く収穫がなかった城之内くんの席を離れ、僕は漸く自分の席に帰る事にしたんだ。
「さーてお昼だ!海馬くん、一緒にお昼……あれっ?海馬くんは?」
「あー海馬ならさっき廊下で先輩に絡まれてたみたいだぜ。カツアゲでもされてんじゃねーの」
「えぇっ?!た、大変っ。どこに行ったんだろう?!」
「さぁ、その辺の空き教室か、屋上か……そんなとこじゃねぇ?あいつらの行くとこなんて大体決まってっからよ」
「城之内くんッ!見てたんなら助けてあげてよ!」
「やなこった。オレ関係ねーもん。んな事よりメシ食い行こうぜー」
「行くわけないでしょ!海馬くんを助けに行かなきゃ!」
「やめとけやめとけ。お前が行ったって一緒にやられるだけだって」
「もういいよっ!」
「おい、遊戯!!」

 退屈な時間はあっという間に過ぎて、その日も直ぐにお昼休みになった。海馬くんが学校にいる時は必ず二人でお昼を食べる事にしている僕は、鞄の中からお弁当箱を取り出して、海馬くんを呼ぶためにくるりと後ろを振り向いた。……けれど海馬くんの姿は見当たらなくて、きょろきょろと辺りを捜していると、城之内くんが凄く呑気な声で、とんでもない事を教えてくれた。

 海馬くんが先輩に絡まれてどこかに連れていかれたって……どうしよう!

 僕は慌ててお弁当をその場に放り投げると、城之内くんが止めるのも聞かずに教室を飛び出した。だって急がないと大変な事になっちゃうもん。

 ── 先輩達の方が!

 僕は全速力で走って、心当たりがありそうな場所を次々と見て回って、最後に職員室からは死角になって見えない場所にある駐輪場の横に向かった。屋上にいないとすると、後はここ位しか行くところがなかったから。

 乱雑に並べられた自転車を必死に避けて、薄暗いそこを通り抜けると、案の定細長い後ろ姿が遠くに見えた。海馬くんだ!そう思って声をかけようにも余りにも必死に走った所為で息が切れちゃって声が出ない。このまま近づいたら条件反射で僕も殴られちゃうかな、なんて思いつつ、とにかく近くまで走って行くと、不意にぐるりと海馬くんが後ろを振り向いて「誰だ?!」なんて言って来た。

 一瞬慌ててそこに立ち止まった僕の髪が風も無いのに思い切り靡いてゆらりと揺れる。その後数本パラパラと下に落ちた事と、海馬くんの右手が妙な形で空に留まっていた事から、多分後数ミリ近づいていたら殴られる所だったんだと思う。か、間一髪だよ。

 もうっ!無差別攻撃はやめてってあれほど言ってるのにっ!

「ぼ……僕だよ、海馬くん……はぁっ……く、くるし……っ」
「なんだ貴様か。無言で側に寄って来るな。何をしに来た」
「な、何をしにって……君が…先輩達に……絡まれてたって言うから。と、止めに来たんだよ」
「どっちをだ」
「勿論君をだよ」
「ならば遅かったな」
「あああ……やっぱり……」

 苦しい息継ぎの合間に必死になってそう口にした僕の願いも虚しく、「フン」なんて鼻を鳴らしながら彼が指で指し示した場所には、件の『先輩達』の見るも無残な姿があった。……うわーど、どうしようこれ……。

「か、海馬くん。何もここまでしなくても……」
「オレもそこまで酷い事はしていない。瞬殺だ」
「瞬殺……」
「多分オレに絡んだことすら忘れるのではないか。全く下らん。食前の運動にもならなかったわ」

 腕を組んで盛大にふんぞり返りながら、草むらの上に伸びている先輩達を見下ろして、いかにもつまらないと言った風に舌打ちした海馬くんは、僕が嫌というほど知っていて、他の人達は想像も出来ないあの悪魔の笑みを浮かべながら「次はもう少し骨のある奴だといいのだがな」なんて嘯いてる。

 海馬くんに敵う人なんてこの学校にいる訳ないでしょ……ほんといい加減にして欲しいよ。

 はぁ、と溜息を吐いてそう呟いた僕に、彼は埃すらついていない制服をわざとらしく払いながら小さな咳を一つすると、さらりと髪をかき上げて優等生モードに戻ってちらりと僕の顔を見る。

「遅くなってしまったけど、昼御飯、食べに行こうか?」
「……ここで戻るんだ?」
「早めに戻しておかないと、戻れなくなるからね」
「……戻れなくなるって」
「まぁ『城之内くん』の顔を見てしまったらどうなるか分からないけど」
「だ、ダメだからね!喧嘩しちゃ!」
「それは城之内くんに言って欲しいな」
「うー……またなんかありそう……お願いだから出来るだけ我慢してね?」
「後は君の心がけ次第だよ」
「え、僕の?」
「そう、君の」

 こういう時はどうすればいいんだっけ?

 そう言うと海馬くんは今度は女の子達を魅了する眩しい位の笑顔を見せて、僕に顔を寄せて来た。……こんな所はすっごく素直でとっても可愛いんだけどな……これも君の一面でしかないのを僕は嫌と言うほど知っていて。
 

 だけど、僕は。……やっぱり君が好きだから。
 

「……じゃ、お願いします」
 

 君の柔らかな唇に優しいキスを一つして「お願い」をしてしまうんだ。
 

 僕の恋人は普段は優しい優等生。だけど一旦火がつくと……とんでもない事になる。
 その様はまるでダイナマイトだ。いつ爆発してもおかしくない。
 

 ダイナマイト・ハニー。
 

 その導火線を握るように、僕は今日も彼に手を伸ばす。