願いごと一つだけ

「今日は貴様の誕生日だそうだな。一つだけ願いを言え。どんな事でも叶えてやろう」
「……海馬くん。それ、シェンロンの台詞だよ。この間貸したドラゴンボール、全部読んだ?面白かった?」
「そんな事はどうでもいいだろう。いいから貴様は何が欲しいのか言え。して欲しい事でもいいぞ」
「急に言われても直ぐに思いつかないよ……」
「今日中に思いつかなければ無効だからな、早くしろ」
「誕生日プレゼントの希望を居丈高にせかされるって普通ないよね……」
「何か言ったか」
「ううん、別に」
「早くしろよ」
「はーい」

 そう言ってやっぱり偉そうに腕を組んで、まるで先生の様に上から見下ろしてくる海馬くんを僕はやや呆れた気持ちで眺めながら溜息を吐いた。

夕暮れの教室で、二人仲良く内容と量が天と地ほども違う居残り勉強をして、さぁ帰ろうかと僕が席を立とうとした瞬間、先に席を立った海馬くんが突然そんな事を言い出した。その顔は何時もと同じ少し不機嫌そうな無表情だったけれど、頬がほんの少し赤くなっていたからきっと彼はその事を言うタイミングをずっと逃していたんだと思う。

 思い返せば昨日の……正確に言えば今日の夜中に普段は滅多に来ないオヤスミメールが来ていたし、朝も珍しくHRに間に合う時間に顔を出して、今の今までずっと学校に居てくれた。休み時間の度に何だかんだ理由をつけては席に海馬くんの方から寄って来てくれたし、お昼御飯を誘っても嫌な顔一つしないで付き合ってくれた。

それに今の台詞を言う数時間前から頻繁に携帯や黒板の横にある壁かけカレンダーを眺めては何故か僕の顔と見比べて何か言いたそうにしていたし……。なんか今日は変だなぁと思っていたけど、理由を考えたら凄く単純な事だったんだ。
 

 彼が僕の誕生日を知って祝おうとしてくれている。それがこんなにも幸せで嬉しいなんて。
 

「そう言えばさ、海馬くん、どうして僕の誕生日知ってたの?確か教えてないと思ったけど」

 嬉しさと恥ずかしさ、そして急かされる事へのほんの少しの焦りを誤魔化す様に、僕は片付けて広くなってしまった机の上に肘をついて何気なく聞いてみた。すると彼は得意気な顔を崩さずに、フフンと楽しそうに鼻を鳴らしながら口角を上げて口を開く。

「オレの情報収集能力を舐めるなよ。そんなものは簡単に手に入る」

 あ、そうなんだ。でもさ、だったら調べないで直接僕に聞けばいいのに……なんて彼がそんな事をする筈もないんだけど。

「そっかぁ。僕も君の誕生日知ってるよ。10月25日だよね?ちゃんとお祝してあげるからね?」
「オレの事はどうでもいい。今は貴様の事だろう。無駄口を叩かず真剣に考えろ」
「そんなテスト勉強みたいな言い方しなくたって……」
「オレに祝われたくないのか?」
「そんな事言ってないじゃん。もう、すぐ拗ねるんだから。ちょっと待ってよ。あ、怖いから座って?」
「何が怖い」
「上から見下ろされるのが。だから、座って」

 ね?とわざとらしく首を傾げておねだりすると彼は一瞬凄く嫌な顔をしたけれど、素直に再び椅子に腰かけてくれた。うん、やっぱりこの方がいい。彼の身長が高すぎるから、立ち上がられると色んなものが遠くなってしまうんだ。再び近くに戻ってきてくれた海馬くんの顔を見詰めながら僕は懸命に考える。

 ……どうしよう、なかなか決まらない。
 海馬くんとちょっと人には言えないオツキアイを初めてから三ヶ月。恋人として欲しいものは意外と早い時期にあっさりと全部貰ってしまった。だから、お決まりの「誕生日には君が欲しい」もこの場合通用しない。難攻不落だと思っていた目の前のスーパー高校生は意外と初心で普通の人とズレがあって、けれど順応性が高かった。……尤も、誰に対して、という訳じゃなくて、対僕にだけの現象かもしれないけど。あ、そんな事は今はどうでもいいんだっけ。えーと。

 欲しいもの、欲しいもの、かぁ。

 恋人らしい接触がもう無効だとすると、何か物……って事になるけど、つまらないものをリクエストしたらきっと凄く怒られる。この間僕が思い切って頼んだ超高級ハンバーガーだって、そんな安いものは不可だ!自分で買え!って即座に却下されちゃったし……かと言って、一食五万円以上の食べ物は僕の口には到底合わない。っていうか、わざわざ何処かに食べに行かなくても、海馬くんの家で食べる料理の方がずっと美味しいし。

「……あのさ」
「なんだ」
「……僕、本当に欲しいものが浮かばないんだ。だから、ご馳走とかケーキとかでいい……」
「却下だ」
「えぇ?!」
「そんなものは当たり前だろう。祝いですらない。既に用意してあるわ。オレが聞いているのは『オレから』
何が欲しいか、だ」
「か、海馬くんからかぁ……じゃあ、キスとか」
「ふざけるなよ」

 やっぱり駄目だった。まあキスなんて暇さえあればしてるしね。そっか……。あーなんか海馬くんの機嫌が段々悪くなって来たよ……これで僕が欲しいものを言い出せなかったらすっごく怒るんだろうなぁ。怒るだけならいいんだけど何故か超落ち込むし。

 難しい……難しいよ海馬くん。こうなったら、前からちょっと欲しいと思ってたこの夏発売のエアマックスのスニーカーとか言っちゃおうかな……。でも物を強請るのってなんか嫌だし、海馬くんも好きじゃなさそうだし……。
 

 ……って、あ!!

 思いついた!欲しい物!!
 

「ね。僕が欲しい物なら何でもいいの?」
「ああ。オレが叶えられる範囲ならな」

 長期間の旅行とか、どこぞのリゾートホテルが欲しいとか、そういうのは叶えられんが。僕の一言でさっきの不機嫌顔を一瞬にして緩めながらそんな事を言う海馬くんはやっぱりちょっぴりズレていたけど、それが何だか可愛くて僕は思わず両手を伸ばしてその頬を包み込んだ。そして少し背伸びをしながら顔を近づけて、彼が望んでいた言葉を口にする。

「好きって言って?」
「……は?」
「だから、僕の事を好きだってちゃんと言って。誕生日プレゼントに」
「なっ……!」
「どんな願いでも一つだけ叶えてくれるんでしょ?それが僕の欲しいものだよ」
 

 そう。僕はまだ、君に一度も好きだと言われた事は無い。
 

 僕が好きだよって言うと、海馬くんは「そうか」と言ってくれるだけでお返しに好きとは言ってくれなかった。告白した時も、キスをした時も、初めて二人で夜を過ごした時も。最大限の譲歩で「嫌いでは無い」とは言って貰えたけれど。
 

 好き。
 

 たった二文字のその言葉が、たまらなく欲しかった。この日に。この瞬間に。
 

「………………」
「駄目?そんな難しい事じゃないでしょ?」
「……それが、本当に貴様の欲しいものか。他のものを犠牲にしてでも」
「他に欲しいものなんかないから何の犠牲もないよ。僕はただ、君の『好き』が欲しいんだ」

 至近距離での数秒間の見つめ合い。遠くで鳴るチャイム。これ以上遅くなると多分先生が巡回してきてしまう。こんな所を見られたら何て言われてしまうだろう。きっと生徒指導室に連行されちゃうな。そして、お前と海馬は一体どういう関係なんだ?、なんて聞かれるかも。勿論恋人ですって言っちゃうけどね。そうしたら大問題になるだろうなぁ。

 いつまで経っても動かない海馬くんをよそに、一人そんな下らない事を考えてついにやけそうになる口元を引き締めていると、やがて観念したように海馬くんが小さな溜息を一つ吐いた。そして「一度だけしか言わないから、良く聞け」と前置きした上で、はっきりと言ってくれた。
 

「好きだ、遊戯」
 

 ……僕はその瞬間、生まれてきて幸せだと心から思った。

 その感謝を優しいキスと笑顔で十二分に表して、僕等は温かい笑顔と素晴らしいご馳走の待つ家へと帰って行く。
 

 その途中、何度も僕は囁いてキスをした。
 

「ありがとう。大好きだよ」