ふわふわ

「もー海馬くんどうして今日学校来なかったのさ!昨日来るって言ってたじゃん!」
「どうしても外せない会議があってな。まぁ別にオレがいなくとも支障はないだろうが。テストか何かあったのか」
「テストはないけどさ。今日何日か分かってる?」
「何日?……3月14日だな。……それがどうかしたのか。バレンタインとやらは終わっただろうが」
「バレンタインまで分かってて、どうして気付かないかなぁ。今日はホワイトデーだよ」
「ホワイト?」
「ホワイトデー!!知らないの?」
「生憎、俗世間の事には詳しくないのでな」
「ホワイトデーは、バレンタインデーの逆バージョン。簡単に言えばお返しをする日、かな」
「……何かと面倒なのだな。で、今回も何か被害を被ったのか」
「あたりっ。『海馬くん何かくれなかった?』って僕が責められたよ!」
「それは気の毒だな」
「もー!笑い事じゃないんだってば!こういう時の女の子って怖いんだからね!」
「だろうな。それにしてもずうずうしい奴等だ。そちらの都合で勝手に押し付けて来て見返りを寄越せとは最悪だな。まぁ、元々見返り目当てだったかもしれないが」
「そういうイベントだからね。しょうがないって言えばしょうがないのかも」
「くだらん」
「楽しんでいる人もいるからいいんじゃない?で、僕も今回は参加しようかと思って、君のところにやってきたわけ」
「?どういう意味だ」
「こういう意味だよ。はい」

 そう言って笑顔の遊戯が両手を掲げて差し出して来たのは可愛らしい色合いの大きな紙袋だった。表部分にちょこんと小さく飾られたリボンの中央にある布製のラベルや、背面の折り込まれた部分に貼られているシールにはなるほど『White day』の文字が刻まれている。

 ああ、そういう意味か。そう答えて海馬は右手に握っていたペンを机上に転がして、その手でひょいと遊戯が差し出した紙袋を摘みあげる。大きさの割に大分軽い気がするそれに一瞬不可思議な顔をすると、遊戯は「軽いけど中身は一杯だよ?」と笑みを深めた。

「チョコレートか?」
「ううん。色々迷ったんだけど、僕が好きなものにしちゃった」
「……人にあげる物なのに何故貴様の好きなものを寄越す」
「だって、海馬くんだってこの前自分のチョコレートくれたじゃん。だから僕もそうしようかなぁって」
「なるほど」
「それにこれ、海馬くん食べた事なさそうだから面白いかなぁって。開けてみて?僕も自分の分一つ買っちゃった」
「他の『お返し』も全部コレか」
「ううん。他の女の子にはキャンディにした。入ってた袋が凄く可愛かったから」

 っていうか、海馬くんと区別したかったし。大好き度が違うから。

 そんな凄い事をさらりと言ってのけつつ、妙に期待に満ちた目でこちらを見上げてくる遊戯の視線に別段悪い気もせず、海馬は彼の希望通り、手にした紙袋の開封に取り掛かる。と言ってもただテープを外して中身を取り出すだけの簡単な作業だった。

 海馬の大きな手がかさかさと袋の中を探り、大して苦労もせずに中のモノを掴みとる。程なくして彼の眼前に現われたのは、透明なセロファンに包まれ、それなりに豪奢にラッピングされた柔らかく軽い、ころころした物体だった。

「……なんだこれは」

 取り出したそれを目の前に掲げ、知っているような知らないようなそれをまじまじと眺めながら、海馬は正直に疑問を声に出して遊戯を見る。すると遊戯はすかさず海馬の横に行き、彼の手元を覗き込むように顔を近づけながら口を開いた。

「マシュマロだよ、海馬くん。知らない?ココアに入れたりするじゃん」
「そうなのか?」
「やっぱり知らないんだ。口に入れるとふわふわして、直ぐに溶けちゃうんだよ。これは中にフルーツソースが入ってるんだけど……僕、これ一個食べると止まらなくなっちゃうんだ」
「……ふぅん」
「ね、一個食べてみて」
「今?」
「うん。何なら、僕が食べさせてあげよっか?」
「そんな事を言って、相伴に預かりたいだけだろう」
「あ、分かる?海馬くんは鋭いなぁ」

 だって美味しいものって一緒に食べたいじゃない。そう尤もらしい事を口にしつつ、遊戯は海馬の手の中からそっとその包みを取り上げて丁寧な手つきで開封し、中のマシュマロを一つ取り出した。そして、柔らかさを見せ付けるように指先で軽く摘んで見せ、そのまま海馬の口元まで持って来た。

 ふわりと唇にどこか知っているような不可思議な感触が訪れる。

「はい、口開けて」

 誘われるように口を開け、ぽいと放り込まれたそれをとりあえず舌先で味わってみる。彼の言う通りそれは程なくして直ぐに消えてなくなり、中に入っていた甘酸っぱいフルーツソースの味だけが残される。最初から最後まで奇妙なものだと思いつつ食した海馬は、その気持ちを素直に顔に出して、首を傾げた。

「美味しい?」
「……妙な食感だな。不味くはないが」
「ふわふわしてたでしょ?」
「ああ」
「ね、このふわふわって、何か思い出さない?」
「何か?」
「うん。多分、海馬くんが好きなものだよ。僕も勿論好きだけど」
「……思い当たらん」
「真剣に考えても?」
「無理だろうな」
「そっか」
「で、なんなのだ?」
「教えて欲しい?」
「特に知りたくもないが、貴様がどうしても教えたいというのなら教えろ」
「なぁにそれ。じゃ、教えてあげるからもっと顔近づけて?」
「何故だ」
「いいから。だってこのままじゃ届かないじゃん」

 ね?

 そう言って、マシュマロに触れた所為で少し白くなった指先をぺろりと舐める遊戯を訝しげに見下ろした海馬は、それでもその言葉には逆らう気もなく素直に元々大分相手に近づいていた顔を上半身ごともっと寄せた。

 その瞬間、遊戯は待ってましたとばかりに落ちて来た白い顔を両頬でふわりと包み込み、すかさず小さなキスをする。

 唇同士を合わせただけの優しいそれは、今しがた口に入れた柔らかなマシュマロの感触に、似ている気がした。

 あぁ、『これ』の事か。押し当てられた遊戯の唇が僅かに離れていく最中、海馬は一人で小さく得心する。すると、それを読み取ったかのように頬を包んだまましっかり目を合わせて来た遊戯が、小首を傾げて楽しそうに口を開く。

「ね?分かったでしょ?」
「……まぁな」
「だから僕、マシュマロ大好きなんだ。でも、マシュマロを食べると、本物も欲しくなっちゃって困るんだけどね」
「……なんだそれは」
「海馬くんも一人の時にコレを食べると、僕とキス、したくなっちゃうかもね?」
「ありえんな」
「ほんとに?」
「『絶対』はないがな」
「もう。ほんとに素直じゃないんだから!」
「とりあえず、短すぎて良く分からなかった。もう一回しろ」
「それって命令?」
「いや、お願いだ」
「嘘ばっかり」
「そうしたら、貴様にも一個くれてやる」
「はいはい。今度は海馬くんが食べさせてね?」

 本当は君から言われるまでもなく、もう一回するつもりだったけれど。その証拠に、君の頬から手を離していないじゃない?

 そんな事を心の中で思いながら、遊戯は先を急かすように瞳を閉じて、更に顔を寄せてくる、行動はとても素直で、そこだけが素直じゃない海馬の薄く柔らかい唇に、もう一度優しく深いキスをした。

 先程の余韻で少しだけ湿っぽい荒れ知らずで暖かなそれは、やっぱりマシュマロのように柔らかで。

 ……大好きだなぁ、と思うのだ。

 そして、そう思っているのは多分遊戯一人だけではない筈で。その証拠に海馬もまた、口元に淡い笑みを浮かべていた。

「なんか、ふわふわするね」
「マシュマロを食べた所為だろう?」
「そうかな。多分、違うと思うけど」
「なかなか悪くないぞ。癖になりそうだ」
「どっちが?」
「さぁ、どっちだろうな」

 二人の真横にあるセロファンに包まれたマシュマロと同じ数だけのキスをして、彼等の実に幸せなホワイトデーはゆっくりと過ぎて行くのだ。
 

 余韻に、程よく甘酸っぱい恋の味を残しながら。