チョコレートよりも甘いもの

「こんにちは海馬くん。ご機嫌いかが?」
「別に普通だ。そういう貴様はご機嫌麗しくないようだが」
「お陰様で。分かる?」
「分かるも何もそんなふくれっ面をして入ってくればな。しかもなんだその大荷物は」
「これ?海馬くんへの届け物だけど」
「オレへの?その、巨大紙袋3つ分の荷持が?」
「ううん。これは三分の一だよ。持ちきれないから半分城之内くんにあげて、後は置いて来ちゃった」
「?……で、中身は一体なんなのだ?」
「今日って日を考えると分かると思うけど。今日は何月何日でしょう?」
「今日?……2月の14日だが」
「2月14日って言えば何の日?」
「知らん」
「バレンタインデーだよ。日本中にチョコレートが溢れる日。KCにもいーっぱい届いてない?」
「さぁ、総務に聞いてみないと分からんな。しかし、その事と貴様がオレの元にソレを持ってくる事とどう繋がるのだ」
「海馬くん、バレンタインデーの事知らないわけないよね?」
「まぁ、知識としては知っている」
「じゃあコレがなんだか分かるでしょ。チョコレートだよ?」
「チョコレート……貴様が貰ったものか?」
「だったらすっごく嬉しいけどね。残念ながらこれ、僕のじゃないんだ。ぜーんぶ海馬くんのだよ」
「……オレの?」
「そうっ!モテモテで良かったね」
「何故、貴様が持ってくるのだ」
「しょうがないでしょ。僕に渡されたんだから」
「は?」
「勿論全部じゃないけど。半分位は僕が預かったんだよ、このチョコレート『海馬くんに渡して下さいっ!』って。もうっ!何で僕が君の……自分の恋人へのチョコレートを女の子から貰わなくちゃいけないのさ!」
「ああ、だから不機嫌だったのか。なるほど」
「海馬くんの馬鹿ッ!僕の知らない所で色目使ってるでしょ!」
「オレに当たるな。知らんわ、そんな事」

 遊戯の渾身の叫びをフン、と鼻先で一蹴すると、海馬は遊戯がこの部屋に訪れてからずっと微動だにしなかった椅子からすいと立ち上がり、床に片膝をつくとすぐ傍に投げ捨てられる様に置かれた紙袋群を覗き込んだ。

 入っていたのは、確かに色とりどりの包み紙でラッピングされたチョコレート。中にはご丁寧にハートのシールで封をされた手紙らしきものが入っているものまである。勿論海馬とてバレンタイン位知っている。海馬自身はそういうイベントを全く好まないので、全て使用人や部下に処理を任せていたのだが、今年は少々勝手が違うらしい。

 今までは例え学校内に海馬に対して何らかの思いや思惑がある女子がいたとしても、まずバレンタインの日になど登校はしなかったし、仮にその日に海馬がいたとしてもかなり近づきがたい雰囲気を醸し出していたので、彼に関わりを持とうなどと言う勇者は存在しなかった。

 しかし今では、公の場では海馬コーポレーション社長として有名になり、校内でも遊戯や城之内を始めとするやけに目立って騒がしいデュエリスト集団に勝手に仲間に入れられている所為か、他人との垣根が大分低くなってしまった。

 故に、こんな風に何か特別なイベントがあってもなくても、海馬に接近しようとする輩が増えて来たのだ。校内にある彼の名が貼られたロッカーやら靴箱やらには常に彼の持ち物以外のものが詰め込まれ、机の中は配布されたプリントのほかに妙な手紙が幅をきかせるようになった(海馬の電話番号やメールアドレスは絶対に公表されない為、女子達は仕方なく手紙という古風な手段に出ているらしい)

 海馬が全く取り合わない事は分かってはいるが、その事が遊戯はとても不愉快だった。それこそ「海馬くんに妙なアプローチをしないでよ!僕のものなんだからっ!」と大声で叫びたい位に。

 けれど、勿論そんな事を大々的に言える訳もなく、日々積もる沸々とした怒りを燻らせていたのだが、ついにこのバレンタインで爆発してしまったと、そういう訳らしい。

(大体、なんで僕に海馬くん宛てのチョコレートを渡してくるの?!幾ら友達だってさ、失礼じゃない?!そんなの直接本人に渡せばいいんだよ。それで渡せなかったら諦めるとかさ!)

 そんな事を思いながらますます眉間の皺を深めている遊戯を尻目に、袋の中に入っていたチョコレートを一つ摘み上げ、吟味するように凝視していた海馬だったが、直ぐに興味を失ったのかぽい、と袋の中に投げてしまう。そして彼は漸く未だにしかめっ面で空を睨んでいる遊戯の方を振り仰いだ。

「そう怒るな。欲しいならくれてやる」
「いらないよ。海馬くん宛てのチョコレートなんて。海馬くん甘いもの結構好きじゃない。全部食べれば?」
「オレとてこんなものいらんわ。別にオレがくれといった訳じゃあるまいし。不可抗力だろう」
「そんな事分かってるよ。でも、嫌なものは嫌なの。これは僕の気分的な問題!」
「しかし、何故女共も貴様に手渡す真似をしたのだろうな。去年はそんな事はなかったが」
「君が学校に来ないからでしょ。僕なら海馬くんと仲良しだから渡してくれるかもって思ったんじゃないの」
「まぁ、実際持って来ているしな」
「しょうがないじゃん。途中で捨てる訳にもいかないしさ」
「偉いな」
「褒められたってちっとも嬉しくないよ!」

 僕は半分真剣に怒ってるのに何その態度!そう言ってまた頬を膨らませる遊戯を半ば面白半分に見つめながら、海馬は再び目線を袋に移し、そしてまた遊戯へと戻した。そこでふとある事を思いつき、素直にそのまま口にする。

「そう言えば、貴様はどうだったのだ」
「何が?」
「チョコレートを貰えたのか、と聞いている」
「僕?も、勿論貰えたよ!しかも手作り!」
「ふぅん。4つ……あぁ、5つか?」
「え、なんで海馬くん数知ってるのさ」
「フン、大体想像できる。大方母親と真崎杏子と孔雀舞、城之内の妹、後はレベッカとかいうガキもいたな」
「うっ……スルドイ」
「5つも貰えているではないか。凄い凄い」
「もうっ!海馬くん完全に馬鹿にしてるでしょ!どうせ僕は海馬くんと違って全然モテないよっ」
「まぁいいじゃないか。モテて貰っても困る」
「……え?」
「数が欲しいのならもう一つ、追加してやろうか?」

 そういうと海馬は徐に立ち上がり、先程まで座っていた自らの席へと戻ると、引き出しを開けて何かを取り出した。そして、直ぐに遊戯の前まで戻ってくると、だらりと下げられたままだった彼の手を取り、ころりとした何かをのせた。

 それは、シンプルな包み紙に包まれた一口大のチョコレート。それはいつも甘党の海馬が食事の変わりにと机の中に忍ばせているモノで、見かけこそ小さいが高級品なのだ。ずっと同じ物、という事は結構気に入っているものなのだろう。

「海馬くん、これっ?!」
「チョコレートが欲しいのだろう?くれてやる」
「い、いいの?でもこれ、海馬くんの栄養源じゃない」
「別に。最近買っていなかったので、ストックがそれしかないがな」

 それをバレンタインのチョコレートとして遊戯にくれると言う。たった5つだけだけれど、それは、遊戯が他の女性達から貰ったどれよりも……大きく見えた。

「……ありがとう。すっごく嬉しいよ。これってバレンタインだよね?」
「まぁ、そういう事にしておいてやる」
「あ!でも僕海馬くんに用意してないっ!今から買ってくる!」

 手渡されたチョコレートを両手でぎゅっと握り締めて、溶けるから離せと海馬に言われてしまい、丁寧にポケットにしまいこんだ遊戯は、今度は自分が海馬にチョコレートを用意していなかった事に気付き、慌てて社長室を出て行こうとする。

 そんな彼の忙しない行動を腕一本で押さえつける事で封じて、海馬はそのまま両手で遊戯の両肩を優しく包むと、ほんの僅かに口元を綻ばせた。

「別にいい。オレはいらん」
「だ、だって。僕海馬くんのチョコ取っちゃったしっ」
「チョコレートはいらない」
「じゃあ、何がいいの?飴?クッキー?それともケーキ?」
「『食べ物』はいらない。今の貴様が渡せるものをオレに寄越せ」

 さぁ、どうする?

 そう言って、口元の笑みに合わせて瞳も薄く細めた海馬に、遊戯ははっとある事を閃いた。そして、それこそが今彼が一番欲しがっているものだと気づいたのだ。

 『それ』は確かに食べ物ではない。けれど、きっと、チョコレートよりも甘いもの。

「そっか、海馬くんは『これ』が欲しいんだね?」
「オレが何を欲しがっているのか分かったのか」
「うん、分かった。僕にしか上げられないものだよね?」
「そうだ」
「……じゃあ、目を閉じてくれる?とびっきりの奴あげるから」

 遊戯がそう言うと海馬は素直に目を閉じて遊戯が『それ』を与えやすいように少しだけ身を屈めて顔の位置を合わせてやる。

 そんないじらしい仕草をしてみせる恋人に、遊戯は顔に幸せ一杯の笑みを浮かべて、そっと、彼が望むものを与えやった。
 

 ── チョコレートよりも甘いキスを。