オレは今、奇跡を抱き締めている

REMS // 「キスのないバレンタイン」 オマージュ

◆ Ver.城之内

 目が覚めたら、部屋の中はもうすっかり明るくなっていた。窓の外からは眩しい冬の日差しが燦々と輝き、昨夜の大雪が嘘のような青空が広がっている。上掛けが捲れ露出した肩が冷たくなっているのに気付いて、もう一度温かい布団の中に潜り込もうとした時だった。
 自分の隣でぐっすり眠っている海馬がもぞりと動いて、ふぅ…と小さく嘆息した。
 栗色の髪がサラリと零れ、薄く開いた唇から温かい吐息が零れている。冬の日差しに反射して肌は眩しい程に白く、昨夜散々泣いたせいで少し腫れた目元が紅色に染まって綺麗だった。
 何て儚い存在なんだろう。十年ぶりに見た海馬の寝姿は、オレの意識を夢か何かのように錯覚させる。手を伸ばせば春の淡雪のように消え去ってしまうような…、そんな感じがするんだ。
 早く目覚めて欲しい。薄い瞼の下に隠れている、あの窓の外に見える青空のような綺麗な瞳を見せて欲しい。そして、ちゃんとお前がここにいるんだって…オレに実感させて欲しい。そうでないと…不安で不安で仕方が無かった。

「んっ………」

 掛け布団を捲り上げた時に入り込んだ冷たい空気が気に入らなかったのか、海馬が小さく呻いてオレに擦り寄ってきた。細い身体を抱き寄せると、海馬の腕が無意識にオレの背に回る。キュッと少し力を入れて抱き締めると、背に回った腕が同じように抱き締め返してくれた。

 温かい体温、滑らかな肌、重なる心臓の音。オレの腕に中にある…確かな存在。

 あぁ…良かった。海馬はちゃんとここにいる。そう思ったらふいに泣きたくなった。
 海馬の存在が…愛しくて愛しくて。もう二度とコイツとこんな風に抱き合う事なんか出来ないんじゃないかって思ってて…。ずっと不安で…悲しくて…恋しくて。
 コイツがオレの元を去っていってから、どれだけ後悔したかしれない。だけどどんなに後悔しても過去はやり直せないんだ。何度か別の幸せを求めようとしたけど、どうしても海馬の事を忘れる事は出来なかった。それだけ海馬の存在が、オレの心の奥深くまで根付いてたって事だけど。

 諦めて…後悔して…それでもまだ求め続けて、そしてまた落ち込んで。昨日までのオレはあんなに負の固まりだったというのに、今のオレはこんなにも幸せで満たされている。胸が温かい。目の奥が熱い。ふいに訪れた幸福に舞い上がってしまいそうだ。こういうのを何て言うんだっけ? そうだ…奇跡だ。これは奇跡なんだ。
 十年という長い年月をお互いに変わらぬ気持ちを抱いていた事も。海馬が勇気を出してオレの元に帰って来てくれた事も。そして再び共に歩けるようになった事も。何よりも海馬の存在そのものが…奇跡だった。
 無意識にオレを抱き締める腕に力を込める海馬に微笑んで、オレもその身体を抱き締め返す。幸せな気持ちで…強く強く。

 オレは今、奇跡を抱き締めている。

 

◆ Ver.海馬

 目が覚めたら、部屋の中はもうすっかり明るくなっていた。窓の外からは眩しい冬の日差しが燦々と輝き、昨夜の大雪が嘘のような青空が広がっている。上掛けが捲れ露出した肩が寒かったが、オレは起きる気が無いまま布団の中でじっとしていた。暫くして、冷たい空気に身体が冷えたのか、城之内が目を覚ましてもぞもぞと動き出す。その動きに何故だか妙に緊張してしまって、少しだけ身体を動かして小さく息を吐き出した。
 城之内が目を覚ましたのなら一緒に起きればいいだけの話なのに、何故だか寝たふりをしてしまう。目を開けて城之内の姿を確認するのが怖かった。
 脳裏に甦る昨夜の城之内の姿。確かに目の前にあった筈のその姿が、今はまるで夢か何かのように感じてしまう。十年ぶりに見たその姿を、オレの脳は未だ現実のものとして捉えていないらしかった。考えれば考える程白く霞んでいく城之内の姿。まるで昨夜の大雪に覆い隠されていくようだ。霞んでいく記憶に一気に不安になる。けれど、今目を開けてその姿を確認する勇気は無かった。
 もし目を開けても誰もいなかったら…。これはただの夢で、オレは未だにアメリカの地にいるんだとしたら…。ずっと一人で暮らして来たあの部屋の、冷たくて広いベッドの中央で目を覚ますような事があったら…。

「んっ………」

 途端に怖くなって、堪らず城之内に擦り寄った。つい声が漏れてしまって「しまった」と思ったのだが、どうやら城之内は気付いていないらしい。熱い腕がオレの身体を抱き寄せてくれたので、自分もそろりと彼の背中に腕を回す。キュッと力を入れて抱き締められたので、同じように腕に力を入れた。

 熱い体温。男らしく鍛えた身体。重なる心臓の音。オレの腕に中にある…確かな存在。

 あぁ…良かった。城之内はちゃんとここにいる。そう思ったらふいに泣きたくなった。  城之内の存在が…愛しくて愛しくて。十年前はこの存在が重過ぎて受け止めきれなくて、逃げるように彼の元を去った。このまま無理して付き合っていても決して上手くはいかないだろうし、何よりオレの存在に縛られる城之内なんて見たくなかった。彼にはもっと自由でいて欲しかったから…。

 けれど、オレはどうしても城之内の事を忘れる事が出来なかった。離れていれば離れている分だけ、彼への想いが募っていく。だから…思い切って戻って来た。これでダメなら、永久に城之内の元を去ろうと…そう決意していた筈なのに。
 それなのに、まさか奇跡が起こるなんて。城之内がオレと同じ気持ちを抱えたまま、あの十年という長い年月を過ごし、そしてもう一度一緒に歩く事が出来るようになるなんて…思わなかったのだ。これは奇跡だ。まさしく奇跡だ。
 そう思ったら城之内の事がますます愛しくなって、力を込めて抱き締めた。途端に同じように抱き締め返してくれる熱い腕に幸せを感じて涙が零れそうになる。

 オレは今、奇跡を抱き締めている。
 

-- END --