Cross over Act3

「………………」

 静かな回廊に正体不明の見た目はかなり怪しい男と二人歩く。ジュリアスと別れて以降、目の前の男は一言も言葉を発さず、さりとて掴んだ腕を離す気配もなく、ただ淡々と前に進んでいくのみだった。腕に絡みつく指先には決して強い力が込められている訳ではなかったが、ここまで完璧に握り締められてしまうと振り解く事も難しい。しかも身長差がない分その拘束は強固だった。全く忌々しい。

 そんな瀬人の様子を気配で感じていたのか、クラヴィスは不意に足を止めずに顔だけを少し傾けて背後の瀬人をちらりと見やった。それにたまたま顔を上げるタイミングが重なった瀬人と目が合ってしまい、思わず彼は目線を泳がせてしまう。

 そんな相手の様子を心底面白そうに流し見たクラヴィスは、僅かに口元を綻ばせて囁くように言葉を紡いだ。

「……そう怯えずとも、私はお前を取って食べたりはせぬ。案ずるな」
「?!だ、誰が怯えているかっ!歩き辛いだけだ!」
「そうか。ならば良いが」
「大体貴様、突然現れてなんなのだ?!金髪の仲間という事は分かるが、何が何だかさっぱり分からん!」
「こちらからすれば突然現れたのはお前の方なのだが……。確かに物事の道理一つ分からぬ世界に一人置かれては混乱するのも無理は無いな」
「分かっているのならとっとと説明でもなんでもすればいいだろう」
「……ああ、時間はたっぷりある。後で説明してやろう」

 本当に威勢がいいな。元気が良いという事は何よりだ。最後にそんないらないコメントを口にして再び前を向いたクラヴィスの背を、瀬人はこれでもかと睨みつけた。

 あの金髪男も気に食わない奴だったが、こいつも負けじと劣らず腹が立つ男だ。人の顔を見てにやりと笑うなど失礼千万。これが取引先相手だったら考え付く限りの罵倒の言葉を口にして即座にその場から辞する勢いだ。

 尤も、その笑顔が実は非常に貴重なものだという事を少しでも瀬人が認識していたならば多少感情も変わるのだろうが、不幸な事に彼は勿論そんな事情など知るべくも無かった。

 不愉快だ。イライラする。その気持を態度で露わそうと先程惑っていた腕を振り解く動作を再開しようとしたその時、不意に周囲に人の気配を感じた。気付けば回廊の雰囲気も変わり、先程とは違う建物内に入った気がする。確か、最初に自分が辿り着いたのはこちらの方ではなかったかと、記憶を辿ろうにもそれは至極曖昧で、良く分からなかった。

 急激に増えた人の気配の正体は、そこかしこに立ち尽くす兵らしき男や、独特な装いをした女達のものだった。彼らはゆっくりを歩みを進めるクラヴィスの姿を認めると、そつのない動きで深く頭を下げて敬意を表し、その後瀬人の存在に気付いて少し驚いた顔をする。なんとも奇妙な光景だった。

「あいつらはなんだ?」
「この聖殿に勤める衛兵や女官達だ」
「なるほど。皆で貴様に頭を下げると言う事は、貴様はここでは結構な地位を持っているという事か」
「一応守護聖だからな。地位的に言えば女王の次に当たる。尤も、それはこの地での話で、下界のもの……お前も本来ならばそちらの民に属するのだろうが……彼らに言わせれば我らは『神』に等しき存在だろうな」
「…………は?神だと?」
「宇宙の創造を携わっている、という意味ではその認識はあながち間違いではない」
「……宇宙の創造?ちょっと待て、何故そんな話になる」
「私は事実を口にしているだけだ」
「………………」
「お前が私に対してなんらかの『力』を感じたのだとしたら、それは正しい認識だ。我らは人にはない力を持っている」
「……話がさっぱり見えないが」
「まずは己の常識を捨てる事から始める事だな。ここで暫く過ごすには必要な事だ。後に嫌と言う程分かるだろうがな」
「……では、仮に貴様の話が事実だとして……貴様が持っている『力』とはなんなのだ」
「私は闇の守護聖。闇とは安らぎだ。静寂と安息を宇宙に齎す。ちなみに先程のジュリアスはその対となる力を持つ。他にも異なる力を司る者がおり、皆で9人の守護聖が存在する」
「貴様らの様な輩が後7人もいるだと?」
「何を基準にそう思うのかは分からぬが、同じ守護聖と言えど性質が異なる様に人格や年齢も様々だ。まぁ、実際に会えば分かるだろうが」

 その時のお前の反応が楽しみだな。と最後にそう一人ごちて、クラヴィスは深く頭を下げる面々になど意識すら向けずに歩みを進めた。彼が立てる微かな衣擦れの音と、周囲を歩く兵の高らかな靴音だけが聞こえるその空間に、瀬人の声だけが大きく響く。それに何故か居た堪れない気持ちになり、彼は早々に口を噤んだ。喧しいのも好きではないが、こうも静かだとそれはそれで居心地が悪い。

 それからどの位歩いただろう。確かにここは建物の中のである筈なのに余りにも広い気がする。前を歩む男に訊ねようにも先程の皮肉った笑みが思い出され、癪な気がして瀬人は仕方なくクラヴィスが次に声を発するまで押し黙ろうと思った。その時だった。

「あれ〜?クラヴィスじゃなーい。あんたこんな真昼間から出歩く何て珍しいわね?……んん?」
「?!なんだアレは」
「オリヴィエか……厄介な輩に見つかったものだ。お前は余程運がないらしい」

 そう言ってクラヴィスは瀬人の身体を自らの背後に隠すように押し込めると、少し遠い場所にいる正体不明の人物をちらと見て、深い溜息を吐いた。つられて一瞬瀬人もその姿を捉えたが、眩しい逆光で良く見えないばかりか、ジュリアスやクラヴィスとはまた違った複雑奇怪な様相をしていた事や、声のトーンから男である事は分かるものの、どうみても言葉遣いがおかしい事から速攻脳が拒否をした。思わずあげてしまった声は瀬人の正直な気持ちである。

 慌てて口を噤んで導かれるままにクラヴィスの背後に潜んだ瀬人だったが時は既に遅く、遠くにいた筈の例の男は、カツカツと鋭い靴音を響かせてこちらへと近付いて来る。

 彼?との距離が近づけば近づく程その異様さは顕著に見てとれた。派手な金色の髪の所々に混じるショッキングピンクの鮮やかな色合いや、それよりもまだ目立つ見ているこちらの方が息苦しくなるような完璧なメイク。

 まるで血でも啜ったのかと思えるようなディープレッドの唇を見ているだけで何だか寒気がしてくる。それだけでも既に驚愕モノなのに、彼の服装はもう異様としか言いようが無かった。『彼』と形容していいものなのか一瞬戸惑う位に。

 鼻をつく甘い柑橘系のような香りすらも不快だと瀬人が密かに眉を顰めた瞬間、彼は至極馴れ馴れしい仕草でクラヴィスの肩に手をかけていかにも興味深々と言った風に口を開いた。

「なーにこそこそ言ってるのかなぁ?そこに誰かいるのは分かってんのよ?ちょっと見せてみなさいよ」
「……断る。見せものではない」
「いいからいいから……って、え?なぁにこの子、見慣れない顔じゃない。どうしたの?」
「……少し事情があってな。お前には関係ない」
「ふーん。あ、もしかしてさっきちょっとだけ感じたサクリアの乱れって、この子の所為?」
「……さぁな。無関係とは言えぬだろう」

 へぇ。と適当な相槌を打ちながらも『オリヴィエ』と称された男は遠慮も無しにクラヴィスの肩越しにこちらを覗き込み、後ろでただ立ち尽くしている瀬人を心底嬉しそうに眺めやると口元に深い笑みを刻む。そして甲高い声で「ヤダなにこれ男の子じゃない。あんたどっからこんなの見つけて来たのよ、ズルイじゃない!」と捲し立てた。その余りの迫力と異様さにやはり瀬人は一歩引いてしまう。

 非科学的なものも苦手な彼だったが、それよりも己の理解の範疇を超えた人間はもっと苦手だった。瀬人の廻りとて一風変わった輩は多数いたが、これほどおかしな人間もそうはいまい。

(その不気味な顔を近付けるな!)

 声には出さず、そう心で盛大に絶叫した瀬人の願いが通じたのか、彼は意外にあっさりと身を引いて、目線をクラヴィスの方へと戻した。それを鬱陶し気に払いつつ、クラヴィスはわざとらしい溜息を一つ吐き、身体ごと避ける様に余りに近づき過ぎた目の前の男を避けてしまう。それに別段不満を表す事も無く、オリヴィエは相変わらずキラキラとした眼差しをこちらに向けながら、楽しそうに笑い声を立てた。

「それにしてもまた随分可愛い子じゃなーい?お肌つやつやだし、すんごくスタイル良さそうだし、これは弄り甲斐がありそうね!」
「やはりそう来るか。これはお前のおもちゃではない」
「相変わらず失礼な事言うねぇ、この御仁は。おもちゃなんて思ってないわよ!」
「嘘を吐け。とにかく、今はお前に構っている暇はない。後宮に用があるのだろうが、早く行け。セト、行くぞ」
「あ、その子セトっていうんだ〜。まぁいいわ。じゃーねーセトちゃん。今度遊ぼうね〜!」

 極彩色に彩られた爪先がひらひらと翻され、上機嫌で去っていくオリヴィエの後ろ姿を眺めながら、瀬人は漸く知らずに詰めていた息を吐きだした。あの男はある意味とんでもない迫力だ。瀬人に取っては非常に近づきたくない部類の人種である。

「……なんだあれは」

 やっとの思いで絞り出したその一言に、クラヴィスは少しだけ苦い笑みを見せると、「まあアレも聖地の名物ではある」と口にした。そしてその後至極事務的な声で、とんでもない事実を淡々と告げたのだ。

「ちなみに、オリヴィエは夢の守護聖だ。これで三人目に遭遇したと言う事だな」
「何?!あの、男か女か分からない不気味な生き物がか!」
「正直な事を言ってやるな。ああ見えて奴は武闘派だ。余計な事を言うと痛い目を見るぞ」
「……想像できんわ」
「これで私の言う事が分かっただろう。ここにはあの様な男が大手を振って歩いているのだからな。捕まればどうなるかは……分かるな?」
「………………」

 それ位言われなくても分かる。大体は。

 瀬人は即座にそう思ったが、特にそれを口に出したりせず、ただ黙って小さくそっぽを向いた。クラヴィスのもの言いに、どこかからかう様な響きを感じたからだ。

 何でもいいから早くこの悪夢から解放してくれ。

 瀬人の反応など気にもせず、再び歩き出したクラヴィスの背を見詰めながらは、彼はかなり切実にそう願うのだった。