Cross over Act4

(…………暗っ!なんだこの部屋は?!)

 何処までも果てしなく続く様な長い回廊を散々歩かされた挙句招かれた部屋は、光一つ差さない暗黒の世界だった。それまで目が痛くなる程の明るい空間にいた所為でそこはより不気味に見える。

 扉を開いた瞬間、まるでブラックホールの様なその場所に堂々と進入して行くクラヴィスを見た時にはいっその事ここで逃げだそうと思った位だ。尤も直ぐに気付かれて、くるりと振り向いた彼が「ここが私の執務室だ」と一言発し、腕を引いて来たのでそれも叶わなかったが。

「な、何故ここはこんなに暗いのだ」
「明るいのは落ち着かぬのでな」
「それにしても暗過ぎるだろうが!」
「ここは私の部屋だ。故に私が心地好い様にするのは当然であろう。……その辺に座れ、そこの奥に寝椅子がある」
「……良く見えん」
「今灯りをつけてやる」

 そう言って漸く瀬人の腕を解放したクラヴィスは、どこをどう見ても暗闇にしか見えない室内を迷いなく歩き、ある場所で立ち止まった。すると、先程は見えなかった薄紫の光がぼんやりと闇の中に浮かび上がる。何処となく球体のような形のしたその光に瀬人がそれは何かと尋ねる前に、彼は傍に置いてあったらしい燭台に火を点けた。途端に淡いオレンジの光が淡く部屋を照らし出す。

「……水晶玉か?」

 少し明瞭になった視界の中ですぐに瀬人の目を引いたのは、たった今目を付けたばかりの光の正体だった。それは人の顔位ある大きな水晶で出来た球体で、今は燭台の灯りを反射してキラキラと輝いている。

 ソレは確か「占い師」という訳の分からない、瀬人からすればインチキを生業とする輩が大事そうに抱えているというイメージしかなく、そう思った瞬間目の前の男の不気味さというか不可思議さの正体がなんとなく分かった気がした。

 そう、彼には占い師達と同じ様な胡散臭さを感じたのだ。

「このような物を所持していると言う事は、貴様は占い師か何かなのか」
「占いもするが、それを生業とはしておらぬ。先程教えただろう、私は守護聖だと」
「ならば何故、こんな物を持ち込んでいる」
「職務に必要な事もあるのでな。これは単なる趣味の道具ではない」
「………………」
「……ふっ、本気にしておらぬな」
「オレは元々神だの占いだの、そういう非ィ科学的なものは信じていないのでな」
「なるほど……では、少し証明してみせようか」
「は?」
「この水晶球に手を翳してみろ。お前の事を視てやろう」
「………………」
「……そう警戒するな。何もせぬ。まあ、水晶球には何が映るかは分からないが」

 貴様の様な怪しげな輩に何もせぬと言われて信用できるかっ!そう心の中で絶叫をしたものの、拒否すればしたで何かと面倒な事になりそうだと、瀬人は渋々言われた通りに彼にとってはただの球体に見える水晶球の上へと手を翳した。

 こんなもので何が見えるのだ、そう思いフンと鼻であしらおうとした瞬間それは淡い輝きを帯び始める。

「…………?!」
「ほう、お前には少し年の離れた弟がいるのだな……余り似ていないようだが。身内は、これだけなのか。他にも大勢の男が見えるがこれは違うのだろうな」
「……なんだと?」
「それに……何やら妙な頭をした連中が沢山いるな。そうは見えぬが、お前は学生だったのか。皆共通して熱心に興じているこのカードゲームの様なものはなんなのだ?」
「……それは、貴様に説明しても分からないだろうな」
「そうか。まあ特に興味もないが……ともあれ、安心するがいい。皆お前が消えた事など気にしておらぬ。まだあちらでは数秒も経過していないようだな」
「………………」
「もう手を離しても良いぞ」

 言われるがままに水晶球の上に翳していた手を退けると、それは自然と光が消え、元の透明の球体に戻っていた。特に何かされた訳ではないが何処となく背筋が寒いような気がして、瀬人は相変わらず飄々とした態度で佇んでいるクラヴィスから一歩下がり、警戒を露わに睨み付けた。

 その眼差しをも鷹揚に受け止めて、クラヴィスは机上の火を周囲の壁に据えられた燭台へと移して行く。はっきりとではなかったが徐々に明るさを帯びて行く室内を視界の端に留めながら、瀬人はやはりその場を動けずにいた。

 クラヴィスが椅子に座し、きしりと布が軋む音がする。

 彼は至極ゆったりとした様相で机上で緩やかに指先を組むと未だ立ち尽くしたままの瀬人を僅かに見上げた。

「これが『遠見』だ。この水晶の正式な名称は遠見の水晶という。視る事が可能なものであれば私が見たいと思う物を映し出す。尤も、勝手に映し出す事の方が多いがな」
「今の情報もそれが勝手に映したと言うのか」
「そういう事になるな。私が映せと命じたからだが」
「……信じられん」
「だが、外れてはいないだろう?」
「……あてずっぽうでは無い様だな。だが、納得はしない」
「素直ではないな。まぁ、そう何事も堅く考えるな」
「煩い。それよりも貴様、そんな芸当が出来るのならオレが元の世界に戻る方法もそれでなんとかならないのか」
「無茶を言うな。これはその様な便利な道具ではない」
「フン、使えんな。貴様等は神ではなかったのか?」
「……それが下界の者達が勝手にそう呼んでいるだけの事。実際は我らも少しだけ特殊が力があるだけのただの人間だ。その力も目に見えて分かるものではない」
「それが宇宙の創造とやらに関わるもの、と言うわけか」
「そうだ。その辺りの事情は私よりも得意な者がいる故、そちらで学ぶが良い。お前は見たところ聡明であるようだし、きっと退屈はせぬだろうな」
「またたらい回しか」
「何事にも適任というものがあるだろう?私は無理はしない性質なのでな。ともあれ、少し休息を取った方が良いのではないか?大騒ぎをして疲れただろう」
「オレにはそんな悠長な時間など無い!そもそも誰が大騒ぎをしているのだ!」
「……己の状態を把握出来ない所は、やはり子供であるのだな」
「喧しいわ!」

 余りに人を食った様なもの言いをするクラヴィスにそれこそ地団太を踏みそうな勢いで瀬人がそう声を荒げたその時だった。その様をいかにも面白いという表情で見上げていたクラヴィスが、組んだままだった両手の指先を外して緩やかに右手を持ち上げた。そして、ほんの一瞬だけ淡い光を解き放つ。

 刹那、威勢の良かった瀬人の声は即座に奪われ、そのまま意識さえも失って全身の力が抜けてしまう。それを席を立ち、少しだけ伸ばした腕で難なく支えたクラヴィスは「最初からこうしていれば良かったか」と事も無げに呟いた。

 腕に抱えたその身体はつい数秒前までの喧しさはどこへやら、静かに寝息を立てている。

「……目覚めたら嘘吐きだと罵られるだろうが……仕方あるまい」

 そう一人ごちたクラヴィスは寝入ってしまった瀬人を、最初に勧めた長椅子へと横たえると、小さな溜息を一つ吐いた。

 その口元には、変わらず愉快そうな笑みが刻まれていた。