Eden Act1

「僕ね、大人になれないんだって」
「え?」
「あと十五回誕生日が来ると死んじゃうんだって」

 柔らかな日の差す緑溢れる庭園の中央で、白い小さな花を手にしながら艶やかな黒髪を持つこの広い庭園の中に二人だけ。咽せ返るような甘い花の香りが鼻腔を擽る。

 一瞬言われた事を理解出来なかった聞き手である金の髪の少年は、どう答えを返したらいいか分からず、ただ呆然と器用な手つきで花冠を作り上げていく黒髪の少年の姿を見遣っていた。

 彼等は隣同士の家に住む、偶然同じ日に生を受けた幼馴染だった。日の昇る時刻に生まれたジュリアスと、月が美しい夜に生まれたクラヴィス。相反するそれを象徴する様に、彼等は容姿も性格も何もかも正反対なものを持っていた。

 更なる偶然かジュリアスには父親が無く、クラヴィスには母親が無い。そして、病気一つしないジュリアスに対し、クラヴィスは健康というものに縁がなかった。そんな奇妙な運命の取り合わせに惹かれる様に彼等は幼い頃から互いの家を行き来し、まるで双子の兄弟のように仲睦まじく暮らしていた。

 この日も、そんな穏やかな日々の一つである筈だった。

「……死んでしまう?」
「うん」
「どうして?」
「そういう病気なんだって。昨日知らない人が家に来て、父さんにそう言ってたよ。六つになったら同じ病気の人達がいる所に行かなくちゃならないって……はい、出来上がり」

 ふわりと、僅かな空気の流れと共に頭に小さな重みを感じる。それがクラヴィスが作った花冠だという事は直ぐにわかった。二つ目を作るつもりなのだろうか、役目を終えたはずの右手にはまだ数本の花が握られていて、風に揺れるその白花よりもまだ白い指先に柔らかな影を作っている。

 無邪気な笑みを見せるその顔も血が通っているのか分からない程白く透き通った色をしていた。自身の少し日に焼けた健康的な肌色とは比べ様もない。この柔らかな日差しでさえも、本当は彼には酷なものだった。

 けれどその事が死に直結する等とは考えた事もなかった。多くを望まなければこのままずっと共に在れると思っていたのに。

「……嫌だ」
「ジュリアス?」
「そなたがいなくなってしまうなんて、絶対に嫌だ。病気ならここで治せばいい。ずっとここで!」
「……でも、駄目なんだって。他の人にも移しちゃうと悪いから。ジュリアスにも……」
「そんなの、関係ない!」
「僕はジュリアスにはずっと元気でいて欲しい。お日様の下で思いっきり走ったり、馬に乗ったり、僕の行けない、色んなところに遊びに行ってそのお話を聞かせて欲しい」
「………………」
「……大丈夫だよ。今度行く所、知らない所じゃないから。ジュリアスのお母さんが働いているあの綺麗な所だから」

 言いながら、クラヴィスは手にした花をそっと地面に落としてしまう。同じ花が咲き乱れているその場所で手放された白い花は、埋もれてどこにあるのか分からなくなってしまった。

「そこだと、一日中太陽の下にいても大丈夫なんだって」

 そう言って笑う、クラヴィスの顔はとても嬉しそうで、そこには微塵の不安も悲しみも感じられなかった。

「……そうか」
「うん」
「じゃあ、これからは私がそこに遊びに行く。……遊びにだけじゃない。母上のような医者になって、ずっとそなたの側にいられるように。……そしていつかそなたの病気を私が治してみせるから。そうしたら、またここで一緒に暮らせるな」
「……そうだね」
「大人になったら、色んな事が出来るようになるぞ。そなただってきっと何でもできる」
「できるかな」
「出来る。私が嘘をついた事があるか?……覚えておいてくれ。これは、約束だ」

 いつもと同じ自信ありげな口調でそんな言葉を口にするジュリアスを、クラヴィスは何処か眩しいものを見る目で見上げていた。彼はその言葉通り、嘘をついた事はない。何でも出来るし、頭もいい。……もしかしたら、本当に救ってくれるのかもしれない。

 確証など何処にもないけれど、無条件に信じてしまいたくなるような何か。昨夜、死の宣告を受けたにも等しい言葉を耳にして表面上には出さなかったが何処か諦めの気持ちをもち、本当はこの場でジュリアスに別れを告げようと思っていたのだ。出来るだけ簡単に、明るく。

 けれど。

 そんな必要は、なかったのかもしれない。たった一つの願い事。大好きな人と出来るだけ一緒にいられるように。それが例え……大人になるまでの間でも。

「……じゃあ、時々遊びに来てね」

 言うつもりもなかった言葉が、はにかんだ笑顔と共に自然に唇から零れ落ちた。例えようもない幸せな瞬間に、クラヴィスは泣きたくなるような喜びに包まれていた。

「時々?!毎日では駄目なのか?」
「毎日じゃなくていいよ」
「よくない!私は行くぞ。嫌だといわれても行くからな!」

 拳まで振り上げて勢い良く宣言されたその台詞も、嘘にはならなかった。
 それから半年後。予定通りクラヴィスは国最大のホスピス『EDEN』へと収容された。

 彼等が持つ病「Lucifer」は遺伝子レベルの伝染病であり、この世に生を受けた時点で発症するという病であった。近代一万人に一人の割合で自然発症するこの奇病は、時を経るにつれ豊かになっていく人間社会が生み出したあらゆる弊害に嘆き悲しんだ神によって神罰が下されたと考えられ、七つの大罪の一つを犯した天使を模して「Lucifer」なる名がつけれた。

 この病にかかったものは五、六歳時で汚れのある空気の中では生きる事ができなくなり、成人を迎える頃には身体の全機能が停止し、死に至る。まさにどうする事も出来ない恐怖の病だった。発症の確率が高い事と稀に接触等によって感染する事もある為、Lucifer患者は巨大ドームで覆われた既に一つの都市であるLucifer専用施設……この国では『EDEN』と名付けられた場所に強制的に収容される。

 そこは地上の楽園と歌われるほどの贅沢で素晴らしい施設で、死への恐怖を少しでも取り除き、安らかに逝けるように、限られた人生を精一杯楽しめるように配慮されていた。しかし、それが果たして患者に幸せを齎すものかは、誰にもわからない。

 強制的に押し付けられる他人が思う「幸せ」の形。期限のない命をもつ者には、死を見据えて生きる者の気持ちが分かる筈もないのだから。
「クラヴィス」

 見上げれば透明な強化硝子で仕切られた青空の下、人工的に作られた心地良い風に抱かれて無防備に目を閉じている彼にそっと近づき、穏やかさを壊さないよう極力優しく声を掛ける。肩に置かれた手の感触に気づいたのだろう、クラヴィスは緩やかに瞳を開き一瞬細かに瞬きをすると、眩しげに眉を顰めた。

「またここにいたのか。カティスが食事の時間に顔を見せないと言って大騒ぎしていたぞ」
「……空腹は感じない」
「そういう問題ではない。いいか、三度の食事は身体の正常な機能を保つ為に必要なものだ。そなたは食べぬ割に何故かこうして成長してしまったのだし、むしろ人より倍食さねばならぬ位だ。大体そなたは患者であろう。患者は医者の言う事を聞くものだ。我が侭も度が過ぎると自由を奪われても文句は言えぬぞ」
「もとより自由などないくせに」
「減らず口を叩いていないで、さっさと部屋に戻るのだ。昼寝なら食事後にするがいい。ほら、行くぞ。全く幾つになっても世話が焼ける」

 そう早口で巻くしたてたジュリアスは有無を言わせず投げ出されていたクラヴィスの腕を掴む。大して抵抗のないそれを強引に引き上げて立たせると、少しだけ荒々しい足取りで歩きだした。純白の白衣が未だ光に慣れない目に痛い。

 あの幼い日、「医者になる」と宣言をした通り、ジュリアスは若くしてLucifer専門の医学者になっていた。幸いな事にジュリアスの母親はこのEDENの創設者の一人でありLucifer研究の第一人者でもあった有名な女医で、ジュリアスにしては不本意だったがその彼女の威光もあって医学界では最高レベルの教育を受ける事ができた。

 もとより素質もあった所為か、人よりも大分早く大学を卒業する事も出来、現在は十八歳……クラヴィスの死の期限まで後二年と迫っている。

 結局、ジュリアスが口にした言葉で嘘になったものは一つもなかった。毎日どんなに忙しくても、例え真夜中になっても彼はEDENに通い続け、クラヴィスの元へ顔を出す事を忘れなかった。後は、この二年でなんとしてもLuciferに対抗できる新薬を開発し、無事クラヴィスが成人を迎える事が出来れば約束は完了する。

「ほら、カティスが奥で待っている。早く行って来るのだ」
「……面倒だな」
「自業自得だ。また後で来る故、カティスに迷惑をかけずに大人しくしていろ。わかったな」

 クラヴィスの病棟である、宮殿を模したような明るく広い建物の入り口でジュリアスは最後まで渋る彼の背を叩き、部屋で待っている同僚の医師の名を口にする。クラヴィスの担当医である彼はまるで兄のように、他人からみれば過剰なまでの世話を焼きたがる人物だった。その彼になら、ジュリアスも安心してクラヴィスを任せる事ができ、自分は新薬開発に没頭できる。今はまさに理想的な環境だった。

「…………………………」

 ジュリアスの一言に仕方ないといった風に肩を竦め、指し示された扉の中へと入っていくクラヴィスの背を見送りながら、ジュリアスは我知らず大きな溜息を吐いていた。たった今見た、単に扉を開けて中に入るだけのクラヴィスの動作の中に違和感を感じていたからだ。先程も己の顔を目に留めた瞬間、本当に刹那的なものだったが戸惑いがあった。

 彼の視力は徐々に低下して来ていた。

 現在はまだなんとなく見えにくい程度で生活に支障はないだろうが、時期にもっと深刻なものになるだろう。それはLuciferの特徴的な病状の一つだった。視力を失い、声を失い、最後は……命を落とす。残り後二年……最終段階に入ったのだ。

 その恐怖は計り知れない。本人だけではない、それを側で見守る自分でさえも身が竦むほどの恐怖を覚える。掴んだ腕の細さ一つとってもそれは十分に体感できた。新薬の開発は順調に進んではいる。ただし、間に合うかどうかはわからなかった。なんとしてでも、彼を救ってやりたい。約束を果たす為に。

 ジュリアスは振り切るように踵を返す。そして足早に研究棟へと歩き始めた。一分でも一秒でも無駄に出来ない。

 ……彼の背後に佇む病棟ではまた一人、命を落としていた。