Act3 綺桜(Side.城之内)

 空を一面に染めあげる、柔らかな春の青にも負けない、深く透明な青色。
 今まで散々見つめて来た筈なのに、オレはその色に今始めて気づいた気がした。

 冷たい風がオレの髪を、頬を揺らす。すぐ前に立ち尽くす奴の髪も、相変わらず足元まである春色の長いコートも優しく揺らす。ポケットに手を突っ込んで押し黙り、ただオレを見ているだけなのに、その姿はまるで一枚絵の様に酷く綺麗に目に映った。

 不意に、オレを睨むように見つめていた奴の瞳が軽く瞬きをする。
 その瞬間、オレの背後にあった桜を見あげる青が……
 

 ── 濡れて、揺れた気がした。
 

 
 

「あいつ今日本に帰って来てんの?」
「……ああ、うん。そうだよ。一週間位こっちに居るって言ってた」
「へぇ、相変わらずお忙しい事で。今何やってんだっけ?」
「外国の大学に通ってるよ。世界一の電子工学専門私立大学」
「うげ。あいつまだ学校なんて行ってんのかよ、物好きだねぇ。いい加減社長業に専念しろっての。てめぇは技術者かってんだ」
「好きでやってるんならいいんじゃない?」
「そりゃーそうだけどよー。見ろよあの身体。学ラン着てた時よりも一回りくらい薄くなってねぇ?頭でっかちのモヤシくんはカッコ悪ぃぞ。少しデュエルでもして息抜きしろって言ってやれ。そういや最近は大会とか主催しねぇな。飽きちまったのか?」
「……どうだろうね」
 

 遊戯の通う大学の学生食堂。丁度昼飯時の午後12時。オレは午前の授業を終えた遊戯と一緒に昼休みを過ごす為に、直ぐ近くの職場からこの学生食堂に出張してきて一番隅の席を陣取って待っていた。

 この大学は割と自由な学校で、どうみても学生じゃない連中がうろうろしてても特に何も言われない。流石に授業に混ざる事は出来ないしする気もないけど、周囲の食堂の半値で結構美味いものが食えるこの学食や、全ての商品が安い学生生協なんかはよく利用させて貰っている。

 今日も今日とて200円の定食目当てに食券を手に既に顔なじみのオバサンの元に向かい、ご飯とおかず山盛りのスペシャルランチを受け取って、食いながら遊戯を待っていた。午前の授業が少し長引いてるんだろうか、いつもの時間を過ぎても余り生徒が入って来ない。あー遊戯も遅いのかな、なんて思いつつ、オレはなんの気無しにすぐ側にあるテレビで流れる昼のニュースを眺めていた。
 

 そうしたら、画面の向こうに見慣れた男の姿を見つけた。
 

 いや、正確に言えばその表現は少し違う。
 見慣れていたはずだった男の、なんとも奇妙な姿を見ちまったんだ。

 どう見ても偉く目立つ白のスーツにブルーのネクタイ。日本人離れした純正の栗色の髪に青い瞳。無駄にデカイ身長は横にいるインタビュアーを軽く超越し、圧倒しているのは今までと変わらない。

 けれど、余り覇気のないその表情や、答える声の静けさ、白スーツを着ている所為だけじゃない線の細さ、そして時折見せる本人は笑顔のつもりの歪んだ口元が酷く不自然だった。それを一言で言い表すとすれば、精気のない、抜け殻と言った表現がぴったりだった。
 

 ……オレは思わず握っていた箸すら落して、その姿に見入っていた。
 

 なんだ?一体どうしちまったんだよ海馬。あの無駄に尊大で馬鹿丸出しのむかつく態度はどうしたよ?なんでお前、そんな今しがた退院してきた病人みたいな姿になってんの?……すげぇ気持ち悪いんだけど。

 コロコロとテーブルの上に箸が転がり、それを床に落ちる寸前のところで別の手に受け止めて貰った事にも気付かねぇで、オレは暫くテレビに釘付けになっていた。ある意味すげぇショックを受けたんだと思う。

 ……何に対してのショックかは、分からなかったけれど。
 

「城之内くん!」
 

 不意にオレの真向かいから聞き慣れた声が響いて、オレは慌ててテレビからその場所へと目線を移す。すると目の前に落した箸を差し出しつつも怪訝な顔をしてオレを見る遊戯が何時の間にか座っていた。その手には一口大のオムライスを乗せたスプーンが握られている。

「あれ、遊戯?お前いつここに来たんだよ」
「今だよ。城之内くんってば何回呼んでも返事しないんだもん。テレビなんか観て、面白い番組でもやってるの?」
「内容は面白くねぇけど、映ってる人間が面白いなーと思ってよ……ほら」
「……!!海馬くん……」
「ちょっと見ねぇ内に変わったな、あいつ。一瞬誰かと思ったぜ」
「………………」

 オレが遊戯から箸を受け取りながらなんの気無しにそう言うと、遊戯は一瞬複雑な顔を見せて、さっきのオレと同じ様に画面の中の海馬をじっと見つめて動かなくなった。それから少し話をしたけれど、どんな話にも奴は余り敏感な反応を示さない。いつもは何を見ても聞いてもオレの話に即座に乗ってくるのに、今は一応受け答えはするけれど、意識は確実に目の前のテレビに向かってる。

 その態度がまるで「話しかけないで」と言ってるみてぇで、オレは自然と黙りこんだ。

 ……テレビの中の海馬も変だけど、遊戯もなんか変だ。本当に、一体どうしちまったんだよ。

「なぁ、遊戯」
「あ、ニュース終わっちゃったね。何?」
「お前やけに海馬の事詳しいけど……最近会ったのか?」
「……え?うん。昨日会ったばかりだよ」
「知ってたのかよ」
「何が?」
「いや、海馬が日本にいるって事をさ」
「知ってたって言うよりも、教えて貰ったんだ、モクバくんから」
「モクバから?」
「そう。僕達、たまにメールのやりとりしてるんだよ」
「そっか」
「うん」

 だからなんだ?とオレはこの時点で自分に突っ込みを入れたくてしょうがなかった。今までその存在を思い出す事すらしなかったのに、何を突然気になんかしちゃってるんだよ。一年ぶりに見た、あの姿が余りにも変わってたから?それとも遊戯がオレの知らない所で、何時の間にかあの海馬と繋がっていたから?……よく分かんねぇ。

 そう思いながら、オレは別のワイドショーが始まってしまったテレビから目を背け、目の前で普通にメシを食う遊戯をも通り抜けて、窓の向こうに見える満開の桜の木に目をやった。

 そこここの家や町のあちこちにある並木道を埋め尽くすこの桜は丁度今が一番の見ごろで、職場でも今週末に盛大に花見をやるとかオッサン達が騒いでいたっけ。つい一年前の事なのにすっかり忘れちまってたけど、去年の今日は高校の卒業式だった
 

 そう言えば、あの卒業式の日も、よく考えたらあいつは少し変だった。
 

 あの日、奴は一回も笑わなかったんだ。あの日だけじゃない。卒業前の数ヶ月間、ずっと……笑う姿を見た記憶がない。

 勿論元々人に笑顔を見せるような男じゃない。オレがいう「笑う」って言うのは、人を小馬鹿にするあの憎たらしい笑顔や、高笑いも含めての話だ。それ所か、声すらも満足に聞いてなかった事を思い出す。表情の変化すら思い出せない。

 よくよく考えてみればすげぇ不自然だった。前は殆ど喧嘩腰だったけれど、それこそ顔を合わせれば怒鳴りあっていたはずなのに。

 最後に卒業生代表で答辞を読むあの姿は今まで散々奴を馬鹿にしていたオレでもちょっと真面目に見ちまった程、なかなか様になっていた。けれど今思えば、あれすらも何処か異様だった気がする。何がどうとは言えないけれど……何かが違ってた。そんな気がするんだ。

 オレは海馬の事なんて別にどうでもよかったし、気にした事もなかったからよく分かんねぇけど。あの時期に何かがあったんだろうという事位は分かる。分かったからといって、どうなるもんでもないんだけどよ。

 でも、なんか気になるよな。あんな姿を見ちまったらよ。他の仲間は、目の前の遊戯を含めて何一つ変わらない毎日を過ごしてるのに、一人だけ……。
 

「ごちそうさま!あれ、城之内くん、ご飯まだ残ってるよ?」
「へ?あ、ほんとだ。おかしいなぁ、全部食ったと思ってたのに」
「城之内くんが食事中にぼうっとするって珍しいね。何か、考え事?」
「や、別に。なんでもねぇよ。あ、桜が綺麗だなーと思ってよ」
「……あぁ、桜かぁ。もう、満開だね」
 

 何時の間にかオレよりも大分後に食い始めたはずの遊戯の皿はすっかり綺麗になっていて、まだ半分残っているオレの定食を眺めて不思議そうな顔をしている。……食う事も忘れる位奴の事を考えるとかマジおかしい。一番どうかしてんのはオレじゃねぇか。

 そう心の中で悪態を付きながら、オレは箸を持ち直して残りを急いで口の中につめ込みながら、ごまかすように桜の事を口にしてみた。すると、途端に遊戯の顔が曇る。それがまた、オレに不自然な印象を与えてしまう。
 

『ごめん、皆。先に帰ってて。僕ちょっと寄り道するから』
 

 あぁ、そう言えば。あの日遊戯はそんな事を言って、オレ達と一緒に帰るのを断って、一人教室に残ってたっけ。そしてあの後、既に夜になってからちょっと暗い顔をして帰ってきて、馬鹿騒ぎするオレ等に合わせながらも、そんなに楽しそうにはしていなかった。
 

 全部、思い出した。不自然だったんだ、何もかも。

 だからと言って、オレがあの日の事を知る術はない。誰かと何かあったのかも知れないけれど、その「誰か」も「何か」も分からないし、ただの思い過ごしかもしれない。全て推測の範囲内だ。けれど確実に何かが遊戯にはあったんだ。そして今も、その事を引きずっている……ような気がする。
 

「大学で、花見はしねぇのか?」
「うん、するよ。学校の桜でね。先輩達と飲み会があるんだって。城之内くんは?」
「オレもある。今週末に中央公園あたりでやるんじゃねぇの」
「そっか。……でも僕、本当にお花見をしたいのは、友達とじゃないんだ。けど、その人は桜を見る勇気がないって言って、付き合ってくれないし……仕方ないよね」
「え?誰の話だよ。お前、彼女でもいんの?」
「いないよ」
「じゃあ……」
「僕、凄く桜が好きなんだ。だからその人にも、桜を嫌って欲しくない……ううん。僕を……嫌って欲しくないんだ」
「………………」
「あれ、もうお昼終わっちゃうね。城之内くん、急がないとまだ怖いカントクに怒られるよ?僕も授業が始まるから、もう行くね」
「遊戯」
「近いうちに皆でお花見しようか?本田くんや杏子も誘ってさ。今週の日曜日位までは持つよねきっと。後でメールするから」
「おい、待てよ!」

 遊戯!と呼びかけた声に、少し早足で遠ざかるその背中は振り向いてはくれなかった。オレには奴が誰の事を言っているのか、さっぱり検討がつかなかったけど、きっと「その人」は遊戯が桜を見た瞬間に顔を曇らせる原因となっている人物なんだろうと、そう思った。

 オレは無意識に小さな溜息を一つ吐く。そして窓から見えるあの桜を一度だけ凝視して、ゆっくりと席を立った。
 

 
 

「春っつっても寒いっすねー!夜風が身に染みる〜」
「まだ三月だもんな。これから直ぐに暑くなるって。しかし一年は早いよなぁ。桜なんてこの間みたばかりだと思ってたのに。若い時っていうのはあっと言う間だから、今のうちに精々楽しんでおくんだな、城之内」
「先輩が言うと現実味がありますね」
「はは、まぁな。だってお前、結婚して子供でもできてみ?金は全部取り上げられて、生活費へと消えていく……自分の楽しみなんてなーんも無くなるんだぜ」
「そりゃー先輩の努力が足りないからでしょ」
「何をぅ?オレの何処が努力が足りないってんだ!」
「とりあえず、パチンコやめた方がいいですよ。オレ、もう金貸しませんから。今週末の飲み会代、ちゃんと奥さんに頭下げて貰ってきて下さいね」
「こ、殺される!頼む城之内!」
「嫌です。自業自得っしょ。じゃ、オレはここで。また明日!」

 夕暮れの童実野町中心街。そこから一本外れた地下鉄の駅に向かう為に、オレは職場の先輩と別れ……というよりその場に置き去りにして、狭い路地へと身を滑らせた。背後で奴が何事かを叫んでいるけど全部無視する。パチンコで定期代も全部使っちまう馬鹿には付き合っていられない。ま、なんだかんだ言って憎めない奴なんだけどよ。

 路地を抜けると、そこは飲み屋や料亭、旅館がひしめくちょっとした歓楽街だ。歓楽街といっても居並ぶのはその辺の店とは一桁も二桁も値段の違う高級な店ばかりで、所謂お偉方ご用達のエリアという事になる。今日も今日とて黒塗りの車がずらっと路肩に並んでいて大盛況だ。

 ……あー一度でいいからこんな所で皆に頭を下げられながら、綺麗な芸者さんでも傍らに美味いご馳走をたらふく食ってみてぇなぁなんて、毎日夢を見ながら通っている。所詮夢は夢だからこそいいんだけどよ。

 今日の晩御飯は何にしよう。コンビニの弁当は食い飽きたから、スーパーの賞味期限ぎりぎりの赤札惣菜を物色して済ませてしまおうか。……そんな事を考えながら、オレは駅へと続く地下通路の入り口階段に足を踏み入れようとしたその時だった。

 何気なく通り過ぎた見慣れた料亭の一角。そこにオレは驚くべき姿を見つけてしまった。

 ガタイのいい黒スーツを着た男数人を従えた、薄いベージュの春コートに身を包んでいるものの、その合間から見える嫌という程目立つあの白スーツ……どこからどうみてもあれは海馬だ。無表情な顔をして、つまらなそうに佇んでいる。

 ……そういや今日本にいるんだもんな。日本に来たら来たで色々付き合いっつーもんがあるんだろうな。大企業の社長さんだもんな。未成年とは言え、こういう所に普通にいてもおかしくはねぇか。けれど、なんかやっぱり雰囲気が違う。

 前にもホテルで見かけた事はあったけど、あんな風にやる気のまるでない表情でぼーっと立っていたりなんかはしなかった。背筋をぴんと伸ばして、まるで全てのものを見下すような偉そうな態度で腕を組んで堂々とそこに存在していた。

 相手である海馬の3,4倍は年上だろう相手にも全く怯む様子はなく、さも自分の立場が上だと言わんばかりに接していた。あの海馬と、今の海馬のその違いは鮮やかだ。

 ……本当に、一体どうしちまったんだよ。

 そんなんお前らしくねぇだろ?外国に行って腑抜けちまったのか?それとも……何かあったのか?

 そう聞かずにはいられない程、その姿は異様だった。テレビの中にいたあの時よりも眼前に佇む本物の姿は深刻だ。周りの喧騒がまるでノイズのように聞こえる。オレの足は、階段に向かう形のまま完全に止まってしまった。このまま、気にしないで通り過ぎる事なんか出来なかった。

 声をかけようか、と一瞬惑う。けれどここにいるという事は、これから会食か何かの約束があるのかもしれない。下手にオレが近づいても、無視される可能性だってある。それでも、話すだけなら少し位なんとかなるんじゃないか。そう思ったオレは、勇気を出して奴の下へと近づこうと踵を返して、反対方向へ歩き出そうとした、その時。
 

 海馬の目が、オレを見た。

 そして驚いた顔をして、口だけで「城之内」と呟いた。
 

 
 

「不景気なツラしてこんなところにいるんじゃねぇよ。社長さんはお仕事ですか?」
「いや、もう終わった。これから帰る」
「な、ここの店、美味い?」
「知らん。一口も食べていない」
「なんだそれ。勿体ねぇ。高級料亭でメシ食わないとかどんなバチ当たりだよ」
「煩いな。貴様こそこんな所で何をしている」
「オレはそこの地下鉄の駅の利用者なんです。仕事終えて帰るところ」
「そうか。ならばとっとと帰れ」
「一年ぶりにあったクラスメイトに言う言葉がそれですか?折角だから少し話しようぜ。もう終わったんだろ?時間あるだろうが」
「貴様と話す事などない」
「なんで?遊戯とは話をして、オレとは話す事はないってか」
「……遊戯?」
「昨日、遊戯と会ったんだろ?」
「会ってはいない。勝手に押しかけて来ただけだ」
「同じじゃん。オレにも時間くれよ。ちょっとでいいから。あ、桜が綺麗だからすぐそこで花見でもする?」
「!……いい。帰る」
「いいから。あ、じゃ、ちょっとだけ海馬借りてくぜ。すぐ返すから」
「おい、凡骨!」

 あの後直ぐ、オレが海馬のところで駆けて行って、驚く奴の顔を正面に捉えながらオレは思わずその肩に手を伸ばして掴んじまった。途端に奴の側にいたSPがさっと小型小銃を突きつけて来たけれど、海馬が視線で制しつつ、オレの事を知りあいだと言ってくれて事なきを得た。……つーかお前等この何処をどう見ても善良な若者に何物騒なもん突きつけてんだ。ふざけんなよ。

 そのままそこでちょっとだけ会話を交わして、海馬の様子が思った以上に変な事が分かっちまって、オレはやっぱりこのままこいつを放置して帰る事が出来なくなっちまった。余計なお節介だってのは十分に分かってるんだけど、何処をどう見ても肉体的にも精神的にも不健康そのものの喧嘩相手を置いてはいけねぇだろ。大体気持ち悪いんだって、マジで。

 案の定、極端なほどオレを避けようとする仕草を全部無視して、オレは奴の了承も周りの了解も得ないで勝手に海馬の腕を掴んでその場から連れ出した。……他人に聞かれながら話すのってなんかアレだし、ここの場所自体落ち着かねぇんだよ。オレめっちゃ浮いてるし。

 オレがぐいぐいその腕を引っ張って歩き出すと、最初は抵抗らしい抵抗をしていたものの、海馬はすぐに諦めたらしく力すら込めないでオレの後をついてきた。……以前ならここで蹴りだの右ストレートだの容赦なく飛んで来る筈なのに、罵声の一つすら降って来ない。異常事態だ、絶対。

「……なぁ」
「なんだ」
「お前、なんか変わった?」
「何が」
「いや、何がっつーか。全体的に」
「別に」
「嘘だろ」
「貴様に嘘を吐いて何の得になる。そもそも貴様には関係のない話だ」
「……そりゃ、そうだけどよ」
「大体突然なんだ?何故いきなりオレに近づいてくる」
「……クラスメートだし、一応仲間だっただろ」
「誰が」
「誰がって……お前にその認識はないわけね」
「当たり前だ。オレは貴様等と……否、誰とも……仲間になった覚えなど、ない」

 歩きながら前と同じ様に話をしても、返答全てに覇気がない。言葉には棘があるのに、棘の先に鋭さはまるでなかった。それは力の抜けた腕と同じ様に、オレの中に重い違和感を植えつけていく。冷たい夜風にかき消されてしまいそうなその声は、海馬の声であるはずなのに、何故か違うもののように聞こえた。

 暫くして、オレ達はあの料亭から少し離れた、小さな児童公園の中へと立っていた。公園といえば桜の木が付き物で、こんな小さな公園でもその片隅には大きなソメイヨシノが一本存在していて、満開の花をつけていた。

 一応花見の名目をつけていたオレは、その前に立ち桜を振り仰ぎつつ海馬を見る。海馬は、桜を見ようとはしなかった。

「それで、何かあるのか」
「何かって?特に何もねぇけど……」
「なら、何故ここに来る必要があった」
「花見。さっきの料亭には桜、なかっただろ?」
「………………」
「日本人なら桜をみなくちゃな。お前んとこ……どこだか知らねぇけど……外国だから桜ねぇんだろ。今のうちにたっぷりみとけ。オレは毎日見てるからいいんだけどよ。ほら、すげぇ綺麗じゃん」

 もう一度、桜を見る。

 風に吹かれて花弁を少しずつ振りまくその姿は、余りそういうものに関心がないオレでも素直に「綺麗」という言葉が出る。な?そう言って、再び海馬を振り向いた時、オレは……絶句した。

 海馬は桜ではなくオレを見ていた。まるで、それ以外のものを見つめるのが嫌だというように、じっと、オレだけを見つめていた。

「……あのなぁ。オレじゃなくて、桜を……」
「オレは、桜は嫌いだ。見たくない」
「え?」
「だからもう、二度とオレに花見をしようなどと言う馬鹿げた事は言うな」
「何言って」
「もう用はないのだろう?帰っていいか?」
「ちょっと待てよ!」
「貴様も遊戯も日本人なら桜を見ろなどと下らん事を口にするが、オレには関係のない事だろう、ふざけるな!」
「な、なんで怒るんだよ?!」
「………………」
「海馬!!」

 静かな公園にやや大きく響いたその声は、本来の海馬のものだったけれど、その表情は海馬のものではなかった。

 一瞬、オレから離れて背後の桜を見上げた瞳。
 

 その瞳が、濡れて、揺れる。
 

 そのまま逃げるように走り去って行くその足音を聞きながら、オレは呆然とその場に立ち尽くしていた。何が起きたか分からない。海馬が何に怒り、どうして去ってしまったのかが分からない。

 分からないけれど、それが強烈な印象となって、オレの胸に焼きついた。
 

 ── 春の風に、桜が、揺れる。