Top Secret! Act2

「なぁ、昨日のデュエステ見たか?海馬特集やってたな!」
「見た見た!相変わらず凄いよねぇ、海馬社長。新デュエルディスク開発中って言ってたけどどんなのになるんだろう?凄く楽しみだよ!今の時期に発表って事はクリスマス辺りに発売するのかな?」
「だろうな。また無料配布してくんねぇかなぁ」
「僕はそれよりもデュエルマシンに感心したな。さすがスケールが違うよ」
「めちゃくちゃえげつないタクティクス使ってきてたよなあのマシン。作った奴どんだけ性格悪いんだよ」
「どうして戦術に性格が関係あるのよ。ああいうのは頭がいいって言うの」
「いや違うね!喧嘩でもよ、性格最悪な奴ほど相手をボコボコにするのがうめぇんだよ」
「何言ってんの、喧嘩も技術でしょ。というか、そういう野蛮な事はいい加減やめなさいよね」
「まー全部が運で勝負の城之内にはそう思えても仕方ねぇよな」
「馬鹿にすんな!」

 瀬人がいつも通り昼過ぎに登校してみると、例の集団が昨日放映されたテレビ番組の事で盛り上がっている様子が目に入った。夏前から放映が始まった中高生デュエリスト向けの情報番組『デュエルステーション』の事である。KCが主体となって企画制作を手がけた甲斐があり、夕方の早い時間帯にも関わらず視聴率がゴールデンタイムのソレを軽く超越したと耳にしている。その数字を目にした時、瀬人は一瞬目を疑った。どう考えても中高生だけで賄えるような数字ではなかったからだ。

 一体何事かと理由を問い合わせてみれば、視聴者の大半がデュエリストとは関係ない一般人だという事が判明した。そして、そのお目当てはほぼ瀬人本人だというのだ。これにはさしもの彼も開いた口が塞がらなかった。

『兄サマはあんまりよく分かってないのかもしれないけどさ、「海馬社長」の人気って凄いんだよ。この間友達の家に遊びに行った時、デュエステ一緒に観たんだけどさ、友達よりもそいつの母さんが熱心にテレビに噛り付いてた位なんだぜ?毎回録画もしてるんだって。特に兄サマがメインで出てる回とか半端ないって磯野も言ってた』

 呆然とした体でモクバにそれとなく話してもこの反応である。一体何の為の番組か分かったものではない。だが、結果的にKCの利益に繋がっているのだから良しとしなければならないのだろう。

 それにああして海馬瀬人本人よりデュエルの事を話題にする人間も少なからずいるのだし、まぁ我慢してやるか……と瀬人が自席に着きながらそう思っていたその時だった。

「でも、海馬社長本当に格好よかったなぁ……」

 溜息を吐きながらうっとりとそう呟いた遊戯に、瀬人はその後頭部を叩いてやりたいと心底思った。知らず握りしめた右手を机の下に隠しながら怒りに震えていると、視線を感じたのかいきなり後ろに顔を向けた遊戯が瞳を輝かせながら立ち上がり、こちらへと駆けてくる。嬉しそうな表情は今の瀬人に向けたものだが、少し赤らんだ頬はきっと海馬瀬人に向けたものだろう。それに余計腹立たしさが増幅するような気がして、瀬人は思わず目の前に来た彼の頬を抓んでしまう。

「あ、瀬人くん!今来たの?!おはよ……っていたたたた。いきなり何?!」
「ニヤニヤしながら近寄ってくるな。気色悪い」
「に、ニヤニヤなんかしてないよー。ちょっと手を放して!本当に痛いから!」
「ふん」
「もー顔に似合わず乱暴なんだから……。なんでご機嫌ななめなのさ……」

 酷いよ……と涙目で呟きながら抓られた頬を必死にさするその姿を見上げながら、瀬人は鼻白みつつ口を真一文字に結んでしまう。一番の不機嫌の理由は件の番組を見当違いな観点から評価された事だったが、単純に『海馬瀬人』を褒められた事も気に入らない。そもそも遊戯は『海馬瀬人』に憧れている為当然の反応なのだが、癪に障って仕方がないのだ。

「お前達は、寄ると触るとすぐデュエルだな」
「あ、僕達の話聞いてたの?」
「あんな大声で話していたら聞きたくなくても聞こえてくる」
「そんなに大きな声で話してたつもりないけど……うん。昨日の番組がね、凄く面白かったから」
「また『海馬社長』か」
「ち、違うよ!確かに昨日の海馬社長はカッコ良かったけど……!」

 そう言ってから「しまった!」という顔をあからさまにして、あたふたと慌てる遊戯に瀬人は再び冷ややかな視線を向けながら頬杖を着く。拍子に眼鏡にさらりとかかった重い前髪が鬱陶しい。特殊な薬剤で染めている分、ほんの僅かにぱさついた感のあるそれを苛立たしげに指で避けて、瀬人は溜息交じりに「もういい」と口にした。

「まぁ、お前の海馬社長好きは今に始まった事ではないしな」
「なんか棘のある言い方だね……」
「別に。何がいいのかさっぱり分からないだけだ」
「それはきっと、瀬人くんがデュエリストじゃないからだよ!デュエリストの間では彼は超有名でむしろ伝説の人なんだよ!」

 なんだそれは、初めて聞いたぞ。と当の本人である瀬人は内心白けながら、再び瞳を輝かせた遊戯に目を細めた。余りにも露骨すぎて考える事も馬鹿馬鹿しいが、遊戯は確実に海馬瀬人に恋をしていた。本人の中での定義はどうか知らないが、傍から見ればその様子は『恋する乙女』そのものだ。城之内辺りからもよくそう揶揄されているので強ち見当違いな見解ではないのだろう。それはよく考えなくても自分に好意を抱かれている、という事だったが不思議と嫌な気はしなかった。元々瀬人はそういった事に対して特に興味も拘りもなかったからである。

 ただ一つだけ。これは先程の感情とも関連する事だったが、好意の対象が『如月瀬人』ではなく『海馬瀬人』という事に大いなる不満を抱いていた。どちらも同一人物には変わりないのだが、『如月瀬人』がなんの取り柄もない一般人であるのに対し、『海馬瀬人』は富と権力で作られた偶像のようなものだからである。勿論血の滲むような努力をした結果勝ち取ったものではあったが、若い時分から私利私欲に塗れた大人連中に揉まれた所為で、瀬人は一種の人間不信に陥っていた。故に『海馬瀬人』に好意を寄せる人間を余り快く思わないのだ。

 そして、もう一つ。こちらは『海馬瀬人』としてだったが、デュエルや経営手腕以外で注目される事を余り良しとしていなかった。事に容姿を持て囃されるのが彼が尤も嫌うところだった。経験上、不愉快な思いを沢山してきた所為もある。だが彼自身で無理矢理納得している通り、最終的にはいい方向に作用するのだから、と嫌々ながら我慢している。

 如月瀬人になる切っ掛けも『海馬』の名前が持つ様々な弊害を(他人に言わせればそれは害ではないのだが)一度払拭したいというのが主な理由だったのである。

 その二つの複雑な感情を呼ぶ原因を遊戯は一緒くたにして瀬人に投げつけてくる。だから頬を抓ってやりたくもなるのだ。彼が嫌がらせでなく純粋な気持ちである分、余計に性質が悪い。けれど事情を話せない以上どうする事も出来ずにやはり我慢するしか術はなかった。

「……ねぇ、瀬人くんもデュエルやってみない?」

 だんまりを続ける瀬人に業を煮やしたのか、遊戯は肩を竦めつつも控えめにそんな事を口にする。この台詞を聞くのも一体何度目だろうか。遊戯だけではない、城之内も同じように自分をデュエリストに仕立てようと躍起になっていた。尤もあちらは遊戯とは全く異なる理由があるようだったが。

「興味がない、と何度言ったら分かるんだ?」
「でも……」
「それで、オレにデュエルをやらせて『海馬社長みたい』とでも言うつもりか?」
「え?」
「下らないな。何度言われてもデュエルなぞしない。もう席に帰れ」
「瀬人くん」
「帰れと言ってるのが聞こえないのか?」

 ほんの少しだけ語気を強めてそう言い放つと、遊戯は仕方なく肩を落としてくるりと背を向けた。酷く理不尽な扱いだとは思ったが感情だけはどうにもならない。まさに「とぼとぼ」といった表現が相応しい歩き方で帰っていく遊戯を眺めながら瀬人はふん、と鼻を鳴らして授業の準備に取り掛かった。
「……んだよ遊戯、元気ねぇな。腹でも痛ぇのか?」

 放課後、たまたまバイトがオフだった城之内の付き合いで杏子が働いているファーストフード店に寄り道をした遊戯は、大好きなハンバーガーを手にしたまま口もつけずに溜息ばかり吐いていた。それをひたすらポテトを食べながら眺めていた城之内はいい加減我慢できなくなりその顔を覗き込む。すると遊戯は漸く自分が今何をしようとしていたのか思い出し、慌てて「そんな事ないよ」と言いつつ未だ包みすら開けていなかったハンバーガーに手をかけた。けれど一口齧ったところで止まってしまう。

「……そういえば本田くんは?」
「今更?聞いてなかったのかよ。あいつ美化委員会の集まりがあるからって早々に消えてただろ」
「そっか……」
「つか、マジで具合悪ぃとかなら無理して付き合わなくていいぜ。早く帰んな」
「違うってば。だたちょっと考え事してただけ。ごめんね」
「そーいやーお前昼過ぎから急激に元気なくなったよな。珍しく瀬人に纏わりついてなかったし。つか、奴もいつの間にかいなくなってたけど。オレが寝てる間に早退したんか?昼から登校したってのに早く帰り過ぎだろ、何しに来たんだよ」
「………………」
「なんで黙るんだよ。あ、もしかしてお前、瀬人と喧嘩でもしたのか?今日ほとんど喋ってなかったもんな」
「喧嘩っていうか……」

 一方的に怒らせたのだ、あれは。その後目も合わせてくれなくなったからそうなのだろう。そういえば今日は登校した時から余り機嫌が良くなかった。5時限目が始まって少ししか経たない内に瀬人は常と同じく控えめに席を立ち、教室から出ていったので体調も万全ではなかったのかもしれない。けれど遊戯にあからさまにつれない態度を取ったのはデュエル発言の直後からだ。だから間違いなく彼の不機嫌の要因は遊戯にある。その事によく考えなくとも思い至ったからこそ遊戯は現在深く落ち込んでいるのである。

「なんか、怒らせちゃって……」
「はぁ?怒らせる程のんびり喋ってなかっただろ。って……もしかしてそれで凹んでるわけ?」
「うん……」
「意味わかんねぇ。怒らせたって大した事ねぇだろ。っていうかあいつしょっ中ツンケンしてるじゃねぇか。そもそも機嫌がいい時の方が少ないんだから気にすんなよそんな事」
「でも、今日はちょっと雰囲気が違ってて……僕も余計な事言っちゃった自覚あるしさ」
「余計な事?」
「ほら、瀬人くんが来る前、僕らデュエステの話してたじゃん。その流れでちょっと浮かれて瀬人くんにもその話をしちゃったんだ」
「あーお前もしかして瀬人に海馬社長がどうのとか一緒にデュエルやろうとか言ったんだろ」
「……言っちゃった」
「そりゃ駄目だわ。あいつ最近デュエルって聞くだけで拒絶反応起こすからよ!海馬社長なんてもっての外だぜ。なんか知らんけどすっげー敵対視してっからさ」

 そう言って笑う城之内本人にもそれは覚えのある事だった。彼は瀬人に対して遠慮がない分ずけずけと物を言い、現在進行形で盛大に鬱陶しがられている。城之内が瀬人にデュエルを勧めるのは単純に遊び相手が欲しい……というか先輩ぶれる相手が欲しいからだったが、瀬人はそれすらも察しているのか「仮に興味を持ってもお前から教わる事は無い」と言い切られている。

 まぁどちらにしても瀬人がデュエルとそれに付随する様々なものを毛嫌いしているのは明白だった。それにしたって、遊戯をここまで落ち込ませるほど不機嫌になる事もないと思うのだが。

「あいつって見かけによらずガキっぽいよな。すーぐ癇癪起こすしよ。今日のもただの癇癪だって。だから気にすんな」
「でも、なんで瀬人くんはあんなにデュエルを嫌がるのかな……頭もいいし運もいいから、絶対凄いデュエリストになりそうなのに」
「興味ない、の一点張りだよな」
「カードゲームが嫌いな訳じゃないんだよね。トランプとかUNOとかめちゃくちゃ強いし」
「ガキの癖にガキっぽい遊びが嫌とかなんかな」
「でも、プロデュエリストは大人だよ?今じゃ立派なスポーツ扱いじゃん。そのうちオリンピックの種目になるかもって噂も聞くし」
「うーん……こればっかりはなー。瀬人本人じゃないとわかんねーだろ」
「勿体ないなぁ……瀬人くんがデュエルディスクつけて戦ったら絶対にかっこいいのに」
「つか、デュエルがスポーツ扱いっていうんなら、あいつ体弱ぇし、そういう意味で無理なんじゃ……って、え?」
「背も高いし手足も長いし、きっと海馬社長と同じくらいかっこいいよ!」
「?!……いや、遊戯。ちょっと待て」
「何が?」
「なんでそこで海馬社長が出てくるんだ?」

 いつの間にか片手に持ったハンバーガーを潰す勢いで握り締め鼻息も荒くそんな事を言う遊戯に、城之内は若干引き気味になりながらストップをかける。……前々から思っていたのだが何故遊戯は海馬社長に対してこんなにも熱くなるのだろう。否、熱いどころか熱狂していると言ってもいい。

 昼間のデュエステ話の時もそうだったが、その様は最早人気アイドルに傾倒している所謂ドルオタと呼ばれる連中と一緒だと城之内は思う。スマホやパソコンのデスクトップ壁紙は勿論、海馬社長が出演するテレビ番組の全録画から始まって雑誌の切り抜きの果てまで大事にしている様をみるに恋でもしているのではないかと思う始末だ。

 確かにその辺のモデルと比べても遜色ないほどの容姿を持っている彼の位置づけはアイドルのそれに近いものがあったが、如何せん男である。間違っても男がうっとりしながら語るような相手ではない(が、男性ファンも相当数いるというのは事実である)。

 けれど遊戯は目を潤ませつつ頬を染め、熱く熱く海馬社長の事を語るのだ。

「な、なんでって……」
「結構前から思ってたけど。お前、ほんっとに海馬社長の事好きな。女の話より熱心じゃねぇか」
「そんな事、」
「もしかしてマジ惚れしちゃってたりして。あんな、いっくら顔やスタイルがいいっつったってあいつは男だぞ?」

 余りに余りな遊戯の様子に城之内は半分真面目にそしてもう半分はからかうつもりでそう口にしたのだが、すぐに言わなければ良かったと後悔する羽目になった。何故なら相手である遊戯の顔が思い切り歪んで伏せられてしまったからだ。

「え、あの……遊戯?」
「……そうだよね。海馬社長は男の人だし、こんなのって変だよね……」
「や、変っていうか……なんていうか……」
「でも、凄く好きなんだ……」
「はぁ?!マジで?!」
「マジだよ!!」

 ほとんど悲鳴のような声で放たれた台詞に城之内は文字通り目を丸くした。遊戯の返答は余りにも予想外すぎてうまく飲み込むことが出来ない。否、なんとなくそうじゃないかなぁ、くらいには思っていたのだ。だが、まさか本気であり得ない人物相手に恋をしているなどとは思わないではないか。仮にその相手が男でも身近な人物ならまだ理解できなくもない。だが、彼が想っているのは常に画面を通した向こう側にいる、正体不明の世界的有名人なのだ。これにはいかな親友といえどもどうすることも出来やしない。

「ご、ごめん。興奮しちゃって」

 数秒の重苦しい沈黙の後、先に我に返ったのは遊戯の方だった。自分がかなり興奮していた事に気付いたのだろう 。彼は小さく肩を上下させて呼吸を整え、少し乗り出していた体勢を元に戻して近くにあったコーラを飲み干した。そして居心地悪そうに残りのハンバーガーを食べきった後、恐る恐る城之内の顔を覗き込む。

 対する城之内はその視線に応える言葉を未だ思いつかずにいた。全く、話がとんでもない方向に行ったものだ。些細な軽口がこんな大事に発展するなど予想外にも程がある。

 それにしても……遊戯はあの男のどこがそんなに気に入ったのだろうか。ただの憧れが恋心に発展することは良くある話だがそういう類の感情なのだろうか。しかし、何故突然海馬社長に矛先が向いたのか。自分達は最初如月瀬人の話をしていたのではなかったか。そうだ、瀬人の話だ。ここはひとまず軌道修正を図ろう。このままでは余りにも気まず過ぎる。

 動揺故に自分でも良く分からない結論に達した城之内は、己を持ち直すために軽い咳払いを一つすると、やや調子を取り戻して「ま、まぁその話はちょっと置いておいて」とジェスチャーを交えて宣言すると、話が脱線する前まで話題を巻き戻そうと瀬人の名前を出してみた。

「元々はなんだっけ?えーと、瀬人がなんでデュエルをしないのか……じゃなくて、あいつにデュエルの話を持ち出して怒らせたって話だったよな。まぁオレもあいつがデュエルしてくれたら嬉しいけど、そこまで嫌がるんなら無理強いも出来ねぇし、しょうがないんじゃね?そのうち興味持ってくれることもあるかもしんねーし。気長に待てば。つか、お前なんでそこに拘るんだよ。デュエルの相手がオレ等じゃ不満なのか?だから頭の良さそうな瀬人捕まえて相手させようとか、そういう事?」

 それはそれで少し悲しい話だったが、実際遊戯のデュエルの腕前は自分達とは大きく違っていた。実家はゲーム屋で、それを経営する昔は凄腕のギャンブラーとして全世界のゲームに勝ち尽くしたという伝説を持つ祖父と共に暮らしている彼は今や賞金のかかった大会にも出場している立派なデュエリストだ。この間も名うてのデュエリスト達が出場した世界大会に参戦し順当に勝ち進んでいた。

 そういえば、その大会で彼は初めて海馬社長と戦ったのだ。惜しくも負けてしまったが、その後暫く上機嫌だったことを思い出す。なるほど、彼との接点はそこだったのだ。……っていやいや、だからそこではなく。

 そんな事を思いながら城之内が自分で自分に突っ込んでいたその時だった。

 軽く唇を引き結んで黙っていた遊戯がおずおずと、けれどはっきりと聞こえる声でこんなとんでもない事を口にしたのだ。

「……あのね、もうこの際だから城之内くんには教えちゃうけど……瀬人くんって、海馬社長に似てると思わない?」
「はい?」
「だから、瀬人くんにデュエルをやって貰えたら嬉しいなぁって……」

 それはアレですか、遊戯くん。海馬社長と瀬人がなんとなく似てるから、似たような事をさせたいって、そういう事ですか。つーかなんですかその表情は。恋する乙女ですか。これは酷い。って事は、こいつ瀬人にも惚れてるんじゃねぇか?や、マジ惚れしてるのは大元の海馬社長なんだろうけど、なんていうかもーあー……

 突っ込みが追い付かねぇ!!そりゃ怒るわ!!

 そうひとしきり心の中でわめいた後げんなりする気持ちを素直に表現しつつ城之内は口を開く。

「……お前まさかそういう感じで瀬人にデュエルやれって迫ったんじゃないだろうな」
「え?どういう感じ?」
「だから、今みたいな態度でだよ。オレは瀬人と海馬社長が似てるなんて全く思わねぇけど、それってもしかしなくても身代りにしようって事だろ。そんなん言われたら誰だって嫌だわ」
「そんな事言ってないよ!」
「言ってなくても言ってるのと同じだっつーの!自覚がないんなら余計悪い!瀬人もそういうの分かってっから機嫌悪くしてんだろ!」
「そ、そんなぁ。僕は純粋に瀬人くんのことも好きなのに……」
「瀬人も好きなのかよ!!」

 そんな事は知りたくなかった。と、城之内はテーブルに顔を突っ伏してしまう。もう何も考えたくはなかった。現実が辛い。

「城之内くん、しっかりして!」
「いや、もう無理。ギブ。てか、これって何?恋バナ?オレら恋バナしてんの、今?」
「そういう事になるの……かな?」

 なるのかな?じゃねーよ。クラスメイトの男の話を恋バナにしないでくれ頼むから。

 名を呼びながら肩を揺すってくる遊戯の手を感じながら、城之内は内心深い深い溜息を吐いていた。そして思い切り足を突っ込んでしまった親友の不毛な恋の行方を憂いて、小さな呻き声をあげるのだった。
 城之内が聞きたくもない遊戯のカミングアウトを受けていた同時刻、瀬人は建付けの悪いスライド式の扉の前で大きな溜め息を吐いていた。そんな彼を数人の子供達が廊下の奥から興味深げに見守っている。その視線をものともせずに瀬人はくるりと踵を返し、待ち人がいる場所へと記憶を頼りにゆっくりと歩き出した。が、程なくして待ち人の方が階段の上から身を乗り出して自分の存在をアピールする。

「兄サマー!お話終わったー?」

 そういうが早いがランドセルをカタカタ言わせながらまるで飛び降りるように上階から降りてきた男子……モクバはその勢いのまま立ち止まった瀬人に体当たりする。その様に先程から瀬人を見守っていた数人の子供……多分モクバの知り合いの小学生達も同時に遠慮がちに近づいてきた。

「やっぱこの人如月の兄ちゃん?すっげー背ぇ高いな!」
「そうだぜぃ!オレもそのうちこの位大きくなってみせるぜ!」
「お前はチビだから無理だろ」
「それにしてもお前の兄ちゃんかっこいいな。この制服童実野校だろ?何年生?」
「二年生。あ、兄サマ。こいつらオレのクラスメイト。いっつも一緒に遊んでるんだぜぃ」
「そうか。いつも弟が世話になっているようだな」
「どういたしまして!」
「オレはもう帰るが、お前はどうする?」
「勿論兄サマと一緒に帰るよ!歩いて帰るんでしょ?」

 友達に背を向けて声には出さず口だけで「たまにはいいじゃん」と言ったモクバは、首だけで後ろを振り向いて「じゃ、そういう事で。また明日な!」と未だに好奇心丸出しの表情でこちらを見ている彼等に別れを告げると、瀬人の右手を掴んで歩き出した。こうなると反論をしても仕方がないので、瀬人も大人しくその後に従う。二人はそのまま校舎を後にし、車が迎えに来る場所まで歩く事となった。

「今日はありがと。学校、大丈夫だった?」
「いや別に。特に必要なものでもなかったしな」
「ねぇ兄サマ。いい加減この辺にマンション買おうよ。オレ、毎回先生に言い訳するのめんどくさいし、自分の家に友達も呼びたいぜぃ。あいつらもさぁ、なんでオレの家には行けないんだって最近ごねるんだ。まさか海馬邸に連れていく訳に行かないしさぁ」
「そうだな。流石に何時までも住所不定では問題があるしな。今お前の担任からも言われてきた」
「今回の先生女だろ?なんか知らないけどスゲー心配されてるんだ。親戚にいじめられてるんじゃないかとか、家事をどうしてるかとかさ!」
「普通はそうだろうな。問題ないとは言っておいたが。アレはしつこいな」
「高校生はそういうのなくっていいよなぁ。あ、でもさ、書類上住所とか必要じゃない?どうしてるの?」
「磯野の住所を勝手に借りている」
「……良くバレないよね、それで」
「学校の人間が直接訪ねてくる事も住所が他人にばらされる事もない。個人情報厳守の世の中だからな」
「でも万が一って事があるじゃん」
「分かっている」

 その言葉に約束だぜ?と念を押すモクバに軽く頷くと瀬人は再び溜息を吐く。彼が今日、午後からの授業を早退したのは、モクバの学校から呼び出しがあったからだ。本来なら保護者役の磯野が行く予定だったが会社で小さなトラブルがあった為、仕方なく瀬人本人がこちらへと出向いたのだ。

 呼び出しの理由は『担任を呼べる家がない』という密かな理由から拒否し続けていた家庭訪問の事だった。大半の生徒が5月のうちに終えてしまうそれをモクバだけ『家庭の事情』を盾にして先延ばしにしていたのだが、ついに教師の堪忍袋の緒が切れたのか「家に招かなくてもいいから面談をしろ」と強制的に呼び出されたのだ。

 モクバは問題児ではないので面談の内容自体は至って普通だったが、家族構成が兄と血縁者でもない磯野という保護者だけという点、そして未だにはっきりとした住所が提出されない事への不信感を滔々と語られてしまった(モクバも安全上如月姓を名乗っているので戸籍も住所も不明のままになっている。尤も『海馬瀬人』には兄弟の存在が不明なため、本来なら隠す必要もないのだが)。

 ネグレクトや虐待を筆頭とする不遇な子供が多い昨今、こんな状況では不審に思うなという方が無理な話で、瀬人は取り敢えずできる限りの説明をして、ひとまず担任の理解を得ることはできた。最後に住所の提出を約束させられ、漸く解放された次第である。というわけで、モクバに言われるまでもなく『如月兄弟用』の住居の確保は最優先事項となったのだ。

「買うのは何でもいいのだが、場所を何処にするかだな」
「できれば学区内がいいなぁ。あんまり遠いと、まーた『どうやって通ってるの?』って突っ込まれるから」
「なるほど……では、そう手配させよう」
「あ、でも。兄サマの高校とか会社から遠かったりするとアレかなぁ」
「オレの事は気にしなくていい。何の問題もない。そもそも使う機会もそうないだろうしな」
「えー。せっかくの隠れ家なんだからもっと有効に使おうぜぃ!たまに二人で泊まったりしようよ」
「お前はそれがやりたいだけだろうが」
「あ、バレた?でもさ、兄サマだって友達呼ぶ事とかあるかもしれないし、絶対使うって!」
「……友達?」
「そうだよ。あ、そういえばこの間の大会で兄サマ相手に踏ん張ってた奴いたじゃん?あいつ確か同じ高校じゃなかったっけ?なんていう名前だっけ。えーと……むとうゆうぎ、だったかな、そいつとか!」

 モクバがそう言った瞬間、瀬人の脳裏に忘れかけていた遊戯の言動が思い出され無意識に口の端が引き攣った。同時にそこはかとない怒りまで湧いてくる。海馬瀬人に憧れ、カッコいいとか好きだとか、挙句の果てに自分にまでそいつの真似ごとをしろだとか(本人だが)思い返すだけで腸が煮えくり返る気がする。そこまで考えて、ふと何故自分はこんなに腹を立てているのか、と今更ながらに疑問に思った。これではオレの方が奴に好意を抱いているようではないか、と。

「兄サマ?どうかした?」
「……いや、別に」
「あ、ねぇねぇ。部屋をある程度絞らせたら二人で観に行こうよ。隠れ家って言ってもさ、気に入ったところがいいし!」
「そうだな。土日のどちらかで時間を取って観に行くことにしよう」
「やったー!!隠れ家にはフィギュアとかいーっぱい置くんだ!家だとメイドのやつが掃除の度に弄ってうざいんだ。そういうのの置き場としても凄くいいかも。楽しみだぜぃ!」

 当初の目的とは大分かけ離れてしまったが、隠れ家の事で嬉しそうにはしゃぐモクバに、瀬人はひとまず遊戯の事は外に押しやって目の前の事から片付けようと気持ちを切り替えたその時だった。幸か不幸か、彼は尤も会いたくない人物達に鉢合わせてしまうのである。

「あれ?そこにいるのって、瀬人くんじゃない?」
「あ、ほんとだ。おーい瀬人ー!」

 瀬人とモクバが歩んできた方向と全く逆の方から聞こえてきた声にはっとして顔を上げた時にはもう遅かった。目敏い二人は即座に自分たちの視界に入ってきた瀬人に目をつけ、何故か足早に近づいてくる。逃げるわけにもいかず、瀬人はなんとなくモクバを背後に押しやって、不機嫌な顔で眼前に迫る彼らを睨んだ。

「なんかめっちゃ睨まれてるんですけど……」
「……まだ僕の事怒ってるのかなぁ……。あの、さっき途中で帰っちゃったからまた具合悪かったのかなぁって心配してたんだ。家に帰ったんじゃなかったんだね。こんなところで何してるの?」
「お前意外に勇気あるな」
「城之内くんは黙ってて」

 遊戯はある一定の距離を置いて立ち止まりその背後で茶々を入れる城之内を肘で軽く小突いて黙らせると、未だ不機嫌な顔で睨みつけてくる瀬人に向かってそう言った。それに応える声はない。

「……さっきの事、まだ怒ってるの?」
「何の事だ」
「……えっと、その……」
「つかさ、お前の後ろにいる奴、誰だよ。顔似てっけど、弟か?」

 相変わらず素っ気ない態度をとる瀬人に、さしもの遊戯も僅かに怯んだその時、自分は関係ありませんとばかりにジロジロ瀬人を見ていた城之内がいち早くその背後にいる子供の存在に気が付いた。大半が瀬人に隠れて見えないが辛うじて覗く漆黒の髪と、大きいが少々キツイ感じのする黒い瞳が(本来は濃い紫なのだが、光線の加減で黒く見えなくもない)自分たちを睨み付ける男と酷く似ている。故に思わずそう声に出したのだが、城之内の言葉に他の三人はそれぞれ違った反応を示したのである。

「あ、ほんとだ。瀬人くんに兄弟いたんだ?!」
「じろじろ見るな」
「なぁなぁ、そこのお前、今の言葉本当か?オレと兄サマ、ちゃんと似てる?」
「えっ、あーうん。そっくりだな」

 城之内の言葉を受けて遊戯は瀬人の背後を覗き込み、瀬人はそれを阻止するように遊戯の視界を遮ろうとする。が、肝心のモクバが『似てる』発言に感動し、瀬人の腕から抜け出すと喜び勇んで彼らの前へ立ちはだかった。

「おいモクバ……!」
「ね、兄サマ。オレ似てるって言われたの初めてだよ!すっごく嬉しいんだぜぃ!」
「………………」
「うん、凄く似てるよ。初めましてモクバくん。僕、瀬人くんのクラスメイトで武藤遊戯。よろしくね」
「同じくオレは城之内克也な。なんだよ瀬人〜お前兄弟がいるなんて一言も言わなかったじゃねぇかよ」
「何故オレがお前達に自分の家族構成など話さねばならないのだ」
「またそういうつれない言い方する」
「可愛いね。この子小学生?4年生位かな?」
「失礼な事言うなよな!オレは来年中学生だぜぃ!っていうか、お前に可愛いって言われたくな……」

 遊戯の『可愛い』発言に一瞬にして頬を膨らませたモクバは文句を言おうと笑顔を見せる相手にぐっと顔を近づける。が、その時ふと彼の頭に過った事があった。むとうゆうぎ……そう、目の前で自分に微笑むこの男こそが、先日兄相手に善戦したあの『武藤遊戯』だったのだ。

「?……どうしたの?」
「あー!お前があのゆう……むぐっ」

 思い立ったら即口にしなければ気が済まないところは彼がまだ子供たる所以でモクバは思わず反応しようとしたが、それは即座に瀬人に阻止された。鼻から下を掌で塞がれたモクバは慌ててその手を叩いて放せとアピールする。そんな弟を瀬人は華麗にスルーしていかにも面倒くさいと言った風に二人を見た。

「いかにもこれはオレの弟だが。何か文句があるのか」
「いや文句はねぇけどよ」
「ねぇ、モクバくん今何か言いかけてなかった?」
「気にするな。で、何か用なのか?用がないのなら帰りたいのだが」

 これ以上ここにいるとまた要らぬことを突っ込まれたり、モクバがボロを出すかもしれない。とにかく一刻も早くこの場から離れたかった。相変わらずツンケンしている瀬人の態度に珍しく空気を読んだ二人は「いや、別に用はないんだけど」と素直に認め、それ以上何か聞いてくる事もなかった。最後に既に定型句となっている「次はいつ学校に来る?」などのお決まりな会話だけを交わし、じゃあまたね、とすれ違った。が、その直後遊戯はくるりと後ろを振り向き、本当に申し訳なさそうな顔でこう言った。

「あ、待って!瀬人くん、さっきの事本当にごめんね。君が嫌がってるのを知っててあんな事言うなんて酷いよね。反省してる」
「………………」
「もう二度と君にデュエルをやれなんて強制しないから。じゃあ、また学校でね!」

 その瞬間、未だ口を塞がれたままのモクバは再び反応を示したが、それを力で抑え込んで瀬人は目線だけで遊戯を見送った。その彼らの背が見えなくなる頃、瀬人は漸くモクバを開放し、ほっと息を吐く。しかし、今度は弟からの質問攻めに会う羽目になるのである。

「兄サマ、今の話どういう事?デュエルを嫌がってるって?誰が?まさか兄サマの事じゃないよね?」
「……これには訳があってだな……」

 その剣幕にうんざりしながら瀬人は嫌々ながら大まかな事をモクバに説明するのだった。