Top Secret! Act4

「えっ、マジで?来週遊びに行ってもいいの?!」
「うん。今週中に部屋片付けるからさ、来週ならいつ来てもいいぜぃ」
「片付けって、そういやお前引っ越したって言ったっけ?前の家どこか知らないけどさ」
「そ。前の家は学区外だったからさ、学区の中に引っ越したんだ」
「あー。そういやたまに車で来てたよな。学校の前の道路には狭くて入れないようなデッカイ奴!」
「デッカイか?普通だろ」
「いやデッカイって。黒くてなんかカッコよかったし、お前さては金持ちだな?」
「別にそんな事ないし。じゃ、そういう事で。また来週な!」
「おう。あ、川島達にも教えていいか?」
「何人でも構わないぜ!」

 丁度分かれ道になる十字路で、左に曲がった友人が振り向きざまに手を振った。それにこちらも同じ強さで振り返して、モクバは一人口元を緩めていた。『彼等』と友達になってから一年半、漸く自宅に迎え入れる事が出来るのだ。その事がモクバには何よりも嬉しかった。

 瀬人と共に物件を観に行ってから丁度一ヶ月。部屋自体は契約した次の日から住めるようにはなっていたが、モクバが理想とする部屋にする為に随分と手間をかけてしまった。モクバ用に宛がわれた15畳の部屋には自分なりに拘りぬいたインテリアと、当初から宣言していた玩具やフィギュアを飾る棚を設置して、自らの手で少しずつ作っていった。

 勿論一人で全て出来る訳もないので比較的暇がある使用人や磯野に随分と手伝わせてしまったが、この週末でほぼ完成する。完成と言っても後は自宅にあるまだ移動していないフィギュアやゲームを持ってくるだけだったが、一刻も早く部屋を仕上げて友達と……瀬人に自慢したかったのだ。

 瀬人の方はマンションには余り拘りが無いらしく、内見の日以来足を踏み入れてはいなかった。四つある部屋の内の一つがモクバの部屋で残りの二つは瀬人が使用し、最後の一つはゲストルームとなっていて、モクバの部屋は前述の通り自分でしつらえたのだが、他の部屋はどこかのショールームをそのまま移したような無難で面白みのない空間で、それがモクバには不満だった。自分の部屋だけ生活感が溢れすぎていて不自然だし、そもそも瀬人が興味がないのが面白くない。

 海馬邸も確かに自分の家ではあったがあの家には他人が入り込みすぎていて、兄と二人で心置きなく寛げる事は少なかった。その点件のマンションは正真正銘二人だけでいる事が出来る場所である。『誰にも邪魔されない場所で兄と二人だけでゆっくり過ごしたい』というのはモクバの夢でもあったのだ。故に、そんな事はどうでもいいと言わんばかりの瀬人の態度が気に入らないのだ。

(今週末は休んで貰いたいし、兄サマにもマンションの方に来て貰おう)

 友達を見送った後、再び歩き出しながらモクバがそう心に決めたその時だった。前方から見知った二人組が歩いてくる。彼等は互いの顔を見ながら何事かを話していたようだったが、モクバの姿に気づいた途端その見かけには似合わない子供っぽい仕草で手を振って来た。さっきの自分と友達のように。

「おーいモクバ!」
「モクバくん久しぶり!今帰るところ?良かったぁ、間に合って」

 夕日を背にそんな声を掛けてきた二人組は瀬人のクラスメイトでもある、城之内克也と武藤遊戯だった。

 

 

「二人とも、この辺に住んでるのか?良く会うなぁ」
「あー、ボクは商店街の近くだからね。近いと言えば近いかも。でも今日は違うんだ」
「っつーかオレ等お前に会いに来たんだぜ。ちょっと聞きたい事があってよ。……時間あるか?」
「聞きたい事?まぁいいけど、ちょっと待ってて」

 二人に近づいた瞬間両側から挟まれる形で捕まってしまったモクバは話があると詰め寄られ、仕方なくポケットからスマートフォンを取り出して、少し先の大通りで待っている運転手へと連絡した。そして視界の端に見える小さな児童公園に視線を向ける。

「ここだとヘンな奴に絡まれてると思われるから、あそこに行って話そうぜぃ。ったくいきなり来るんだもんな」
「変な奴って何だよ失礼だな」
「突然ごめんね。瀬人くんに連絡する方法が何もなかったからさ……」
「本当は直接お前の家に行こうとも思ったんだけどさ、流石にあそこにアポなしじゃ入れないかなーと思ってよ」
「……オレの家?」
「おう。もうあそこのマンションに引っ越したんだろ?」
「あー、うん」

 最年少であるモクバの歩調に合わせながら奇妙な組み合わせの三人は人気のない公園のベンチに落ち着いた。途中気を利かせた遊戯が自動販売機に寄ってコーラを買ってくれた。いつもは兄に隠れてこっそりと飲まなければいけない炭酸飲料を堂々と飲める事に喜んで、モクバは早速プルトップに手を掛けながら二人の顔を仰ぎ見た。

「で、オレに用って何?兄サマの事?」
「うん。えっと……瀬人くん、半月程学校に来てないからさ。そんなに体調良くないのかな、と思って。心配してるんだ」
「体調……?」
「要するにオレ達は瀬人の顔が見たいわけ。お見舞いって奴?」
「お見舞い……ああ!」

 だから家に行こうとしたんだとこちらもコーラを片手に息巻く城之内に、モクバは漸く彼等が何の目的で自分の元に訪ねて来たのかを理解した。同時に随分前に兄に耳に胼胝が出来る程言い聞かせられた事も思い出す。

『いいかモクバ。オレが高校を欠席する方便は全て体調不良だ。如月瀬人は病弱という設定にしてある。万一誰かに如月の動向を尋ねられた場合、その事を頭に入れて上手く誤魔化しておけ。それが崩れてしまうとその後の行動が酷くやりにくくなるのだ。わかったな?』

 事あるごとに似たような文言で繰り返されたその台詞を思い出し、モクバは心の中で笑ってしまう。その時の瀬人の態度と来たら、偉そうな上になんだか楽しそうだったからだ。

(あんなに元気一杯な態度で言われてもちっとも心に響かないよ兄サマ)

 これまでの経験から不自由さしか感じない様に見えるが、そんなに別人を装うのは楽しいのだろうか。ある意味自分も偽名を使っている時点で本当の自分とは言えないのかもしれないが、兄程周囲を偽っている訳ではないのでその利点が理解できない。まぁ、でも。確かにこんな事は海馬瀬人では出来ないのかもしれない。こんな風にクラスメイトに欠席を普通に気遣って貰えるような学生生活は。

 そこまで考えてモクバは素早く頭を切り替えて、二人の問いに対する答えを出さなければならない事に気が付いた。ヘタな事を言うと面倒な事になりそうだが、既にこうして足を運んできているという事は、その内家に……あのマンションまで突撃してくる可能性だって十分ある。そこに磯野か自分が居合わせればいいが、誰もいない所にやってきて近所の住人に声でもかけて実状を詮索されたら厄介な事になる。

 高級マンションと言うのはそこに住む人間もやたらとプライドと自意識が高く、妙な選民意識もあるのかマンション内の人間関係や動向に敏感だった。親のいない謎の兄弟二人組の如月家の事も勿論話題になっているだろう(実際磯野が噂を聞いていた)。『兄の姿が見えない。行方不明か』などと言われた日には不審がられるに決まっている。さてどうするか。

(兄サマにも一定の間隔で来て貰う様にすればいいんだろうけど、面倒臭がるだろうなぁ)

 そもそもマンションを使う事に消極的な兄である。妙な噂を立てられない為にとか、城之内達に突撃された時の事を考慮して、なんて説き伏せた所で嫌な顔をされるに決まっている。だが、よくよく考えてみれば自分達がこんな羽目に陥っているのは瀬人の気紛れが原因なのだ。自分で起こした行動の責任は自分で取る……そんな事を常に豪語しているのなら、多少の不自由や面倒事も嫌がらずにやるべきではないのか。

 そう思ったモクバはふとある事も思い付き、一気に愉快な気持ちになる。これはある意味チャンスなのかもしれない。自分が色々と不満に思っていた事や、やりたいと思っていた事を全て解決する為の。

「……モクバくん?」
「おい、どうした?もしかして、マジで瀬人の奴入院でもしてるのか?」

 モクバが口を閉ざしてから長い時間が経ってしまった所為で、高校生二人組は酷く不安そうな面持ちになってそう声を掛けてくる。それに漸く自分の考えをまとめ上げたモクバは手にしたコーラを一気に飲み干して、出来るだけはしゃがない様にこう言った。

「ごめんごめん。何でもないんだ。えっと、兄サマはちょっと郊外に療養に行ってるんだ。明日帰ってくるからそんなに心配しなくても大丈夫だぜ」
「療養?」
「どこに?」

 実際は海馬瀬人として新事業立ち上げの為ロサンゼルスに飛んでいるのだが勿論そんな事はおくびにも出さず、モクバは「ちょっと田舎の方に……」と言葉を濁すと重ねて体調の方は問題ない、と繰り返す。それにほっと胸を撫で下ろす二人に笑顔を見せて、モクバは続けてこんな事を口にした。

「お前等が良ければだけど、明後日の日曜日なら確実に兄サマも家に帰ってるから顔を見に来てもいいぜ?会うまではずっと気になるんだろ?」
「えっ?!」
「マジで?!行ってもいいのか?」
「うん。学校にいつ行けるのか、オレもまだはっきりは言えないからさ。本人に聞いてみれば?兄サマにはオレがちゃんと言っておくから」

 こうすれば瀬人は嫌でもあのマンションに来なくてはならなくなるし、上手くやれば土曜の夜に泊まらせる事だって出来るだろう。遊戯達が来るとなればあの生活感のまるでない空間を少しは変えてくれるだろうし、自分の部屋だってあのままにはしておかないだろう。そう、今までやりたくてもやれなかった事がここに来て一挙に解決出来るのだ。楽しみで仕方がない。

 こんな事を勝手に決めて多分……否、絶対瀬人には怒られるだろうが、そんな事は全く気にもならなかった。自分が兄に付き合ってやっている様に、兄だって自分に付き合って然るべきなのだ。最近ずっと放置されていた鬱憤をこんな形で晴らそうなどとは瀬人も想像していないだろう。良い薬だ。

「……じゃあ、お昼頃にお見舞いに行ってもいいかな?城之内くんは?」
「オレも行く!お前んちに迎えに行ってやるよ」
「決まりだな。日曜日に待ってるからな!それじゃオレ、そろそろ帰る。またな!」
「えっ、あっ、モクバくん?!」

 遊戯達の返答に満足げに頷くと、モクバは勢いよく立ち上がり、そのまま振り返りもせずに駆けだして行ってしまう。その実、先程から待たせている運転手から催促の電話がかかっていたのだ。そんな彼の事情など勿論知る由もない残された二人は消えゆく背を見送った後、なんとなく顔を見合わせる。

「あいつなんか妙にはしゃいでたけど、なんなんだ?」
「結局瀬人くんの具合が悪かったのかどうか聞けなかったね」
「モクバがあんな調子じゃ大した事ないんじゃね。ま、本人に会えば分かるだろ」
「それもそうだね」
「しっかし今日モクバ捕まえて良かったよな!な?行動あるのみだろ!」

 既にただのゴミと化したコーラの缶をゴミ箱に投げ捨てながら立ちあがった城之内に、遊戯もつられて立ち上がる。そして彼等も帰宅の途につく為に歩き出す。

 途中黒塗りの高級車がその横を通り過ぎたが、漆黒のウィンドウの向こうについ先ほどまで話をしていたモクバが乗っているとは露ほども思わなかった。
「はい。えぇと……来週には行けると思います、すみません」

 初冬の余りぱっとしない真昼の日差しを分厚い硝子越しに見つめながら、瀬人は大きな革張りのソファーに腰を下ろし、聞こえる少し大きめのBGMを気にしながらスマートフォンに向かって若干弱弱しい声でそう言った。その横ではやけに体格の良い黒服の男が厳めしい顔をして何事かをジェスチャーしている。それを片手で振り払い、彼は「では」と会話を切り上げると、相手が通話を切るのを確認してから自らも指をスライドさせた。そしてチッ、と短く舌打ちをした後、漸く男へと視線を送る。

「瀬人様」
「少し遅れるというのだろう。分かっている」
「後、ゲートの方も変更を」
「また妙なのに嗅ぎ付けられたか」
「いえ。モクバ様がお出迎えに来られるとの事でしたので専用の通路を使いましょう。裏の方になってしまいますが人気は全くございませんので」
「モクバが?珍しい事だな」
「二週間ぶりですからね。御帰還をとても楽しみにしておられましたよ」
「そうか」

 そう言って瀬人が目線を外に向けてしまったのを合図に男は直ぐに口を引き結び、すっと側を離れていく。彼等には余り指示は必要ない。必要な事だけを行い、後は極力主人の視界に入らない場所で待機する。似たような役割を持った男が周囲には少なくても五人いる。だがその存在を瀬人は余り意識する事はなかった。

 国内最大の国際空港の広すぎる高級ラウンジの一角。特別に壁で仕切られたその空間はVIPの中でも特に上位のものが使う専用の部屋だった。ホテルのスウィートルーム並の規模を誇るこの場所に案内という名の隔離をされて三十分。既に暇を持て余し気味だった瀬人は、ふと思い立って最近まめに連絡を寄越していた『如月の担任』へと電話を掛けた。

 特に連絡もせずに長期欠席をしていたので流石に心配になったのだろう、一頻り体の事を気遣われた後学期末までの予定を説明され、出来れば一度顔を出せと懇願された。無理ならばこちらから行く、とも言われたので仕方なく来週の登校を約束し、溜息を吐く。本当はもう一週仕事に専念し、アメリカでこなしてきた雑事の後処理をする予定だったが仕方がない。比較的緩やかだった『海馬瀬人』のスケジュールを組み直さなければならないだろう。

 それにしてもここ二週間はまさに目の回るような忙しさだった。アメリカ全土をターゲットにした海馬ランドUSA建設の為の土地の選定や現地企業との事業提携の土台作り。その合間を縫ってデュエル大会のスケジューリングや招待デュエリストの選抜作業、更に最近手を伸ばし始めた宇宙開発事業の拠点作りに奔走した。

 それだけでも疲弊するというのに、その間瀬人には一人で休息できる時間が一秒たりとも存在しなかった。余りにも有名過ぎる海馬瀬人の存在は何処へ行っても注目を浴びてしまい、行くところ行くところで歓声が上がり、無遠慮にカメラやスマートフォンを向けられ、酷い時には直接体に触れられたりもした。いい意味でも悪い意味でも様々な言葉が投げつけられ、何度キレて怒鳴りつけてやろうと思ったかしれない。

 仕事自体は好き好んでしている故全く苦には思わなかったが、この状態には閉口せざるを得なかった。取引先相手に対しても同じような思いをこれでもかとさせられて、最早我慢も限界だった。二週間という期限を設けたのも、この精神的疲弊を考慮してのものだったのだ。

 これだから有名人になるのも善し悪しである。滑走路の空きがなく、プライベートジェットではなく普通の国際線を使わざるを得ない事態になり、仕方なくファーストクラスを貸し切って帰って来たものの全く姿を隠す事は出来ずに一般人の目に触れてしまい、一頻り騒がれた事を思い出してうんざりした気分になる。これならばまだあの馬鹿面を下げた面々と狭く埃っぽい教室内で戯れていた方がましというものだ。

 そこまで考えて、瀬人はふとあの特徴的なつんつん頭の事を思い出した。武藤遊戯。前回大会で圧倒的強さを誇る自分をギリギリのところまで追いつめたあの男。学校ではデュエルの時に見せた闘志の欠片も感じさせず、常にヘラヘラと笑っていて何かにつけては瀬人に纏わりついていた。

 そういえば、あの男とは海馬瀬人の一件で喧嘩まがいの事になったままだった。喧嘩というより瀬人が一方的に気分を害し、長い間機嫌が戻らず無視した状態でアメリカに旅立ったのでそうなってしまったのだが、時間を置いた事で幾分怒りは収まっていた。というか、その事自体を忘れていたので今更不機嫌を蒸し返す気にはなれないというのが正しいのだが、兎に角以前よりはずっと平静な気持ちで遊戯の事を思い出す事が出来た。次に会う時には普通に接してやってもいい。そう考える程度には。

「……武藤遊戯か」

 海馬社長!と自分を憧れの目で見上げてきたあの顔と、瀬人くん、と親し気に微笑んだあの顔。どちらも『自分』に向けられているものだったが、やはり後者の方が好ましく思えた。勿論デュエリストとしての武藤遊戯の事も評価しているし、いずれまた戦う事になるだろう。アメリカで開催する大会の招待リストの中に武藤遊戯も入れておいた。それはそれで純粋に楽しみにしている。……けれど。

 馬鹿馬鹿しい、と瀬人はそこで思考を打ち切った。タイミング良く内ポケットに入れた方のスマートフォンが震える。先程担任相手に使っていたものとは別の機種だ。取り出して、着信者の名前を見ると当時に耳に押し当てる。スピーカーの向こうから聞こえてきたのは元気な弟の声だった。

『迎えに来たよ、兄サマ!』

 

 

「こっちこっち!お帰りなさい!」

 電話を掛けた二十分後。秘密裏のルートを通って無人のゲートから姿を現した瀬人を見つけると、モクバは乗っていた車の中から大きく手を振った。本当は外に出て飛びついて歓迎したかったのだが、幾ら無人とは言えど何処に人の目があるか分からない為、ぐっと我慢をしたのだ。

 そんなモクバの顔を見て、それと分からない程度に手を上げて少しだけ微笑んだ瀬人の姿。周りを屈強な男たちに囲まれてKC社長海馬瀬人のトレードマークになりつつある白いスーツに身を固め、コバルトブルーのトレンチコートを羽織った姿はどこをどう見ても高校生には思えない。というか、普通のビジネスマンにも余り見えなかった。

 これじゃあ正体不明で年齢不詳って言われるよなぁ、とモクバは妙な感慨を受けつつ音もなく開かれたドアから身を滑り込ませた瀬人に無邪気に飛びついた。首筋に顔を寄せると、彼がこのスーツを纏う時に大抵つけているオゾンノートの香りが鼻を掠めた。モクバとしては瀬人本来の匂いの方が好きなのでこの香りが酷く邪魔だった。早く家に帰ってシャワーを浴びて貰おう。そう思いながらぎゅ、と抱き着く手に力をこめる。

 そんな弟の行動を咎めもせず、ドアが閉まると同時に癖の強い黒髪を手で撫でてきた瀬人は「出迎えご苦労」とおどけて言いつつ、思いついたように腕時計に表示された曜日を確認した。

「今日は学校は休みか」
「うん、土曜日だぜぃ。だから兄サマを迎えに来れたんだ」
「オレがいない間、何か変わった事は?」
「会社の方もオレ個人も特に変わった事はなかったよ。いつも通り」
「そうか」
「まぁちょっと、如月くんの方に変わった事があったと言えばあったんだけど……」

 如月くん、というのはこの場合如月瀬人の事を意味している。モクバは穏やかな顔で己を見下ろす瀬人の瞳を眺めながら何時『あの事』を話そうかとタイミングを窺っていた。『あの事』というのは昨日自分を尋ねてきた遊戯と城之内の事である。彼等と勝手に約束したのは明日の日曜日だ。早い段階で打診をしておかないと間に合わなくなる可能性がある。

「奴の方に何かあったのか?」

 自分自身の事なのになんだか他人事のような物言いをする瀬人がおかしくてつい笑ってしまいそうになる。この和やかなムードのままなら、上手く話が運べるかもしれない。そう思いモクバが改めて口を開こうとした瞬間、無情にも瀬人の内ポケットが震えてしまった。モクバの頭から手を離しスマートフォンを取り出した瀬人は、眉間に皺を寄せながら流暢な英語を話し出した。話の内容から察するに少し長くなりそうだった。

 取り敢えず家に帰ってからにしよう。聊か険しい顔で口を動かす瀬人を眺めながらモクバはゆっくりと彼の元を離れると、きちんと座席に座り直した。

 家に着くまで三十分。さて、どうやって兄サマを怒らせないで話をしようか。そんな事を考えながらモクバはちらちらと瀬人の事を眺めていた。