短編集 NO59〜N065

【59】 A puzzle ring -- 09.05.15


「また随分とレトロな暇つぶしを持って来たものだな。貴様には似合わないぞ」
「オレもそう思う」
「わざわざ買ったのか?」
「んにゃ、本田から誕生日プレゼントに貰った。仕舞いこんで忘れてて、昨日押入れ漁ったら出てきたからやってみようかなーって。ほれ、こんなのもある。今こういうレトロなパズルゲームが流行ってるんだってよ」
「なるほど。貴様のお友達は案外優しいのだな」
「どういう意味だよ」
「こんな馬鹿犬でも少しは頭の回転がよくなる様にとこれを寄越したのだろう?」
「ちょ、それって嫌味じゃねぇか」
「あえて言葉を選んでやったのに自分で台無しにするな」
「うるせぇ」
「ふん、貸してみろ」

 そう言うと海馬はオレの目の前に散らかしていた数種の玩具の中から5×5面の一番難しいと言われるルービックキューブを取りあげると、鮮やかな手つきで弄り始めた。カシャカシャとリズミカルな、というには少々早過ぎる回転音を立てて奴の手の中で複雑に色を交えていたそれは、数秒後見事な6面揃いで終了した。

 え?世界記録って何秒だっけ?ありえなくね?……ちなみにオレはまだ3×3面を揃えるのにも5分以上掛かる。なんだそれ。

 そんなオレの驚きなんて全く無視で、海馬は即座につまらんと鼻を鳴らして再びそれを弄り始め、それからまた数秒後今度は良く分からない複雑な模様を見せてオレの前にぽん、と投げ出した。

「……ナニ、これ」
「エンゼルフィッシュというパターンだ。他にもヘソキューブ、十字架、キューブインキューブなどがある」
「はぁ?これって全面揃えるだけじゃねーの?」
「それだけだとつまらんだろうが。こういう単純な玩具は応用で楽しむものだ」
「……さすがゲーム王。なんでもご存知で。お前ってこーゆーヨーヨーとかも出来るの?」
「ムーンサルトやアトミックファイヤーなら今でも出来るが、ダブルループはどうかわからん」
「ちょ、難易度高すぎるだろ」
「スーパーヨーヨーはオレよりもモクバが得意だな。コレクションもしている」
「……あーそうですか」
「オレはどちらかといえば剣玉の方が好きだ」
「剣玉?!イメージじゃねぇ!」
「遊びはイメージでするものではない」

 まぁでも一番はカードだがな。そう最後に締め括ると海馬は直ぐに興味を失って、いつも通りに席について黙々とキーボードを叩き始める。その姿を横目で眺めながらオレはさっきからずっとてこずっている小さな知恵の輪をもう一度弄り始めた。

 本田がくれた玩具の中で一番苦手な小さな銀の輪は凄く簡単な様に見えてその実めちゃくちゃ難しい。どんなに根気強くガチャガチャやってもやればやるほど絡まるばかりでイライラする。けれど、オレは途中で投げ出そうとは思わなかった。

 確かに普段はすげぇ短気で有名なオレだったけど、モノによっては凄く根気強く取り組むし、それが難しければ難しいもの程夢中になる。特に金が絡めば真剣だ。まぁ、勉強は別だけれど。

 そのいい例が少し離れた場所でふんぞり返ってなにやら小難しい顔をして書類とにらめっこをしているコイツとの恋愛だ。

 最初は全く理解できない、こいつは同じ人間なのかと思う程複雑奇怪なその性格や言動に相当面食らったけれど、粘り強く相手をしている内に、こんがらがっていた知恵の輪が解けるように何時の間にか何も言わなくても考えが分かる様にまでなっていた。告白して、OKを貰って、最初にキスした時のあの嬉しさは忘れない。

 勿論恋愛なんてものは告白がゴールじゃない。ゴールした瞬間にまた新しい二人の時間が始まるんだ。そこに待っているのは当然楽しい事ばかりじゃなくて、だけどそれを一つ一つ乗り越えていくのがまた面白い。

 相手が相手だから結構複雑で難しくて、ガチャガチャやっても全然解けない事もあるけれど、ずっと触っていればいつかは解決法が見えてくる。そしてやっと解けた瞬間は何よりも嬉しいんだ。

「よっしゃ!解けた!!」

 そんな事を思いながら指先を動かしていると、不意にカキンと小さな金属音がして、絡み合っていた二つの銀の輪が左右に離れた。それに自然と全開の笑みを浮かべながら見せ付けるように海馬の方へと掲げると、海馬は呆れた様に肩を竦めて小さな溜息を一つ吐いた。あっ、馬鹿にしやがって。ここは一つの事に熱中してる事を褒めてしかるべきだろ!そう態度で示してやると、ちょっとだけ生真面目な顔が緩んだ……気がした。

「貴様まだ先程の奴を弄っていたのか。暇な男だな」
「これ、結構難易度高いんだぜ?後でやってみろよ」
「ふん、見ただけで分かるわ」
「もー人の達成感を台無しにすんなよ。意地悪な奴」
「少しは頭が良くなったか?」
「……えっと後10個ある」
「オレはまだ終わらない。続けて励んでみるのだな」
「全部解けたらなんかご褒美くれんの?」
「何故オレがそんなものに褒美を出さなければならないのだ」
「大人しく待て、をしてるんだから頭撫でる位はしてくれてもいいと思うぜ。ほれ、今がチャンス」
「何がチャンスだ。近づくと舐められるから嫌だ」
「あっ、人を犬扱いしやがって」
「自分が今そう言ったんだろうが」
「まぁそうだけど」
「もう少しだ」
「はーい。じゃあ次頑張る」
「その一番複雑な奴を解けたら頭を撫でる位はしてやってもいい」
「マジで!?よしッ!やる気出た!」

 馬鹿な犬ほど単純で可愛いな。そんな厭味なのかそうじゃないのか良く分からない言葉を呟いて再びディスプレイと向き合ってしまった海馬を眺めながら、オレは上機嫌で奴が指定した確かに一番難しい知恵の輪を手に取った。

 う、確かにこれは難しい、全く持って解ける気がしねぇ。こんなん作った奴の気がしれない。けれど、ご褒美の為には頑張らないとな。オレはやれば出来る筈なんだ。だって、世界で一番複雑なパズルを解いちまったんだから。犬と呼ばれようが、足蹴にされようが、最高の幸せを手に入れた。長い長い苦労の果てに。

「どんな難しい知恵の輪でも、お前よりは簡単だよな。だから、オレ自信あるぜ」
「何をふざけた事を言っている。それにオレは貴様などに解かれたつもりはないわ」
「口説かれただろ?」
「屁理屈を言うな」
「好きだぜ」
「ど、どさくさに紛れて何を言っている!」

 あはは、赤くなってら、可愛い奴。凄く凄く複雑だったオレの知恵の輪は、解いてみれば意外に単純で素直だった。こんな些細な事にも動揺する位に。

 カキン、と再び金属の擦れる音がする。今度はそう簡単には外れない。

 けれど動かす方向も、やり方も、星の数程ある事をオレはもう知っていて。

 くるくると指先を動かしながら、その方法を模索する。タイミングや力も重要だ。押したり引いたり、時には手を止めて眺めて考えたり、暫く見つめているとなんとなく愛着が湧いてきちゃって愛おしく思っちゃったり。あ、なんかキモい?

「……何をにやにやしている」
「うん?別に。気にすんなよ」
「気になるわ」
「もうちょっと待ってろよ。絶対に解いて見せるから」
「別にオレは待ってなどいない」
「まーそう言わずに。この知恵の輪だって解かれるのを待ってるんだからさ」
 

 お前がオレの告白に心底驚きながらもどことなく嬉しそうに応えてくれた時の様に。
 

 小さな小さな二つの知恵の輪。

 恋愛もパズルも、難しい程面白くて夢中になる。

 そして……成功を手に入れた時には凄く幸せな気分になると、オレは思う。

城海:おもちゃに夢中になる高校男子達って可愛いですよね。 ▲

【60】 あいのたまごやき -- 09.05.26


「うぇ?!何だこの味っ!お前一体何入れたんだ!」
「貴様ぁ!吐き出すとは何事だ!ちゃんと食べんか!!」
「いやだってお前、これありえねぇし!!どうやったらこんな摩訶不思議なもんが出来るんだよ?!天才か!」
「当たり前だ!」
「マジで取るんじゃねぇ!嫌味で言ってんだよオレは!!」

 そう言って城之内くんが箸を持つ一分前までは物凄く仲良くしていた、目の前のお騒がせカップル(本人達談)は、結構な大きさのお弁当箱を挟んでそんな言い争いを始めてしまった。どうやら城之内くんが一口食べた見かけは凄く美味しそうなたまご焼きが争いの原因だったみたいで、内容をよく聞いてみるとそのたまご焼き……というかお弁当は海馬くんが作ったものだったらしいんだ。

 ……って。海馬くんがたまご焼き?!一体何事?教えてもう一人の僕!!

「しょっぱいとかならまだしもさ、酸っぱくて苦いって何だよ?!お前洗剤でも入れたんじゃねーの?」
「失敬な事を言うな!あの場にあったもの以外は入れてないわ!」
「……あそこに何置いてあったっけ……?」
「知らん」
「ちょ……?!で、でもさ、ふつー塩と砂糖くらい分かるよな?味醂と酢もさ!」
「見た目はどれも同じではないか」
「いや!全然違うし!!」
「大体貴様の家の塩は珈琲に入れるシュガーと変わらんだろうが」
「あーうん。さらっさらだからね。確かにグラニュー糖とそっくり……なわけねーだろ!つーか不安なら舐めろっつったろ!」
「面倒くさかった」
「こんな時ばっかり面倒くさがんなよ!!」

 僕が心底驚いて殆ど呆然としてそのやりとりを眺めていると、二人はどんどんエスカレートしていって、今にもキスしそうな位の至近距離でぎゃあぎゃあ喚いている。えーと、やっぱり話が全然見えないや。これは直接聞いた方がいいかな……でも今邪魔しちゃ悪いし……と戸惑っていると、幸か不幸か、向こうの方から話を振ってきた。それはもう勢い良く。

「なぁ!遊戯もそう思うだろ?!」
「えぇ?!あ、え……えと、何の話?僕、全然話が見えないんだけど……」
「あ、そっか。悪ぃ悪ぃ。うーんと、話せば長い事ながら」
「凡骨が一度でいいからオレの作った弁当を食べてみたいといったから作ってやった。ただそれだけの話だ」
「おいっ!簡単に話しすぎだろ!オレの前振り意味ねーじゃん!」
「これだけの話をどうやって長く話すつもりだったのだ貴様は!」
「ああもうストッープ!!一緒に話さないで!訳わかんないからッ!海馬くんはちょっと黙ってて!」
「…………む」
「やーい、遊戯に怒られてやんの」
「城之内くんも茶化さない!」
「……はい」
「じゃ、とりあえず僕にちゃんと分かるように簡単に話してみて」

 ほんとにもう……バラバラだと特にどうって事無い人達なのに、二人揃うと途端に子供っぽくなるんだから困っちゃうよ。仲良しなのは結構だけど、もうちょっと年齢を考えて欲しいよね。大体何?こんなに凄い言い争いしてるのに、なんで空いてる方の手を繋いでるわけ?!意味わかんないし!っていうかそういうのは二人きりの時にしてよ、二人きりの時にっ!!

 そう僕が憤慨しながら二人を睨みつけていると、少しだけ落ち着いたのか表情を若干改めた城之内くんがかくかくしかじかとその理由を話してくれた。

 大まかな内容は今海馬くんがさらりと教えてくれた事と殆ど大差は無くって、その動機っていうのが城之内くんがバイト先で彼女から作って貰ったお弁当を食べていた仲間を見て凄く羨ましくなったから、海馬くんにその話をして「お前の作った料理が食べてみたい」って言ったんだって。

 そしたら、基本的に城之内くんには甘い海馬くんは今日張り切って(?)城之内くんの為にお弁当を作ってくれたと、そういう訳。ここまで聞くとただの惚気話で「はいはいご馳走様!」で終わるんだけど、問題はここからで……その海馬くんの作ってくれたお弁当が色んな意味で凄いお弁当だったらしい。

 まぁそんなの、言われなくても分かるけどね。だって、味の変わったカレーを食べても「まだイケるじゃん!」なんて言ってる城之内くんが、口に入れた瞬間思わず吐き出しちゃうようなモノだよ?!きっと想像なんか出来ない程スサマジイモノなんだと思う。多分、だけど。

 けど、見た目はすっごく普通の、ううん、普通のお弁当よりもよっぽど美味しそうな見栄えなんだけどなぁ。海馬くんは手先が器用だから一応「それらしく」は作れるんだろうけど、味の方はきっと駄目だったんだろうね。いるよね、絶望的な味音痴の人ってさ。

「……海馬くんにも不得意なものってあったんだ」
「なんだと遊戯ッ!し、仕方がないだろう!このオレが料理などと言うモノをした事があると思うか?!」
「うん、思わないけど。でもさ、いっくら未経験の人だって砂糖か塩か位は分かるよー。分からなかったら確かめるし。だって入れる時不安じゃない?」
「オレは確信を持って塩と砂糖を選択し、使い分けたんだ!」
「余計問題だと思うけど……」
「だろだろ!?遊戯もそう思うだろ?!腹壊すっつーのな、こんなの!!」
「こんなのだと?!貴様、このオレに作って頂いた分際でなんだその言い草は!」
「ぎゃーぎゃー騒ぐ前にお前も食ってみろって、泣くぞマジで。何にチャレンジする?たまご焼き?これは凄いぜ。ある意味最強」
「ふ、ふん。そこまで言うのなら食べてやろうではないか。作った者としての責任を果たしてやる」
「そう来なくっちゃな!じゃ、ここの部分を一口……」

 そう言って、城之内くんは海馬くんとずっと繋いでいた手を離して(まだ繋いでたよこの人達)、さっきキレて投げ出してしまった箸を取ると、例のたまご焼きを一つとって、言葉通り海馬くんに食べさせようと……自分の口に放り込んだ。……ちょ、食べさせるの口移しなの?!そのまま海馬くんの口の中に放り込んで上げればいいだけじゃないの?!ねぇ?!

 でもこんな光景も散々見慣れていた僕は、特にそこでは突っ込まずに、黙って二人の動向を見守っていた。どこからどうみても熱烈なキスを交わしているとしか見えない彼等は、ほんの数秒間唇を合わせた後、唐突に顔を歪めて思いっきり離れあった。その勢いはまるで磁石が反発して飛んで行くような物凄いスピードだった。

 その瞬間、二人はこの世のものとも思えない顔で思いっきり口を押さえて悶絶した。特に海馬くんなんて超涙目で口の中のたまご焼きの味をしていないらしいたまご焼きをどうしようか必死に悩んでる。

 ややあって、どうしても吐き出す事が出来なかったらしい彼は、顎を反らして強引にそれを飲みこんだ。まるで毒を飲んでしまった時のような顔をして。

「うあー相変わらず超不味ぃ〜!おい海馬大丈夫かよ。だから言ったろー凄いって」
「だ……大丈夫じゃない。……死ぬ。なんだこの形容しがたい味は?!」
「お前が作ったんだっつーの」
「ありえん!!」
「いやいや、オレみてたし。っつーかお前ほんっと料理下手な。なんかすげー安心したわ」
「は?」
「今遊戯も言ったけどさ、お前でも苦手なものあるんだなーって。お前の事だからオレがどんな無茶言っても完璧にやりこなすだろうと思ってたからさぁ。正直いい方に予想外で嬉しかったぜ。なんかもっと好きになりそう」
「……そ、そうか」
「料理の方はオレの方がずっと上手いからさ、美味しいたまご焼きの作り方教えてやるよ。今度一緒に作ろうな!」
「?……ああ」
「じゃ、そういう事で。後は全部オレが食べるから、お前はこのサンドイッチ食え。な?」
「いや、その、腹を壊すのなら食べない方がいいのではないか?確かに洒落にならんぞ、その不味さ」
「嫌だ。確かにオレ腹壊すだの不味いだの色々言っちゃったけどさ。折角お前が作ってくれたんだもん。全部食うに決まってるじゃん。まー最初は誰でもこんなもんだって。しょーがないしょーがない」
「だが」
「酸っぱくて苦いたまご焼きだって、愛さえあればあまーく感じるものなんですー」

 そう言って、言葉とは裏腹に物凄い顔をしながらそれでも手にしたお弁当をせっせと口に運ぶ城之内くんの事を、海馬くんはちょっと感動した顔で眺めていた。え?何?なんなの?結局これってラッブラブなお惚気ランチタイムを見せつけられただけってオチなの?え?

 なぁにこれぇ。

 その時点で僕はもう二の句が継げなくなって、一人黙々とママが作ってくれたいつもと同じとっても美味しいお弁当を食べ続けた。ふんわり甘いたまご焼きや、僕好みの丁度いい味付けになっているハンバーグをゆっくりと噛み締めて、美味しいなぁ幸せだなぁと思ったけれど、何故か目の前で顔を歪めながら凄い顔で口を動かしている城之内くんには負けているような気がした。……実際負けてしまったんだろうけど。

 その後、お約束通り午後の授業の大半をトイレで過ごした城之内くんだったけれど、僕はやっぱり少し羨ましいと思った。
 

 城之内くんのお腹は、海馬くんのたまご焼きに勝てなかったけれど。
 

 その愛だけは、多分十分に伝わっている筈だから。

城海:……ねぇよ!(笑)殺人的料理を作ってしまう社長も萌えます ▲

【61】 Pain -- 09.06.17


 その全てを、共有出来たらいいと思う時がある。
 

「オレの近所にさ、すげーでっかくて可愛い犬を飼ってる家があってさ。散歩の途中とか、そうでなくてもオレがその家の前を通ると必ずそいつに挨拶してさ、結構懐かれてたんだ」
「……なんの話だ」
「いいから聞けよ。そんで、一週間前も学校に行く途中いつもの習慣で挨拶しようと思ったわけだ。そこの家結構でっかい門があってさ、そのすぐ近くに番犬宜しくそいつがいたもんだから、門の隙間から顔突っ込んで。そしたら、その日に限って会えなかったんだ。あれ?と思って帰りにも寄って、次の日にもまた次の日にも行ったんだけど、会えなかった」
「何故だ」
「うん、オレもそう思って、たまたま家から出て来たそこの家の子を捕まえて聞いてみたんだ。そしたら、その犬は死んだって言うんだ」
「死んだ?」
「そう。なんか、なんとかって病気だったらしくて、突然に。家の人も誰も分からなかったんだって。勿論オレも気付きもしなかった。あんなに毎日見てたのに」
「………………」
「その話を聞いた時、オレ……なんかお前の事思い出したんだ。そして今日はその犬の事を思いだした」
「……は?何故そこでオレが出て来る。犬と一緒にするな。犬は貴様だろうが」
「そうじゃねぇよ。問題は犬だとか犬じゃないとか、そんな話じゃないの」
「では、どんな話だ」
「オレ、お前の事もこうやって毎日見てるけど、色んな事に全然気付かないなぁって。お前も表面に一切ださねぇし」
「出さないのではない。出ないのだ。オレも気付かない場合が多い」
「知ってるよ。だから余計に悪いんじゃねぇか」

 分かってたらオレだってもう少し考えたよ。

 そう言って、まるで天を仰ぐように上を見上げた城之内は、その体制のまま大きな溜息を一つ吐いた。季節ゆえに湿気の含んだ風が少しだけ空いた窓硝子の隙間から入り込み、カーテンを微かに揺らす。遠くでは終業のチャイムが鳴っていた。生徒のざわめきは、まだ聞こえない。

「……しっかし集会で貧血で倒れるとかどこの女子高生だよお前は」
「煩いな。急に話題をそこに戻すな」
「だぁって受け止めたの杏子だぜ?杏子に支えられるとかそれもどうなの。ある意味得しやがってムカつく」
「だから煩いと言っている。何が得だ」
「……なんでお前はそうなんだよ」
「知るか」

 好きで貧血になる訳でもなければ、狙って倒れた訳でもない。全て不可抗力だと常と同じ尊大な態度で言い切った現在は比較的大人しく狭い簡易ベッドに横になっている海馬を、城之内は呆れ果てた気持ちで見遣った。

 一時間前臨時の学校集会の為講堂へ向かった彼等だったが、集会開始から暫くして、それまでずっと立ちつくしていた所為か海馬が何の前触れもなく倒れ込んだのだ。

 倒れると言ってもふらついて膝をついた程度で意識を失う事もなかったが、それでもその場は騒然とし、海馬が場を立ち去るまで集会は一時中断した。その後、騒ぎに乗じてその場を抜け出した城之内が海馬の付添人を買って出て今に至る。

「気分は」
「特に悪くない」
「今日はもうフケようぜ、送ってくから」
「貴様はついて来なくていい。授業へ帰れ、留年予備軍」
「なんでだよ。さらっとヤな事言うな」
「余計に疲れる」
「んだよ、何もしねーよ」
「昨日も同じ事を言っただろうが」
「そうだっけ」
「ああ」
「じゃあ今日は絶対何もしないから。お前送ったら帰る」
「……車で邸に帰るだけだ。送るも送らないもないだろう」
「ちゃんとお前が自分のベッドで寝るとこ確認しないと安心できない」
「貴様がそこまでついて来る事が問題だと言っている」
「昨日と今日は違うだろ。昨日は…………うん、確かにオレが悪かった。全然、気付かなかったから」
「オレもだけどな」
「ありえねぇ」
「本当だ」
「でも、もしかしてって思う事あるだろ。なーんにも原因ないとか絶対ないし」
「強いて言えば前日まで商品開発の期日に間に合わせる為に徹夜をしていた事か。三日位。まぁ、ここ一週間はずっとそんな調子だったがな」
「…………お前、馬鹿だろ。なんでそれ言わねーんだ」
「別に、いつもの事だし。今まではこれ位で倒れたりなどしなかった」
「今までは、じゃねぇの。それが異常だって事にまず気付け」
「煩い」

 養護教諭が少し席を外すと言って出て行ってから数分。特に眠る事もなくただベッドに横になっている海馬に、城之内は退屈を持て余しながらあれこれと話しかけていた。昨夜普段通りに海馬の元に押しかけて泊まり込み、そのまま今朝一緒に登校したという引け目もあってか、その言葉には多分に自己反省が混じっていた。

 それに対して当の本人は全く気にした様子もなく、むしろ煩げに顔を顰めて不機嫌さを丸出しにしている。その顔色は確かに健常者のそれより大分不健康に見えるものの、これが彼の普通だと言えばそれまでで、例え高熱を出して魘され様が、デュエルで元気に立ち回ろうが特に変わる事はなかった。

 だからこそ、昨夜その顔をこれ以上ない程間近で見たにも関わらず、その状態の悪さに城之内は気付かなかった。今も、倒れるというハプニングが無ければ分からなかっただろう。それは本人である海馬もそうだった。彼はまさか自分がこんな事になろうとは露程も思っていなかったのか、未だ何故こうなったのか首を傾げている状態だ。これでは、話になるわけがない。

 なんでこうなんだろうなぁ。

 いよいよ不機嫌になってそっぽを向いた海馬を視界の端に捕らえながら、城之内は先程声に出して呟いたその台詞を再び心の中で反駁した。そして、少し前に思いつくままに海馬に話して聞かせた例の犬の事を思ったのだ。

 飼い主よりも大きかった茶色の毛並みが見事だったオスのゴールデンレトリバー。城之内の顔を見る度にちぎれんばかりに尻尾を振って走り寄って来たあの犬が、あっさりと逝ってしまった事。

 彼は犬だから痛いとか苦しいとかそんな事を人に伝える事が出来なかったけれど、それでもどこかでシグナルを出していたに違いないのだ。それに気づいてやる事が出来たなら、死ぬ事もなかったかもしれない。それを思うと胸が痛んだ。そして、今日のこの出来事を経験して余計に強く思ったのだ。

 目の前のこの男も、もしかしたらあの犬と同じなのかもしれない、と。それを素直に口に出したら当然の如く怒られたけれど、事実海馬はこうして倒れてしまった。彼は犬ではなく人間なのに、痛いも苦しいも言わず、表情さえも変わらない。それだけでも問題なのに、本人でさえそれに気付かないと言う。ここまで来るともう末期としか言いようがない。

「……話し戻すけど。オレ、あいつの事結構好きだったんだぜ。毎日顔合わせてさ、熱烈に抱き合って」
「まるで恋人みたいな言い方だな」
「嫉妬する?」
「全然」
「でも、何も気付いてやれなかった。けど、お前の事は気付いてやりたいと思う」
「何を」
「だから、こういう事を。……お前が自分で気付けないのなら、オレが気付いてやるしかないじゃん。そう思ってたのに」
「気付けなかったから反省していると、そういう訳か」
「………………」
「馬鹿馬鹿しい。本人でさえ分からないものをどうやって感じ取ろうと言うんだ」
「……無理な事は分かってるよ。でも、オレがちゃんと見ていればあの犬だって」
「所詮他人の飼い犬だろうが。貴様になんの責任がある」
「うん、犬は確かにそうだよ。オレの犬じゃないからオレがどうこう出来るもんじゃねぇ。でも、お前は違うだろ。お前はオレのものじゃんか」
「………………」
「あの犬の様にいつかパタッと逝きそうで怖いんだよお前の場合」
「縁起でもない事を言うな」
「だったら、今日みたいな事が起きないように気を付けろよ。もっと自分の事に関心持て。過信すんな。無理もすんな。オレももっと気を付けるから」
「そう言われても。……というか、貴様は関係ないだろうが」
「関係あるんです。これでも心配してんだから、言う事聞いとけ」
「………………」
「あーあ、オレにも超能力があったらなーお前の事全部分かってやれるのに」

 痛いなら痛い、苦しいなら苦しいと、感じてやれるのに。

「非現実的な事を言うな」
「じゃあ、オレにそう思わせない様な生活してみろよ。出来ない癖に」

 未だ風に揺れるカーテンを眺めながら城之内はそう小さく吐き捨てると、大きな溜息を一つ吐いた。そして、その痛みも苦しみも麻痺してしまった身体を持て余し気味に投げ出している海馬の手を取りあげると、何も言わずに握り締めた。

 酷く頼りないその指先は、ただ冷たいばかりで、それ以上のモノを伝えて来る事は勿論なく。当たり前のその事が、今は酷く切ないと思った。

 恋人になったら何もかもを共有する事が出来るようになればいいと切に願う。
 そうすれば、こうして些細な事に胸を痛める事もなくなるのに。

 無理な話だとは分かっていても、城之内はどうしてもそう思わずにはいられなかった。

 指先を握る手に力が籠る。まるで握りつぶさんばかりにきつく掴み締めたその強さにも、海馬の無表情は僅かにも変わらず、痛いのいの言葉すら発する事もなかった。
 

 力を込めているこの手には、こんなにも強い痛みを感じているのに。

城海:元気なのにか弱い社長に萌える今日この頃 ▲

【62】 例えばもしきみが死んだら -- 09.07.05


「……で、貴様は本当にそんな事で本気で泣いているのか」
「そんな事たぁなんだ!すっっげぇ重要な事だろうが!」
「そういうのは普通小学生で卒業するものなのだがな」
「一般論だろ!?」
「まぁ何でもいいが、そんな事がこのオレの仕事を邪魔した理由になると思っているのか」
「だってよ……」
「だってじゃない。妄想で泣くな!」
「……う」
「泣くなと言っている鬱陶しい!!」

 そう言って、オレは手にした真新しい二枚目のタオルを目の前でぐずぐずと鼻を鳴らしている男に投げつけると、苛立ちのままソファーへと腰を下ろした。ドスン、というおよそ自分が立てるには聞き慣れない音に、更に苛々を募らせて、オレはうんざりとした気持ちでどんよりと厚い雲が垂れ込める窓の向こうの夜空を見つめた。

 今日は朝から空気からして重い鬱々とした梅雨空で、時折狂ったかのように集中的に降る大雨が酷く鬱陶しく思える日だった。ただ、オレは必要最低限の移動以外は殆どこの部屋から動かず、ずっと机に向かっている様な状態だった為、外の陰鬱さなど全く気にも留めなかったが。

 そんな特に真新しい事もない日常の一つであった筈の一日だったが、最後の最後に本当に意味不明な事態が起きた。オレが座った事により位置的に真横に来たこの男……城之内が、頭の先から足の先までずぶ濡れになって……否、それだけならまだしも何故か号泣しながらこの部屋を訪れた時には、さすがのオレも驚いて二の句が次げなかった。

 一体何事かと動転する気持ちを落ち着かせながら、とりあえずその濡れ鼠の状態をなんとかしようと備え付けの浴室へと無理矢理押し込み、茹るまで湯に浸かって来いと言い放ったオレは、酷い状態の制服やら鞄やらをクリーニングするようにと命じて部下に手渡し、季節が季節故に風邪をひかれたら厄介だと身体が温まる飲み物を用意してやった。我ながらこの甲斐甲斐しさには涙が出る。

 そんなオレの親切を全て素直に受け入れた城之内は、柔らかなバスローブに身を包み、差し出されたジンジャーティを一口飲むと、幾分照れ臭そうにしながら再びオレが驚く様な事をぽつりと呟いたのだ。
 

「オレ、お前が死んだらどうしよう?」
 

 ……一瞬何の事か分からなかった。

 普段から馬鹿な言動は沢山するが、こんな意味不明な台詞を口にするのは初めてだった。オレが死んだら?何かそんな兆候を嗅ぎ取ったとでも言うのか?それともそういう夢を見たのか?または漫画や映画の影響か?……当てはまる様な事を次々と思い浮かべては打ち消して、オレは段々頭が痛くなってきた。

 その頭痛の種は、その間ずっと同じ言葉を繰り返し、ついには再び泣きだしてしまった。大きな図体といかにも不良臭い安っぽい金髪に似合わない幼い子供の様な泣き顔に、本気で悲しくて泣いているのだという事が分かる。

 人間、妄想で此処まで泣けるものなのだろうか。はたまた、それとは別に泣く様な事があったのだろうか。得られない答えについに業を煮やしたオレは、しゃくりあげるその音を遮るように、至って事務的に訊ねてみた。

「それは妄想か?それとも、何かあったのか?」
「っ、何もねぇけど、ただ、ふっと考えちまった」
「それでこの騒ぎか」
「だって、すげー不安にならねぇ?一旦考え出したら止まらなくて、怖くなって、不味いかなと思ったけど、居ても立ってもいられなくて……!」
「………………」

 そこまで言うと、堪え切れなくなったのか、手にしたタオルに顔を押し付けて、うーと唸っている。妄想で泣ける奴はいる。今此処に。心底呆れてその様を眺めたオレは、はぁっと長い長い溜息を吐いた。

 そして、冒頭の会話に至る。
 

 

「落ち着いたか」
「落ち着かない」
「ではどうすれば落ち着くんだ」
「お前が死なないって約束してくれたら」
「そんな無茶な事が約束出来るか。嫌なら貴様が先に死ねばいい」
「それも嫌だ。一人は寂しい」
「話しにならんな……大体どうしてそんな事を思うに至ったんだ」
「何となく。たまにあるだろ」
「オレは無い」
「じゃ、今想像してみ?もしオレが死んじゃったら、こうして話す事も出来ないんだぞ?」

 みっともなく目元を腫らした顔をずい、と近づけて、城之内は真剣な眼差しでそう言い募る。やけに大きく目に映る琥珀色の瞳は涙を湛えた所為でゆらゆらと揺れて、今にも零れ落ちそうだった。思わず、手を伸ばす。表面張力を超えて流れ落ちそうになるそれを指先で掬い取る。

 その感触は、酷く熱かった。

「なぁ、海馬」

 オレのその動きに触発されてか、はたまたそういう衝動に駆られたのか、黙ってじっとオレの顔を見るだけだった奴の身体が僅かに動き、力任せに抱きしめて来る。これでもかと拘束する硬い腕は、力の加減を誤っている所為で痛い位だ。痛いぞ、と文句を言っても一向に緩む気配がない。嫌だ。頑とした口調で告げられたその言葉は何に掛るものなのか。

 もし、こいつが死んだら。

 確かに、こうして熱を分け合う事は出来なくなる。密かに好きだと思っている瞳を見る事も叶わなくなる。なにより、独りになってしまう。独りに。それは本当の意味での独り、という訳では無くても、感覚的には同じものだ。どんなに周囲に人が居た所で一番大切な人間がいなければ孤独を覚える。切なくなる。辛く、なる。
 

 どうしよう、泣きそうだ。

 オレは妄想で泣けるタイプの人間ではない筈なのに。
 

 城之内の声に応えようと口を開こうとしたが、今そうしてしまうと出て来るのはきっと言葉ではなくみっともない嗚咽だから。
 

 それを堪える為に、オレはただ静かに何か言いたげにオレを見上げて来るその顔を正面から見返して、噛み締めて少し熱を持った唇を押し当てた。

城海:アンニュイな二人。子供の頃は死ぬ事が怖くてたまりませんでした。 ▲

【63】 誕生日は織姫と -- 09.07.07


「兄サマには今日一日織姫になって欲しい。プレゼント、それがいいな」
「……意味が分からないんだが」
「うーんと、だから……七夕の物語知ってる?」
「それ位は知っている。だから意味が分からないと言っている」
「えー分かるでしょ。七夕の日だけはオレと一日一緒に居てって意味だよ」
「なら普通にそう言え」
「普通に言ったらつまんないからちょっと捻ってみたんだ」
「大体何故オレが織姫なんだ。せめて彦星にしてくれ」
「え、ダメ。彦星はオレだもん」
「……そういう所はしっかりしているな、お前」
「彦星と織姫は遊んでて引き離されちゃったけど、兄サマは働いてばかりで自分から離れちゃってるから、一年に一回くらいは仕事を忘れて欲しいわけ。ね?」
「う、うむ(というか、大前提として彦星と織姫は夫婦なのだが、そこはスルーなのか?)」
「ねーうちも七夕飾りやろうよ。オレ、願い事一杯あるんだぜぃ」
「誰が飾るんだ、誰が」
「え。磯野とか。もしアレなら遊戯達も呼んですっごく賑やかにしたい。皆に短冊書かせたら結構な量になると思うんだ」
「……『テストで赤点を取りませんように』とか『今すぐ世界一のデュエリストになりたい』とか『いつの間にか借金が全部無くなっていますように』とかいう下らん願い事をつるすのか、うちの庭に」
「兄サマ、案外皆の事よく見てるんだね……」
「お前は大方『もっと背が伸びますように』だろう?」
「うっ……じゃ、じゃぁ、兄サマはなんて願い事するのさ」
「オレには願い事なぞない」
「つまんないの。あ、オレが書いてあげようか?『おでんが食べられるようになりますように』!」
「余計な事はしなくていい。一生食べなくていいわ」
「もー。とにかく、七夕飾りの件はOKでいい?」
「お前がしたいのなら好きにしろ」
「やったー!じゃーメール打とう。えーと『ごちそう一杯あるぜぃ』」
「お前も犬どもを誘うのが上手くなったな」
「へへ、伊達に兄サマの弟やってないからね」
「それで、プレゼントは本当にそれでいいのか」
「うん」
「他に欲しいものは?」
「うーん、物は特にないんだけど、物じゃなくてもいい?」
「別に構わんが、物じゃないのとはなんだ」
「今日、一緒に寝てくれる?」
「は?」
「だから、一緒に寝ようよ。オレのベッドでも兄サマのベッドでもいいから。彦星と織姫っぽく」
「(だからそれは夫婦……ってまさか?!)」
「オレ、七夕伝説も彦星と織姫の関係もちゃーんと分かってて言ってるからね?兄サマ」
「……ちょっと待て、どういう意味だそれは」
「どういう意味もこう言う意味もないでしょ。兄サマ最初に何でもいいって言ったじゃん」
「いや!待て待て。『ただ』寝るだけなら問題はないがそうではないなら却下だ」
「じゃ、『そうじゃない』ほうで♪兄サマ織姫ね?」
「却下だと言っている!というか無理だ!」
「大丈夫だって。オレもう大人だしー」
「何?!」
「っていうのは嘘で。一つ年も増えたし、大人になりたいなーって」
「オレでなるな!」
「あ、兄サマ嘘吐くの?『お前の欲しいものはなんでもくれてやる』って言った癖に」
「あれは言葉のあやだ!そんなものを欲しがるな!」
「だって欲しいんだもん。ねーお願い?」
「上目づかいをして頼んでも駄目なものは駄目だ」
「兄サマのケチ」
「ケチとかいう問題かっ」
「むー」
「とりあえず、誕生日おめでとうモクバ」
「ありがと。来年は頂戴ね」
「嫌だ」
「ケチ」

モク瀬人:かなり適当なおたおめ小話。馬鹿っぽい兄弟だなぁ。 ▲

【64】 Restart -- 09.07.08


 物語には、始まりがあって終わりもある。一度終わってしまえばその先は決して続く事はない。

 けれど人生は、何度でもやり直すことが出来る。

 ……諦めない限り。

 

「よ、元気。相変わらず真夏なのに雪女みたいな肌の色で。不健康だぞ社長さん」
「余計な世話だ。万年脱皮症が」
「変な名称つけるなよ。健康的な小麦肌って言ってくれる?最近はまたガングロブームなんだぜ」
「数十年前の話をするな」
「最近っつってんだろ。たまには経済ニュース以外の話題に興味持て」
「必要無い」
「まぁ、いいけど。これ見てくれよ」
「?どれだ」
「これこれ、ここ。薬指のとこ」

 そう言って、オレが左手を海馬の前にひらひらと翻した後、その目の前でピタッと留めてやる。ガキの頃から長年続けてきた数々の肉体労働のお陰で大分逞しくなったと自分でも思えるそれは近くで見ると結構な迫力らしく、一瞬驚いたように身を引いた海馬は、数秒間まじまじとその全体を観察した後、徐にオレが指示した場所を凝視した。そして、傍目にも分かる位に目を瞠らせてすぐにオレを見る。

 ある真夏日の昼下がり。その日たまたま仕事が休みだったオレは、昨日のニュースで日本に帰国した事を知った海馬の元へと直接押しかけた。TシャツにGパンという大企業に来るにはめちゃくちゃそぐわない格好だったけれど、オレは昔から顔パスだったから、今日も何も言わなくても社長室へと通してくれた。

 最後にここに来てからもう10年近く経っていたのに、まだオレの顔は通用するんだと思ったら、嬉しくなった。

 

「どういう事だ?」
「うん?見たまんまだけど」
「ある物がない気がするんだが」
「そりゃそーだ。外したから。しかも結構前に」
「何時だ」
「半年前かな?」
「どちらからだ」
「えー向こうからかな。何時まで経っても大人になれない男は嫌いなんだそうです」
「ほう」
「で、何か言う事はないわけ?つーかお前の左手は寂しいままかよ」
「装飾品の類は嫌いだ」
「まだ言ってんの。30にもなって」
「ほっとけ」

 オレの左手を……正確には左手の薬指をたっぷり数分間見つめていた海馬は、さっき見せた驚きの顔から一転していつもの無表情になり、とかく冷静にそんな事を訪ねて来る。その声が余りにも普通通りだったから、オレも特に動揺もしないでさらりと質問に答えてやった。

 左手の薬指。

 オレが海馬に見せつけるように示したその場所には、半年前まで安い指輪が嵌まっていた。結婚を前提に付き合っていた女とペアで買ったシルバーリング。もう何年も前に買ったものだったから、オレの汗やら何やらで大分色がくすんでいて、そろそろ結婚指輪に変えようか、なんて話をしていた矢先だった。二つ年下の、笑顔が可愛い普通の子。

 その子と出会った頃はオレは海馬との関係が壊れたばかりで、今度は普通の女の子と普通の優しい恋をするぞ、と意気込んでいた。そんなオレの前に現れたのが望み通りの至って普通の女の子で。その子と常識的な極当り前の恋愛をして、その流れのまま結婚するつもりだった。それまでが全く常識とはかけ離れた恋だったから、『普通』が楽しくて堪らなかった。けれどなんの刺激もない日々は堕落を生んで倦怠感にまみれ、結局は壊れてしまった。

 指輪を外したばかりの頃は日焼けの所為で指輪をしていたところだけ白く残って、なんだかすごく空しい気がしたけれど、半年も経てばその場所も平等に日に焼けて、もうどこに嵌めていたのかも分からない位だった。そしてその跡が消えたと同時にオレの中でもその恋に対する思いは消えていた。

 その変わり、昔の恋を思い出した。

 何もかもが常識外れで、破天荒な、目の前のこいつとの余りにも刺激的過ぎた若い恋を。
 

「左手の薬指、まだ飾る予定がないんなら、オレに左手ごと貸してくれる?」
 

 たっぷりと数分間海馬に見つめられた左手で、オレは凄く緊張しながら……だけどそうは見せないように精一杯の虚勢を張って、机の上にあった海馬の左手を握り締めた。別れた頃と何も変わらない男の癖に細くて生白い、マネキンみたいな手。一度は離してしまったけれど、10年経ってもこの手を握る人間は現れなかった。

 だったら、もう一度オレが握り締めてもいいじゃないか。

 そんな気持ちで握ったそれを強く捕らえる。入れている力の強さから、多分痛いだろうなと思ったけれど表情一つ変えないから、オレは力を緩める事はしなかった。白い指先がますます白くなる。いい加減ヤバいかな、と思い始めたその時、海馬の無表情が初めて崩れた。

「左手だけか」
「出来れば身体全部」
「身体だけか」
「気持ちもつけてくれると嬉しい」
「図々しい。自分から捨てた癖に」
「うん、だから。拾いに来たんだ。今度は絶対大事にする」
「………………」
「恋は物語じゃないから『おしまい』はないだろ?だから、もう一回」
「……そういう所が大人になれないと言われる所以ではないのか」
「そうかもね。じゃあ、大人になるから」
「全く期待はしていないが、精々頑張ってみるがいい」
「おうよ。30男を舐めんじゃねぇぞ」
「顔は全く30には見えんがな」
「お互い様ですー。この不老不死が」
 

 物語には、始まりがあって終わりもある。一度終わってしまえばその先は決して続く事はない。

 けれど人生は、何度でもやり直すことが出来る。恋も、何度でもやり直せる。

 好きだという気持ちがある限り。
   

「なぁ、海馬。好きだぜ」  
 

 10年前のあの日の様に、もう一度始めよう。  
 

 ── Restart.

城海:別れてくっついてぐるぐるまわる。 ▲

【65】 キャンディ -- 09.10.31


「お菓子をやるから悪戯させろ!」
「ギャハハハハ!!」
「……お前達廊下で何をやって……?!」
「あ、兄サマ!ハッピーハローウィン!……って、あれ?」
「モクバモクバ、海馬、お前の顔見えてねーから」
「あ、そっか。……ぷはっ。煩くしてごめんなさい。おかえりなさーい!」
「ふー蒸れたー!これ結構匂いキツイなー。よ、お帰りなさい兄サマ♪」
「…………何をしている」
「何って。なぁ?」
「うん。ハロウィンだってば」

 ねー?と顔を見合わせて楽しそうに笑い合う、一瞬前までは二体のカボチャの化け物だった二名は、双方とも示し合わせた様にオレの元へと駆け寄って来て我先にと飛びついて来る。モクバは何時もの事故に特にどうとも思わなかったが、もう一人のカボチャ……もとい、カボチャを被っていた駄犬にはそんな権利は無い筈だ。そう思い、即座に足蹴にしてやると「ひっでぇ!」と抗議された。やかましいわ。

「それで、ハロウィンがどうしたと?」
「どうしたって言われても。ハロウィンだからお化けに化けて遊びに来ただけなの。お前は完全スルーだったけど、今日は高校の学園祭でさ、ウチのクラスはコスプレ喫茶やったんだ。丁度ハロウィンだったからカボチャとかで照明作ってさ。結構好評だったんだぜ?」
「学園祭?そう言えばそうだったな」
「オレは狼男で、本田はミイラ。御伽はドラキュラで、獏良は猫耳メイド。そして……遊戯とお前は魔女っ子だったのに!お前の分の衣装も杏子に頼んでちゃーんと作って貰ったのに来ないとかムカつく。罰として今度着ろよ」
「兄サマの魔女っ子!オレもスゲー見てみたいぜぃ」
「誰が着るか、死ね」
「まぁ、そんなわけで、無事学園祭も終わったから帰って来てモクバと遊んでた訳。ちなみにこのカボチャは海馬家提供な。中身はちゃーんと今晩のお夕食にさせて頂きました。カボチャづくしだぜ!」

 言いながら抱えていたカボチャ頭を床に下ろし、モクバと二人で「この目の所が結構難しかったんだよな、硬くて」「そうそう、後中の加工も面倒で……」等と苦労話を始めた城之内の顔を呆れ果てた目で見下ろして、オレは「心底下らん」と内心呟くとこれは放っておいても差し支えあるまいと判断し、さっさと作業をしていた執務机へと戻ろうと踵を返した。

 廊下で騒ぎ声がしたから何事かと思って飛び出してしまったが、原因が分かれば後はさして興味がない。持ち帰った仕事を早めに処理しなければ明日に響く。そう思い、足を一歩踏み出そうとしたが、それは強い腕に阻まれてしまった。

「何してんだよ。帰んな」
「オレにはまだ仕事が残っている。モクバと静かに遊んでいろ」
「やだね。オレお化けだからお前の言う事聞かないし」
「はぁ?」
「とりあえず何かしてくれないと悪戯するぞ。してくれてもするけど」
「何を言って……離さんか!どうでもいいがカボチャ臭いわ!」
「そりゃー今まで被ってましたから。カボチャ嫌い?」
「そういう問題か!」

 色褪せた金髪に微妙に取りきれなかったらしいカボチャの身や種などを盛大にくっつけてにやりと口元に笑みを浮かべてオレの腕を強く掴んで来る城之内の表情に、オレはたじろぎつつ少しだけ身を引いた。その悪企みが全面に出てる顔はこの上も無く鬱陶しい。傍にモクバがいるこの状況で何を抜かすのだ貴様は!……ってモクバは何処だ?!

「あ、モクバなら、パンプキンパイの出来上がりを見に行ったけど?」
「何?!」
「さっき一緒に作ったんだー。カボチャプリンとーカボチャマフィンとーその他色々」
「……暇な奴らだな」
「何せ材料は腐るほどありますから。3日はカボチャづくしだぜ。嬉しいだろ?」
「ちっとも嬉しくないわ!」
「またまたーお前の好きな小豆カボチャもあるからー」
「勝手に人の好きな物を決めるな!」

 くっ、いつの間にかモクバを追い出すとは、なかなか手抜かりの無い駄犬だ。これはいよいよ不味い状況になって来たぞ。休日である今日会社に出勤した位だから本当に今手がけている仕事は手早く処理しなければならないのだ。時間的には問題はないが体力に問題がある故、お化けの遊びに付き合ってやる余裕は無い。かと言ってこのまま何事もなく逃れられる訳も無い。ただでさえしつこい男がイベントで更に調子に乗ってる状態だ。

 現に掴まれた腕を強く引かれ、歩行を阻止されたどころか床に……というより城之内に向かって引き倒された。バランスを崩したオレをすかさず抱き込んでホールドすると、このカボチャ臭い馬鹿男は「さぁ後は唇と唇をくっつけるだけですよー」と言わんばかりに顔を近づけて来る。阿呆なのか!

 別にキス位ならしてやってもいいが、そこから先に進まれるのが困る。故にここは何としても抵抗しなければならない。だがどうやって……?

 殆ど城之内の膝の上に正面から乗る様な形で、時間にしてほんの数秒考えていたオレの下腹の辺りに、何やら硬い感触を覚えた。……やはりこいつ勃って……最悪だ!が、それにビクリとして身を撥ね上げた瞬間、別の部位にも硬い感触を感じた。はっとして手をやると、そこには小さなケースのようなものが一つ。

 ……そうだ、これだ。思わず奴の顔を押えていた両手の片方を素早く離して、オレはそこ……スラックスのズボンの右ポケットにさっと手を突っ込んだ。そして手早く中に入っていた『それ』の蓋を開け、未だ強引に人の顔に自分の顔を密着させようと粘っている奴の顔を見返した。

「お前ってほんっと往生際が悪いよなぁ」
「煩い変態カボチャが。貴様がハロウィンと言い張るのならのってやろうではないか。菓子をやれば悪戯はしないのだな?」
「まぁ、そうだけど。何もお菓子じゃなくたっていいんだぜ?」
「フン、ハロウィンのお化けにはキャンディやチョコレートをくれてやるのが礼儀だろうが」
「普通のお化けならそれでもいいけど、城之内お化けはそうは行かないんですぅーっていうか大人しく悪戯させろ」
「断る」
「じゃー今直ぐお菓子くれよ」

 お前お菓子なんて持ってない癖に。言外にそう言って一段と口元の笑みを深める憎たらしい目の前の男にオレは逆に思い切り口角を上げて笑い返してやると、右手を翻し持っていたケースの中身を素早く口に含むと、今度は自分から目の前の頬を包んで顔を近づけた。

「えっ?!ちょ……んっ……」

 途端に動揺するその様を気分よく見下ろしてそのまま、望み通り思い切り口付けてやる。

「んんっ……んっ?!」

 何時もならここで声を出すのはオレの方なのだが、今回はオレが先に仕かけた為動揺した奴の声が部屋に響く。それに何故か勝利を得た気になって嬉しく思いつつ、オレは自らの口内にあった『それ』を城之内の舌先へと押し付けて、更に奥へと転がしてやった。

 甘さの中にも薬用ミントの爽快感が少しだけ上がり続ける熱を抑えて鎮める。オレが、奴にくれてやったのは今の季節常に着衣の何処かに忍ばせているのど飴だった。

 まぁそれだけでは少しばかり気の毒なので、おまけとばかりに長い間舌を絡めて唾液を啜ってやり、ゆっくりと顔を離すと、オレの方から積極的に仕かけられてしまった驚きか、はたまた与えられた奴が苦手なのど飴の所為なのか、すっかりやる気のなくなった城之内が思い切り咳込んで、更に涙目で抗議して来た。

「……ッは!……お、お前っ!これっ……うえ、まずっ!」
「フン。『キャンディ』には違いあるまい」
「だ、だからって、ひっでー!!しかも飲んじまった!」
「化け物を退治するには苦手な物を与えるのはセオリーだからな」
「……酷っ!」
「悪戯を仕かける相手が悪かったと言う事だ。ま、これで気が済んだだろう、モクバの元へ行って来い。オレは仕事の続きをする」

 これで危機は去った。偉くしおたれる城之内を目の前に大満足しながらそう思ったオレは、これで心おきなく仕事が出来ると喜び勇んで立ち上がろうとした、その時だった。
 

 再びがっしりと掴まれる両肩と、下腹に感じる熱。はっとして上げた視線の先には、先程よりももっとあくどい笑顔。
 

「オレ言わなかったっけ?『何かくれても悪戯するぞ』って」
 

 ── 『城之内お化け』は、そう甘くはなかった。
 

 

 結局そのまま『悪戯』を遂行されてしまったオレは、悔しさに歯噛みしながら、目の前の頬を殴りつけた後に考えた。

 敗因は、唇を離した後直ぐに奴の膝から退かなかった事が尤も的確な気がするが、果たしてそれが正しいのかは分からない。いや。そんなどうにもならない事よりもとりあえずオレは。
 

 ……ハロウィンなどただの建前なのだと言う事を、いい加減学習するべきなのだ。

城海:社長はアホの子。ハッピーハローウィン! ▲