Good morning smack!

 海馬家の朝は、賑やかなモクバの笑い声で始まる。

 平日の、燦々と朝日が輝くいつもの日常。他の家よりは少し早い朝食を終えて、仰々しい食堂を抜け出しリビングで寛ぐ一時。毎朝の日課になっている経済新聞数社分と、夜中のうちに来た連絡のチェックを行っている瀬人の横で、モクバは楽しそうに、最近自分の身の回りに起きた出来事を話していた。

 普通ならこんな状況で話しかけられる事を良しとする人間はいない。しかし瀬人は周囲がどんな状況であれ集中力を欠く事はなかったし、話しかけて来る相手がモクバであれば尚更邪魔にするような事はしない。

 それでなくても近頃は深夜帰宅ばかりで、余りモクバと過ごす時間が持てない事を引け目に思っていた瀬人は、なるべく顔を合わせた時に構ってやろうとは思っていた。その結果がこの朝の一時となったのだ。

 しかし、あの日は最初からなんとなく雲行きが怪しかった。後に瀬人はその日の朝の事を振り返り、そう後悔するのである。
 

 

「それでね、昨日オレの隣の奴がね、C組の三上って子に告白するって言ったから、一緒について行ったんだ」
「……そうか」
「でもあいつ、本人目の前にすると緊張しちゃって全っ然駄目なんだ。もう口回ってなくて何言ってんのかさっぱり分かんないの。オレ、笑わないようにするのに精一杯だったんだぜぃ」
「どうでもいいがモクバ」
「うん?」
「……何故、オレの膝の上でそれを話す?」

 自分の話に時折顔を上げて相槌を打ってくれる瀬人に気を良くしてか、一定の距離を開けて座っていたはずのモクバは、何時の間にか瀬人の真横へと擦りより、更に新聞と瀬人の間に身体を差し入れて、膝に横向きに座る格好になっていた。

 当然視界にはモクバの頭がチラつく事態となり、さすがに新聞を読むには辛くなってしまった瀬人は、思わずモクバの言葉を遮って声を上げた。それに返って来たのは実に無邪気な明るい声。

「うん?空いてたから」

 どこが空いてるんだどこが。お前が無理矢理入り込んで来たんだろうが。

 そう思わず口にしそうになった瀬人だったが、余りにも当然!な態度でいるモクバにそれ以上言及する事は出来なかった。まあ、別に膝に乗られて痛いわけでもあるまいし、多少新聞が読み辛い位で特に害もないから別にいいのだが……どうも近頃モクバが自分に絡んでくる率が高い気がすると瀬人は思う。

 勿論幼い時から常に傍にいて、移動する時は手を繋ぎ、座っていると背中に圧し掛かられたりべったりくっついたりはしてはいたが、この家に来てからは離れている時間が多かった所為か、自然とそんな接触は無くなっていた。

 それが、剛三郎の死や遊戯から受けたマインドクラッシュを機に関係が改善し、元の雰囲気に戻った後は昔のその習慣を取り戻すように、モクバは積極的に瀬人の元へと訪れた。否、訪れる等と言う生易しいものではない、それは殆ど入り浸りだった。

 別にそれは構わないのだが、幼い頃と違い今や自分は17でモクバは12である。そろそろ、疲れて帰宅するとベッドに弟が潜り込んで眠っているというこの状況をなんとかしなければ、と思い始めたところだったのだ。

 そこに来て、モクバが持ち込んできたこの「小さな恋」の話である。瀬人は至極楽しそうに話を続けるモクバをじっと眺めながら、タイミングを見計らって話している本人にその事に関する水を向けてみた。

「お前の友達の話は分かったが、そういうお前はどうなのだ」
「え?何が?」
「何がって、だから、お前には好きな子がいないのか、と聞いている」
「オレぇ?」
「周囲がそういう話で盛り上がるのなら、お前にだって一つや二つあるだろうが」

 弟に好きな子が出来る。自分で口にした事ながら、なんとなく感慨にふけってしまいそうなその言葉に瀬人が一人勝手にしみじみとした思いに浸っていると、モクバは急に黙り込んで少し思案する様子を見せる。しかしそれは僅かな間で、彼は直ぐにぱっと顔をあげるとあっけらかんとこう言った。

「うん、いるよ。好きな人」
「そうか」

 眩しい位の笑顔と共にきっぱりとそう告げられた所為か、瀬人はやけに無感動にその言葉を受け入れる。そうか、やっぱりいるのか。これだけ人懐こくて性格もいい、顔も男にしたら少し可愛らしい部類に入るかもしれないが、かなりいいレベルに達している弟の事だ。さぞかし学校では人気があるのだろう。

 自分で水を向けた事とは言え、実際そうだと肯定されると少し寂しい気もするが、自分と違って真っ当な成長を告げている事に瀬人が心底嬉しく思っていた、その時だった。

「でも告白とかはしてないぜぃ。なかなか言うチャンスがなくって……あ、してもいいけど。今」
「え?今?……何故、今なんだ」
「だって。オレの好きな人って兄サマだしー」
「はぁ?!」
「だからー兄サマが好きなんだってば。オレ、自分が人から聞かれたらそう答えるけど」
「……オレが聞いているのはLikeではなくLoveの方なんだが」
「オレが答えてるのもそうなんだけど」
「……いや、ちょっと待て」
「何を待つの。聞いたのは兄サマでしょ」
「オレはお前の兄で男なんだが」
「知ってるよ。だから何?」
「いやだから……」
「兄サマは古いなぁ。今時女しか好きになっちゃいけない、とか近親相姦問題外、とかそんなの時代遅れなんだぜぃ」
「……近親相姦っ?!」

 お前そんな言葉何処で覚えてきたっ!?そう心の中で絶叫する兄の事など全く眼中にないのか、モクバは相変わらずの笑顔で瀬人を見上げている。その手が、何時の間にかきっちりと結ばれた瀬人のネクタイにかけられている事を彼は全く気づかずにいた。

「そーゆー訳だから。キスしよっか、兄サマ」
「どういう訳だ!というか何故オレとお前がっ!」
「だって、告白をしたら次はキスだろ。そしてエッチする。と」
「待て待て待て!待てモクバ!そ、そういうのはまず相手の気持ちを聞いてからだな……というかオレはお前とそういう事をするつもりは一切ないっ!」
「えーなんで?兄サマ、オレの事嫌い?」
「いやっ、好きとか嫌いとか言う問題じゃなく、だな……」
「嫌いじゃないんならいーじゃん、キスしよ?一回だけでいいから」

 しっかりと捕らえたネクタイをきゅっと握り、モクバは二重に重なっているその一方を思い切り良く引いてしまう。しゅるっという小気味いい音と共に見事に解かれてしまったブルーのネクタイを今度は両端を持って強くひっぱり、思わぬ攻撃に対応しきれず引かれるがままになってしまった瀬人の頭部を捕まえて、モクバは思いきり近づいたその唇に言葉通りキスをした。

 瀬人の瞳が、これでもかと見開かれる。
 

「ファーストキスはイチゴ味って言うけど、これは珈琲味だね。ちょっと苦い」
 

 ね、兄サマ?

 ちゅ、といい音を立てて一瞬離れた唇を再び合わせつつそんな事を言うモクバの顔を、瀬人はただ見つめる事しか出来なかった。出来るわけが、なかったのだ。

 その後、瀬人の絶叫が響いたのは言うまでもない。
 

 

その後、モクバが瀬人にキスをしたその日を境に朝の海馬家の風景は変化した。優しく穏やかだったその時間は、ドタバタというおよそ大邸宅には相応しくない騒音によってかき乱される。
 

「おはよう兄サマ、行って来ますのちゅーは?」
「しない!」
「今日は一緒にお風呂入ろうねー?」
「下心ありありの弟となど一緒に入れるかっ!」
「もー冷たいなぁ兄サマは。優しくするっていってるじゃん!」
「だからそういう問題ではないっ!というか何を優しくするのだ!」
「えーだからエッチしようって……」
「朝から破廉恥な言葉を口走るなっ!」
「可愛いなー兄サマはー♪」
「目を覚ませモクバ!」
 

 そんなやり取りが交わされた後、まるでお約束のように瀬人はモクバに顔の何処かに軽いキスを受けてしまうのだ。

 それを周囲の人間が微笑ましく眺めていられるのも……今のうちなのかも知れない。
 

 Good morning smack!