Act6 切ない気持ち

「あの、さ。オレ、実はお前の事が好きなんだけど」

 それは、城之内が海馬邸に通う様になってから数ヶ月目の事だった。

 それまで驚異の忍耐力を持ってして瀬人のベッドを占領し続けて来た彼だったが、好きと言う気持ちから湧きあがる様々な衝動が段々と我慢出来なくなって、その日ついに彼はいつものベッドの中で、瀬人にそう告白してみた。

 すると既に半分おやすみモードの告白相手は、至極眠そうな声でこう応えた。

「……そんなのは分かっているから寝ぼけてないで眠いのならさっさと寝ろ」

 そのままふっと抜けた身体の力と共にしっかり寝入ってしまった目の前の顔を茫然と見返して、城之内は溜息も付けないままに自分でも笑えるほど呆けた声で、こう呟くしかなかった。

「駄目だこりゃ」

 精一杯の勇気を振り絞った一世一代の告白は、そうして深い眠りと共に受け流されたのだ。

「……あーもー。オレはマジなんだっつーの。おいコラ寝るな。襲うぞ」

 そんな余りにも悲し過ぎる現実を目の当たりにした数秒後、漸くはぁっ、と大きな溜息を吐けた城之内は、至近距離で向かい合っているこの状況でも恐ろしく無防備に眠り続ける瀬人に向かって恨みがましくそう呟く。そのほんの少し前までは幸せの象徴だった綺麗な寝顔も、触れあった場所から感じる温かな体温も、最近は幸せどころか、むしろ苦痛に感じる様になって来た。

 触れて眠るだけじゃ我慢できない。

 17歳の青少年としては至極当たり前のその衝動を抑えつけておくのはもはや困難で、城之内は決断の時を迫られていたのだ。

 その選択肢の中に、「今まで通りこの状況を甘んじて受け入れる」というモノはもうなかった。彼が自らに提示したのは『海馬に告白をして受け入れて貰う』か、『諦めてもうここには近づかない』かの究極の選択で、本日その内の一つを選び取って実行してみたのだが、見事滑ってしまったのだ。

 これが瀬人から明確な拒絶をされたのならまだ気持ちにケリを付ける事が出来るのだが、不幸な事に瀬人は城之内の言葉自体をまるで理解してはいなかった。否、ただ眠気に襲われて面倒でそう答えただけだったのかもしれないが、どちらにしてもはぐらかされたというのが正解で。はぐらかされると言う事は、自分に対しては全く真剣に考える気がないという事なのだろうと、城之内は理解したのだ。

(……なんつーかもう、ダメだよなぁ)

 目の前の安らかな寝顔を見ながら、城之内は心の中でそうごちる。今だって、本音を言えば軽く閉ざされているその瞼に、頬に、そして唇に、キスをしてみたいという衝動に駆られているのだ。

 否、それは瀬人に共寝をしようと持ちかけた時からおぼろげに思っていた事だったが、今のそれはそんな生温い感情じゃない。許されれば今すぐにでもその身体を抱き寄せて、抱き締めて、それはそれで大好きなシルクの寝巻越しじゃなく、その下の肌の感触を味わってみたいとそうはっきりと望んでいた。

 まだ、キスすらした事もない間柄なのに。それどころか本気で好きの一言も告げていない。

 こんな事になるのなら、相手の絶望的な鈍さや常識のなさに付け込んでこんな真似をするのではなく、もっと正攻法で攻めれば良かった。好きだと言って、キスをして、目的を持って同じベッドで寝たいんだとちゃんと主張すれば良かった。そう思っても、もう後の祭りだ。どうしようもない。

 最初は傍にいられるだけで幸せだと思ったのに。何時の間にこんなに我が儘になってしまったのだろう。否、逆を返せば、それだけ好きになったのだ。見て触れているだけでは、我慢できない程に。

 そんな事を思いつつ胸に抱えた切なさを持て余し再び溜息を吐こうとすると、不意に大人しく眠っていた瀬人がごそりと動いて、城之内の方に近づいて来た。今日は少し肌寒いからだろうか、少しだけ眉を寄せて身を縮こまらせてすり寄ってくる。それは、普段から彼が無意識のうちにする仕草の一つだったが、今の城之内に取っては嫌がらせ以外の何物でもない。

 そう言えば、何時の間にこいつ、オレの方に顔を向けて寝る様になったんだろう。

 肩口に感じる微かな寝息に意識を持っていかれない様に、そんな事を考えながら必死にまだなんとか形にならずにすんでいる衝動を抑え込む。そう、最初は寝入りばなには必ず向けられていた筈の背が、今や余り見る事もなくなった。距離だって初めはベッドの端と端位に離れていたのに、今や身体を曲げる事すら出来ない程近くにいる。

 それだけ、相手も心を許したという事なのだろうか。まぁ、風呂にも一緒に入った仲だし、もう隠すものなんか何一つないのだけど。

 ……けれど、それは。

「切ないなー」

 思わずぽつりとそう口に出して呟いてしまう。そう、今の気持ちを的確に表すなら、辛いでもムカつくでもなく、切ないのだ。絶対的な信頼を置かれた上で、特別な位置を与えられた事。それは確かに嬉しい事なのかもしれないが、同時に悲しい事でもあった。これではまるで兄弟に恋をしている気分だ。

 勿論瀬人と自分は外見上赤の他人であり今現在はただのクラスメイトというなんとも希薄な関係ではあったが、内面ではモクバ曰く、彼と同じ地位を獲得している。故にこの関係は兄弟にも等しいという事で。だからこそ、禁断の恋のようだと思ったのだ。

 我ながら上手い事を考えたと城之内は一人笑う。

 ああ、だから瀬人は、オレの『好き』を軽く受け流してしまったんだ。オレの「好きだ」は、あいつにとっては所謂モクバが口にする「兄サマ大好き」と同じ意味で、だからこそ「そんな事は分かっているから早く寝ろ」とさらりと応えて眠ってしまったと、そういう訳なのだ。

 真相は、もしかしたら違うのかもしれないが、その可能性が一番高い。

「そっかぁ」

 はぁ、とまた溜息が零れ落ちる。今度は至近距離に瀬人の顔があったので、吐息で前髪が軽く揺れた。その感触が気に入らなかったのか、少しだけ渋い顔をしてまたごそりと動く。けれど、体勢は変わらず顔は城之内の肩に置かれたままだ。ここまでくると、なんかもうどうでもいい気分になってくる。昂ぶった気持ちも少し萎えた。

 こうも無防備にすり寄られると欲情する方が馬鹿みたいだ。なんだこいつ、もしかして何もかも分かっててやってるんじゃねぇだろうな。呆れた気持ちが大部分を締めてしまった心はもうぐちゃぐちゃで、整合性も何もない。何がなんだか分からない。

「なー海馬。オレさー、そろそろ限界なんだけど」

 直ぐ傍にある耳元でそう囁ける様になった頃には、城之内の身体も心も大分落ち着いて、何時も通りの穏やかな気持ちに戻っていた。けれど、熱が完全に消えたわけでもなく、はっきりと自覚した衝動付きの恋心がなくなる事もない。

 今夜は、大丈夫になった、ただ、それだけだ。

 もう眼前の背に触れても、落ち着かなく動く事も無意味に汗をかく事もなくなった掌で、しっかりと瀬人を抱きしめて、大きな深呼吸を数回繰り返した城之内は、今のうちに寝てしまおうと目を閉じる。問題が解決したわけでも、気持ちに整理がついたわけでもなかったが、今はただ再び感じる事が出来るこの幸福に包まれながら穏やかな一時に身を沈めようと、そう思った。

 今度は瀬人がちゃんと起きている時に、しっかりとした形で思いを伝えてみよう。

 そしていつか、兄弟とはまた違った特別な位置に身を置ける日が来る事を、城之内は心の底から願いながら、深い眠りへと落ちるのだった。
 

 ほんの少しの、切ない気持と共に。