カリスマ Act2

「よし、と。後はお願いね、克也くん。レジはもう締めちゃったけど、海馬さんならカードだから問題ないわね」
「あーはい。大丈夫です。すみません、時間外で。片づけはちゃんとしておきます」
「じゃ、頼んだわよ」
「お疲れ様でした〜」

 まだまだ外は薄明るい午後8時。店はもう締める時間だけど、今から海馬が来るって言うから特別にオレが居残っている。あいつはまず営業時間内になんか顔を出さない。一番酷い時は夜の12時過ぎてから、なんて事もあった。まぁお忙しい社長さんですからしょうがないっちゃしょうがないけど。それに、他のお客さんがいる時に顔なんか出された日には大騒ぎになってしまう。

 なので海馬だけは店長の許可を貰って時間外でオレが担当する事にしている。下っ端のスタッフにこんなに自由にさせてくれるうちの店長はやっぱりいい人だ。オレって超恵まれてる。……まぁ、その客が海馬だって事がネックなんだろうけどさ。なんか海馬のファンだって言うし。

 相変わらず童実野町での海馬の知名度は抜群で、その背格好だけで一発で分かってしまうほどの有名人だ。学生社長だった頃から何かとお騒がせだったけれど、大学を卒業して会社に専念するようになってからはその露出は格段に増えた。

 今まで嫌がって絶対にやらなかった自社製品の宣伝活動にも精力的に取り組んで、CMだのテレビ出演だの、お前いつ社長やってんだよ、と思う位忙しい。その時、当然スタイリストだのヘアメイクアップアーティストだのが必要な訳だけど、頭の方はやっぱオレがやってる(別に何かアレンジする訳じゃないし)。

 だから、撮影は絶対海外ではやらない。そういう所が大半が可愛くない要素で構成されているあいつの可愛い所だと思う。

 けど、あんまり有名になり過ぎるのも善し悪しだよな。お陰でこの辺じゃー一緒に外に出る事も出来ない。一回だけ変装させてみた事があったけど、海馬はやっぱり海馬で直ぐにバレた。……これはアレだな残る手段は女装だな。今度やってみよう。やべ、すげー面白そう。アーティスト魂が疼くぜ!

 と、オレがやっぱりにやにやしながらそんな事を考えていたその時だった。

 閉店時間を過ぎた為に、自動開閉をオフにしていた正面扉が微かに開く音がした。はっとして後ろを振り向くと、そこには二ヶ月前に別れた時と全く変わりのない海馬が飄々とした態度で立っていた。ちょ、お前声位かけろよ。なんでそんなに偉そうなんだ。

「意外に早かったなぁ。9時位って聞いたけど?」
「相変わらず貴様は客に挨拶も出来んのか」
「客って。あー一応お前もお客様か。じゃあいらっしゃいませーご指名ありがとうございまーす」
「馬鹿か」
「酷ぇ。ともあれ久しぶり。とりあえずちゃっちゃと済ませて帰ろうぜ」
「オレは髪を切りに来たのであって貴様と遊びに来た訳ではないわ」
「そんな事言ってー。どうせ今夜この後予定入れてないんでしょー?」
「ふん」
「どっちに行く?オレん家?お前ん家?どっちでもいいけど」
「この間はオレの家だったな」
「じゃー今日はオレの家にしよう。昨日片付けたばっかだ。良かったー」
「貴様の場合片付けようが片付けなかろうが一緒だろうが。いい加減年相応の生活をしたらどうだ」
「お前って来る度説教なのな。つーかさぁ、約二ヶ月ぶりに会った恋人に対してもうちょっとなんかないわけ?会いたかったーとかさ」
「会いたかった。寂しくて死にそうだった」
「えっ?!」
「と言えばいいのか?微塵も思っていないが」
「……もういいです。じゃー早くそこに座って。あ、エスコートしましょうか?お手をどうぞ」
「要らんサービスは付けなくていい」
「はいはい」

 あーちくしょー。相変わらず可愛くねーなーもうっ。なんつーか離れてると物凄く寂しかったり恋しかったりするんだけど、こうやって直接会うとその態度のでかさとか小生意気な言動とかでそんなの帳消しになる位憎ったらしい。……でも、それでこそ海馬って感じがするから、なんかほっとしちまったりして。

 鏡の前に座った海馬に真っ青なケープをかけて、髪の状態を確かめる為に軽く触る。あーなんかやっぱりちょっとパサついている。人の生活環境や整理整頓には口煩い癖に自分の事になると全く興味を示さないこいつは、身体は元より髪なんてそれこそ放置プレイ状態だ。

 それでもいいシャンプーやヘアトリートメントを使っている筈だからそんなに傷めたりはしないんだろうけど、やっぱり大分髪が痩せている。本体も髪も栄養貰ってないんだろうなぁ、可哀想に。

「お客さん、髪がぱさぱさなんですけど。オレがあんなに手厚くケアしてやったのに全く意味ないじゃん。どうしてこうかね」
「知らん。二ヶ月も持た無い様では意味など無いわ」
「あのなぁ、お前がやってる奴は本人さえ健康なら普通は半年持つもんなの。どんだけ身体苛めてんだよ」
「特に何もしていない」
「嘘吐け。この辺なんかもカサついてるじゃん。ビタミンCが足りないんだな。果物食え」
「余計な世話だ。煩い」
「お前だってオレにあれこれ煩いんだからお互い様なんです」

 そう言ってオレは少し指通りの悪くなった栗色の髪をもう一度だけ軽く撫で付けると、空いた手の指先で触っていた唇に軽いキスを一つ落とした。二十歳前までは荒れ知らずだったそこも、ほんの少しだけカサついていて、ああやっぱり年ってちゃんと取るんだなぁなんて妙なところで感心してしまう。

 その少し荒れた唇を辿っていたオレの指も、今までの肉体労働から出来る傷やカサツキとは全然違って、美容師特有の薬品負けでボロボロだ。社長業だって美容師だって見かけは確かに華やかでカッコいいけど実際は過酷な肉体労働と変わらない。それでも自分で選んだ道だから、愚痴は言うけど辞めようとは思わない。

 それに、今はたまに持てるこういう時間があるからこそやっていける。凄く単純な事だけど、こう言う時恋人がいるっていいなぁとしみじみ思う。我が儘をいうならもうちょっと頻繁に会えればいいんだけどね。

「とりあえず、いつものコース、やります?」

 この店のヘアエステの中では最高級、プラスオレの愛情付きのスペシャルコース。

 顔を覗き込んだ体制のまま少しおどけてそう言うと、海馬はやっぱり可愛くない顔をして、さっさとしろ、なんて言ってつんとそっぽを向いた。

 その生意気な唇にもう一度今度は少し念入りなキスをして、オレはとても名残惜しく触れていた白い顔から手を離した。
「そう言えばお前って頭洗うの下手だよな。物凄い痛いっつーか」
「モクバ相手にしかした事がないからな」
「あ、なーる。あの頭じゃ確かに力入れたくなるよなー。でもお前の髪は違うんだからそういう洗い方しちゃ駄目だって言ったじゃん。後、バスタオルで拭くのもガシガシしちゃ駄目なんです。何回言ったと思ってんだよ、言う事聞け」
「加減など分からん。いちいち覚えていられるか」
「オレがこんなに大事にしてやってんのにお前が大事にしなかったら意味ないだろ」
「どうでもいいわ」
「良くないの。お前の物はオレの物なんだから。むしろお前がオレのモノだ」
「なんだそれは」
「ん?ジャイアニズム……って言っても分かんねーかな」
「知るわけがないだろう」
「まーとにかく、頭の先からつま先まで全部オレのなんだから、ちゃんと大事にして下さい」
「勝手な事を言うな」

 勝手じゃないんです。当然なんです。この本来なら天使の輪が出来るような綺麗な栗色の髪も、真夏の青空の様などこまでも澄んだ深い蒼の瞳も、海馬という人間を形作る全ての要素は全部オレのもので、髪の毛一本の果てまで大事にしているんだから、粗末に扱って欲しくないというのは当然の事で。海馬だってオレの事を自分の事よりも熱心に気にかけて来るんだから、その点はお互い様だ。

 まぁ、そう言ったって結局はそんな暇が無い、とか言って二人とも適当にしちゃう訳だけど、これも一種のスタイルっつーか、お決まりのやり取りだから特に意味はない。両方面倒臭がりで普段は殆ど電話もしない仲だから、会えた時は結構色んな事を喋ったりする。

 ガキだった頃は余り言わなかったちょっと照れ臭い言葉なんかも平気で言えるようになった。……こういうのが大人になるって事なんだろうか。あ、違う?

 細い髪を丁寧にコームで梳いて、やっぱり大分伸びていた前髪を慎重に切ってやる。幾つになっても変わらない髪型に、一度前髪上げてみたら?なんて提案したら怒られた。別にそんなに変じゃないのに、なんで額を隠す事にこだわるのかねこの人は。良く分かんねぇな。

「なー、なんで前髪下ろすの?この間のアレ、カッコ良かったじゃん」
「アレは撮影用だろうが。二度とやらんわ。大体、人に言う前に貴様が実行したらどうなのだ」
「オレはいーの。似合わねーんだもん」
「なら言うな」
「だって勿体ねーし。大体お前素材を無駄にし過ぎ。もっとこう……」
「喧しい。騒がれれば煩いのは貴様だろうが」
「あ、もしかしてオレの為?」
「そんな訳ないだろう」
「はいはい。そういう事にしておいてやるよ」

 はは、びみょーに照れてやんの。こいつ絶対自分の口では言わないけど、オレに突っ込ませる隙は与えるんだよな。無言イコール肯定ってのはもうオレ達の間ではセオリーだから、海馬が黙るとなんか勝った気分になってすんごく嬉しい。それを海馬も知ってるからなんとか反論しようと口を開こうとするんだけど、結局墓穴を掘る結果になるから黙るしかない訳だ。可哀想に。あー面白い。

 今の話に出た『この間』っていうのは、一番最後にやったCM撮影の時の事だ。半年前に衣料品ブランドの企業を吸収して、アパレル業界にも進出する事になったKCは、初CMに海馬社長自らが出演する事になり、その際着たスーツに合わせて髪型もちょっと弄った。フォーマル系だったから前髪を上げたんだけど、海馬くんはどうにもそれがお気に召さなかったらしい。

 何でかなー周囲の評判は上々だったんだけどな。ほら、人間額を出すと凄く大人っぽく見えるっしょ。オレ的にはいい男がますますいい男になったと思うんだけど、なんか落ち着かないんだって。

 ちなみにオレが額を出さないのは似合う似合わないの問題じゃなくって、結構目立つデカイ傷があるからなんだけど……海馬、知ってたっけかな?まぁあろうが無かろうが海馬的には全く関係ないんだろうけど。

 しっかしそれを考えると、オレも海馬もほんっと変わり映えしないっていうか、変化がないよな。学生ん時と何も変えてないもんな。別に変わりたいと思っている訳じゃねぇけど、高校卒業してから偉く身長が伸びてガタイが良くなった遊戯とか見てると、変化がない自分がちょっと置いて行かれた様な気がする。

「べっつにムキムキになりたいと思ってる訳じゃねぇけどさ」
「……何をさっきから一人でぶつぶつ言っている。気色悪い」
「や、なんつーかオレも海馬も変わんねぇなぁって。遊戯とかは結構変わってるのに、味気ないなと思って」
「遊戯の場合は成長期が遅れていただけだろうが」
「そんな身も蓋もない。まぁお前の場合成長期が人よりも倍速かったもんねー。見かけは大人、中身は子供、ってさ。逆に今は……あーピーターパン?何時まで経っても大人になれない子供〜みたいな」
「だから訳のわからん事を言うなと言っている」
「え?ピーターパン知らないの?」
「知ってるわ!」
「知ってるのか?!」
「馬鹿にするな!!」
「そんなに怒らなくても」
「貴様の言動がいちいち腹立たしいのだ!」
「だってお前が普通の事知ってるとなんか変なんだもん」
「失礼な」
「でもさ、男って皆ピーターパンだよな。なかなか大人になれないって言うか。オレもたまーに高校生に戻りたいなーって思う時あるし、昔は楽しかったよなー」
「……今は楽しくないのか」
「そんな事無いけど。今の楽しさと昔の楽しさって違うじゃん。今はある程度色んな事の『楽しみ方』を知ってるけど、昔は何をしても楽しかったっていうか。キラキラしてたっていうか。喧嘩ですら楽しかったもんな。最近喧嘩もしないじゃん?」
「したいのか」
「や、別に」
「なら言うな」

 ぴしゃりとそう言い放ち、海馬はいい加減オレの無駄口に呆れたのかむっとして口を噤んでしまった。あれ、なんで怒ってるんだろう。もしかしてオレが昔が昔がって過去の事ばっかり持ちだしたから、過去のオレ達に嫉妬でもしたんだろうか。んな無茶な。

 あーでもオレも少しだけ昔のオレが羨ましい。だってあの頃は海馬は日本にいたし、会おうと思えばいつでも会いに行けたし、何でも言えたし何でも出来た。オトコノコらしく殴り合いの喧嘩もして、死ねとかくたばれとか二度と顔を見せるなとか、とんでもない言葉の応酬も平気でやった。そんな当時の当たり前の出来事は、今では楽しい思い出話になっている。

 けど大人になった今ではお互いに大分落ち着いて怒る事も少なくなった。譲り合うという事も覚えたし、良くも悪くも本当に大人になった。当たり前の事なんだけど、それが少し寂しい。ごくたまに昔みたいに我が儘を言い合って、気に入らない事はガンガン口にして、大喧嘩して殴り合ってみたいと思ってしまう。でも多分、もうそんな事は出来ないんだろう。

「大人になるってちょっと切ないよなー」
「おい、真面目にやれ」
「真面目にやってるよ。人が浸ってるのに煩いな。大体毛先揃えるだけのカットに神経も何も使わないっての」
「最低の店員だな。後でオーナーにチクってやる」
「あ、それは勘弁」

 あ、まだ機嫌が悪い。はいはい、過去に浸るのはもうやめにしますよ。ったくそんな無理な嫉妬抱かれても困るんだけど。相変わらず良く分かんねーなーこいつ。

 パラパラと落ちて行く細い毛の一本一本を丁寧に払いながら、オレは鏡の中に映る過去も今も全く変わらないその顔をじっと見つめると、にっこり笑って「はい、過去に嫉妬しない」と言ってやったら、案の定ヒステリックに「していない!」と返って来た。めっちゃしてるんじゃん。分かりやすっ。

 けれどやっぱり、こういうやりとりが楽しいと思うオレが一番過去に嫉妬してるんだとこっそりと思ったのは内緒だった。