カリスマ Act4

「うわっ、蒸し暑い!クーラークーラーッ!」
「窓を閉め切っていればな」
「お前涼しそうな顔してんじゃねーよ。あ、風呂入れて。ちゃんと今朝洗ったから大丈夫」
「客をこき使うのか?」
「客じゃねーだろ。オレよりもここに馴染んでる癖に。あ、ビール切れてた!どうしよう!」
「買って来てやろうか」
「お前が?!……うーん、心配だなぁ。海馬くんにお買物ちゃんとできるかなぁ」
「貴様オレを馬鹿にしているのか?一階のコンビニに行くだけだろうが」
「そーだけどー。エレベーターで痴漢とかされたら困るじゃん」
「それは貴様だけだっ。行ってくる!」
「あ、金は?お前現金持ってるの?ドルは駄目だぜドルは」
「喧しいわ!」

 家に入って早々そんなやり取りを交わした後、再びバンッ!と凄い音を立てて見かけ通りの少し重たいドアが乱暴に閉められてオートロックがガチャリとかかる。まーったく幾つになってもすぐ癇癪起こすんだから。まぁ、からかうオレもオレなんだけど。

 でも海馬もちょっと成長したよな。腰が軽くなったって言うか。以前なら絶対自分から動くなんて事しなかったけど、今は結構何でもやってくれるし、近所になら買い物にも行ってくれる。

 つか、あいつもあっちで一人暮らししてるらしいから、手慣れたんだろうな。うん、いい傾向だ。最初は全然信じらんなかったけどな。大体公共の交通機関使う姿だって想像出来なかったのに。それじゃ今や地下鉄マスターだぜ。慣れって恐ろしい。

 そんな事をにやにやしつつ考えながら、オレはクーラーのスイッチを入れると大分綺麗にしたつもりだったけど雑然としている室内を手早く片付けて(と言ってもクローゼットの中に全部押し込んだだけだけど)海馬がしないでいった風呂の電源を入れると、ちょっと遅いけど夕飯を作る為にキッチンへと向かって……少し考えた。

 全く気を使わない様でその実結構色んな事に気が回る海馬が、コンビニで弁当を買ってくるとも限らないからだ。高校の頃はそんなジャンクフードが食えるかッ!と大騒ぎしていた癖に最近は悪い方向に世慣れして、ハンバーガーだのコンビニフードだの果ては冷凍食品やカップラーメンまで平気で食う様になった。その割に体系全然変わらないのはズルイとは思うけど。……いいんだか悪いんだか。

 まぁコンビニ弁当もオレが作る残り物チャーハンも身体に悪いのは同じようなもんだからどうでもいいんだけど。とりあえず海馬くんの気遣いに期待して待ってる事にしますか。

 それにしても一人じゃないってやっぱいいよなぁ。こうして夜中にテレビつけても寂しくないし。面倒臭くってスナック菓子とかで済ませてしまう夕飯もちゃんと食べようと思うし。エッチ出来るし!……って、あ!ゴムっ!!そういや無かった!

 海馬に頼んだら怒られるかな……まぁいいや一応電話しとこ、とオレはテーブルの上に放っていた携帯を取りあげると、多分まだコンビニにいるだろう海馬に電話してみる。コール音が三回鳴った所で答えた「なんだ」の声と、バックから聞こえる今週オリコン1位を取った流行曲に、ああまだコンビニにいた良かったーと思いつつ、オレはちょっとお願いがあるんだけど……と前置きして特に躊躇もなくこう言った。

「あのさ、ゴム切れてたの忘れてたんだわ。ついでに買って来て」
『は?』
「だからーコンドーム」
『コ……何故オレがそんなモノを買わねばならんのだっ!』
「えー無いと困るだろお前が。無くてもいーんなら別にいいけどーオレはむしろ中出し歓迎」
『電話口でふざけた事を抜かすなッ!』
「まーとにかく、その辺の判断はお前に任すわ。じゃ、そういう事で」
『貴様後で覚えてろよ』
「あ、そういや弁当買った?」
『ああ!』

 ブツッ、とやっぱり勢い良く切られた電話に爆笑しながら、オレは凄く満足して携帯を放り投げる。やっべ超面白い。あいつしっかり弁当買ってるよ流石だね。つかあんな美人さんがビールと弁当とコンドームとかマジウケる。モクバが聞いたら泣くぞ絶対。バッチリ言うけどな。

 ひとしきり笑った後、オレは超不機嫌な顔で帰ってくるだろう海馬をどう宥めようか考えつつ、始まったお笑い番組をニュースに変えると一足先に風呂に入った。

 多分丁度いいタイミングでビールが来るな、と思ったから。
 
 

「お、すげー。ちゃんとゴム買ってきたじゃん……ってイテッ!投げんなよ!」
「煩い、死ねッ!この変態が!!」
「ヘンタイって。オレは別にどっちでもいいって言っただろ?つかこんなん誰だってフツーに買うだろうよ。女の子だって買うし。お前だけだぜ恥ずかしがってんの」
「恥ずかしがってるんじゃないわ!」
「何、店員さんに突っ込まれた?こんな袋に入れて貰っちゃってまぁご丁寧に」
「こんなものにいちいち突っ込む馬鹿がいるか!」
「じゃーなんで怒ってんだよ。ともあれ、ごくろーさん。あ、お前はどうする?メシにする?風呂にする?それともオレにする?」
「……割り箸を突っ込んでやろうか?」
「どこに?!ごめんなさい!」
「フン」

 そう言って、いかにも腹立たしいっ!と言わんばかりにそっぽを向いた海馬は、足音も荒くバスルームの方に向かって歩いて行ってしまう。あーあ、これがあいつの家だったら一緒に入ったり出来んのに、さすがにユニットバスじゃそうもいかないよなー残念残念。って声に出して呟いてたら「ふざけるな!」とまた怒鳴られた。地獄耳だなーもう。ここはあくまでマンションなんだから大声出すなっての。……と、そんな事より忘れてた!

「あ、海馬!お前頭濡らしてもいいけどシャンプー付けんなよ!!」
「何がだ!」
「仕上げ仕上げっ!!ちょっと待っとけ!!」
「面倒臭いわ!入って来たら殺す!」
「面倒臭いじゃねーっての!いいから言う事聞けっ!」

 どうせオレの家の風呂に入るから最後の仕上げは店じゃなくて風呂でやろうと思ってたオレは、持って帰って来た仕上げ用の薬剤一式をひっつかんで海馬のいるバスルームまで飛んでいった。案の定未だ不機嫌全開の海馬くんに猛烈な抵抗にあったけれど、幾らなんでもその頭じゃ邪魔だろ?と宥めすかして、なんとか最後の工程をやらせて貰った。これで度が過ぎたサラサラからしっとりになるはず。って……男なのになんだろな、この髪質、すげぇ。

「ついでだから頭皮マッサージもしてやるよ、これ気持ちいいんだぜ」
「結構だ」
「そう言わずに。将来ハゲたら嫌だろ?」
「人の頭よりまず自分の頭を心配したらどうだ。大体美容師の癖になんだそれは」
「オレのはもうどうしようもないんですー。これでも一応手入れしてるんだぜ?今度金髪やめようかな。お前とお揃いで栗色とか」
「似合わん」
「オレもそう思う」
「なら言うな」
「今更イメチェンも何もないよなー。何したってお前興味なさそうだし」
「どうでもいい」
「そうでしょうとも」

 全くやる気が見られないよな。いいんだか悪いんだか。オレははぁ、と大きな溜息を吐きながら、両手で形が良く人よりも若干小さい目の前の頭を包み込んで、余り力を入れないように優しくマッサージをしてやった。
「もういい」
「お前なんだそれ。それっぽっちしか食わねーんなら弁当買ってくんな」
「どうせ後は貴様が始末するだろうが。だからわざわざ違う種類のモノを買って来てやったんだ。有難く思え」
「偉そうに。残飯有難がる馬鹿がどこにいんだよ」
「ここにいるだろうが」
「かー!むかつくー!」

 そう言うとオレは手にしたビールを一気に煽り、海馬が目の前に放置した弁当を引き寄せた。どこを箸でつっついたのか全く分かんねー位に減ってないご飯をかき込みつつ微妙に欠けてる海老フライを口にする。コンビニ弁当なのにちゃんとギリギリまで身が入ってて美味しいじゃん。これ結構高くて普段買えないんだよねー……って、残飯でマジ喜んでるオレって悲しい。いつもの事だけど。

「美味しいのになぁ、勿体ない。つか、お前そうやって食わないから夏バテすんだぞ。この間クーラー病になってただろ。ちゃーんとモクバから情報リークしてんだからな」
「普段は食べている」
「嘘吐け。なんだその腰とか足!気持ち悪い。髪もそうだけど栄養足りな過ぎんだよ。後5キロは体重増やせ!」
「どうやって」
「だから食えっつーの」
「無理だな」
「速攻あきらめんな」

 駄目だこりゃ、やっぱやる気ないやこの人。しかし、こんなに食ってないのにあれだけ動けるんだから、体力はあんのかな。あ、違うか気力か。どっちにしても余り身体には宜しくないんだよな。

 ……そう思いながら順調に二個目の弁当をかき込んでると、隣の海馬は空になったっぽいビールの缶をテーブルに転がすと、ソファーに深く身を沈めて大きく溜息を吐いた。アルコールの所為で仄かに赤く染まった頬に少し俯いた所為できちんと乾かしてやった髪がさらりと落ちる。なんだか瞼も凄く重そう。

 あ、ヤバい、これは寝る体制だ。そういやさっきから眠い眠いって言ってたもんな。でもこの状態で寝られたらオレが困る。何せ二ヶ月ですからね、おあずけ期間長過ぎですから。これで放置された日には駄犬の名の通り噛みつくぞマジで。

「おい、寝るなよ。寝ても襲うからな」
「……寝てなどいない」
「声が既に寝てるんですけど。超おねむじゃん」
「………………」
「あっ、目ぇ閉じたし!駄目だっつーの」

 既にすっかりリラックスモードでどこからどうみてもこのまま爆睡コースの海馬に、オレは慌てて最後の一口を放り込んで空の弁当を放り投げると、速攻ソファーに乗り上げて座る海馬の足をまたいで上から抱き込むような形でその身体を拘束する。

 今にもガクンと下に落ちそうな頭を両手で支え相変わらずいい匂いのする髪に頬を寄せると、前髪を上げてさっき嫌という程見た額に軽く唇を押し当てる。付き合い初めの頃はこんな些細な接触でも大げさに反応して防衛線張ったりしてたけど、今じゃもう何をしたって身体に力すら入れてくれない。

 や、それだけ慣れたって事だから嬉しい事なんだけど、こういう場合に困ったりするんだよね。起きねぇし。むしろ気持ちよさそうにしちゃてまぁ……こいつなんか年々ガキになってく気がするんだけどそれってどうなの。

 比べる訳じゃねぇんだけど逆にモクバの育ちが良過ぎるもんだから余計にそう思う。並べるとどっちが兄貴か分かんねぇぞ。まぁあっちは可愛い彼女持ち、こっちは頼りないけど面倒見がいい彼氏持ち(自画自賛だけど)だもんな。そりゃ違いも出るよな。しょーがないか。

「ちょっと海馬くん、起きて下さいってば」
「……起きている」
「あ、そうなの。あんまり無反応だから寝てると思った。気持ちいい?」
「……眠くて良くわからん」
「赤ちゃんかよお前は。目が覚めるような事してやろうか」
「……してるんじゃないのか?」
「してるんだけどー」

 アナタが寝ぼけてて全然感じてないだけじゃん。どんだけ眠いんだよ。こいつの事前最中事後の居眠りは今始まった事じゃないから今更どうとも思わないけど、さすがに最中はないと思ったね。リラックスし過ぎです。見てる分には和むからいいんだけどね。……とりあえず先に進みますか。

 丁度額をくっつける形で近づいていた顔を更に近づけて、オレは近い所から順に唇を押し当てる。口を開いた時はちょっとだけ持ち上がった、今は完全に閉じている瞼や目尻、その下のちょっとだけ熱を持った頬。唇は逸れて左耳の上。

 ここはキスっていうよりも舐める方が好きだから少し吸いついた後に形に添って舐めあげる。軟骨の所に歯を立てると流石に無感覚じゃ無かったらしく、少しだけ肩が揺れた。けれど、起きるような気配じゃない。でも気にしないで更に唇を落として耳朶を食み、裏側に吸いつく。髪をかき上げて結構な強さでマーキングすると、真っ白な肌は面白いほど赤く染まった。

 この際どい場所はオレが付けられたら流石に不味い位置だけど、夏だろうがなんだろうがきっちりかっちり首元までスーツを着込む海馬には全く問題ない。だからと言って調子に乗ると後からめちゃくちゃ怒られたりするんだけど、今はおねむで全く分かってないみたいだから、いつもよりも余計に付けておく。

 次会えるのが何時になるか分からないから、なるべく消えない様にしておこうと思って。全く無駄な努力では有るんだけど。

 頭の横に添えていた左手で頬を撫でて、右手は元から大分緩んでいる胸元へと滑り込ませる。それを追う様に顔も下げるとオレの髪が顔に掛って鬱陶しいのか少しだけ身じろぐ気配がした。こいつってこういう些細な刺激に弱いんだよな。手で撫でられるよりも髪が触れる方が嫌みたいだ。プレイの一環として羽とか筆とか良くあるけれど、そんなので悪戯したら殴られるどころじゃ済まないな……殺されるかも。でも一回やってみたい。多分絶叫して大暴れするんだろうな。面白そうだ。

 その様を思い浮かべて何気に口の端を緩めながら、微妙に嫌がっている髪をわざと触るように鼻先を首元に擦りつける。次いで自然と口元に近づいていた鎖骨に吸いつくと、背後で日付が変わったのか妙なイントロの深夜番組が始まる音がした。あ、これってエロイ奴じゃん。今日はなんだっけかな、レースクイーンの水上スキー対決だったかな?下らねぇけど結構見ちまうんだよな、面白いから。……今は勿論集中しますけど。

 と、オレが手探りで近間にあったリモコンでテレビのスイッチを切った途端、部屋が急に静かになる。微かに聞こえるクーラーと冷蔵庫の稼働音以外何も聞こえない空間。その中に一際大きく響いたのは、オレが海馬の身体に吸いつく音。わざと聞こえる様に大げさにやってるから当たり前なんだけど、それが妙に耳に残って興奮してくる。まだ何にもしてないけど。

「……んっ」
「お、漸く浮上した?」
「……まだ眠い」
「じゃーキスしよっか。目ぇ覚めるぜ?」
「……どうかな……」
「大丈夫、覚めるから。はい、口あけて」

 緩やかに差し込んだ指先で胸元を弄りながら乳首を軽く摘まんでやると、流石の海馬も漸く眠りの淵からちょっと浮上して、小さく身体を震わせて息をつめた。とろんとした眼差しが伺う様に見上げたオレの視線とばっちり合う。お、やっとスイッチ入って来ましたね。これでベッドに運んで行かなくても済むかなーなんて微妙に明後日な方向に思いを巡らせたその時だった。

 普段は人の言う事なんか全く無視する癖にセックスの時には案外素直に言う事を聞く海馬の両手がオレの首へとするりと回り、言われた通りに本当にちょっとだけ口を開く。その隙間から見える柔らかな赤い舌に、オレは良くできました、とばかりに伸びをして吸いついた。

 最初から舌を絡め合う事が目的のキス。苦いビールの味とオレが直前まで食べていたオイスターソースの味が絡んで物凄く妙だけれど、そんな事は直ぐに忘れてただ感じるその柔らかさと熱さに夢中になる。呼吸をする暇も、唾液を呑み込む間もなく触れあって苦しいわ舌先が痺れるわで大変だけど、それ以上に物凄く気持ち良かった。気持ち良くて、幸せだ。

「……目、覚めたよな?」

 長い長いキスの後、余韻を残すように互いの口を繋ぐ唾液の名残を拭う事もしないまま、オレはすぐ目の前で息を弾ませている海馬に、そう言ってにこりと笑った。

 それに、はっきりと意識を持って見上げて来る瞳に、返事は聞くまでもないと思った。

 ソファーを降りて、さり気なく右手を差し出す。さぁベッドへ、お姫様。そんなフザけた台詞をつけて、恭しく。
 

 その手を無言で掴んだ指先を強く強く握り締めて、オレは長い夜への第一歩を踏み出した。