Act3 もしもし(Side.城之内)

「よぉ勤労学生君。朝からしっかり働いているかね?」
「黙れ浪人生。いい加減親の脛齧りしてねーで働け」
「それを言われるとちっと痛いな……しっかし何よ朝から不機嫌面して。交通整理の兄ちゃんはもっと爽やかに愛想振りまかないと女子高生にゃモテないぜ」
「うるっせぇな。別にモテなくてもいいんだよ」
「そりゃーそうだよなー城之内くんは今週薔薇色の一週間だもんなー大好きな彼女……じゃねぇ、恋人との新築マンションラブラブ生活!どうよどうよ、海馬と腰立たねぇほどヤりまくってんじゃねぇだろうな。そういやさっきから腹さすってっけど、どした?」
「どうもしません」
「あ、もしかしたら早速喧嘩でボディブローでも食らったか!」
「ほっとけよ!」
「図星か!」
「嬉しそうに言ってんじゃねぇ!ぶっ殺す!!」

 やっぱりなー!毎日顔合わせなくても喧嘩してる仲だもんなー!なんて言いながら本田の奴、腹抱えて大笑いしやがった!二浪の癖に生意気なんだよこの野郎!馬鹿が弁護士になるとかふざけた事言ってんじゃねぇ!てめぇの頭の程度考えろってんだ!

 しっかし腹痛ぇ。ったく海馬の奴あんなに怒る事ねぇじゃんか。確認してないけどこれ痣になってんじゃねぇか?普通気絶させる勢いで殴るかよ。折角安売り玉子ゲットしたのに5個も人に投げつけて無駄にしやがって、意味ねぇし。

 ……そんなに嫌だったのかなぁ、あの格好。可愛いって褒めたのに。ぱっと見何処のモデルかと思うぜアレ。実物はあのデカさだからすげぇ迫力だったんだろうなぁ。ブーツのヒール何センチあった?190越えたんじゃね?どんだけ大女よ。くそ、実物見たかった。まあ、とにかく遊戯グッジョブ!つか、KCマートの特売グッジョブ!

「ま、でも幸せそうでなによりで」

 一通り笑いの衝動が収まったのか、本田が何時の間にか缶コーヒーをチラつかせてそんな事を言う。それを思い切り奪い取り、震える手でプルトップを開けて一気に飲む。やっぱ1月って寒いよなー道路ガチガチだもんな。今日も何人かすっ転んでた女見たけど、ありゃ靴が悪いよな。この道路状況でピンヒールとか馬鹿じゃねぇの。朝から豪快にパンツ見せんのはちょっとどうかと思うぜ。彼氏が泣くぞ。ってそんな事はどうでもいいんだけどよ。

「あーあったまるー」
「オレの予備校の自販機に入った新しいカフェオレが超美味いんだ。今度持って来てやる。……しかしお前等よくやるよな。まぁ、喧嘩も出来ないようじゃつまんねぇけどよ」
「喧嘩しかしてねぇけどな」
「お前等のコミュニケーションだろ。よく3年も持ってるよな。絶対3ヶ月で終わると思ってたのに」
「オレの涙ぐましい努力の結果と言って欲しいぜ」
「いや、どうかな。海馬の努力も相当のもんだろうよ」

 オレならお前なんか絶対無理だね。面倒見切れねぇもん。そんな事を呟きつつ腕時計を眺めた本田は、もう授業時間なのか肩からずり落ちた鞄を抱え直し、「じゃ、そろそろ」なんて言って立ち上がる。こっから奴の予備校までは地下鉄で一駅で、オレがこのバイトを始めてから毎朝冷やかしにやってくるのが日課みてぇになっていた。ま、奴の家がこの近くってのもあるんだけど。

 昨日のような事があって、ちょっとだけ凹んだ時なんかはこういうのって凄くありがたい。まぁ本田はそういうつもりは全然なくて、高校時代の延長でオレの顔を見ねぇと……正確に言えばオレをからかわねぇと一日が始まらないってヤツらしい。……いいのか悪いのか。でもやっぱダチっていいよな。ほっとする。

「とにかくだ。一週間なんてあっという間だぜ。喧嘩してる暇なんてないんじゃねぇの?お前が悪いんなら……まー悪くなくてもだ、とりあえず謝って許して貰うこったな。貴重な同居生活は楽しまないと。今日の朝は顔を合わせたか?」
「いんや。海馬寝てたし。起こして怒られるの嫌だからほっといた」
「隣で?」
「隣で」
「一緒に寝てくれる位じゃーまだそんなに怒ってないって。さっさと謝れ」
「んな事言ってもよー……オレ悪くねぇもん」
「お前がそう言う時って絶対何かやらかしてんだって。一応自覚あんだろ?」
「……まぁ、無くはないけど」
「ちっとでも思い当たるんなら謝っとけ。普通に考えたって、ちょっとやそっとの事じゃー相手気絶させる程殴ったりしねぇぜ」
「…………うん」
「このまま怒らせて最後までなーんも出来ませんでした。っての寂しいだろ。ま、頑張れよ」

 最後にぽん、と道路の縁石に座るオレの頭を一つ叩くと、本田は凍った雪をざりざり踏みしめながら駅へと向かう。その音を聞きながらオレはズボンのポケットから携帯を取り出した。カチリと音を立てて開くと右下の時計は9時45分で、数分前に着信が一件。相手は……海馬だ。

 あー……朝黙って出てったから怒ってんのかなーこれ以上怒らせたらオレ、あの部屋に帰れんのか?帰れなかったら二重の家出になんのか?おい。……すげー嫌。超憂鬱。電話しかけたくねー朝っぱらから怒鳴られたくねぇ、どうしよう。

 ……でも、いつかけたって結局は怒鳴られるんだよな。長引けば長引くほど事態が悪化すんのは目にみえてっし、ここで勇気を示すしかないんだよなきっと。とりあえずコーヒー飲んで落ち着いて、深呼吸と心の準備っと。── よし!

 何時もの倍の時間をかけて携帯を操作する。履歴の一番上にある名前を選んで、通話ボタンを押して……あ、繋がった。呼び出し音が長いって。怖いってのよ。こいつまさか自分から電話しかけといてシカトこいてんのか?そんなに怒ってんなら怒り冷めてから電話してくりゃいいのによ。

 って、ぶつぶつ呟いてたら、ちゃんと出ました海馬くん。バックグラウンドに聞き慣れたニュースキャスターの声が聞こえてます。って事はアナタまだ優雅に自宅ですか、そうですか。

「……あの、もしもし?」

 心持ち携帯を顔から話しつつ、オレは恐る恐る話しかけた。それに応える声はない。どこまでもシーンとしている。うっわ怖ぇ!怒鳴られるより怖ぇって。お願いしますなんか言って下さい。じゃないとオレこのまま携帯放り出したくなるから!ねぇ、海馬くん!

『凡骨』
「は、はいっ?!」
『鞄の中。一番奥のタオルの上』
「え?何が?」
『じゃあな』
「ちょ、ちょっと海馬!海馬?!おいっ!待てって!」

 ……なぁにこれぇ。切りやがったよ。怒鳴りもしなければ無言のまま終わりもしなかったってどういう事?いやでも、なんか声は普通だったな。一晩寝て腹立ちも収まったのかな。わけ分かんねぇ。しかし今なんてった?鞄の中、とか言ってなかったっけ?オレの鞄にあいつなんか細工でもしたのか?……とりあえず確認してみないと怖いから確認してみよう、そうしよう。

 オレは一人携帯に向かって頷くと、通学時間帯が終わって交通量が減ってきた事をいい事にこっそり持ち場を抜け出して、鞄の置いてある事務所まで全速力で戻った。オレに宛がわれた鍵もかからねぇぼろロッカーから件の鞄を引っ張り出し、海馬の言った通りの場所を探ってみる。……あれ、なんかある。

 引っ張り出してみると、ご丁寧にブルーの布で包まれたなんかが出てきた。全く知らないもんだから、これがさっき海馬が言ってたモノなんだろう。布を解くと高さが結構ある細長い蓋付きプラスチックケースが一つ出てきた。……え?これってなんか……アレじゃね?ほら良くガキの頃に近所の山とか海とかに持っていく……弁当箱!!
 

 ── マジで?!
 

 オレは恐る恐るその弁当らしき物体の上部蓋部分を開けてみる。すると……どうよ。中身はちゃんとお弁当でした。玉子焼きと、おにぎり。っておい、海馬これ作っちゃったの?!一昨日炊飯器と電子レンジと全自動洗濯機の説明書ガン見してた人間が?!

「………………」

 オレは数秒間その姿勢のまま固まっていた。嬉しいってよりも、度肝抜かれた。まさに唖然呆然。なぁ海馬、お前どこのいい奥さんだよ。ていうかこの玉子昨日オレに投げつけたヤツじゃないだろうな。つーか食えんのかこれ。匂いはすげぇいい匂いしちゃってるけど。

「お、なんだ城之内。今日は弁当か?手作りじゃんこれ。彼女作?一個食ってもいい?」
「おいっ!勝手に食うな!」

 開いた弁当を目の前にあーだこーだ考えていると、背後から同じバイトの奴がひょいっと一つ玉子焼きを盗みやがった。あ、お前しらねーぞ。何入ってんだか分かんねぇのに!!……と、恐怖半分興味半分で玉子焼きを口に入れた奴の顔を眺めていたら……おいおい、なんか超いい笑顔。

「うおっ、すげーうめぇ!」
「えっ、マジで?!」
「マジマジ。オレのおふくろのよりうめーかも。何お前こんな料理作れる彼女いんの!うーらやましい。今度紹介しろよ。ついでにオレの彼女も探してくれ。同じ大学?」
「ノーコメント」

 ……うわぁ、マジだよ。こいつ結構好き嫌い激しいから、こいつが美味いっていうんだから美味いんだろうな。やべ、すげぇ見直した。昨日殴られた事なんて帳消しになる程見直した。いい彼女……じゃない、恋人もったなぁ、オレ。やっぱすげー幸せじゃん。

「チッ、自分ばっかりいい思いしやがって。あ、それはいいけど、お前持ち場どうしたよ?さっき鬼塚の野郎が名前叫んでたぞ」
「あっ、やべ!!ほっぽり投げてきた!」
「早くいかねーとおっかねぇぞ。その弁当は任せろ、オレが食ってやる」
「馬鹿いえ!それ以上手ぇつけたらぶん殴るぞ!」
「うそうそ。触らねぇから早く行って来い」
「マジだからな!」
「わかったって」

 このままここに置いたら絶対こいつ食い尽くす!……そう思ったオレは弁当を抱えて持ち場に帰り、それでしこたま怒られたがそんな事はどうでも良かった。後にゆっくりと味わった結果、確かに凄く美味かった。今まで食った食い物の中で一番じゃねぇかって位に。
 

── 昨日はごめんな。弁当美味かった。
 

 昼休み、そうメールをしたら、海馬からの返事は返ってこなかった。大体オレの謝罪のメールには返信してこないのがフツーだから、別段気にはしなかった。

 今日は帰ったら空の弁当箱を見せびらかして、もう一回きちんと謝ろうと思う。

 そして、晩メシはオレが作ってやる事にした。カレーしかできねぇけど。