Act8 最後にHappy birthday!(Side.海馬)

 今日は珍しく、オレの方が早く目が覚めた。

 その日は朝から雪が降っていて、遮光カーテンの隙間から入る光が酷く弱弱しい。額に感じる暖かな息。まるで人を縫いぐるみか何かの様に抱きしめて眠る城之内のその癖には、この部屋に来てからほぼ毎日安眠を妨げられた。

 力任せに引き寄せて両腕で抱えて眠るものだから、やられた方は息苦しくて起きてしまう。寝ているのに相当力が入ったその腕を押しのけて、ついでに背まで向けて寝ているのに、朝起きると全く同じ状況になっている。

 苦しいからやめろ、と言っても「お前が擦り寄ってくるんだぜ」と言い返され、どちらも眠っての事だから結局真相は分からずじまい。……でもまぁ、どちらでもいい。呼吸さえできればどうでもいいからな。
 

 オレ達は、今日この部屋を出て行く。
 

 そしてオレは、明日からアメリカだ。新しくロサンゼルスに作った支社の立ち上げだから長期出張になるだろう。大学には一昨日半年間の休学届けを出した。その事は、まだ城之内には言ってない。この一週間、何時言おうか密かに迷っていて、結局今日まで口には出来なかった。何時言っても同じ事なのに、どうしても口に出来ない。

 ふと、視界に入った自分の携帯に手を伸ばし、着信を知らせるランプに極力音を立てないように開いて見ると、メールが数件舞い込んでいた。全て明日からの仕事に関する内容だ。ぎっしり詰まったタイムスケジュールに思わず溜息が零れ落ちる。

 不意に画面右下にあるデジタルカレンダーに目が行った。1月25日。思わず目の前の顔を見つめる。今日が奴の誕生日だった。

 しまりのない顔で口の端から涎まで垂らして熟睡するその顔を見ていると、何故に自分がこんな男を好きなのだろうと改めて思う。どうせ食べ物の夢でもみているのだろうが、枕カバーに染みまでつけて、時折口を動かすその仕草に緩みっぱなしのその頬をつねり上げてやりたくなる。

 オレよりも少しだけ高いその体温は、強く密着した事も相まって暑い位だ。その割りに寒い寒いと言ってコタツに首まで入って出てこない。その姿はまるでカタツムリだ。みっともない事この上ない。大体こいつは何から何までみっともなくて情けないのだ。一緒に暮らして、それがさらによく分かった。今までどうやって生きてきたのが不思議でしょうがない。

 最初はオレの出方が分からなくてこいつなりに面倒をみてやらないと、と思ったのだろう。「オレ、慣れてるから家事するよ。お前、やり方分かんねぇだろ」なんて偉そうな事をほざいた割に、この部屋にある家電のどれ一つ満足に扱えなかった。文句を言うと「オレん家には文明の利器ってもんは存在しねぇの!」と逆ギレし、ソファーに大の字になって眠る始末だ。家事をするなどとは聞いて呆れる。

 ……しかし、家事というものは案外面白いものだと思った。基本的に面倒事は嫌いではないし、モノを作るのはむしろ好きだ。世の女どもが料理に何故あれほど苦戦するのかが分からない。適切な材料を適切な分量で用意して、手順にそって進めていけば失敗のしようがないと思うのだが。……城之内のカレーを見ていた時はなんとなくわかったがな。いい加減な奴はまず無理なのだろう。

 家に帰れば、もう家事などする必要は無い。厳しく教育されたメイドが何から何まで徹底して整えるからだ。それが奴等の仕事なのだからオレがそれに手を出す権利はない。暫くは慣れないだろうが、それが当たり前だったのだ。直ぐに元に戻るだろう。

 オレは、直ぐに慣れる。けれど、城之内は直ぐに元に戻れるのか?
 

『ね、蜜柑剥いて。手ぇ汚れんのヤダ』
『服畳むのめんどくせぇ、どうせ直ぐ着るんだからほっとけよ。煩く言うならお前が畳め』
『洗い物なんて汚れが見えなきゃいいんだよ。あ?油?拭いて乾けば分かんねぇだろうが』
『埃はちっちゃく纏まったら指でつまんで捨てる。常識だぜ』
 

 最初から最後までこの調子で、結局奴は家事を何一つ満足にせず、甘え放題甘えて終わった。否、奴的にはかなり満足にこなしたのだろうがオレからみれば、しないに等しい。どうせしてもオレがやり直す嵌めになるので、二日目で諦めた。今思えば、諦めてはいけなかったのかもしれない。
 

『オレがどういう気持ちで言ってるか分かってんのかよ!お前と離れるの嫌だからそう言ったんだぞ?』
 

 一緒に住まなければそんな事は思わなかっただろうに。……やらなければ良かったのだろうか、同居なんて。
 今更だがそう思った。

 城之内のみならず、オレも少しだけこの生活が名残惜しいと思った。死んでも口にしないが……失いたくはないと密かに思う。確かに、思った以上に面白かったのだ、色んな事が。腹も立ってどうしようもなかったが、そんな事は些細な事だった。

 誕生日プレゼントだなどと大きな事を思ったりしたが、その実楽しんでいたのはオレの方だったのかもしれない。

 未だ眠り続けるその顔を長い間眺めた後、オレは奴に気づかれないように、そっと、その半開きの唇にキスをした。

 

「……んー。……あれ、かいば?もう起きたのか?」
「少し前にな」
「……今、何時?」
「まだ9時だ」
「……今日さ、何時にここ出るの?」
「昼には出ようと思う。仕事があるからな」
「……仕事、かぁ……半日?」
「半年」
「え?」
「半年だ。明日からアメリカに行くからな」
「────── っ?!」
 

 ひゅ、と目の前の喉が妙な音を立てた。瞬間、がばりと城之内が飛び起きて、まだ寝起きでぼんやりした……それでも驚愕の眼差しがオレを見る。

「半年って……お前、何言ってんの?」
「何とは?オレは普通に受け答えしただけだ」
「そんな事、オレ聞いてねぇよ!!」
「当然だ。教えてなかった」
「ちょ、さらっと言うな!何で言わねぇんだ!!馬鹿野郎!!」
「朝から煩いぞ凡骨」
「煩いじゃねーよ!!もう、もうわけ分かんねぇ!寝起きにそんな事言うなよ!!あああオレもうどうしたらいいんだよ!?」
「どうもしなくていい。少し落ち着け」
「落ち着けるかッ!!もしかしてお前、その為にこんな事したのか?!最後の一週間、一緒にって?!」
「最後ではないだろうが。違う」
「じゃあなんでだよ?!」
「ぼ……」
「なんで、こんな事したんだよ!!」

 ……寝起きばなに騒がしい男だな。これならば寝ててくれたほうがマシだった。でもまぁ、今伝えてよかったとは思う。初日からこんな調子でカウントダウンでもされたらきっと遣り切れなかっただろう。鬱陶しい。オレは心底そう思った。ただ、その鬱陶しさが……重かった。

 目の前の顔は何時の間にか大きく歪んで今にも泣きそうだった。昨日は既に泣いていたがな。情けない。貴様は小学生か。モクバだってこんな事では泣きはしないのに。
 

 何故、同居をしたのか。
 本当の意味を言うなら今しかない。
 

 オレは何時の間にか肩に置かれた城之内の手に痛みを感じながら、極力冷静に、こう告げてやった。
 

「誕生日、おめでとう」
「…………は?」
「プレゼントのつもりだった」
「…………へ?」
「物分りの悪い男だな!!今日が何日か考えてみろ駄犬が!!!」
「え?……え……と、ええ?!」
 

 そう言われた城之内は、指折り数え、近間にあるカレンダーを見て、さらに自分の携帯をも見つめて、目を白黒させていた。……馬鹿だ。コイツは正真正銘の馬鹿に違いない。

「たん、じょうび、プレゼント?」
「ああ」
「オレの?」
「他に誰がいる!!」
「今日、オレの誕生日?」
「そうなのだろう?!」
「そう、だけど。だからって……だからって……!!!嘘だろ!?」
「何が嘘だ!」
「マジなのかよ!!」
「だから、そうだと言っているだろう!馬鹿が!!」

 オレがそう叫んだ瞬間、ついに堪えきれなくなったのか、城之内が本気で泣いた。
 ……なんだこいつは、わけがわからん。何故そこで泣く。余りにもみっともない顔だから見ていられなくて、オレは仕方なくその体を抱き寄せて、一応優しく背を叩いてやった。まるで子守をしている気分だ。やってられない。

「そうならそうと最初から言えよ……!もっともっと楽しめたのに!!」
「これ以上楽しんでどうする馬鹿が」
「あーもう、本当にこっから出たくなくなった!」
「貴様が出なくてもオレはアメリカに行くぞ」
「昨日と同じ事言うな!……やっぱり、お前なんか嫌いだ!」
「嫌いで結構。いいから泣き止め、鬱陶しい」
「変な、癖ついて、とまんねぇん、だけどっ」
「……やっぱり燃えるゴミの日に捨てていればよかったか」
「馬鹿!ゴミは、足がねぇけどっ、オレは足があるんだぞ!戻ってきてやる!」
「……本気で答えるな」

 しゃくりあげながらそんな事を言うめでたく二十歳を迎えた城之内。……限りなく鬱陶しくみっともないこの男。それでも、素直にこう思う。

 どんなゴミでも……生まれてきてくれてよかった、と。

 

「最後にもう一回するか?」
「……最後じゃねぇんだろ!半年後に帰ってくんだろ!」
「どうかな。未来は予想できない」
「帰ってこなかったらオレが連れ戻しに行ってやる!死ぬ気でバイトして!」
「そうか。では、それを待つとするか」
「横着すんな!帰って来い!」
「……で、どうする?」
「あー……いいや。散々ヤッたし。お前、なんか可哀想だし」
「最後の最後に優しさをみせたか」
「お前がどうしてもしたいって言うんならやってもいいけど」
「別にいい」
「じゃー言うな」
「では、キスをしてやる」
「えっらそうに」
「じゃ、しない」
「えぇ?!」
「冗談だ」
「むかつくー」
「お互い様だ」
「本当に、むかつくよお前」
「貴様ほどではない」
「うるせぇ。黙れ!いいからキスしろ!」
「偉そうに」
「お前こそ偉そうに言うんじゃねぇよ」

 

 最後の最後に、酸欠になるまでながったらしいキスをして、オレ達は大須のマンションを後にした。その後、その部屋は高校に進学したモクバが使うようになり、それなりに便利に使われている。
 

「来年の1月25日の前の一週間は、オレ家に戻るぜぃ。兄サマ達に返してやるよ。……その代わり、シーツは一週間分持参で来てね。へんな匂いつくの嫌だから。消臭も忘れないで!」
 

 おいモクバ。そこは元々オレのマンションだ。我が物顔で何を言う。
 だが、確かに来年の一月末の一週間は一応開けようとは思っている。
 

 今度は、最初から趣旨を伝えて……それなりに、楽しむために。