Act6 一夜漬けって有効ですか

「なー海馬ぁ〜オレもう超眠い」
「やかましい、オレとて眠い!貴様の所為で余計に疲れるし、今週は碌な事がない!……15点」
「えぇ?!後5点何が足りねぇんだ?!」
「全て足りないわ!この馬鹿が!!何回同じ事を繰り返せば気が済むのだ!というか貴様の目標は20点か!」
「当たり前だろ!高得点とってどうすんだ!進級できりゃーいいんだよ!」
「開き直って威張るな!」

 いよいよテスト前日の夜。互いにすっかり疲労困憊のオレ達は、どう考えても身体にはよくなさそうなカフェインてんこもりのドリンク片手に、最後の追い込みに入っていた。さすがに最終日ともなると海馬もオレを殴る元気もないのか、ぐったりとソファーに座ったまま、口だけは相変わらず元気に怒鳴り散らす。

 というか、そうでもしないと多分眠っちまうんだろうな。昨日うっかりオレの前で爆睡こいて、そのままヤラれちゃったもんだからすげー警戒してやんの。もー幾らオレだって試験の前日にセンセイをどうこうしようなんて思いませんって。……眠っちまったら分かんねぇけど。

 だって寝てる海馬って可愛いんだぜ。煩くないし、抵抗するどころか擦り寄って来たりするし。……ってそんな事思い出してる場合じゃねぇや。勉強どころじゃなくなる。ヤバイ。

「貴様、15点で何をニヤニヤしている」
「べっ、別に。ニヤニヤなんかしてねぇよ」
「どうせ碌でもない事を考えているのだろう。最悪だな」
「あっ、オレがいつもスケベな事考えてると思うなよ!」
「口に出すという事は考えているのではないか!!」
「……うー……だってよ〜てか昨日のアレまだ怒ってんのかよ。大体お前だって悪いだろ。オレの前でさぁ」
「黙れ、この強姦魔!」
「ご、強姦魔とか言うな!仮にも彼氏に向かって言う言葉じゃねぇだろ!」
「煩い!下らない事を口にしている暇があったら英単語の一つでも覚えんか!」

 ガン!と鈍い音がして、海馬の足が目の前のテーブルを蹴りあげる。見かけからして重たそうな頑丈なテーブルが一瞬浮いて、凄い音を立てて床に落ちる。ちょ、お前蹴る事ねぇだろ。オレだってしねぇぞそんな事。

 ……そう思ったけど、今余計な事を言うとまた怒らせると悪いから、オレは黙って教科書に手を伸ばす。……けど、眠くて単語が単語に見えねぇ……もう駄目かも。ぼうっとして来た頭を少しでも覚ます為に、オレは大きな深呼吸をして首を振った。うあ、くらくらする。

 そんなオレを海馬はやっぱり呆れた溜息を吐きつつ睨んでいて、心底疲れたと言わんばかりに、足を組み直してソファーへと沈み込んだ。……ああもうそんな顔すんなよな、自信なくなるだろ。っつーかないけど。そんな事を思いつつ、オレはシャープペンを握り締めて英文の問題の答えを書こうとした、その時だった。

「凡骨」
「何?まだ終わんねぇけど」
「貴様には背水の陣を用意してやらなければ、やる気が出ないようだな」
「え、何?その『はいすいのじん』って」
「はっきり言ってやろう。今回の学年末考査で進級を逃した場合、貴様とは別れるからそのつもりでいるがいい」
「…………はい?」
「だから、進級できなかったらもう貴様とは付き合わん、という事だ!!」
「ちょ、え?……えぇえ?!」
「それが嫌なら明日の朝まで何が何でも詰め込むんだな。後は何も教える事はないからオレはもう寝る」
「ちょっと、ねぇ、海馬くん?!分からなかったらどうすんだよ!」
「ここまできたら理解する必要などない。全部丸暗記しろ」
「無理だって!!」
「死ぬ気でやればなんとかなる。あぁ、休息以外の目的で寝室に入ってきたら……どうなるか分かってるな?」
「………………」
「では、精々残された時間を大事にするがいい。結果を楽しみにしているぞ」

 フン、と最後に勝ち誇った笑みを見せて、海馬は本当に席を立って、欠伸を噛み殺しながら隣の寝室へと消えちまった。おい、マジかよ。ギリギリ限界のオレを放置プレイ……いや、見捨てるの?ねぇ!?や、確かに後は覚えるだけだし、お前にじーっと睨まれるよかいいよ?でもこれって酷くない?酷いって絶対!

「丸暗記って言ったって……」

 単語一つ覚えるのに数分かかんのにどうすりゃいいんだよ。大体一夜漬けでなんとかなるもんなのか?なってたら、オレここまで追い詰められる訳ないよな……うん。で、でも進級できなかったら別れるとか言われたし、今の顔マジだったし。やるしかないよな……ないんだよな?!
 

 そんなこんなで数時間。
 

 近くの時計を見たら、4時近く。普段なら新聞配達開始の時間だ。オレは一通り……というか一番ヤバイ英語と数学を重点的に、言葉通り丸暗記した。英語はともかく数学はダメじゃね?って最初に海馬に聞いたんだけど、あいつ自信満々に「絶対にそれが出る」と言い切ったから、信用する事にした。これでダメだったらオレの所為じゃない。海馬の所為だ。

 ……それにしても、もう限界だ。眠くてまともに目が開けられない。こんな状態で更に詰め込もうったって絶対に無理に決まってる。一応一通りなんとか覚えたし(20点分だけど)少しでも寝ないと記憶は定着しないって海馬も言ってたし、もう寝るか。

 よし、寝よう。オレは寝る。

 そうオレは一人でぶつぶつ呟きつつ、教科書とシャープペンを放り投げると、ソファーにそのまま横になろうとして、ふと留まる。ここで寝てもいいんだけど、まだ春と呼ぶには早いこの時期はちょっと寒い。風邪引いて起きられなくなったら折角頑張った事が水の泡になるし、ここはちゃんとしたベッドで寝るべきだよな。あ、でも海馬の奴寝室に鍵かけてたりして……って、あれ?

 オレが比較的静かにソファーから降りて海馬の寝室へ続く扉へと歩いていき、きっちりと閉まっているそれに手を伸ばす。すると、意外な事に扉に鍵は掛っていなかった。……あぁ、そういえば休息はいいって言ってたっけ。つー事は、一緒に寝てもいいって事だよな。鍵もかけてなかったし。

 なんだよお前結構いいとこあるじゃん。色々文句言うけど結局はオレに甘いんだよな。だからつけこまれてんのに馬鹿だよなー。

 オレはそうっと海馬の寝ている寝台に近づくと、規則正しく上下しているかけ布団の端っこを捲って、さっさと中に入る。完全に熟睡している海馬は勿論無反応。枕に埋もれてる寝乱れた髪や、少し丸まってる背中を見ると、ちょっと気にはなるけれど、明日はテストだしオレもさすがに限界だから、その身体に腕を回すだけで我慢する。すげ、暖かくて気持ちいい。もう速攻眠れそう。

 よし、しっかり頭を休めて明日のテスト頑張るぞ!

 ……そう密かに気合を込めて、オレは直ぐに爆睡した。

 けれど、それが明日の……正確に言えば数時間後、大きな間違いだった事に今の時点では気づかなかった。