Immoral Kiss Act14(Side.城之内)

 乗って来たバイクを学校の裏に停めて通用門から中に入ると、久しぶりの賑やかさに顔を顰めた。長い間ずっと遠ざかっていた場所に足を踏み入れるのは少しだけ勇気がいる。教室に辿りつくまで知り合いと顔を合わせたく無くて、無駄だと思いつつも俯いて歩いてはみたものの、目立つ金髪のお陰で直ぐに周囲から声が掛る。

「お、城之内久しぶり!オメー学校辞めたんじゃなかったのかよ。噂になってたぜ、年上のねーちゃんと駆け落ちしたんじゃねぇかって!」
「年上?私は小瀬絽高の一年生って聞いたけど?」
「小瀬絽じゃねーよ童実野だろ?B組の綾瀬とヤったんじゃなかったのかよ。最近あいつも来てねぇし」
「いや、綾瀬一昨日見たわ。しかもあいつ牛尾の女だろ。っつか女じゃねぇよな?喧嘩して入院してたんだろ?最近また派手にやってたらしいじゃん」
「そうなん?親父の借金に首回らなくなって夜逃げしたんだと思ってたわ」

 校内ではそれなりに有名になっているオレにはダチじゃない知り合いが腐るほどいて、大抵は似た様なもんだから碌なもんじゃない。裏口から入って人気のない場所を歩いていたつもりでも、そういう連中は漏れなく裏と言う名のつく場所に集うもんだ。案の定体育館横の倉庫付近にニヤニヤと顔に笑みを浮かべた奴等が声をかけて来る。普段はオレもヘラヘラ笑って調子を合わせていたけれど、今はそんな余裕はどこにもなかった。別にこいつらが悪いわけじゃなかったけれど、何もかもが気に障る。

「おい、適当な事言ってんじゃねぇぞ。一つも合ってねぇよ」
「おお、なんかご機嫌斜めだな。じゃあ何やってたんだよ」
「てめぇ等には関係ねぇだろ」
「まぁそうだけどよ。最近付き合い悪いじゃねぇか。たまにはどっか遊びに行こうぜ。飽きた女も回してくれよ」
「めんどくせぇな、てめぇの面倒なんか見てられっか。オレは忙しいんだよ」
「喧嘩とセックスに?そういやーバイト先にいなかったな。なんかいいバイト見つけたのか。それとも新しいお財布ちゃんとか。お前って金持ち見つけるの得意だよなぁ。そういやーこの間海馬ケツに乗っけてただろ」
「あ?」
「あ、オレも見た。超珍しい取り合わせだって思ってたぜ」
「まさかとは思うけど、お前、もしかして金さえもらえりゃー男でもイケる口?流石にあの海馬とダチじゃねぇだろ。大体海馬も海馬でなんかすげーって噂あったわ。男とホテルにいたとか、そういうの。結構見てる奴いるみてぇだし」
「マジかーなんだよA組半端ねぇな!」
「城之内くんってそういう人だったんだー。へー、なんか凄−い」
「……………………」

 大抵の軽口は煩わしい位で何とも思わなかったけれど、海馬の名前が出た瞬間、頭を殴られた様な衝撃を受けてしまう。まさかコイツらの口からこんな台詞が出て来るとは思わなかった。けれどよくよく考えてみれば、地元のメジャーな場所を拠点にして特に隠れもせずに会っていたから、見られていない筈は無かった。見られたからと言ってどうという事はなかったけれど、不快感に顔が歪む。

「で、どうなんだよ。海馬はペットにも金払いいいのか?あいつめっちゃ金持ちじゃねぇか。オレも金貰えるんなら喜んでペットになるわ。ネコ?タチ?城之内がネコだったら爆笑だな」
「バッカじゃないの。あんたよりも私の方が可能性あるわよ」
「お前は女ってだけでまずノーカン」
「オレは男は無理だわ。絶対無理」
「うるせぇよ。下らねぇ事言ってんじゃねぇ。アイツから金なんて貰った事ねぇよ」
「嘘吐け。自分ばっかりいい思いしようったってそうはいかねぇぞ」
「嘘なんか吐いてねぇよ。大体てめぇみてぇな屑、ペットにすらなんねーよ。自惚れんな」
「お、城之内犬はご主人様が他の犬に目を向ける事を嫌いますか?っつか、オレが屑ならお前も屑だろ」

 当たり前だろ。オレだって屑だ。だから奴の元を離れてここにいるんだろうが。

 沸々とした怒りが込みあげる。知らず右手の指を折り曲げて、力の限りに握り込んだ。ここは学校だ。しかも久しぶりに登校した、授業前の貴重な時間だ。ただでさえ首の皮一枚で繋がっている高校生活をこんな事でふいにしたくない。

 我慢しろ、と何度も自分に言い聞かせて、馬鹿共に背を向ける。

「何処行くんだよ」
「教室。オレは授業を受けに来たんだ。馬鹿と付き合ってる暇はねぇよ」
「面白くねぇ」

 こういう奴等は相手をしないと勝手に引くから楽なもんだ。朝から無駄な体力を使いたくもないし、何より関わりあいになりたくない。オレは、深呼吸をしてなんとか気持ちを押えこみながら、今度こそ教室に向かう為に一歩踏み出した。その瞬間、背後から聞こえた声に反射的に振り向いてしまう。
 

「でも、一回でいいからヤッてみたいよな。女よりも後腐れなさそうじゃん。それで金もせしめられるんならラッキーって感じ?」
 

 ……結局、オレは定時に教室に辿り着く事は出来なかった。

 また一つ、敵が増えて行く。
「全く、学校には全然来ない。来たら来たで即喧嘩か。本当にどうしようもないな、城之内」
「………………」
「外でも色々問題を起こしてるそうじゃないか。いい加減オレも庇いきれないぞ、分かってるのか?」
「……分かってるよ」
「分かって無いだろう。分かってるのなら何故繰り返すんだ。そうやって周りも自分も傷付けて楽しいのか?」

 コツコツと神経質にペンが机の端を叩いている。目の前に座る担任の教師は、怒りと言うよりも呆れ顔で、既に耳に蛸が出来る程投げつけて来た説教をもう一度繰り返している。学習しないのはコイツも一緒だ。何もかもが下らなく、鬱陶しい。

 結局、あの後派手にやらかした喧嘩で相手は密かに病院送り、オレは右手に包帯を巻く結果になったけれど、後悔は微塵もしていなかった。止められなかったらもっと酷い真似をしたかもしれない。それだけ、奴の言った事はオレにとっては禁句だった。途中から何をやっているのか分からない程逆上した。

 馬鹿馬鹿しいと思う。海馬と付き合っている間にも違う奴等から似た様な台詞を言われた事は何度かあった。けれど、あの時はさして気にもならなかった。海馬はそれなりに有名だったし、噂は嘘でもなんでもなく、紛れもない事実だったからだ。

 多分今もその習慣は残ってはいるはずだ。遊戯は枕営業をやめさせたと言っていたけれど、完全に断ち切るまでは時間が掛るからだ。だから、噂は間違って無い。けれど何故こんなにも腹が立つのだろう。

「城之内」

 担任の顔を見ているのも煩わしく、そっぽをむいてそんな事を考えていると、奴は深く大きな溜息を吐きながら、真っ直ぐにオレを見た。そして、今までとは違った酷く真剣な声でこう口にする。
 

「後悔してからじゃ遅いんだぞ。人間、やり直せる事とやり直せない事がある。お前は下らないと馬鹿にするかもしれないが、大人の言う事もたまには心に留めておけ。無駄な事ばかりじゃないんだからな」

『恋愛は幾らでもやり直せるわ』
 

 やり直せる事と、やり直せない事。

 全く異なった『大人』の声が頭の中に木霊する。オレは自分が今までやって来た事の全てがやり直せない事の様に感じていた。やってしまった事は取り返す事が出来ない。現に殴ったあの男の傷は直ぐには治らないし、言われた言葉はずっと頭に残っている。今更、無かった事には出来ないだろう。海馬の件だって同じ事だ。

 けれど、何処か諦められない自分がいる。だからこんなにも腹が立つんだろう。

「まあ、オレが言いたかったのはそういう事だ。お前にこれ以上何を言っても仕方がないし、これからやるなと言ってもやるだろう。オレにも高校時代はあったし、その気持ちが分からないでもない。やるなとは言わないが、せめて少しは考えろ。ああ、庇いきれないのは本当だぞ。先生にだって限界があるんだからな」

 じゃあ話はこれで終わりだ。そう言って、怒号の一つも上げ無かった担任は手を振って出て行けと言う仕草をする。それに大人しく従って、オレは踵を返して広い相談室の隅にある扉に手をかけた。その瞬間それは勝手に外側から開かれる。

「………………!」

 何事かと顔をあげると、廊下に一人の男が立っていた。直ぐには目線が合わず、反射的に顔をあげると、そこには海馬が立っていた。奴もオレの姿を認めた途端、大きく目を見開いて、反射的に身を引く仕草をする。持っていたらしい大量のプリントが服に擦れて、耳障りな音を立てた。

「……海馬!」
「………………」

 思わず声を上げてすれ違おうとする腕を掴む前に、奴は礼儀正しく挨拶をして担任の元へと歩いて行く。大方、課題のプリントでも提出しに来たのだろう。まさか、こんな所で鉢合わせるとは思いもしなかった。知らず鼓動が大きくなる。
 

 少し離れた場所で担任と言葉を交わすその後ろ姿から目が離せない。

 早く教室へ帰らなくてはいけないのに、オレの足はそこから動く事が出来なかった。
「何の用だ?」

 次にオレ達が顔を合わせた時に海馬の口から零れ落ちたのは、そんな素っ気ない一言だった。結局海馬が相談室から出て来るまで廊下で待っていたオレは、手ぶらで静かに扉を閉めたその身体の横に立ち、改めて名を呼んだ。多分オレがいる事は予想していたんだろう。奴は特に驚きもせずにゆっくりとオレを見た。

 久しぶりに間近に見たその顔は、以前の病的な迄の不健康さは薄れ、肌の色も青白くはなくなっていた。緩やかな曲線を取り戻した頬も、温かかった部屋の温度の所為か少しだけ上気している。触れたら柔らかそうだ、と思いつつ。手を出すのはやめにした。オレが最後にコイツにした事を思えば、とてもそんな事は出来なかった。

「用っていうか、久しぶりに見かけたからさ。お前、学校に真面目に来てた?」
「いや、オレも随分と久しぶりだ」
「そっか」

 話は直ぐにそこで途切れてしまう。視線も自然と左右にずれた。オレも海馬も真っ直ぐに相手の顔を見る事が出来ない。多分お互いに種類が違う後ろめたさを感じているんだろう。おかしな話だと思う。以前と状況が変わったかと言えば、決してそんな事はない。相手が誰と何をしていようと、どんな生活をしていようと、一向に気にならなかった筈だ。

 なのに今は海馬の全てが酷く気になる。恋人だった時よりも、ずっと。

「あの、さ。時間ある?ちょっと話がしてぇんだけど」
「時間などない。直ぐに授業が始まる」
「そこをなんとか」
「くどい。貴様に裂いてやる時間など無い。遊戯が待っている」
「…………………!」

 海馬の口からその名前をはっきりと告げられると酷く胸が痛んだ。

 ああ、そうか。コイツの今の恋人は遊戯なんだ。オレじゃない。当たり前だ。オレはコイツを捨てた方だ。面倒臭いと吐き捨てて置き去りにした。触る権利すら、もう無いんだ。

 ぐっと唇を噛み締めて、息を飲む。呼吸が上手く出来なくて息苦しい。

 そんなオレを海馬は感情の無い目で見下ろして、分からない位の小さな溜息を吐いた。その視線がオレの右手に移動する。

「貴様は何故ここに?」
「喧嘩。呼び出し食らってた」
「この数週間何をしていた」
「別に。何時もと変わんねーよ。あちこち出歩いてた。お前は、ちゃんと休んだみてぇだな。流石遊戯ってところか。やっぱオレとは違うよな。今楽しいだろ?」
「……そんな事は、貴様には関係のない事だろう」
「ああ。……だよな。でも」
「気になるのか」
「え?」
「捨てた後でも気になるのかと聞いている。付き合っていた時はそんな事など一言も言わなかった貴様が、何故今になってオレに構う」

 あくまでも淡々と、感情の一欠片もない声がオレの心を波立てる。遊戯の前では泣いて見せたと言うその顔は、やっぱりオレの前では無表情だった。その態度や声、言葉からは悲しいとも、苦しいとも、ましてやオレに対して再び歩み寄ろうとする意思も感じられない。

 当然だとは思う。けれど、オレは心の何処かで期待していた。海馬がオレと別れた事で、付き合っていた頃には見えなかった気持ちを少しでも覗かせてくれる事を。遊戯には見せたと言う涙や笑顔を見せてくれる事を。

 けれど、コイツは相変わらずオレの前では人間らしい振舞いはしなかった。せめて最後のあの日の事を詰る位はすると思っていたのに、それもない。

 コイツがオレに感情を見せないのは恋人という枷が問題じゃなかったんだ。『オレ自身』が、海馬のあらゆるストッパーになっていたんだ。そんな事実をまざまざと見せつけられて、また何も言えなくなる。

「………………」

 仕方なく、深く大きな溜息を吐く。これ以上現実に打ちのめされたくはなかった。オレは気持ちを切り替えて表情だけは努めて明るく、以前の態度を思い出しながら顔を上げた。

「話は変わるけど、お前、結構噂になってるぜ。気を付けろよ?」
「噂?なんの噂だ」
「お前の噂なんて決まってんだろ。全部自分でばらまいてる様なもんじゃねぇか」
「……ああ、普段の振る舞いの事か」
「遊戯に迷惑かけんなよ。アイツはオレと違って普通の奴なんだからよ」
「そうだな、気を付ける」
「……遊戯とは、仲良くやってんのかよ」
「事あるごとに屋敷に来て、いらん世話を焼きまくる。お陰で実に健全で健康的な生活を送っている。最初は酷く窮屈だったが、今は慣れた」
「良かったな、優しくして貰えて。普通の恋人関係っていいもんだろ?」
「貴様が言うな」
「ま、あいつじゃーお前が満足するとは思えねぇけど」

 最後の一言は、それまで溜まった色んな思いや苛立ちから来る、完全な失言だった。

 言ってしまった後、直ぐにしまったと口を噤んだけれど、一度吐き出してしまった言葉は元には戻らない。海馬が息を飲む音が聞こえる。弁解しようと口を開こうとしたけれど、上手く言葉が出て来なかった。

「……遊戯は……」
「海馬くん!」

 海馬の一層堅くなった声が落ちて来る。その次に来る言葉を背を強張らせて待っていると、全く違う方向から海馬の名を呼ぶ声が聞こえた。はっとして振り返ると、そこには当の遊戯が立っていた。

「もう〜なかなか戻ってこないから何処かに行っちゃったのかと思ったよー。あ、城之内くん久しぶり!学校に来てたんだ」
「あ、ああ、久しぶりだな」
「二人とも、もう授業始まってるよ?2時限目の美術は、図書館で参考資料を探しなさいって!早く行こう?」
「必要なのは筆記用具だけか?」
「うん」
「では、教室に取りに行って来る。直接図書館に行けばいいのだな」
「そうだよ。僕も直ぐに行くね」

 さり気なく背を押して来る遊戯に促される様に、海馬はそれきり何も言わずにオレに背を向けると、教室へ向かって歩き出す。その後ろ姿が階段へと消える頃、それまで一緒に海馬を見送っていた遊戯がゆっくりとオレを見て、明るい笑顔を一瞬にして引き締めた。

「城之内くん。下手に触って、海馬くんを傷付けないで」
「……なっ。触ってなんか……!」
「身体じゃないよ。心の話。海馬くんに何か言う度に君だって傷付いてる。そんな状態じゃ、どうしようもないでしょ?」

 身長差の関係で少し下にある遊戯の目は、それでも鋭くオレを睨らみ上げていた。小さな形をしている癖に酷く威圧するその瞳はオレの口から言葉を奪う。身動き一つ、出来なかった。

 けれどその膠着状態はほんの数秒で、直ぐに左手に温かな体温を感じる。柔らかく握り締めて来る遊戯の手。思わず二三度瞬きをすると、そこには以前と変わりない、親友としての顔があった。

「城之内くんも一緒に行こう。図書館だからそうっと入れば遅刻したのばれないよ?」
「……遊戯」
「喧嘩の原因、知ってるよ。僕の耳にも『噂』は届いてる。でも、もうあれは噂だから大丈夫。海馬くんにはちゃんと気を付ける様に言っておくから」

 本気を出したら、彼の方が強いけどね。心配ないかな。言いながらオレの手を引く指先の力は痛い位に強かった。振り解こうとしても、解けない。

 海馬もこの手を握ったのだろうか。暖かで柔らかい、そして優しいこいつの細い指先を。
 

 引き摺られる様に足を出す。

 これからの時間が、億劫で仕方がなかった。