Immoral Kiss Act2(Side.城之内)

 海馬が、知らない男とキスをしていた。そりゃもう熱烈に。
 

 駅前の少し高級なホテルの男子トイレ横の喫煙所、そこの更に死角になるような場所で、スーツを着た大きな男二人が明らかに仕事関係とはいい難い雰囲気で密着していた。片方は何処にでもある普通の紺色のスーツに清潔そうな色のネクタイをした30代後半位の男で、もう一人は良く観察しなくても馬鹿に目立つ細長いその体格と髪の色で直ぐに海馬だと分かった。

 オレは今このホテルの地下娯楽施設でバイトをしている。ここはそこそこ名の知れたホテルだからか結構お偉いさん方御用達となっていて、その「お偉いさん」に分類される海馬も当然頻繁に顔を出した。だから、オレはよくこういう場面に遭遇する。

 こいつらは……まぁこいつらに限った事じゃないけど……場所柄も弁えず部屋に入るのも面倒なのかその辺で盛るから始末に終えない。こうした人気のない死角とかトイレの中とか、駐車場に止めた高級車の中、果てはいつ人が乗り込むか分からないエレベーターでだって平気なんだから神経を疑っちまう。少し自重しろ、馬鹿。

 普通は恋人が他人とそんな真似をしていたら衝撃を受けるか怒りを感じるかのどちらかだけど、オレにとってはその光景はもうありふれた日常の一つで、今更怒りもしなければ驚くなんてもっとしない。海馬だって、オレが他の女とキスしてようがその辺で盛ってようが特に気にもしないんだろう。
 

 一瞬、目ざとくオレに気付いたあいつと目が合う。
 即座に蒼い瞳が軽く細まり、オレの口角が少し上がる。
 

 ま、今日はどこの誰でなんの用向きかは知らないけど頑張れよ。そんな意味を込めて控えめにひらひらと手を振ると、海馬は相手の男を抱く腕に力を込めて僅かに笑った。嫌味ったらしい。
 

『どうして浮気すんの?』
『それはオレも聞きたい』
『うーん……なんだろ?誘われると拒めないっていうかー断るのが面倒臭い』
『言い得て妙だな。それも一つの理由ではある』
『嘘吐け、お前は自分から誘ってんだろ。好きでやってる癖に』
『人の事が言えるか』
『言えないけど。でもやっぱ、浮気とかして欲しくないんだけど』
『貴様がやめたら考えるぞ』
『ずるい。オレもお前がやめたら考えるって言いたかったのに』
『そんな気はない』
『じゃーオレも』
 

 過去幾度となく繰り返された不毛な会話。感情が伴わない台詞はただの雑音となって部屋の空気を震わせるだけだ。海馬もオレも自分のしてる事を浮気だなんて思っちゃいない。仕事を円滑に進める為の手段として、ただの習慣として、或いは暇つぶしとして、それこそコンビニに寄るような気軽さで他人を抱く、もしくは抱かれているだけだ。お互いにそれを分かっていて、しかも納得しているからそれ以上話し合う余地もない。

 恋人として長く付き合っていくには考え方の一致が不可欠で、オレと海馬はそういう意味では理想の恋人同士だった。ただそれが、他人からみたらあり得ない形というだけで。
 

『それって、凄くおかしいよ城之内くん。そんなの、本当の恋じゃない』
 

 オレの事を親友と言って慕ってくれて、何から何まで全て許容してくれた遊戯が唯一顔を顰めて苦言を呈してくるのがこの恋の事だった。そんな恋しか出来ないのなら早く別れた方がいい、お互いの為になんかならない。オレと海馬に同じ様な言葉で説教しているらしいあいつの気持ちはどちらにも届きはしなかった。海馬に至ってはそんな遊戯すら誘ったっていうんだから呆れてモノが言えない。

 何が本当の恋かなんて、その実誰にも分からない。勿論オレにも分からない。ただ一つだけ言える事は、こんな状態でも胸を張って恋人だって海馬と二人で口を揃えて言える事。他人とのセックスはオレ達の間では裏切りじゃない。じゃあ、何をすればこの関係が壊れるのだろう。幾ら考えてもその答えは出てこない。

 恋愛には不可欠の「好きだ」の台詞も「愛してる」の台詞も他人に平等に振り撒まくから、その言葉にも意味なんかない。けれど、そのイントネーションは海馬に向かって言う時とは少し違う。それが恋人と他人との区別。多分気付いては貰えないし、気付かせるつもりもないけれど、一応少しは違うんだぞ、と自分自身に言い聞かせる為に時折思い出しては確認する。そうでもしないと、何が本当か忘れてしまいそうだったから。
 
 

 地下へ続く階段を一歩一歩降りて行く。今日はビアホールでの給仕のバイトだ。閑散期だから仕事は楽で、それでも高額だからかなり美味しい。階下から騒がしく響いてくるロックだかジャズだかの音楽を耳にすると、ほんの少し前に目撃したあの光景が徐々に消えていく。

 なんでもない、いつもの事だと思っている割には、どこか釈然としない気持ちも覚えて、整合性のないその気持ちはほんの少しのストレスとなって胸の奥底に溜まっていく。オレってすげぇ自分勝手な男だよな。分かり切ったその台詞をやっはり喉奥に飲み込んで、少し足を速めようしたその時だった。

 折角スルーしようとしたストレスの原因が、涼しい顔でオレの腕を捕まえる。なんだよ!と声をあげる間もなく、そのまま階段横の壁に押し付けられてキスされた。
 

 知らない銘柄の苦い煙草の味が口一杯に広がって、吐きそうになる。
 

「……おい、何すんだ。お前なんでここに来てんだよ。さっきの男は?またほっぽり投げて来たのか」
「不味いだろう?」
「ああ、めちゃくちゃな。お前、そういう事は事前に確認してからしろよ」
「匂いでわからなかったのだ」
「最近の煙草は結構フローラルな香りしたりすっからな」
 

 言いながら、海馬の不快感を共有させられる為だけにキスされたオレは、いつもの事ながら凄く馬鹿馬鹿しい気分になる。ジジイ相手に自由奔放を気取っている癖に、酒とか煙草とかいかにも大人なアイテムが苦手なこいつは、不運にもそんな相手に当たった時には限ってオレのところに逃げてくるんだ。
 

 だからこいつは会う場所にこのホテルを選ぶ。オレが近くにいる、この場所に。

 理不尽極まりない話だけれど、それがちょっと可愛いなんて思っているオレも相当キてる。
 

「で、どうすんの?オレこれからバイトなんだけど」
「15分付き合え」
「15分〜?ギリギリだなー。ま、いっか。じゃ、ちょっと待っとけ、話してくる」
「すぐだぞ」
「はいはい。何処にいる?」
「B-15」
「珍しー今日は泊まりじゃなかったんだ?」
「まぁな」
 

 という事は、そんなに気が進まない相手だったのか、なるほど。
 

 そんな事を思いながら、直ぐに互いにくるりと背を向けたオレ達は、数分後に地下駐車場に止めてある海馬の車の中で落ち合う為に足早に歩き出す。浮気ですかしを喰らった埋め合わせを本命でしようだなんてかなりフザけた話だけど、それにノるオレも大概で、その逆も大いにあるから文句は言えない。何はともあれ、あいつとセックス出来るんなら何でもいい。
 

 口の中が酷く不味い。
 

 とりあえず店長に事情を説明して、バイトの開始時間を30分ずらして貰ったら、この味を消す為に、念入りにうがいでもしに行こう。多分今ごろアイツもレストルームで必死になってる頃だろうから。
 

 そして、口直しという大義名分を振りかざした本気のキスを仕かけてやろうと、そう思った。