Immoral Kiss Act4(Side.海馬)

「あ、見て。この子なんて言うんだっけ?海馬瀬人?凄く可愛いわね」
「……可愛い?アレが?お前、ああいうの好きなの?」
「系統的には凄く好きよ?アイドルより好きかも」
「ふーん。でもあいつホモだぜ。しかもジジ専。おっさんに抱かれて泣きながら喘ぐのが趣味の馬鹿男」
「え?何言ってるのよ。変な事言わないでよ」
「だって本当の事だもん。オレ、あいつのクラスメイトだし」
「あ、高校一緒だったわね。あんな子がクラスにいるって自慢できるじゃない。羨ましいな」
「全然羨ましくねーっての。むしろメイワク」
「何よ機嫌悪くしちゃって。ちょっと他の子褒めたからって拗ねないでよ、ガキね」
「拗ねてねーよ。ガキっていうな」
「まぁいいけど。でもそういう事を軽々しく言っちゃ駄目よ。よりによって……」
「マジだって」
「何よ、見たことでもあるの?」
「見た事も何も、オレ、あいつの彼氏だから」
 

 だから嘘なんて言ってねぇ。
 

 そうオレが続けて言おうとする前に、然程痛くもない平手打ちが左頬を直撃した。瞬間女の持っていた小さなショルダーバッグが地面に落ちて中身が散乱する。特に反応もなく身を屈めてそれを拾ってやろうとしたら「触らないで!!」と喚かれた。うるせぇな。じゃーとっとと自分で拾って消えろよクソ女。

 駅に近い繁華街のど真ん中で、そんな派手な喧嘩をやらかしたオレ達だったが、彼女が靴音も高らかにその場を去っちまった所為ですぐに周囲は興味を失った。人通りの多い往来で立ち尽くすオレのことが邪魔なのか、明らかに意図的に小突かれる肩や頭をガードしながら、コロコロと足元に転がってきた銀色の物体を拾いあげる。それは、あの女がついさっき手にしていた匂いのキツイグロスだった。

 大方小さいから拾い損ねたんだろ。届けようにも名前しらねーし、どうしようもないよな。でも一応持っとくか。そう思って、何気なくポケットに入れてしまう。

 ふと顔をあげると、今しがた話題になった『海馬瀬人』がそこにいた。いたと言っても本人がそこに立っていたわけじゃなく、駅ビルの巨大な電光掲示板に数分毎に余所行きの顔で映っているだけだ。KCのCMかと思ってよく見たら、どうやらそうじゃないらしい。

 おい、お前いつモデルに転向したんだよ。仕事しろ仕事。未だ少しだけ残る左頬の痛みにほんの少しだけ苛立ちを感じたオレは、ギラギラと派手に輝く海馬を見ながら携帯を取り出した。そして、いつもの所へ電話をかける。
 

「なぁ、今から行っていい?」
 

 相手の返答を聞くのもそこそこに単刀直入にそう切り出すと、向こうは無言のまま電話を切った。それは物凄く腹の立つOKのサイン。瞬間、その場に携帯を叩き付けてやろうと思ったが、新しいものを買う余裕もないから仕方なくポケットに突っ込んで我慢をした。そして、素早く踵を返す。

 周囲の様子も余り見ずに人波に逆らうように荒げた足取りで駅へ向かい始めたオレの背後で、女子高生の「海馬くんだ、かっこいい!」の声が上がる。

 それに何故か盛大な舌打ちをすると、オレは歩くスピードを更に速めた。
「よぉ、芸能人。スカした顔して女騙すのやめろよな」
「……何の話だ?」
「今日お前の所為で女に逃げられたから責任取れ」
「意味不明な事を言うな」
「最低!ってひっぱたかれたんだぞ。事実を言っただけなのにさ」
「事実?」
「海馬くんはホモでオジサン相手に枕営業を趣味としてる馬鹿男で、オレはその彼氏だって事」
「……あぁ」
「事実だろ?」
「事実だな。それを女に直接言ったのなら殴られても仕方がないな」
「仕方なくねぇ。責任取れ」
「どうやって?」
「今日オレそいつと泊まる予定だったんだ。だから代わりに」
「別に構わんが夜は出かけるぞ」
「何処に?毎日熱心だな」
「生憎そういう『仕事』ではない」
「結果的にそうなる癖に」
「煩いな」

 一応『予告』して来た所為か、オレの気配を感じて自ら扉を開けてくれた海馬の顔を見るのもそこそこに、近間の壁にその身体を押し付けてとりあえずキスを一つくれてやったオレは、互いの吐息が触れるその距離のままそんな言葉を投げ付けた。何処をどうとっても棘だらけのそれに、海馬は特に反応を示す事もなく、飄々とした態度でオレを見ている。

 酷く近い所にあるその白い顔は、あの電光掲示板の中にいた男と紛れもない同一人物だったけれど、あそこにあった柔らかな笑みは片鱗すらも見えなかった。ここにあるのは、見ようによっては憮然とした可愛げのない表情だけだ。

「お前、何他社の広告塔になってんだよ。何あのド派手な宣伝広告。その会社の社長でも誑かしたのか」
「オレが何処で何をしようと貴様には関係のない事だろう」
「関係あんだろ。現にその所為で今日こういう事になったんじゃねぇか」
「知った事か」
「海馬くん可愛いーとか、かっこいいーとか、綺麗ーとか言われてんの耳にするとムカムカすんだよ」
「なんだ、嫉妬か」
「ちげーよ。死ね」
「意味不明の言いがかりもそこまで来ると立派な理屈に聞こえるのだから不思議なものだな」
「ムカつくなー。お前、他人に見せる何百万分の一でもいいからオレに可愛げのあるとこ見せようって気、ねぇの?」
「ないな」
「そうですか」
「貴様とて他人には安売りする優しさをオレに見せた事などないだろうが」
「そっか。そうだな」
「お互い様だ」
「……脱げよ」
「ヤりたい奴が脱がせればいいだろうが」

 そういって、ふん、と鼻を鳴らすその横っ面を殴りたい衝動に駆られたけど、それよりも指に触れる暖かさが気になって、オレは歯噛みしながらも素直に目の前のシャツのボタンを外して、バックルに手をかけた。けれど悔しいから、生意気な事しか言わないその唇に噛みつくようにキスをする。そのまま、耳の直ぐ下の一番目立ちそうなところに痕をつけてやろうと顔を動かしたら、思い切り髪をつかまれた。

「いって!なんだよ!!」
「そこは駄目だ。今日は仕事だといったろうが」
「枕営業じゃねぇんなら関係ねぇだろ」
「撮影がある」
「撮影?またそんなことすんのか」
「今日で最後だ。オレも、本業以外で稼ぐつもりはない」
「結構乗り気っぽかったくせに。余所行きの顔しちゃってさ。オレには絶対みせないような」
「ああいう顔が好きなのか?」
「いや、オレはエロイ顔してる方が好き」
「なら別にいいだろう」

 ぐいぐいと髪を引かれて余りの痛みに仕方なく降参したオレは、それ以上抵抗しないで大人しく吸い上げても大丈夫そうな胸へと顔を落とし、吸う前に歯を立てて憂さ晴らしをした。頭上から熱い吐息と共に甘い声が上がる。
 

 ほら、これがあの『海馬瀬人』だ。男に乳首吸われて善がってる馬鹿男。本当だろ?だからそう言ったのに。
 

 心の中であの女にそう自慢気に吐き捨てて、オレは性急に緩んだベルトの中に手を突っ込んだ。ぐちゅ、とやらしい音がする。

 何時の間にか壁に背を預けて長い両腕を回してしがみついて来るその身体を、オレは思い切り強く抱き締めて、女には決してやらない乱暴な仕草で突き上げた。それでも、耳に届く声は艶やかだ。ちくしょう、こんなとこまでマジ可愛げない。どうせならオレの腕の中で泣いてみせろよ。
 

『貴様とて他人には安売りする優しさをオレに見せた事などないだろうが』
 

 不意につい今しがた言われた言葉が胸に過ぎる。ああそうだな。オレもどうしてかわかんないけど、お前にだけは優しくしようとか思えないんだ。他の誰にでもそんな事は簡単にできるのに、恋人の……お前にだけは。

 他人に出来る事が相手には出来ない、それなのに恋人と呼び合うオレ達。傷つける事も癒しあう事もろくに出来ない癖に、離れる事は考えない。馬鹿だよな、確かに。そして最低だ。
 

 さっきの苛立ちは何に対して覚えたものだったんだろう。

 その答えは、オレにも良く分からなかった。