Act6 罵る言葉さえなく(Side.城之内)

 顔を見た瞬間、数日前のあの日のように、怒鳴りつけてやろうと思った。

 余りにも訳が分からなくて、腹が立って、どうしようもなかったから。けれど一歩部屋に踏み込んでその顔を見てしまったら、何も言えなくなっちまった。怒りすら、消えてしまった。

 お前が余りにも思いつめたような目でオレを見るから。
 勢いも何もかもがすっかり殺がれちまったんだ。

 空調の良く効いた暖かな部屋の中で、おざなりに付けたテレビの音が煩くて、それに目を向ける事は勿論聞いてすらいない顔で、海馬は手にした経済誌に目を落としていた。

 多分、それもまともになんて読んでなかったんだろう。オレが声をかけた途端、ばさりと膝から落としちまって拾おうともしなかった。
 

 

 昨日、あの後何も話が出来ないまま昼休みの終わりと共に切ってしまった電話が気になって、結局今日オレは帰宅する足でKC本社に向かった。

 アポも取次ぎもなしに勝手に社長室へと向かう途中モクバに出会って、もう海馬はいないという事を聞かされた。ついでに奴と色々話をして、オレは海馬の現状が思ったよりも深刻だった事に今更ながらに気づかされた。

 何がどうしてそうなったのか、オレに分からない事をモクバが分かるはずもなく、こっちの話し合いも平行線で。ただモクバが時折見せるオレを非難するような眼差しから原因はオレの方にある事は明白だった。

 けれどオレに思い当たる節は全くなく、モクバにもそれは分かっているのか、あからさまにオレを責める様な真似はしない。

 やっぱり、海馬が言わないと何も分からないんだ。けれど、どうやって口を割らせればいいのかが分からない。

 全てをひっくるめて、ただ一つだけ分かったのは、海馬がもうオレとの関係に嫌気が差しているだろうという事。モクバと別れる直前、奴は言いにくそうな顔をして、本当はこれをお前に言っちゃいけないんだけど……と前置きをした上でこう言った。
 

『なぁ、城之内。瀬人は……兄サマは、オレに……疲れたって言ったんだ。もう、疲れてしまったって』
 

 頭にくるでも、嫌でも、顔を見たくないでもなく、ただ「疲れた」と。
 それを口にした時、海馬は何を考えていたんだろう。

 オレはそんなにもあいつを困らせる事を、モクバにまで本音を漏らさせてしまう程、酷い事をしてしまったんだろうか。幾ら考えても、何一つ思い浮かばず、ただ心だけが重くなっていく。原因が分かれば対処のしようがある。悪いところは直せばいい。だけど、何も分からなければ、直しようがない。どうしようもない。

 磯野の「会社から家に送る」との申し出を断って、オレは徒歩でKC本社を出て、海馬の家まで向かった。途中賑やかな繁華街を通り抜け、雪を被ってぼんやりと光るイルミネーションを眺めながら、ふとあちこちに目立つほぼピンクや赤に統一された文字に気づいた。
 

 2/14はバレンタインデー。
 

 ああ、そう言えば明日はバレンタインだった。ここの所妙にCMでチョコレートを良く目にするな、と思っていたら。そういうわけだったのか。

 海馬と付き合ってからというもの、バレンタインなんて本当にどうでもいい行事の一つで、毎年少なからず誰か彼かから貰うそれは、オレの貴重な食料の一つとしてしか活用されなかった。勿論よこした相手の気持ちなんてどーでも良かった。関係ねぇし。

 今年は多分貰っても三個だろうな。静香と、保育園の佐藤センセイと鈴木センセイ。あ、あとはオレに気がありそうなお母さんとか。なんだ寂しいな。学生の時の方が良かったよな。そんな事を思いながら、甘い匂いのする店の横を通り過ぎる。

 丁度店から出てきた女の子がはしゃぎながら振り回す、金のラメ入りの派手な紙バックが肩に当たる。ごめんなさい、と謝る声に、別に、なんて笑顔を見せる。

 ぺこりと頭を下げるその顔がすげー幸せそうで。夜なのになんか眩しく見えて目を細めた。あの子はあれを明日好きな奴に渡して、好きです、なんて言うんだろうか。上手くいくといいな、なんて他人事ながら思ったりして、オレはほんの少しだけ気持ちが明るくなった。

 でも、それも少しの間だけだった。
 

 

 海馬を目の前にしたものの、やっぱり何を話していいのか分からなくて、オレはとりあえず落ちた雑誌を拾い上げて、海馬に差し出した。それを無言で受け取った海馬は、やっぱり覇気のない声で、何をしに来た、って聞いてきた。

 溜息交じりのその声が、モクバの「疲れた」という言葉と重なって、凄く悲しく胸に響いた。

 あの顔と、この声を聞いてしまった今、オレに何が言えるんだろう。

 オレは今日こそは言ってやろうとあれこれ考えてきた全ての言葉を飲み込んで、寒さの為に強張ってしまった顔まで無理矢理解きほぐして、努めて明るくこう言ってやったんだ。
 

「別に?何かなくちゃ来てはいけませんかね、海馬くん?」
 

 その声に、海馬はちょっとだけ笑ってくれた。
 

 でも本当に……一瞬だけだった。