Looking for… Act10

「お昼までギリギリ持ったね、天気。どうする?屋上行く?」
「屋上行こうぜ。なんか教室、息苦しいし」
「あーオレ、パス。今日弁当持ってきてねぇんだわ。さっき購買行ったら売り切れてたし。御伽達と学食行って来る」
「はーい。行ってらっしゃい。じゃ、僕達は屋上行こっか。海馬くんと、ね?」
「……あっ、じゃあオレも本田と学食に……」
「なんで?城之内くんはお昼、持って来てたじゃん。一緒に行こうよ」
「だ、だってよー。お前、瀬人と」
「いいから。ちょっと待ってて、僕海馬くん連れてくるから」
「お、おい、遊戯!」

 それから時間はあっという間に過ぎ、何時の間にか昼休みになっていた。今日は珍しく帰る気配の無い瀬人に遊戯は休み時間にこっそりと「お昼は一緒に食べようね」と予約していた。勿論城之内も誘って、これを機会にこの膠着状態を少しでも改善しようと目論んだ為だった。

 城之内と瀬人の仲を進展させないまでも、とにかく自分と瀬人の間には友人以上の特別な感情は無い、と分かって貰わなければならないのだ。

 城之内の戸惑った声を敢えて無視して、遊戯は未だ自席で何か課題の様なものをしている瀬人へと近づき、さり気なく肩に触れて何事かを話しかけている。遊戯の背を目で追っていた以上その様を成り行きで見遣る事となった城之内は、話をしている二人を思わず凝視してしまった。

 笑顔の遊戯の言葉に微妙な表情をして応える瀬人の顔。その二人が纏う穏やかな空気になんとも複雑な気分になる。あの空気の中に自分が入り込んでいいものなのだろうか。遊戯もただ自分に気を使っているだけで、本当は瀬人と二人きりになりたいのではないだろうか。そんな思いがぐるぐると頭を駆け巡り、自然と身体が引き気味になる。

 どうしよう、やはり今からでも学食の方へ向かうべきか。そんな方向に考えが纏まりかけ、実行に移そうとしたその時だった。瀬人に向かって軽く頷いてその傍をあっさりと離れてしまった遊戯が笑顔のまま戻って来る。

「じゃ、行こうか、城之内くん」
「へ?ちょ……瀬人は?」
「海馬くんね、課題が後ちょっとで終わるから先に行ってろって。終わったら行くからって」
「や、だったら屋上なんて行かねーで、ここで食えばいいんじゃ……」
「息苦しいって言ったの城之内くんでしょー。さ、早く早くっ」
「ああうん。まあ、お前等が良ければ……いいん、だけど」

 そんな事を言いつつ遊戯の多少強引な手に引かれながら、城之内は屋上へと続く階段を昇って行く。駆け足ですれ違う他学年のバタバタと騒がしい足音を聞きながら、城之内は不意に先を行く遊戯に声をかけた。

「あのさぁ、遊戯」
「何?」
「お前、瀬人と上手くいってんのな」
「何が?」
「……だからさー。この調子でいけば……瀬人といい関係になりそうじゃん、って」
「………………」

 瞬間、段差を昇りかけた遊戯の足が止まり、上体が傾いたままその場に留まる。同時に振り向いた見慣れた顔は、先程から見せていた笑顔とは程遠い曇り顔。その表情に一瞬ドキリとした城之内は、余計な事を言わなければ良かったと後悔した。

 そんな城之内を遊戯は静かに見下ろして、暫く黙っていたが、やがて至極真面目な顔をして口を開いた。

「あのね、城之内くん」
「な、何?」
「君が僕の事を思ってそう言ってくれるのはとても嬉しいんだけど、何回も言ったよね。僕は海馬くんの事を君が言ってるような意味で好きな訳じゃないって」
「……でも、好きなんだろ?」
「うん。友達としては大好きだよ。君や本田くんと一緒で、大切だと思ってる。その意味、分かるよね?」
「………………」
「それにね。仮に僕が海馬くんに恋をしても駄目なんだ。だって海馬くんにはもう好きな人がいるんだもん」
「えっ、マジで?!」
「うん。そういう訳だから城之内くんが幾ら頑張ってくれても、もう何ともならないんだ。だから、この話はこれでおしまい」

 ね?と念を押すように小首を傾げつつそう言い切った遊戯に、城之内はもう何も言う事が出来なかった。そのまま二人は屋上まで辿りつき、ほぼ定位置になっている場所に腰を下ろすと持っていた昼食を食べ始める。直前までしていた話題が話題故に何故か妙に気まずくて、別な話題を始める事すら出来ずに無言になってしまう。けれどやはり遊戯の事が気になってしまい、城之内は手の影からこっそりと隣の様子を伺い見た。

 たった今聞いた遊戯の言葉は、本当に彼の本心からのものだったのだろうか。優しい彼の事だから本当は好きなのに瀬人の為に身を引いているんじゃないだろうか。先程の和やかな雰囲気を見れば誰だってそう思うだろう。遊戯が瀬人の事を気にかけている事は明白で、親しげに話しかけていた事や、気軽に肩を叩き至近距離で笑みを交わすその様を見れば、具体的な事を聞かなくてもすぐ分かる。なのに遊戯は頑なに違うと言う。

 こう見えて案外頑固なところがある遊戯の事だ。これ以上つついた所でどうにかなるものでもないだろう。けれどもどこか釈然としない。納得いかない。もやもやする。……何が?誰が?遊戯の横顔を眺めながらそんな事を考えている内に、城之内はもう何が何やら分からなくなり、深く大きな溜息を吐いた。

 ……なんだか酷く疲れてしまった。やっぱり遊戯の誘いに乗らずにさっさと学食に行くべきだった。これで瀬人が来た日には、オレどういう顔をすりゃいいんだよ。城之内がそう思い、手にしたパンを全部口の中に放り込んだその時だった。

 手にした飲み物を一気に煽った遊戯がごくりと口内のそれを飲み込んで、視線をゆるりと城之内に向ける。……じっと見てたのバレたかな、と城之内が知らず冷や汗を背に滲ませると、遊戯は先程とは違う穏やかな笑みを見せて、静かに口を開いた。

「さっきさ。城之内くん、何か足りないって言ってたよね」
「……ん?」

 余りに唐突に持ち出されたその言葉に、城之内は一瞬何の事か分からずにぽかんと間の抜けた顔をしてしまう。しかし、直ぐに記憶を探った結果、その話は今朝のやりとりで出ていたアレだと直ぐに気づき、城之内はああうん、と頼りない返事をした。その声に、遊戯の顔が少しだけ真面目になる。

「もう一回よく考えてみて。最近の君の周りの事。君の持ち物。多分、直ぐに答えは出ると思うよ。さっきの携帯にだってヒントはある。よく考えて」
「?……その言い方だと、お前、オレが足りないって言ってるものを知ってるみたいじゃねぇか。知ってるんなら教えてくれよ」
「僕は教えてあげたいんだけど。それじゃあ意味がないし」
「?……意味がない?」
「うん。城之内くんが自分で取り戻さないといけない事なんだ」
「自分でって……何が?何だよもう気持ち悪ぃなぁ!ああもう気になるー!!」
「大丈夫。君ならきっと、直ぐに気づくよ」
「……んな事言ったって。全っ然心当たりがねぇんだもん、無理……」

 何を言われたところで、分からないものは分からないのだ。考えれば考えるほど色々なものがごちゃごちゃになって、頭が痛くなってくる。分かっていたものでさえ、分からなくなる。最近気づいた事、変わった事、何があっただろう。……何が。

 元より余り回転のよくない頭は完全にオーバーヒート状態で、そのうち煙が出てきそうだ。もう駄目だ。無理はやめて一旦この事は忘れて、後で考えよう。そう城之内が思い、実行に移そうとしたその刹那。不意に昨日のバイト先での他愛のないやり取りを思い出す。

 かなり不可思議に感じた、先輩の……あの言葉を。
 

『今日は彼女からのメール、入ってないのかよ』

『超金持ちでモデル級のスタイルを持った美人だけど、めっちゃ我侭で暴力的で始末に負えない奴』

『お前がその子にプレゼントしたいって言ってたブルーアイズアルティメットの縫いぐるみ』
 

 ……彼女。そう、あの時、いる筈もない彼女の事をさもいると言わんばかりに話題にされて酷く面食らった記憶がある。毎度バイトの終わり際にメールを寄越し、金持ちで美人でスタイルがよくて、けれど暴力的な……ブルーアイズ好きの、『彼女』。

 そんなもの、いない筈なのに。

 けれど。
 

「遊戯」
「あ、海馬くん!思ったより早かったね。課題、もう出してきたの」
「あぁ」
「じゃあこっちに来てここに座って!城之内くん、海馬くんが来たよ!」
 

 城之内が自身の思考にすっぽりと嵌ってしまい、抜け出せなくなりそうになった頃、不意に上がった遊戯の声にはっと顔を上向ける。自然と共に上がった視界の中に、いつの間にか瀬人の姿が入り込んでいた。屋上の古びた扉に手をかけたまま佇んでいるその姿は、何故か酷く懐かしいように目に映る。……おかしい、瀬人と自分は知り合ってまだ間もない筈なのに。どうして懐かしいなどと思うのだろう。

「城之内くん?」

 遊戯に名を呼ばれている事が分かっている筈なのに、城之内はその声に応える事が出来ずにやはり瀬人を凝視してしまう。そんな城之内の様子を不審に思ったのか、はたまたただの無意識か、瀬人の視線もこちらを向く。自然と見詰め合う形となった、その時。
 

 ── あ、こいつ、目が青いんだ。外人みてぇ。
 

 城之内は一人、そんなどうでもいい事を心の中で声高に呟いた。
「海馬くん、お昼は?」
「ん」
「あ、また缶コーヒー一本だけ?ちゃんとお昼ご飯食べないと大きくならないってうちの母さんが言ってたよ」
「これ以上身長を延ばす意味が感じられん。それは貴様だからこそ言われている事ではないのか」
「う。そりゃそうだけどさ。でも!食べないと体力つかないしっ、そんなだから海馬くんいつまで経ってもそんなに身体、細いんじゃないの?」
「余計な世話だ」
「もー。城之内くんからも何か言ってあげてよ!海馬くんって僕の言う事全然聞いてくれないんだから」

 未だ瀬人から視線を外さずにただ黙って固まっている城之内を尻目に、遊戯はワザと意図的に普段通りの会話をし始める。そして、頃合を見計らって城之内へとバトンを渡した。畏まっていても何も始まらない。ここは自然なやり取りの中でいつもの空気を取り戻そうと、遊戯はそう思ったのだ。

「えっ」

 そんな彼の思惑など露知らずいきなり水を向けられた城之内は一瞬更に固まってずっと見ていたはずの瀬人を更に凝視してしまう。遊戯の横に腰を下ろした彼は、なんとなく気まずそうに視線を微妙に城之内から反らしつつ、手にしたコーヒーを飲むタイミングを計っているようだった。

 細い指が校内の自販機で買える安い80円コーヒーの缶を握っている。缶の黒と対比的な指のその白さに城之内は思わず見とれてしまい、そんな自分に今度は慌てて首を振った。

 ちょ、なんでオレ瀬人にみとれてんだ。男なのに。

 そう思い、何故か赤くなる頬をさり気なく叩きながら、城之内は少しだけ上ずった声で明後日の方向を見つつ口を開いた。

「あー、えっと。うん。昼メシはちゃんと食わなきゃ駄目だぞ、瀬人」
「……貴様にも関係のない事だろう」
「あっ、そういう事言うなよ。友達の身体を気遣うのは当たり前だろ。確かにお前、細すぎ。同じ制服着てるとは思えねー」
「煩いな。……!少し外す」

 然程期待していなかった反応が返って来た事に、少しだけいつもの調子を取り戻した城之内が、僅かに顔を上げて言葉を続けようとしたその時だった。瀬人の内ポケットからシンプルな着信音が鳴り響き、即座にそれを取り出した彼はディスプレイを眺めた後、急に生真面目な顔になり携帯を片手に立ち上がり、少し離れた場所で話し始める。その様に伺う様に遊戯を見ると「きっと仕事の電話だよ」と小さな声が返って来た。

「……仕事仕事って。あいつマジ仕事してんのかよ」
「本当だよ。海馬くんは、本当にKCの社長さんなんだよ。モクバくんのお兄さんだっていうのも本当。誰も嘘なんかついてないよ」
「……じゃあ、何でオレは知らないんだよ。そんな事、全然知らねぇよ」
「城之内くんも知ってたよ。知ってる、筈だよ」
「………………」

 そんな事言ったって、知らないものは知らないんだ。訳が分からない。先日からのイライラも相まって少しだけふて腐れた気分になった城之内はそれ以上何も言わずに遊戯から目線を反らした。そして未だ距離を置いて携帯越しの話に没頭している瀬人を見る。

 出入り口横のコンクリートの壁に寄りかかり、真剣な表情をして何事かを話しているその横顔。細長い手足を持て余し気味に組んで、時折眉を寄せて携帯を握り締めているその姿にやはり見とれてしまう。ふとその時、彼が手にする携帯のすぐ傍に、キラリと光る何かがあった。よくよく凝視すると、それは携帯のストラップで、その形状は……多分、小さなブルーアイズ。

「……ブルーアイズ?」
「?どうしたの、城之内くん」
「や、瀬人が持ってる携帯についてるストラップ。あれ……」
「ああ、そうだよ。ブルーアイズ。海馬くんはブルーアイズの持ち主なんだ。レアカードってだけじゃなくって、ブルーアイズそのものが凄く好きみたい。ああ見えてブルーアイズグッズとか、結構持ってるんだよ」
「……へぇ」
 

 スタイルが良くって、金持ちで、ブルーアイズが大好きな。海馬瀬人。
 

 ……あれ、何か引っかかる。先輩から言われたあの『彼女』と似ている気がする。気がするけれど……。
 

 あいつ、男だし。

 金髪でも巨乳でもねぇし。

 当てはまるわけ、ないよな。
 

「城之内くん」
「ぅえ?な、なんだよ」
「パン、減ってないよ」
「えっ、あっ、ほんとだ。食ったと思ってたのに」
「そんなに一生懸命海馬くんを見ちゃって。珍しい?」
「や、珍しいっつーかなんつーか。だ、だって学校くんの久しぶりだろ、あいつ」
「まあ、そうだけどね。あ、そうだ。僕杏子に頼まれてる事があるから、ちょっとだけ早く教室に戻ってるね。海馬くん、まだ電話終わらないみたいだから、城之内くん悪いけどここに居てくれる?」
「えぇ?!ちょ、待てよ遊戯、おいてけぼりかよ!」
「だって誘ったのはこっちなのに、じゃあ先に帰るって失礼じゃん」
「誘ったお前が帰る事自体じゅーぶん失礼だっての!おい!」
「帰ってこれたら帰ってくるから!ごめん、後はよろしくー」
「待てって、遊戯!!」

 お前、今オレと瀬人を二人にすんなよ!!

 そう心の中で絶叫してみたものの、それが彼に届く筈もなく、遊戯はさっさと屋上から姿を消してしまう。出入り口の扉を通過する時に、すぐ傍にいた瀬人に顔を向け、瞬間複雑な色を見せたそれを振り返る事無く遊戯の足音は勢い良く閉まった扉の音にかき消された。

「………………」

 少し冷たい風が、静かに屋上を吹き抜けていく。

 一人取り残された城之内は未だその場に座り込んだまま、途方に暮れて小さな溜息を一つ吐いた。