Looking for… Act3

「あ、おはよう城之内くん!頭大丈夫?!」
「馬鹿がますます馬鹿になったんじゃねぇかって皆で心配したんだぜ?あ、もしかしたら頭打って良くなったとか?」
「うるせぇなぁ!別に何ともねーよ。城之内様の頑丈さをなめんな!」
「なーんだ。いつも通りか。つまねんぇな。あ、違うっけ。お前海馬だけ綺麗さっぱり忘れてるんだっけ?すげぇ薄情もんだよなーそれって!」
「ちょ、本田くん!しーっ!」
「は?海馬?……ああ、アレか。瀬人の事か。つかあいつマジで同じクラスだったのかよ。なんであんな隅っこに一人で座ってんだ?」
「……瀬人?!……お前、なんだよその呼び方……気持ち悪……っておい!」

 海馬邸を出てから小一時間後。二人は授業開始時刻の大分前に無事教室へと辿り着く事が出来た。行きの車中で城之内からあれこれとどうでもいい詮索を受けまくり既にすっかり疲労困憊の瀬人は、彼と共に教室に入ると直ぐに自席へと向かってしまい、一人静かに常に持ち込んでいる本を取り出して読み始める。

 それとは対照的に友人の元へ行き、普段通り賑やかに喋っていた城之内だったが。不意に一人で居る瀬人の事が気になったのかそんな事を口にして、一人輪を離れて瀬人の元へ向かった。踵を踏んでパタパタと鳴る城之内の靴音が、瀬人の前でピタリと止まる。

「なぁ、瀬人」
「……なんだ凡骨。こちらに来るな、鬱陶しい」
「なんでお前一人でこんなとこにいるんだよ。一緒に来ねぇの?」
「何故オレが貴様等とつるまなければならんのだ。馬鹿馬鹿しい」
「や、だってよ。折角学校に来てるのに一人じゃつまんねぇだろ」
「いつもの事だ。それにどうせ直ぐに帰る。構うな」
「えっ、帰るのかよ?!来たばっかだろ?!折角登校したのに!」
「それも普通だ。煩いな!」
「そんなんで単位取れんのかよ。不登校なんだろお前。何?勉強分かんねぇとか、イジメ受けてるとかなのか?」
「なっ……何故そうなる!一々腹が立つ男だなっ!廊下に出て外の掲示板を見てきてみろこの馬鹿が!」
「廊下ぁ?なんで?」
「四の五の言わずにとっとと行って来い!」

 朝からの度重なる城之内のこの失礼極まりない態度に既に堪忍袋の緒をぶち切ったままの瀬人は、ここが教室だと言う事も忘れてヒステリックにそう喚く。そんな彼の言動に本来ならばこちらもキレる城之内だったが、今は特に無感動に瀬人を眺めているだけだった。その様子が更に瀬人の腹立たしさを煽ったが、どうにもならない事を知っている彼はただ拳を握り締めて耐えるしかなかった。

「何が廊下なんだかさっぱり分かんねー」

 そう言いながら城之内は瀬人に言われた言葉を素直に受け止め、言われた通り教室の外へと向かい、件の掲示板を見遣った。その瞬間、彼の瞳は驚きに大きく見開かれる。思わず上げてしまった声に振り向いた生徒が何人かいたが、そんな事は全く気にならなかった。

「ちょ、なんだこれスゲェ!全教科満点で一位?!」

 城之内が瀬人に指示されて見た『それ』は、先日行われた校内テストの順位表だった。上位三位までは他の名前とはあからさまに隔離された位置に大き目の字で堂々と書かれている。その一番右端……所謂トップを飾っているのが『海馬瀬人』の名前だった。太く大きなその文字の下には500点の表示。

「……あ、ありえねぇ……不登校の癖に」
「だから不登校ではないと言ってるだろうが」
「うわぁっ!いきなり後ろに立つなッ!」
「オレの優秀さが分かったのなら席に着け。授業が始まるぞ」

 掲示板を目の前に呆然と立ち尽くしていた城之内を、教室の中から伺っていた瀬人は、彼の反応に一通り満足すると、自ら席を立ってその後ろまで歩いて行き、言葉通り席に着かせるべくその腕を取った。同時に予鈴が鳴り響く。やけに耳障りなその音を意識下で聞きながら、瀬人はいつもの調子を取り戻して少し自慢げにそう言い放った。

 常ならばそこで「うるせーな。自慢すんな」だの「馬鹿でごめんなさいねぇ」だの、嫌味が即座に飛び出すのだが、今日に限って。否、『この』城之内はそんな素振りは露程も見せず、逆に目をキラキラさせて瀬人を見て心底嬉しそうにこう言った。

「スゲー!マジスゲー!お前って凄いんだなぁ、瀬人!今度勉強、教えてくれよ!」
「………………」

 その余りにも純粋な言葉と、とっくの昔に見れなくなってしまった眩しい位の笑顔に、瀬人は半ば呆然としてその顔を眺めていた。

 同時に痛い位に掴み返された腕が、酷く熱く感じた。
「……大丈夫?」
「っ、なんだ突然!」
「あ、ごめん。気付いてなかった?さっきからそこにいたんだけど……えっと、次の授業は美術だよ。美術室に行かないと」
「そうか。なら、オレには必要ないな、帰る事にする。奴の所為で昨日の仕事が丸々残っているからな。元々ここへは凡骨を送りに来ただけだったし……後は頼んだぞ遊戯」
「えっ、海馬くん帰っちゃうの?!だ、駄目だよ。城之内くんの傍にいてあげないと!」
「何故だ。今の奴にはオレは必要ないだろうが」
「でも城之内くん、海馬くんの事凄く気にしてたじゃない。今だって」
「あんなもの、奴は誰にでも言う事だしする事ではないか。特に珍しいものでもあるまい」
「で、でも……あ」
 

 遊戯の小さな声と重なるように、授業開始のチャイムが鳴る。隣のクラスではバタバタと全員が席に着く物音が響く。けれど二人はその場所から動かなかった。
 

 何時の間にか教室に帰り、周囲が移動教室の為にぞろぞろと外に出て行くのを聴覚で感じていた瀬人は、不意に掴まれた右手とかけられた声に、びくりと大げさなほど反応した。指先に感じるじわりと温かな体温はいきなり視界に入って来た遊戯のもので、それに慌てて顔をあげると何時の間にか教室には二人きりだった。

 先程まで煩いほど瀬人を構ってきた城之内の姿ももうない。本田の呼ぶ声に、元気良く応えていたから大方彼等と共に美術室に行ってしまったのだろう。これはいつもの事だ。学校にいる時の城之内と瀬人は周囲にそれと分かるような態度を決してしない。むしろ知らない人間が見ればどうみてもいがみ合っているようにしか見えないだろう。

 一歩校内を出れば普通の恋人になれるのだし、何も学校でもイチャつく必要はない。それは二人の共通の見解だった。そして、城之内は学校にいる時位友達を大切にしたいという。それも瀬人には十分過ぎる程分かっていた。だから、それでいいと思っていた。

 けれど、普段の二人がそうだった分、今日の城之内の態度は瀬人には衝撃だったのだ。学校で気軽に声をかけて来る。傍に寄る、笑顔を見せる、身体の一部を触れ合わせる。そんな何でもない事が何故かとてつもないような事に思えて心底驚いてしまったのだ。それは城之内が瀬人の事を全て忘れてしまっているという完全なる証明にもなっていて、驚いたと同時に絶望もした。分かっていた事なのに、傷ついたのだ。昨日の何倍も。

 しかし、その反面全く別の感情も沸いてくる気がした。モクバが昨夜口にしていたあの言葉。
 

『いい機会だからさ、始めに戻ってやり直してみたら?意外に新鮮で面白いかもしれないぜ?』
 

 新鮮で面白い。

 以前の自分ならそんなモノは鼻で笑って流してしまうそれが、ついさっきの城之内の笑顔で真剣に考えてしまったのだ。何でもない事なのに、酷く物珍しく感じる様々なシーンを、もう一度感じたい。そう、思ったのだ。

 ただ、そこには大きな障害がある事も分かっていた。『あの』城之内が、『以前の』城之内のように、瀬人に……男に恋愛感情を持つか、という事である。元々美人のお姉さんが好きで更に巨乳なら言う事無し、と豪語していた男である。瀬人を好きだという事実をすっかり忘れてしまってる今、わざわざ道ならぬ道をもう一度通るとは思えない。

 それでなくても何かと衝突する間柄だったのだ。心の平穏を望むなら、喧嘩ばかりしていたあの日々などいらないのではないだろうか。そう思い、瀬人は暫し己の考えに没頭していたのだ。その矢先に声をかけて来たのが遊戯である。

 彼はそれとなく瀬人と城之内の事を観察していて、城之内がいなくなり一人取り残された形となった瀬人の元へと心配してやって来たのだ。常にない程暗く沈んでいる瀬人の表情を見ればその心理状況など手に取るほど分かってしまって、遊戯はそんな瀬人を元気付けようと色々な言葉を考えていた。

 けれど、どんな言葉すらも今の彼には慰めになどならないのかもしれない。自分がもし同じ立場になったら……仮にもう一人の僕こと、闇遊戯に自分の事だけをすっかり忘れられてしまったらきっと酷く傷つくに違いないから。

 それでも、友達である以上手を差し伸べずにはいられなかった。誰のものでも、悲しむ顔はみたくない。

「……城之内くんは、海馬くんの事を忘れたりなんかしてないよ」
「貴様、奴のあの態度を見てもまだそんな事が言えるのか。おめでたい奴だな」
「あ、うん。アレには僕も凄くびっくりしたけどさ。でも、なんか城之内くん、前よりもずっと君の事が好きなように見えるけど」
「……どこから、そう思う?オレにはさっぱり分からないが」
「僕にも言葉で説明できないけどさ、でも、そう思う。だから海馬くんがそんな風に諦めちゃ駄目だよ」
「オレは別に諦めてなどいない。ただ、こう言ったものは自然に任せるしかないのだと、そう思って……」
「だったら、余計に一緒にいてあげなきゃ。何かのきっかけて直ぐ思い出すかもしれないし!」
「オレは忙しい。そんな暇はない。だから貴様に頼んでいるのだ、遊戯」
「嘘吐き。僕、こう見えて海馬くんの考えてる事、良く分かる。あのね、城之内くんが海馬くんを好きな事は本当なんだよ?そりゃ、城之内くんはあんなだから、色々と頭にくる事もあるだろうけど……この間も本田くんが城之内くんに貸した本で喧嘩したとか言ってたけど、あれはあくまで本だからね?何も城之内くんは海馬くんが金髪じゃないからとか、巨乳じゃないから嫌だとか言う訳ないじゃない」
「……く、詳しいな、遊戯」
「つっこむべき所はそこじゃないでしょ。だから変な事は考えないで、一日も早く城之内くんを元に戻してあげて。城之内くんだって可哀相なんだよ。大好きな海馬くんの事、忘れてるんだから」
「……余り大好き大好き言うな」
「だって本当のことだもん。もう、僕がどれだけ彼から君とののろけ話聞かされたと思ってるのさ!ほんっとに迷惑してたんだからね!彼女もいないのにさ!耳年増になっちゃって!」
「そ、それは悪かった……というべきなのかオレは」
「それは冗談だけどね。でも本当に、僕は君達が好きだから、早く元に戻って欲しいんだ。何かあったら相談に乗るから、頑張って」

 ね?と言いたい事だけをすらすらと告げてそう笑った遊戯の顔を、瀬人はただ呆然と眺めているだけだった。遊戯の言う事は勿論遊戯の持論だ。城之内の真実ではない。けれど、自分よりも良く彼の事を知っているだろう人間の言葉には妙な重みがあった。

 昨夜から立て続けに感じていた小さな絶望が、ほんの少しの希望に変わる程に。
 

「まだ一日目でしょ。我慢強い海馬くんがサレンダーするには早すぎるよ」
 

 そうだ。まだ、一日目なのだ。一月や一年経った訳でも、ましてや城之内本人から何か言われた訳でもないのに、勝手に思い込んで落ち込むには少々早すぎる。
 

 『お前はそーやって思い込みだけで勝手に暴走すんのが良くねぇって言ってんだよ!少し落ち着いてモノ考えろ!バカイバ!』
 

 何時しか、売り言葉に買い言葉で投げつけられた、そんな台詞が脳裏に蘇る。ついでに当時感じた苛立ちも一緒に思い出して、瀬人は知らず眉を寄せて「凡骨め…」と低く唸った。

「そうそうその調子。怒ってる方が『らしい』よ、海馬くん」
「煩いぞ遊戯」
「じゃあ、一緒に美術室に行こうか?僕、まだ課題の水彩画終わってないんだ。海馬くんも真っ白でしょ?」

 早く早く。そう言って瀬人に有無を言わせず手を引いて歩き出す遊戯に、瀬人はついぞ逆らう事が出来ずに、そのまま二人は美術室へと向かった。
 

 三十分遅れの授業を受けに。