Looking for… Act4

「……結局。まともに一日授業を受けてしまった……」
「たまにはいいじゃない。楽しかったでしょ?」
「楽しいわけがあるか。大体何故オレが掃除までしなければならないのだッ!」
「モップを持つ姿もカッコイイよ、海馬くん!」
「変なおだて方をするな貴様ぁ!」
「おーい、二人とも、何喧嘩してんだぁ?真・面・目にやれよ?早く帰りたいだろー?」
「くっ、あの凡骨がっ!窓から突き落としてやりたい!もう一度頭を打てば妙な記憶喪失とやらも元に戻るだろうからな!」
「ちょ、ちょっとやめてよ。学校で傷害事件は良くないよ。『KC社長海馬瀬人(17才)。校内でクラスメイトを三階の窓から突き落とす!』なんて記事になったら笑えないよ?」
「本気じゃないわ!言ってみただけだ!」
「顔は本気の癖に」
「ああもう煩い!口を動かす前に手を動かさんか手を!!」
「海馬くんがモップをしてくれないと、僕の箒が意味ないんだけど?」
「知るかそんな事!貴様がやれッ!」

 常日頃の生活ではついぞ必要のない、安い樹脂製の柄がついた掃除用の白モップを手にしながら、瀬人はそう言って苛立たしげに舌打ちをした。遊戯の強引な引止めと、相変わらず暢気に絡んでくる城之内の妙なコンビについつい退校する機会を失ってしまった彼は、結局全ての授業に顔を出し、昼間は何故か城之内のパンを半分貰い、放課後には共に清掃活動までするハメになってしまった。

 勿論こんな事は瀬人の高校生活では始めての経験だったし、よもや自分が他の一般生徒と混じってモップを手にする事になる等と想像もしていなかった瀬人は、突然降って沸いたこの状況に歯噛みしながらも投げ捨てて帰る事は出来なかった。何故なら図ったかの様に嫌な挑発をしてくる城之内の言葉通りになるのが嫌だったからだ。
 

『こら瀬人!お前掃除サボろうとしてんじゃないだろうな。掃除サボったら一人でトイレ掃除一週間だぜ?センコーにチクられたくなかったらちゃーんと掃除していけよ?』
 

 HR終了後、これ以上はもう必要ないだろうと、速やかに席を立って鞄を掴んで教室を出ようとした瀬人の背に投げつけられたのは、城之内のそんな一言だった。

 瀬人はよく知らなかったが掃除当番は交代制で、机並び立一列が一つの班となり、教室、体育館前廊下、二年東男子トイレの持ち場をそれぞれが担当するのだという。今週は運悪く瀬人の列が教室の当番で、そして何の因果かその列には城之内と遊戯も含まれていたのだ。結果、三人仲良く掃除をするに至ったのだが……。

「…………チッ」

 瀬人はモップの柄を強く握り締めながら、鼻歌を歌いながら窓辺に腰かけて硝子拭きをしている城之内を思い切り睨みつける。身体の大半を外に出して、微妙なバランスで丁寧に作業をしているその姿に、そういえばこいつビル掃除のバイトもしていると言っていたな……などとどうでもいい事を思い出してしまう。

 余りにも手馴れていて、かつ迅速に進められていく拭き掃除に、瀬人は何故か悔しくなって、自主的に床掃除をし始めた。どんな事であれ、城之内に負けるものはあってはならないのだ。それは例えこんな下らない学校の掃除の時間でも、だ。

「お、やる気だしてんじゃん。エンジン掛かるのおせーぞ、瀬人!」
「やかましいわっ!貴様、そんな格好で外に身を乗り出していると落ちるぞ!」
「へへーんだ。オレは地上30階建てのビル掃除もこなすベテランですよ?そんなヘマするかっての!」
「何の自慢にもならんわ馬鹿が!」
「あっ!お前馬鹿って言ったな!昨日から人を馬鹿呼ばわりして失礼な奴だなッ!もうちょっといい言葉使えよ!」
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪いのだッ!」
「そんっ……ぅあっ?!」

 硝子を拭く手を止めて、瀬人にちょっかいをかけるが如く、城之内がそう軽口を叩いていたその時だった。瀬人の『馬鹿』の一言に過剰に反応した彼が思わず身を起こして反論しようとしたその時、身体を支える為に窓枠を握り締めていた手がずる、と僅かに滑り、そのまま離れてしまったのだ。

「あ、城之内くん!!」

 勿論ここは教室で地上30階建てのビルとは違い、その身体に命綱などつけてはいない。ガクン、と思い切り後ろに仰け反ったその身体に、その場にいた遊戯を初めとする数人がきゃあ!と大きな悲鳴を上げた。あわや本当に大惨事か?!誰もがそう思い、咄嗟に手を伸ばしたり、顔を背けてしまった瞬間、カラン、という軽い音と共に、モップが床に倒れこんだ。そして。

 寸でのところで、城之内の胸倉を掴んだ腕があった。

 それはだらしなく開かれたガクランの襟首をぎゅ、と掴み上げ力任せに室内へと引き戻す。その勢いと、元より良くなかった体勢で何時の間にか至近距離にいた二人……城之内と瀬人は、そろって未だ掃除のなされていない床へと転がり落ちた。二人分の呻き声が、緊張に静まり返った教室内に大きく響く。

「……いっ、てー!…あー!びっくりした!死ぬかと思った!」
「っ!……どけ凡骨!上に乗るな!!」
「あっ!……うわっ!悪ぃ、瀬人!!え、と、大丈夫か?」
「大丈夫に見えるか?!」
「お、元気元気。大丈夫だな」
「ふざけるな!!貴様!だから危ないと言ったろうが!馬鹿が!」
「馬鹿っていうなよ!お前が馬鹿っつったからオレ落ちそうになったんじゃんか!」
「オレの所為にするか?!くそっ、貴様などあのまま落ちていれば良かったんだ!」
「お生憎様。無事こうして生還しちゃいましたよーだ!」
「じょ、城之内くん、海馬くん、大丈夫?!」
「おう、大丈夫大丈夫。ひやっとしたけど」
「……別に、なんともない」

 にこっとした笑顔と、ぶすっとした怒り顔をつき合わせてそう応える二人の顔を心の底から安堵して眺めながら、遊戯は額に浮かんだ汗を拭い、大きな溜息を一つ吐いた。一歩間違えば本当に大事件になっていた出来事である。膝はガクガクと震え、今にもその場に座り込んでしまいそうだった。

 何事もなくて本当に良かった……そうは思っても未だ受けた衝撃から立ち直れない。

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 窓の外に後ろ向き落ちていこうとする城之内の身体が、まるでスローモーションのようにゆっくりと倒れる様を見つめながら、遊戯は届かないとは分かっていても必死に手を伸ばそうとした。

 が、それよりも僅かに早く、隣にいた瀬人が手にしたモップを放り出し窓際まで駆け寄ると、自らも落ちるかも知れないという事など考慮せずに窓枠を掴んで身を乗り出し、城之内の胸倉を掴んだのだ。

 ギシリと大きく音を立てたステンレス製の窓枠は二人分の体重を無事支え、海馬が身を起こす助けとなり、結果彼等は無事に教室内へと戻る事ができた。時間にすれば数秒の事だったが、床に転がる彼等が再び言い争いを始める迄には、何分も何十分も経ったかのように錯覚してしまう。それ程までにその数秒間の出来事は驚異的だったのだ。

 三階の窓から落ち行く人間を空中で捕まえて、力任せに引き寄せる。これは、相当の腕力と度胸がないと出来ない事だ。仮に遊戯が同じ事をしたとしても、城之内もろとも落下していたに違いない。瀬人だからこそ出来た芸当だ。それでも、普通はそんな危険を冒す真似は余りしない。否、出来ないだろう。
 

 ああ、やっぱり。凄いなぁ……。
 

 声には出さず心の中で呟いて、遊戯は落としてしまった雑巾と箒を拾い上げて、未だ小さな諍いを続けている二人を見た。片方は相手の記憶を完全に失っているのに、変わらないその光景にくすりと小さな笑みが漏れる。

「あーでも、お礼はちゃんと言っておかねぇとな。助かったよ瀬人。サンキューな!」

 散々どうでもいい事を罵りあった後で、最後に付け足しとばかりに口にした城之内のその言葉に、瀬人はギクリと背を跳ね上げて、まるで珍しい生き物を見るような目でその顔を見下ろしていた。

 あ、海馬くん、すっごく驚いてる。そりゃそうだよね。あんな風に素直にお礼言われる事なんて、今までなかったもんね。そう思いつつ、遊戯が漸く震えの収まった足を動かして、二人の元に駆け寄ろうとしたその時だった。
 

 遊戯は、思わずしっかりと目撃してしまったのだ。

 驚愕の表情のまま固まっていた瀬人の頬が、ほんのりと淡く染まっていたのを。
「よーしっ、掃除も終わったし、帰ろうぜー!」
「……疲れた」
「あはは、そうだよねぇ。海馬くんはこれから会社?」
「……ああ。どこかの馬鹿の所為で仕事が滞りまくりだ」
「が、頑張って。後は大丈夫、僕達がちゃんと城之内くんの事送っていくから」
「宜しく頼む。オレは車を……」

 酷く賑やかだった掃除の時間もその後は滞りなく終了し、午後4時のチャイムが鳴り響く。部活開始の合図でもあるその音を遠くで聞きながら、瀬人は心底疲れた顔で大きな溜息を吐いた。

 掃除のお陰で薄汚れてしまった手を幾度も洗った結果、少し荒れてしまった指先で懐から携帯を取り出して、運転手に連絡を取ろうとする。その前に数件あった着信に軽く眉を寄せると、その名をじっと眺めながらかける順番を考えていた。

 するとそんな彼の元に鞄を背負った遊戯がやって来て、お疲れ様、と声をかけてくる。それに疲れた顔のまま答えを返すと、瀬人はちらりと城之内を見て再び携帯に手をかけた。とりあえず、まずは運転手に連絡を取って迎えに来て貰うべきだろう、後は車内でなんとかすればいい。そう思い常用カテゴリから件の番号を探り出し、通話ボタンを押そうとしたその時だった。

「瀬ー人!お前も一緒に帰ろうぜッ!」
「?!────」

 ドン、という背への衝撃と共にぐいっと首筋に回された腕。考えるまでも無くそれは城之内が遊戯達によくやる仕種だった。勿論瀬人にはそんな事は一度もした事は無い。首に感じる妙な拘束感と耳元に触れる硬い髪と吐息の感触にぞくりと背筋が寒くなる気がする。

 それ以上の接触をしている間柄であったが、慣れない事をされるとやはり気持ちが悪い。思わず振り解こうともがいたが、存外強い力を込められている為、逃れる事は出来なかった。それを見兼ねたのか即座に遊戯が城之内の裾を引っ張りとりなしてくれようとはしたが、何故かはしゃいでいる彼には全く通用しなかった。

「じょ、城之内くん?!あ、あのね海馬くんは……」
「うん?あー!お前まさか帰りまで車とか?!駄目駄目。毎日そんな生活をしてると体がなまっちまうぜ?たまにしか学校来ねぇんだろ?だったら、来た時位歩け!な?」
「全て貴様を基準に話をするな!というか腕を解け!」
「いーじゃん別に。あ、オレ、嫌がられるともっとやりたくなる人だから。暴れるなよ」
「最悪だな!っオレは、貴様等と共にダラダラと帰る暇などない!」
「あ、バイトかなんかあんの?」
「バイトじゃない!オレの会社だ!」
「?お前の会社ってなんだよ」
「あーもうっ説明が面倒くさいわ!!どうでもいいだろうが!離せ!」
「あはは。お前って面白いなー。とにかく、な?帰る位ならいいだろ、時間ないんならちゃっちゃと歩く!よっし遊戯行くぞー」
「え?!あ、う、うん」
「ふざけるな!首が苦しいっ!引っ張るな!」

 そんな事をぎゃあぎゃあ喚きつつも、結局城之内のなすがまま、まるで引きずられるように教室の外に連れ出されてしまう瀬人の事を、遊戯はもう見守る事しか出来なかった。何だかんだ言って、瀬人は城之内のことを心底邪険には出来ないのだ。そこが彼の可愛いところ、なんて言ったら怒鳴られるのがオチなのだが。

 元々彼等の関係も今のような事から始まったのだ。まあ当時は最初城之内が瀬人に多少のマイナス感情を持っていた為に、こんなに親密な雰囲気ではなかったのだが。それでも遊戯からみれば城之内が瀬人に一方的に迫り、押して押して押し倒したのだ。その間には相当の苦労やら困難やらがあったらしいがそれすらも楽しいと豪語して、城之内はついぞ瀬人の恋人という地位を獲得したのだ。

 それから、約半年。そう、まだ半年なのだ。夫婦で言えば蜜月の最中に起きたこの事件に当初は酷く動揺したものだったが、この一日の間の彼等を見ている限り、そんなに心配はないのではないか、と思い始めた。

 むしろ、ちょっと前までは「本当に恋人なの?」と疑いたくなるほど喧嘩ばかりしていた彼等が、今は仲良く(と言っても一方的にそうしているのは城之内の方だったが)じゃれあっている。逆に新鮮でいいのかもね。とモクバが聞いたら「オレの考えと一緒だぜぃ!」と喜ぶような台詞を口にして、遊戯は先に行く彼等の後を追いかけた。

 昇降口に一番近い階段の下から、まだ賑やかに騒ぐ声が聞こえてくる。

「おーい遊戯ー!ちゃんと来てるかぁー?」
「階段の上にいるよ!今行くから!」
「おー。慌てて降りて転ぶなよー。さっき瀬人がそこで躓いてさー」
「貴様が妙な角度から引っ張るからだろうがッ!」
「あーはいはい。それは悪かったですね。あ、そこまた段差ですよ」
「やかましいっ!貴様がこの腕を放せば済む事だっ!歩きにくいっ!」
「お前背ぇ高くて結構この体勢辛いんだよな」
「じゃあするな!」

 階下から響いてくるそんな声に、上から覗いていた遊戯はくすりと小さな笑みを漏らして、城之内の声に応えるように大急ぎで駆け出した。

 パタパタと床を叩く内履きのゴム底の軽快な音が、広い階段内にやけに大きく響き渡った。
「じゃ、城之内くん、海馬くん、バイバイ。また明日ね!」
「……ああ」
「じゃーなー、遊戯」

 既に夕日が地平線に半分隠れて辺りが濃いオレンジ色に染まりきった、そんな時刻。結局仲良く徒歩で帰宅する事になってしまった三人は、特に寄り道もせずに極普通に帰路に着くと、学校からの距離が一番近い遊戯の家の前で立ち止まった。

 それまで散々話をしてきた所為で特に名残が惜しいわけでもなく、遊戯はさらりと別れの挨拶を交わすとさっさと家と続きになっているゲーム屋の入り口前まで走っていく。その姿をなんとは無しに眺めながら瀬人はこれから先の数十分、城之内と二人でいなければならない事に妙な緊張感を覚える。

 何を今更、と自分でも思わずにはいられないが、その実『この』城之内と二人きりになるのは今朝瀬人の部屋で過ごした数分間だけで、後は必ず誰か彼か第三者が傍にいたのだ。家ではモクバが、そして学校では遊戯が常に近くにいてくれたお陰で特に気にも留めなかったが、こうして本格的に二人にされるとどうしたらいいか分からなくなる。

 そんな瀬人の心情を分かっているのか、遊戯は最後にくるりと海馬を振り向いて、口の形だけで「頑張って」と口にして微笑んだ。何を頑張るのだ何を。と言うか貴様逃げるのか!そういってその無邪気な笑顔を睨めつけた瀬人だったが、最大の責任は自分にある事は嫌と言う程分かっているので無駄な八つ当たりも出来ず、渋々顔を歪めて室内へと消えていく遊戯の背を見送った。

 パタンと締まった扉に、妙な沈黙が降りてくる。しかし、それは直ぐに明るい城之内の声と笑い顔に払拭された。

「よっし、遊戯も帰ったし。オレ達も帰ろうぜ!」

 ポン、とまた馴れ馴れしく肩を叩きつつ、そう言ってくるりと踵を返すその姿を眺めながら、瀬人は小さく嘆息するとさっさと歩き出してしまう彼の後に直ぐついて行くような真似はせず、ただじっとその場に立ち尽くしていた。すると、案の定即座に後ろを振り向いた彼に名を呼ばれる。

「瀬人、何やってんの?行こうぜ」

 余りにも明るく軽いその声に、瀬人の心はまたピクリと妙な反応を示したが、敢えてそれは無視をして、こちらを凝視する視線を軽く振り払うように首を振ると、溜息混じりにこう言った。

「……遊戯も帰宅した事だし、もういいだろう?オレはこのまま社へ戻る」
「なんで?オレ、別にお前と二人で遊戯を送り届けたかったわけじゃないぜ?さっきも言ったじゃん。一緒に帰ろうって」
「だから、オレも答えただろう。そんな暇はないと」
「その割には付き合ってる癖に」
「きっ、貴様がオレを引きずってきたんだろうが!」
「そうだっけ?まー細かい事は気にしないで。もうちょっとだから付き合えよ。オレんちこっから直ぐだし」
「意味がわからん。オレが何故貴様に付き合わなければならない!」
「え、だってオレ達友達だろ?昨日オレ、お前の家……まあモクバの家だけど……に泊まらせて貰ったからさ。今日はオレん家にちょっと寄ってけよ」
「……は?!と、友達?!というか、貴様の言っている意味が分からないんだが」
「まーぶっちゃけて言えば今のは建前で、本音は『宿題教えて♪』って事」
「!!── 断る!」
「いーじゃん、ちょっとだけ。明日の数学、課題サボるとマジ単位ヤバイんだよね。周りのダチは勉強の方はからっきしで、あんま頼りになんねぇんだけど、お前みたいな頭のいい奴がいると知ったら全力で協力して貰わなきゃ嘘でしょ」
「ふざけるな!オレは貴様の都合のいい道具ではない!」
「そんな事言ってないってー。なーお願いー一回だけでいいから。ね?」

 何時の間にか少し離れていた距離をゼロにして、城之内は素早く瀬人の左手を掴んでしまうと、持ち前の押しの強さでさっさと一人で話を進め、既に慣れつつある動作……ぐいぐいと掴んだ手を引っ張って先に行こうとする。その口から飛び出す余りにも思いがけない単語の連発に、瀬人は最早反応すらも鈍りがちで、半ば呆然とその力に引かれるまま足を踏み出してしまった。

 ── 友達?宿題を教えろ?何を言っているのだこの馬鹿は!

 そう心の中で絶叫しつつも、声に出してそれを言う事は出来なかった。今日嫌という程経験してしまった、城之内が瀬人に見せた様々な言動は、彼が『友達』にする全てだったのだ。ああ、だからオレは今までこいつのこんな姿を見た事がなかったのか。経験した事がなかったのか。そう思い、瀬人は自嘲気味に口の端を歪めてしまう。

 友達。余りにも陳腐で瀬人には縁のないその言葉が、自分と城之内の今の関係だと思うにつけ、なんだか妙な気持ちになる。ただの他人から、間を飛び越えて一気に恋人になってしまった故に、その中間というものが二人には存在しなかった。今の状態が、所謂その中間なのだろう。

 他人よりも親しくて、恋人よりも少し遠い。なのに何故か、記憶のあった昨日までの彼よりも酷く近くに感じる。自分勝手に掴んで離さない繋がったままの掌の温度が酷く熱く、意識的に触れ合っていた時よりも気恥ずかしく感じた。ただなんの意図もなく、必要だからと手を繋いでいるだけなのに。

「あ、オレんち何もねーや。コンビニで何か買ってく?」
「……長居をするつもりはない。さっさと終わらせて、帰る」
「そんな直ぐに逃げるみたいな言い方すんなよ。お前ホント人嫌いなんだなー」
「べ、別に、そういう訳ではない!」
「じゃーなんで学校来ないんだよ。成績もいいし、友達もいねぇって訳じゃねぇし。何も問題ないじゃん」
「だから、貴様には関係のない話だと言っているだろう。オレに構うな」
「なんか知んないけど、妙に気になるんだよなーお前の事。なんでだろな?昨日始めて知ったのに」
「………………」

 徐々に暗闇に包まれていく静かな裏通りを歩きながら、城之内はふとそんな事を呟いて、くるりと瀬人を振り返った。何時の間にか点いていた古い電信柱に設置された薄暗い街灯が、その表情をぼんやりと照らし出す。そんな相手の顔を眺めながら、瀬人は舌打ちをしたい気分に駆られつつ、その視線から逃れるように、ふい、と小さく顔を反らした。

『そこまでおぼろげに分かるのなら何故オレの事を思い出さない!貴様は正真正銘の阿呆か!』

 そう言ってやりたい気持ちをぐっと堪えて、瀬人は今度は自ら先に立って歩き出す。二つの異なる足音が、静寂に響き渡る。
 

 それから暫く、二人は一切口をきかずに歩いていた。

 もう必要ない筈なのに、繋いだ手は……離す事無く。