真夜中のHappy Birthday Act4

「遊戯、城之内!」
「モクバくん!」
「よかったー早めに見つかって。あちこち探したんだぜぃ。遊戯、サンキューな」
「ううん、でも良かったね。じゃあ僕は帰るから。城之内くん、また明日ね!」
「……おう」

 遊戯がモクバに電話をかけて20分後。見慣れた一台の車が公園の外で待つ二人の前に止まった。即座に飛び出してきたモクバに城之内は無理矢理後部座席に引き込まれ、直ぐに社に帰る、と宣言された。その後すぐモクバは白い息を吐きながら外に立つ遊戯に心から礼をいい、彼に「頑張って」とよく分からない別れの言葉を貰いつつ、車はKC本社に向かって走りだした。

「なあ、城之内。兄サマとなんで喧嘩なんかしたんだよ。その顔、兄サマにやられたんだろ」

 微かなエンジン音しか物音のしない広い車内で、暫く無言でいたモクバがふと思い出したようにそう声をかけてきた。離れていた距離を心持ち縮め、下から見上げてくるその顔をちらりと見遣り、城之内はその問いにどう答えるべきか暫し悩んだ。

「……いや、まぁ、大した事じゃねぇんだけどよ」

 モクバに向かって瀬人の態度が余りにも冷たいから腹が立った、と言った所で「何を今更」と言われるだけだし、その言い分を補強するようにあの週刊誌の事を持ち出すわけにもいかない。そもそもモクバに愚痴ったところで彼は兄の味方をするに決まっている。話すだけ無駄というものだろう。城之内が今できる事はここは適当に言葉を濁してやり過ごすしかない、そう思ったその時だった。

「ホントかよ。幾ら手の早い兄サマでもよっぽどの事がない限り殴ったりはしない筈だぜ?」

 ホントかよ、の言葉通りやけに疑わしい目つきで探るようにこちらを見るその顔に、やはり兄弟なのか瀬人の顔が重なって見える気がする。それに誕生日ショックで少しだけ忘れていた苛立ちがぶり返した。更に今の一言で、瀬人のモクバに対する自分との待遇の違いまで分かった気がして、城之内は遣り過ごそうと決めた事も忘れてつい余計な事を口走り、しかも途中で止める事が出来ずに暴走してしまう。

「そりゃ、お前はそうだろ。オレと違ってめちゃめちゃ大事にされてるもんな。あいつが海外に行ってた時も毎日ちゃんと連絡を取って、帰って来たらいの一番に顔を合わせて、ただいまって言うんだろうが」
「はぁ?」
「一月も放置されて、挙句の果てに帰ってきても無視されるんじゃー怒りたくもなるだろ。喧嘩したのはその所為だ。喧嘩っていうか、一方的に吹っかけたのはオレだけど」
「それで、兄サマに殴られたわけ」
「……そうだよ。悪ぃかよ!」
「悪いっていうか……馬鹿だなー」
「お前にまで馬鹿って言われる筋合いはねぇや!」

 先程の喧嘩で腹が立った事を思い出したのか、目を吊り上げ頬を紅潮させつつそう声を上げた城之内を、モクバは半ば呆れて見遣った。馬鹿だなぁ、の一言は彼の心からの言葉である。瀬人も常々城之内の事は馬鹿だの阿呆だのそれ以外の言葉では表現できないと言わんばかりに罵っているが、実際こうして話をしてみるとなるほどコイツは馬鹿だと言わざるを得ないとモクバは思った。瀬人がキレるのも無理はない。

 ……結局ただの寂しがりとやきもちかよ。みっともないぜぃ。

 そう思いモクバは大きく溜息を吐く。実際彼は馬鹿なのだ。唯一の肉親である弟と所詮赤の他人である恋人とを同列において考える事自体がおかしい。そもそも相手はあの瀬人である。一般の常識や情緒を求めるだけ無駄というものだ。それを分かっている筈なのに、求めずにはいられないという時点で馬鹿という事なのだろう。

 しかし城之内は一つだけ勘違いをしている。瀬人は城之内が考える程、彼の事をないがしろにはしていない。比較対象者がいない故に極端な考えに陥りがちだが、モクバから見れば十分に優良待遇されている方なのだ。

 そもそもあれだけ文句を言いつつも恋人という関係を壊す事無く持続させている事を考えれば分かりそうなものなのに、それすらも理解できないのだから救えない。まあ余りにも分かりにく過ぎる態度なので気づかないのも仕方のない事かもしれないが、それでもそんな初歩的な事で今更争っているとは思っても見なかった。しかも今日は瀬人の誕生日なのに、派手に喧嘩別れまでして。

 やっぱりお前は馬鹿だな。思わずそう声に出そうとして、モクバはふと今しがた耳にした城之内の台詞を思い出す。一月も放置された、帰ってきても無視された?……そんな事はありえるのだろうか。

 確か瀬人は自分と通信する時についでのように城之内の事も聞いてきていた。そんなの自分で電話すれば?と切り返すと、連絡がつかない!といきなり怒り出し、とばっちりを受けた事がある。何故連絡が付かないのかまでは聞く事はしなかったし、瀬人も是が非でも城之内と連絡を取りたいとは言わなかった為その間特に何をする事もなかったが、結局その後も二人の間で連絡が取れないままだったとすれば、確かに城之内にとっては「無視された」という認識になるのかも知れない。一日早かった帰国の事も知る術はないだろう。

 よくよく考えれば至極単純な話である。意思の疎通が全くなっていなかっただけで、互いに何か悪さをしたわけではないのだ。そういえばついこの間何かの話ついでに遊戯から城之内の携帯が料金の未払いで止まっている、と聞いた事があった気がする。運悪くその話はモクバの記憶には残らず、即座に忘れ去られてしまった為瀬人に伝わる事がなかったのだが、それがこんな結果になるとは思わなかったのだ。

 必死に連絡を取ろうとしていた瀬人と、それを受信できず知る事すらなかった城之内。それはどちらが悪いわけでもない、単純なすれ違いで……。

 ……一体何をやっているんだか。

 そう呟いたモクバの内心は小学生らしからぬ呆れた思いで一杯になり、それをしっかりはっきり顔にも出して、未だ不機嫌な様相を崩さずこちらを睨む城之内にモクバは肩を竦めつつ口を開く。

「……あのさぁ、城之内」
「なんだよ。お前はどうせ兄サマの味方なんだろ」
「いや、そうじゃなくってさ。これ、オレから言っていいのかわかんないけど……兄サマはお前の事を無視なんかしてないぜ」
「でたらめ言うなよ。嘘までついて慰めて欲しくねぇ」
「嘘じゃないって。だって兄サマ、オレと通信する度にお前の事聞いてきたし」
「はぁ?!なんだそれ!なんでオレじゃなくってお前にそんな事聞くんだよ?!」
「オレも勿論そう思ったし、兄サマにも言ったよ。自分で連絡すればいいだろ、って」
「ったりめーだ。馬鹿か!」
「もう、興奮すんなよ。静かに話聞けって」
「これが静かに聞いていられる話かよ!」

 まるで自分を宥める様なモクバの口調に城之内はやっぱりこいつは兄バカの弟だ、と思わずにはいられなかった。モクバにまで当り散らすのは少し大人気ないと分かっていても、この憤りはとても収まりそうにない。何をどう言われ様と問題は瀬人のあの態度にあるのだ。モクバが幾ら「元からだから許してあげて」と言おうとも、はいそうですかと受け入れるわけにはいかない。

 誰しも恋愛には理想があり、その理想が人よりも少しばかり高いという自覚がある城之内には、相手が誰であれ「少しぐらい譲歩してやってもいい」という気持ちは皆無だった。だったらまず相手選びからやり直せ、と言われそうだがそれはそれである。なんとしても瀬人と理想に近い恋愛をしたい。その為には殴り合いの喧嘩の一つや二つでめげてはいられないのだ。

 そう思い対モクバにも関わらず徹底抗戦をしようと城之内が身構えたその時だった。彼の口から思いも寄らない事実が飛び出してきたのである。

「兄サマは、出来なかったんだ」
「何がだよ!自分で連絡を?!なんで出来ねぇんだ!」
「なんでって、お前の携帯……」
「オレの携帯がどうしたよ」
「止まってたじゃん」
「へっ」
「止まってただろ、お前の携帯。今だって使えないし。それで、どうやって連絡取れっていうの?」

 モクバのその言葉を聞いた瞬間、城之内の声が息ごと喉奥に飲み込まれた。モクバは今なんと言っただろう。城之内の携帯が……所謂唯一の手段が止まっているから、瀬人が連絡を取れなかった。確かにそう言った、間違いない。

「……携帯?」
「そう!だからお前は馬鹿って言われるんだろ。兄サマ、オレに向かって怒るんだもん、いい迷惑だったぜぃ」
「……やべぇ、すっかり忘れてた」
「忘れてた、じゃ済まないんじゃないの?最後の方はもうすっかり怒っちゃって、お前の事口にもしなくなってたし。帰ってきたらすっごく怒られるんだろうなぁ、と思ってたけど……兄サマはその事は言わなかったんだ?」
「……いや、その……オレが先にキレてたから、海馬が文句を言う暇がなかったような気が……」
「うわぁ、最低じゃん。そりゃ殴られても文句言えないな」
「うん……マジで最低かも、オレ」

 意図的ではないにせよ携帯が繋がらず連絡を絶っていたのは、その実自分の方だった……その事実は、例えようもない程のショックを城之内に与えていた。これはどう見ても悪いのは自分の方だ。相手に非は殆どない。勿論週刊誌の一件や、瀬人の態度そのものについては問題はあるものの、怒りの原点となった音信不通に関しては完全にこちらの不手際としか言い様がない。
 

 ── だってそうだろ。この写真の男みたくキスやらハグ?やらしてくれる奴等が腐るほどいるんだろ。お前の言う挨拶ってのは、今夜もよろしくお願いします、って意味じゃないのかよ!
 

 自分の非をまるきり棚上げした形で、瀬人にとっては理不尽極まりない糾弾を侮辱的な言葉で受ければそれはキレもするだろう。いやむしろキレない方がおかしい。しかも今日は相手の誕生日なのだ。平日ならばいいというわけではないが、これは余りにも酷い話ではないだろうか。

「……どうすりゃいいんだ」

 既に怒りの欠片すら失って、深く項垂れながらそう呟いた城之内に、モクバは既に溜息すらついてやる価値がないとばかりに首を振って、素っ気無くこう言った。

「どうすりゃって。許して貰えるまで謝るしかないだろ」
「いや、多分絶対許して貰えねぇ気がする」
「じゃあ諦めれば」
「それはありえねぇ」
「……オレはお前なんてどーなってもいいけどさ、今日は兄サマのために色々準備したし、不機嫌でいて欲しくないんだけど」
「………………」
「とにかくもう会社に着くし、兄サマのところに行ってみようぜ。どうするかはそれからだ。まぁ、もう一発位覚悟してた方がいいかもな」

 な、と顔を覗き込み、生意気にも背を叩いてくるモクバの手を頼もしく思いながら、城之内はこれからどうやって瀬人に侘びを入れようか、そればかりを考えていた。しかし幾ら考えても納得の行く謝罪の言葉は見つからず、何を言っても言い訳にしかならない事に気づき、ここはいっその事ゴメンと一言叫んで土下座でもするしかないと思った。

 数分後、そう覚悟を決めてモクバの後について社長室に向かった城之内だったが、その手前で磯野から思わぬ事を伝えられるのである。

「……それが、モクバ様が社を出られてから、瀬人様のお姿が見えないのです。どちらに行かれたのか誰も分からないと。携帯も繋がらない状態で……」
「兄サマが?どこ行ったんだろう。今日はオレと約束があるから絶対出歩かない筈なのに」

 モクバの声が人気の無い廊下に大きく響く。その言葉に半ば驚愕して目を瞠った城之内は静かに俯き、唇を噛み締めた。自然と下方に向く視界に偶然入った左腕の安いアナログ式の腕時計がゆっくりと秒を刻んでいくのが目に入る。

 10月25日は後二時間。どんな手段を使っても今日中に瀬人に謝らなければならなかった。

 なんとしても、今日中に。
 冷たい空気が薄いシャツ一枚を通して肌に染みる。瀬人は何もかもを吐き出すように大きな溜息を一つ吐くと、視界が白く曇った。この分では気温は大分低くなっているに違いない。行き交う人々は皆厚いコートやマフラーを身に纏い、すっかり冬の様相だった。白いシャツ一枚という出で立ちの瀬人の姿に気づき、一瞬ぎょっとして振り向いたりする者もいる。

 そういえば今宵は特に冷え、最低気温が5度を下回るとニュースか何かで聞いた気がする。コートは愚か、スーツのジャケットすら放り出したままで飛び出してきたのは失敗だった。そう思っても、今となっては後の祭りだ。

「………………」

 ふと見上げた先にある大きな街頭時計を凝視すると時刻はもう10時を大きく回っていた。主だった店は既に殆ど閉まってしまい、残るはこの時間からが稼ぎ時の夜の店ばかりで、冬に相応しくない格好で出歩く自分は一種異様に目に映る。客引きの男達も、瀬人の姿を目に留めてはいても纏う雰囲気の違いを感じてか声をかけては来なかった。

 それらをなんとは無しに眺めながら、瀬人は足を止めずに歩いていく。手にした中身が殆ど入ってない潰れた鞄は重みこそないものの酷く煩わしく、それでも手放す事も出来ずに未だ強く握り締めていた。勿論その鞄は瀬人のものではなく、出て行った城之内のものである。一体、何をやっているのだろう。瀬人はそんな自分に心底呆れ果てつつ星一つない空を仰ぐ。

 自分が今何故この寒空の下を歩いているのか、瀬人には良く分からなかった。

 モクバが部屋を出てから少しの間、一人残された静寂の中で色々と考えを巡らせた。それはこの一月に起きた出来事とか、城之内に突きつけられた写真週刊誌の事とか、それに連鎖する形で彼そのものの事まで考えて、散々叩きつけられた言葉の数々を思い返しては腸を煮え繰り返していたのだが、その過程で拳を握り締めた際に感じた痛みにその怒りはほんの僅かな後悔に取って代わった。

 勿論殴られるような言動をしたのは城之内であり、その事についてはなんら後ろめたい気持ちはない。けれど相手をそこまで追い詰めてしまったのは多分自分の所為なのだろう。それも元はと言えば彼が連絡手段を失っていた事が原因だったのだが、取るべき方法を全て取らなかった時点で己に全く非がないとは言い切れない。

 その事実を全て頭の中で整理をつけ瀬人が最後に出した結論は、謝る気はさらさらないが、とりあえずもう一度奴と話をするべきだろう、というものだった。幸い間抜けな恋人は所持品を全部置き去りにしていったので、いずれは社に戻ってくるだろう事は明白だった。

 熱しやすく冷めやすい男だから数時間もすれば勢いも消え失せて、さっきは悪かったと土下座しながら謝りにやって来るに決まっている。故に瀬人は特に何もする事無くあの社長室で待っていれば良かったのだ。なのに何故勢いづいて彼の鞄を携えて社を飛び出してしまったのか。

 飛び出したはいいものの、城之内が行く場所など見当がつく訳もなく、とりあえず望みが薄いと思いつつボロアパートまで行ってみれば、案の定部屋の扉は閉ざされたままで人の気配がない。舌打ちをしてそこから離れ階段を下りながら、そういえば誰にも何も言わずに出てきた事を思い出し、連絡をしておこうと思ったその時、瀬人は始めて財布と携帯が上着の内ポケットに入っていた事に気がついた。上着は勿論自室のソファーの上である。

 ……己の余りの不用意さに暫し呆然とし、間抜けさ加減では城之内に負けていなかった事に心底腹が立った彼は、すっかり頭に血を上らせやけになって歩き続けた。勿論目的などはなく、ただがむしゃらに。そこで本来の冷静さを取り戻して、一旦社なり家になり帰れば良かったのだが、一旦キレてしまうとそんな事は思いもつかないのが瀬人の悪い癖である。

 そうして歩き続けた結果、見事に現在位置を見失った彼がここにいる。自身のテリトリーとは言え、普段は車移動ばかりで外をろくに見もしない瀬人にとっては地元も立派な見知らぬ土地である。頼みの綱である携帯や、タクシーに乗るのに必要な現金すら所持していないのだから、成す術はなかったのだ。

 手にした軽いはずの鞄が、酷く重く感じる。途中捨ててやる、と何度も思いはしたものの結局こうして持ち歩いている。本当はこんなものには用はないのだ。用があるのは、持ち主であるあの男だけで……。

 瀬人はついに立ち止まり、掌で己の身体を抱きしめた。先程から吹き始めた無情な夜風がより一層体温を奪い、晒された頬は寒さを通り越して痛みすら感じ始める。すっかり悴んでしまった指先は自身の腕に触れようとして、思わず持っていた鞄を滑り落としてしまう。ドサッと大きな音がして、それまで比較的しっかりと掴んでいたはずのそれは、冷たいコンクリートの上に落下した。

 不意に、微かな鐘の音が聞こえる。

 それにつられる様に顔をあげると、既に大分遠ざかった先程の街頭時計があった。ぼんやりと光るライトに照らされたそれが示す時刻は11時。後一時間で今日も終わる。自分の誕生日だったらしい今日という日が。

(……結局、最悪の日というのは、最後まで最悪のまま終わるのだな)

 本日幾度目か知れない溜息を吐き、瀬人は口元に苦い笑みを浮かべた。そして諦めたように肩を竦めると、落してしまった城之内の鞄を拾いあげる。どちらにしても、このままここにいても凍えてしまうのがオチだろう。とりあえず暖を取れるところに移動して、そこでどうにかすればいい。多少恥をかくかも知れないが、凍死するよりはまだマシだろう。そう思い再び歩き出そうとしたその時だった。

 間の悪さというものはどこまでも連鎖するというのを瀬人は改めて思い知る事となる。
 

「やっぱりコイツ、海馬じゃないか?海馬瀬人。どこかで見たことあると思ってたんだよ」
「あーホントだ。写真あったよな。ほら、なんだったかな、昨日の……お前持ってたじゃん」
「未成年淫乱社長さんだっけ。それがなんでこんな所にいるのかね?しかもその格好で……マジかよ」
「まーどっちでもいいじゃん。高校生がこんな時間に外歩いてるなんて不良のやる事ですよ。ねぇ、社長さん?」
 

 ふと気がつくと、先程こちらを見ただけで気に留めもしなかったあの客引きの男達が、何故か至近距離に近づいてきて、じっと瀬人を眺めていた。彼らの言動からあの週刊誌の写真で瀬人の顔を知っていた人間が、ここにそれらしき男が立っている事に気付いて見物に来たらしい。尤も、彼が瀬人でなくても冬空に相応しくない格好で一人居れば、興味を惹かれない方がおかしい。こんな寒い夜では周囲に人影もなく、暇を持て余していたのだろう。

 ── こんな下らん奴等を相手に面倒な事になる前に早めに逃げ出すが勝ちだ。

 内心大きな舌打ちをしつつ瀬人は即座に彼等に背を向けて、その場から駆け出そうとする。しかし一瞬早く男達の一人が、瀬人が身を翻した際僅かに身体から離れた城之内の鞄を捕らえてしまう。その刹那前進しようとした勢いは逆に枷となり、瀬人の身体は前ではなく大きく後ろへと傾いだ。

 そして、それに気をとられている間に他の男の腕が伸びてくる。瀬人よりも背は低いが少々ガタイのいい男二人に両腕を捕らわれては、幾ら彼でも逃げるに逃げられない。

「……離せ!!」
「なんで逃げんだよ。オレ達暇してんだ。付き合えよ」
「そうそう、どうせ一人ならいいだろ」
「ふざけるな!誰が!!」
「あ、写真と同じ顔だ。つーことはやっぱ未成年じゃん。未成年がこんな所に一人でいると補導されちまうぜ?」
「マジで社長かよーすげぇじゃん。どっか連れてって輪姦して写真撮って売れば完璧じゃね?あの記事なんて目じゃねぇよ。すっげー金になりそー。客引きなんて馬鹿馬鹿しくてやってらんねーよな」

 聞くだけで吐き気がするような台詞を間近で耳にした瀬人の顔が大きく歪む。そして瞬時に沸き立った怒りと共に捕らわれてはいない足で、男達の急所を蹴り飛ばしてやろうとしたその時だった。まるでその動きを見越していたかのように、男達は同時に瀬人の身体を押し、地面へと仰向けに押さえつけた。自由だった足も共に。

 手からもぎ取られた鞄は遠くに放られ、瀬人の視界からは消えてしまう。

「── くっ!」
「まさかこんな場所で、とか思ってんだろ?別に誰もこねぇから関係ないし。なぁ?」
「来たとしても酔っ払い位だからな」
「とりあえず、これでも結構美味しいから写真撮る?『らしく』してさ。だと、途中で逃げられても適当な話くっつけてやりゃー大丈夫っしょ」
「オッケー。携帯携帯っと」

 男二人分の力でコンクリートへ殆ど叩きつけられる形となった瀬人は、衝撃に一瞬息を飲んだ。携帯を取り出すために比較的力を込めてない男のほうを殴りつけてやろうかと思ったが、不幸にもその手は城之内を殴った右手の方で、未だ鈍い痛みを齎すそれは思うように動かない。

 ……絶対絶命。
 己に対して決して使う事はないと思っていた単語が頭の片隅に浮かび上がる。

 そうこうしている内に瀬人の眼前に男の白い携帯が掲げられ、無情なシャッター音が一つ鳴った。男達の口元が醜い弧を描く。

「次、そのシャツ剥いじまえば?」
「この寒空にシャツ一枚とか馬鹿としかいいようがねぇな」
「案外誘ってたんじゃねぇの?なんせ身体も商売道具だそうですから」
「若いっていいねー」

 ── 下種な輩め、解放された瞬間殺してやる。

 せめて護身用のナイフでも所持しておくべきだったと今更な事を思いながら、瀬人はギリ、と唇を噛み、殆ど射殺すような視線で男達を睨んだが、全く効果はなかった。どうしてこんな事に、これもそれも全部あの馬鹿男の所為だ。最低最悪だ。死んでしまえ。そう瀬人が心の中で罵倒の限りを尽くしていたその時だった。

 バキッ、と鈍い音がして、眼前の携帯が忽然と消えていた。そしてその代わりに視界に違う男の顔が現れる。

「海馬!!お前、何やってんだ!!馬鹿野郎!!」

 顔を見せた瞬間瀬人を盛大に罵倒したのは、瀬人が今しがた心の中で最低最悪だと罵っていたあの男だった。余りにも驚いて名を呼ぶ事すら忘れていると、彼は直ぐに瀬人から目を離し、その上にのしかかっていた男二人を思い切り蹴り飛ばした。聞くに堪えない下劣な悲鳴と共に二人分の重みが瀬人の上から一気に消え失せる。

「てめぇら、絶対に許さねぇからな!覚悟しろ!!」

 城之内の声が、鋭く夜の空気を切り裂いた。