Act5 そんなにも美しい笑みで人を足蹴にするのはやめろ

「貴様は本当に懲りないな凡骨。そんなに楽しいのか?喧嘩が」
「……いや、楽しいっつーか、なんていうか。大体オレ吹っかけられたんですけど」
「野良犬と飼い犬の争いは汚いだけで、迷惑以外の何物でもないぞ」
「誰がそんなコメント求めてんだ馬鹿。大体オレ飼い犬じゃねぇし!つーかお前やり過ぎ!一歩間違えれば殺人事件だろこれ?!」
「何、オレは三乗返しが基本だからな。あの位が妥当だろう?」
「……あーなんかオレって愛されてるー。……嬉しくないけど」
「素直に喜べ。どうでもいいが、帰るぞ」
「もう動きたくないー海馬おんぶしてー。つーか車呼んでくれよ、ここまで」
「甘えるな。車がこんな路地裏に入れるか。だらけていると貴様もあの粗大ゴミの様にスクラップにしてやるぞ。オレは気が短いんだ」
「それは勘弁。つーかだらけてる訳じゃねぇっつの、見てよこの惨状」
「フン、そんなもの舐めておけば直るわ」
「直るか!」
「やかましい!とっとと動け!」
 

 そう言って、オレの愛しいご主人様は綺麗な顔を僅かに歪めてほんの少しだけ汚れてしまった靴のつま先をわざわざ遠くで倒れている男の制服で拭った後、オレの前に戻って来た。赤々と燃える夕陽を背に何やら楽し気に笑う姿は、まるで悪の女王様だ。その周囲に無残に散らばる屍………もとい、まるでボロ屑のようになったオレの喧嘩相手は、生きちゃいるけどピクリとも身動きしない。やっぱりこいつは怖過ぎる。

 散々痛めつけた後、ジュラルミンケースで止めを刺して、更に蹴り飛ばしたからなこいつ。

 しかも、すっごく楽しそうに。……どんだけだよ!
 

 こうなった経緯は余りにも日常茶飯事の事だから語るのも馬鹿馬鹿しいんだけど……放課後、オール赤点だったテストのお陰で見事に居残りをする事になったオレは、ゲーセンに寄って帰るという楽しそうなダチの声を歯ぎしりしつつ聞きながら、なんとか適当にプリントを埋めて一人だらだらと人気のない細い道を歩いていた。

 そんでまぁいつもの通り過去の栄光のお陰で、頻繁に遊びに来て下さる奴らとたまたま鉢合わせて、勉強の欝憤を晴らすついでとばかりに盛大な喧嘩をしてしまったと、そういう訳です。

 普段ならこんな奴ら1人で、しかも数分で全滅させることなんて訳ないんだけど、連日のテストとバイトと暑さでちょっとだけバテていた所に途中で向こうも数人増えてしまい、結構な死闘になっちまった。まぁ、向こうは今でも現役の喧嘩集団、オレは一応堅気に戻った現デュエリストで元不良。ちょっと分が悪いよなー……ちょっと所じゃなかったけど。

 そんなこんなで最初は少人数の殴り合いの喧嘩だったのが集団乱闘になり、それでも互角に闘っていたら最後に武器が出てきやがった。鉄パイプが額を掠った時点でやべぇ!と思い、腕でも折られたら最悪だなーなんて焦り始めたその時だった。

 再度オレの頭上に振り上げられた鉄パイプが妙な音と共に空中に留まって、その後視界から綺麗さっぱり消えちまった。同時に上がったカエルが潰れたような醜い声に、何事かと視線を巡らせると、そこにはきちっと学ランを身に付けて、心底呆れた顔をした海馬くんが立っていた、という訳。

「凡骨、貴様何を頼り道している。学生は真っ直ぐ家に帰らんか」
「…………か、海馬?!お前、何……ええ?」
「全く、17にもなってまだ泥遊びが面白いとは呆れた馬鹿だな」

 殺気立った現場に全く不似合いなその声と表情に、オレは勿論、周囲も漏れなく呆気にとられて、一瞬その場は静まり返った。そりゃそうだよな。埃と泥と汗と血に塗れた集団の中で、1人だけ汚れどころか、皺ひとつない新品の制服を来た長身でほそっこい、どっからどうみても人種が違う奴が飄々とした態度で立ってるんだもんな。映画か何かかよこれ。とオレでも思ったね。そんだけ現実離れした光景だった。

 まぁ、それよりも凄かったのは、その後の事だけどさ。

 海馬曰く、今日はオレが居残りをしていると知って、それを迎えに行くついでに自分も溜まりに溜まったレポートを提出に学校に来たらしい。そして職員室に行った帰りに教室に寄ってみればそこにいる筈のオレの姿がなく、携帯に連絡しても繋がらない。痺れを切らした奴は、オレの帰るルートを熟知していた為、後を追う様にここまで来た、とそういう訳だ。

 それにしても、この修羅場に平気で首を突っ込んで来るんだからこいつも好きだよなぁ。この顔とこの身体で、超好戦的でめちゃめちゃ強いと来てる。天は人に二物を与えないなんつーけど、こいつ神様から一体幾つの長所貰ってんだよ、不公平にも程があるだろ。

 オレとなんだか妙に落ち着いた言葉を交わしていた海馬の右手がギィ、と耳障りな音を立てて鉄パイプをひん曲げる。言うまでもないけど、オレにたった今振り下ろされそうになっていたアレだ。海馬は空を切る音を立てていたそれを難なく受け止めて、片腕で男ごと背後にブン投げると(男はその勢いで吹っ飛んでいった)手に残ったそれを弄ぶようにして、最後に雑巾を絞る様にぐにゃぐにゃにしてぽい、と捨ててしまった。

 そして、鉄さびで汚れた掌を不快そうに見下ろして、その後周囲にいた男連中をも睨めつける。この時点でちょっとブチ切れた顔をしていた海馬が、その実「オレがぶん殴られた」という事より、「自分の手が汚れた」という事にキレてるなんて事実、その場にいた誰にも分からなかったと思う。こいつの沸点ってこう言う所にあるからよ。ある意味アホなんだよな。

「凡骨」

 ほら来た。既に声色が変わってる。
 これは来るな、と思った瞬間、奴の足が華麗な後ろ蹴りを繰り出しのは言うまでもない。

 オレの元に現れた思わぬ最強助っ人に、びっくりする暇もなく次々と蹴られて殴られてとどめを刺された男達は、途中から完全にビビっちまったのか後から来た連中は被害に合わないうちにとっとと逃げ出して、場にいた人数は半分になっていた。その時丁度足の下にいた男の背を踏み付けた海馬は、そんな奴らを鼻で笑って見送って、「不完全燃焼だ」と吐き捨てつつ漸くオレの方を見てくれた。

 そして、冒頭のやり取りに繋がる訳だ。
 

「オレ、お前と敵対しなくて良かったー。命幾つあっても足りねぇよこれ」
「軟弱だな。元不良が聞いて呆れるぞ。こんな屑どもにいいようにやられるとはまだまだ修行が足りぬ様だな」
「お前の場合不良とか喧嘩とか、そういうレベル超えてるし!」
「なんなら、鍛えてやろうか?飼い犬の調教も飼い主の仕事だ」
「結構です。まだ死にたくないし!」
「フン、残念だな」
 

 そう言って、美しいと言うには余りにも邪悪な笑みを浮かべた海馬は、至極ご機嫌な様子でオレの事をひょいっと肩に担ぐと、車を呼ぶ為に携帯を取り出しつつ、意気揚々と歩き始めた。
 

 オレが物凄い複雑な心境だったのは、言うまでもない。