Act7 殴り返せない自分が憎い……!!

 オレは、今猛烈に後悔していた。

 慌てて抑えたズキズキと痛む左頬は大分熱を持っていて、今の段階でかなり腫れているだろう。さっき転がった際に思いっきり打ってしまった背中も凄く痛い。正直泣きそうだ。勿論こんな事で泣いてらんねぇけど、気持ち的にはまさにそんな感じだった。

 オレはペタリと床に座り込んだままキッと頭上を睨みあげると、この殆ど暴行に等しい真似をして来た相手……優雅に椅子に座ってオレを見下げている海馬に向かって思いきり声を張り上げた。

 ……けど、返って来るのは絶対零度の冷やかな視線だけ。まるでゴミでも見るようなその眼差しに、オレって本当にコイツと付き合ってるんだろうか?と通算1050回目の溜息を吐く。

「いっってぇえええ!お前っ!グーで殴る事はないだろ!グーで!!顔の形が変わったらどうしてくれんだよ!」
「フン、安心しろ。もう十分に変わっている」
「ゲッ、やっぱり!今日バイトあんたぞ!?どうすんだこれ!こんな顔で客商売出来ねぇじゃん!」
「知らんな。貴様が悪いんだろう」
「はぁ?!お前がいきなり殴って来たんだろうが!」
「殴られる様な言葉を口にするからだ」
「してねぇし!」
「やかましいっ」

 余りに余りな海馬の言い様にオレが思わず噛みつくと(勿論言葉で)海馬は相変わらず無表情のまま、またゴンっと拳固でオレの頭を殴って来た。痛い、マジで痛い。ご丁寧に中指の背を突き出して叩くこたぁねぇだろうが!!死ぬほど響くんだぞそれっ!こいつは本当に人が痛みを感じる場所を的確に攻めて来る。しかも誰にでも容赦がない。オレになんかそれこそ遠慮の欠片もない。酷過ぎる。

 この喧嘩の切欠は凄く些細な事だった。ちょっとした意見の食い違いから大喧嘩に発展し、売り言葉に買い言葉でつい余計な事まで口にしちまったオレに海馬が激怒して、口喧嘩で済む筈だったそれは傷害事件にまで発展した。勿論被害者はオレ『だけ』。何故なら、オレは海馬に手を出せないからだ。
 

 オレがさっきから猛烈に後悔しているのは、まさに『その事』だったりする訳で。
 

『オレ、昔から好きな奴には絶対に手は上げねぇって決めてるんだ。暴力を振う男は最低だからな』
『ほう。凡骨にしてはなかなか殊勝な心がけだな』
『つーか女殴る奴の気が知れねぇよ。しかも顔だぜ?顔!考えらんねぇ!』
『女相手には防戦一方か』
『やりあった事ねぇけど、多分そうだろうな。だからオレ、お前にも絶対手を上げたりしねぇから。その辺は安心してくれ』
『そうか。オレは違うがな』
『はい?』
『まぁ、好きにしろ』
『…………はぁ』
 

 ……どうしてオレは、海馬と付き合い始めたあの時、あんなアホな事を言っちまったんだろうか。アレは当然本心で、今でもその気持は変わらない。けど、けどさ。海馬は男じゃん!当てはまらなくね?大体オレ殴られまくりだし!不公平過ぎる!

「……痛ぇ。もう死ぬ」

 オレはほとんど涙目で追加攻撃を食らった頭を撫でながら抗議した。けれど海馬はやっぱり顔色一つ変えずに今度は足の爪先でオレの顎を持ち上げて、「ならば死ね」とばっさり切り捨てる。

 この女王様め、幾らなんでも酷過ぎる。悔し紛れに目の前の足首を思い切り掴んでやったら「ほう、今度は蹴られたいのか」と来た。ちげーよ掴んだだけだよって言ったら「己の言葉は違えるなよ」だって。……ここまでやられても我慢してるんだから今更しねーよ。100倍にして返されるの目に見えてるし。あああでも納得いかねぇえええ!

「むっかつく!」
「貴様が謝らんからだろうが」
「だってオレ悪くな……」
「オレを怒らせたという時点で『悪い事』だ。分かるか?分からなければ分かるまで教えてやるが」
「け、結構です。ごめんなさい」
「悔しかったら殴り返してみればいい。オレは構わんぞ。好きな奴は殴らないと言ったのは貴様の勝手なのだしな」

 自分の優勢を嫌と言う程知ってる海馬は余裕綽々の表情でそんな事を言う。くっそーたった今『己の言葉は違えるな』なんて言った口が言う言葉かそれは?!これでオレがそれにのって殴った暁にはフルボッコにした挙句、顔面に絶縁状叩きつけて窓から放り出すつもりだろ。ここはKCのほぼ最上階だからそれはイコール死ねって事だけどな!冗談じゃねぇ!

 オレがそんな事を考えながら、腹立ち紛れに床に敷き詰められたカーペットを掻き毟っていると、頭上から「ふふん」なんて勝ち誇った笑いが聞こえてくる。あーもームカつく!マジ可愛くねぇ!オレを本気で怒らせたらどうなるか分かってんだろうなそこの社長さんよ!

「……海馬」
「なんだ」
「オレも男だ。自分で言った事を破るなんて事は勿論しねぇ」
「ほう」
「でも」
「でも?」
「それ以外の約束はしてねーから!」
「…………なっ?!」

 そう言うとオレは未だ顎に当てられたままだった海馬の足を右手で思い切り掴みあげると、一気に自分の方へと引っ張った。当然足を組んで座ったままだった海馬は思い切りバランスを崩して、椅子からずり落ちる。奴が座っていた社長椅子は車輪が付いているけれど今は丁度固定していた所だったから、それはもうものの見事に大柄で痩せっぽちの身体はオレの上へと降って来た。

 勿論オレは鬼じゃねーから、落ちてくる海馬を放置するような真似はしないでちゃーんと受け止めてやった。頭も椅子にぶつけない様に手を添えて。ああ、オレってばなんて優しい男なんだろう、感動で涙が出るね。

「きっ、貴様何をしている!離せ!」

 丁度オレの膝の上にストンと乗る形になってしまった海馬は、かなり驚いた様子でオレに向かってそう怒鳴る。けれどオレはガン無視して即座に両手を奴の腰に回してついでに腕ごとホールドし、ぎゅっと強く捕まえてしまう。

 馬鹿だなー誰が離すんだ誰が。離すわけないだろ。膝抱っこされた状態で何言っても無駄ですから。お前が怒ってる様にオレも怒ってるんだからな。忘れてるんだろうけどさ。

「何って。反撃だけど」
「反撃?!」
「そ。何も殴るだけが喧嘩じゃないだろ。オレはオレのやり方でやらせて貰います」
「なっ……!」
「オレの顔をこんなにしたんだから、それ相応の仕返しはさせて貰わないとな!」

 即座に「ふざけるな!」と叫ぼうとしたその唇を、オレは即座に塞いでしまう。目の前の青い瞳がこれでもかって程見開いたけど、勿論容赦なんか致しません。オレの怒りを思い知れ、バーカ!

 しかし、こうしてみるとほんっとこいつの顔って綺麗だよなー。これを殴るのはやっぱり気が引ける。まぁ、ちょっとは悔しいけど、こういう反撃が出来るからまぁいっか。
 

 え?その後?勿論その場で思う存分『反撃』をさせて頂きました。
 

 ……海馬くん的には殴られるよりも痛かったかもね。めでたし、めでたし。