Act10 キス(Side.城之内)

 一番最初に海馬に『それ』をした理由はそんな単純且つありえない動機だった。
 

 オレですら自分のその気持ちに一番自分がビビッたんだ、相手が腰を抜かすほど吃驚するのも無理はないと思う。オレ等はその一瞬互いの顔を凝視したまま、それこそ全身石になったみたく固まって、暫し無言で寒風に吹かれていた。

 驚きを通り越して完全に無表情になっちまった海馬の前髪が強い風に吹かれて酷く乱れ、その合間から見える意外に澄んだ色をした青い目の瞳孔は、完全に開き切ってる。多分それはオレも同じで。お陰でこんなに至近距離で顔を付き合わせているのにも関わらず、海馬の顔が良く見えない。

 ヤバイ、これからどうしよう。勢いとはいえ、軽はずみな事をやっちまった。この後の報復が恐ろしい。そんな事を、何時の間にかバクバク言う心臓の音を聞きながら呆然と考えていたその時だった。

 オレが半開きのまま動きそうにもない口を必死になって動かそうとする前に、海馬の方が先に……こっちは嫌って程硬く引き結んでいた唇を微かに開く。

「……なんだ?」
「え?」
「今のはなんだ?」
「……えっと……うん、な、なんだろうな?」

 少しだけ表情を取り戻して、段々と怖いいつもの調子に戻ってくるその顔を眺めながら、余りにも唐突に繰り出されたその一言に、オレは目の前のこいつの様子に呼応するように熱が上がってくる頬に気付かないフリをして、しどろもどろになって応えを返した。

 や、そこでなんだって聞くってどうよ。なんだも何もこれって所謂アレだよな。
 うん、アレ。キスってヤツ。

 そんな事をおぼろげに頭の中で反駁しつつ、段々とこの事態の異様さに気付いて慌て始めたその時、相変わらず沸々とした怒りを隠しもしない顔でオレをじっと睨んでいた海馬が、その表情とは裏腹の物凄く淡々とした声で(それまであれだけ大騒ぎしていたのにも関わらず)口を開いた。

「何故した」
「何故って……そんなのオレにも分かんねぇよ。つーかお前がやかましいからつい」
「貴様は、小煩い相手の口を封じる為にいつもこういう事をするというのか。誰にでも」
「だ、誰にでもなんてする訳ねぇだろ!馬鹿言ってんな!」
「だから、何故オレにしたと聞いている」
「………だから分かんねぇって言ってんだろ!」

 抑えた声量が余計に赤裸々に聞こえてオレはつい声を荒げてしまう。
 んな事オレに聞くなよ!オレだって分かんねーよ!!

 まあでも確かに言われてみれば……つーか言われてみるまでもなくキスって普通好きなやつにするモンだよな。という事は、逆を言えば嫌いな奴には出来ないわけで。けど、目の前の今まで心底いがみ合っていたこいつには弾みとは言えしてしまった。しかも女の子ならまだしも男なんかに!海馬なんかに!

 良く考えたらとんでもない事じゃねぇかオイ!

 で、でもしちまったって事は、えっと、えっと好きって事?いやいや有り得ない!有り得ねぇけど、マジで嫌ならまずする筈ないよな?!しないよな普通!!……じゃーやっぱりオレ海馬の事好きなのかな。そんな事一回も考えた事ねーからどうなのか知んねぇけど。あああもう何がなんだか!

 それにしてもコイツ、オレからシチュエーションはどうあれキスされたってのに嫌な顔してないな。口をごしごし擦ったりもしねぇし、激怒もしねぇ(や、顔は怒ってるけど)だからかな。余計にオレもどうしたらいいか分からなくなるんだ。ここで怒ったり喚いたりしてくれればまだコッチも対処のしようがあるけど、淡々と対応されると拍子抜けする。

 つーかさっきまでの大騒ぎはどうしたよ?
 大体オレ達何をそんなに必死になって言い争ってたんだっけ?あれ?

 色々考えた所為で既に根本的なところすら分からなくなっちまったオレは、これ以上慌てたってどうにもならねぇって事を漸く悟り、聊か落ち着いた気持ちで改めて目の前の海馬を見る。すると奴もオレと同じ心境だったのか怖い睨み顔を少し潜めて、また元の通りの無表情に戻ってオレを見ていた。

 ふと気がつくと、何時の間にか互いの手が互いの肩の上にあったりする。多分キスした時に思わず掴んじまった名残なんだよなこれ。わー、こうしてみるとなんかラブラブな恋人同士みたい。なぁにこれぇ。
 

「……えと、つかぬ事をお伺い致しますが」
「なんだ」
「オレ達、なんで喧嘩してたんだっけ?」
「……さぁ」
「じゃあ、どーしてお前ギャンギャン喚いてたんだよ」
「貴様こそ喚いていただろうが」
「ああうん。そーだよな。で、お前があんまりにも煩いから口塞いでやるぞコラァ!って、そういう意味で……」
「キスしたのか」
「そのようです」
「おかしくないか」
「おかしいですね」
「………………」
「でも、さ。静かになったよな」
「なるだろう普通」
「目的は達成したって事で、いいんじゃね?」
「……それだけか?」
「多分、それだけじゃねぇけど」
「……好きなのか?」
「分かんねぇ。って、主語を入れろよ主語を。誰が誰を好きかって分かりにくいだろそれじゃ。つーかお前こそどうなんだよ。嫌ならなんか言えよ」
「わからん」
「何だソレ」
「お互い様だ」
「んーそっかぁ。そうだよなぁ」

 まぁオレも未だに良く分かんねぇし。超動揺もしてる。けれど、不思議と嫌じゃない。今すぐに離れようとか、もう一回喧嘩を吹っかけようとか、そんな気持ちも綺麗にどっかにいっちまった。

 後に残ったのは、妙に甘ったるい、けれど甘いだけじゃない微妙な気持ちのみで。オレは複雑すぎるこの心境を、言葉でどう表現したらいいか分からない。多分海馬も良く分かってないって顔してる。

 じゃあ、次に出来る事と言ったら、これ位なモンだよな。
 

「よく分かんねぇから、もっかいしてみる?」
 

 そうぽつりと、何故かカラカラに乾いちまった声でそんな提案をしてみたら、意外に海馬は首を横には振らなかった。
 

 そんな事から始まった、オレ達の恋愛ロードのお話でした。