Act11 口の端が切れた(Side.城之内)

「うっわ、エッロ!」
「……それが怪我をした人間に言う第一声か貴様!……っつ!」
「あ、ごめんごめん。お前も大口開けんなよ。切れてるからそこ」
「っくそ。貴様の所為で要らん被害を被ったわ!」
「ほんっとそうだよなぁ。今日は厄日だったな」
「他人事のように言うな。これに懲りて、以後派手な喧嘩はやらかすんじゃないぞ犬」
「ちょ、犬とか言うな。今日のは不可抗力だって!オレだってまさか今頃喧嘩吹っかけに来るとは思わねぇもん。たまたまだ」
「嘘吐け。その台詞何回目だ」
「え。そんなに言ったっけ?」
「もういいわ!」
「まーともかく、手とか顔洗おうぜ。泥だらけだ」
「奴等ももう少し日を選べばいいのだ。忌々しい」
「それは同意。雨降った日にこんな場所でとかほんっと馬鹿だよな。信じらんねぇ。……あ、立てる?」
「心配無用だ。触るな」
「いってぇ。もーそんなに怒るなよ。余裕だった癖に」
「ああ、貴様が邪魔をしなければな」
「邪魔とか言うし。可愛くねぇ」

 バシッと鋭い音がして、オレが親切で差し伸べてやった手を思い切り跳ね除けた海馬は、それまで身体を預けていた薄汚れたコンクリートの階段際からゆっくりと立ち上がり、少し距離がある水場へと歩き出した。さっさと離れていく後姿に遅れないようにオレも直ぐに後をついて行く。

 足を一歩踏み出す度にザリ、だのベシャ、だの嫌な音がする。一昨日から降り始めた冷たい冬の雨は今朝までしつこいほど降り続き、この広い公園の大して広くもないグラウンドをグチャグチャにぬかるませていた。
 

 そんな最悪な場所で集団対二名で派手な喧嘩をやらかしたのは一時間前。
 

 テスト前で少しだけ早めに授業が終わった今日は、久しぶりに登校して来た海馬とのんびり徒歩で下校して、帰り際にオレん家に寄って貰って少しだけテスト勉強を見て貰う予定だった。その途中、余り良く覚えがない昔喧嘩を吹っかけたらしい連中とばったり出くわして(オレはすっかり忘れてたからシカトこいたんだけど、それが余計に気に食わなかったらしい)、成り行き上喧嘩をするハメになっちまった。

 オレは明日のテストが心配だから出来ればそういう事はしたくなかったんだけど、横に海馬を連れていたのも災いして、どうしてもやらざるを得ない状況になっちまって、仕方なく応じてやったわけだ。勿論海馬も巻き込んで。

 大多数対二人と言っても、オレも海馬も普通の人間よりはまぁ強い方だから、数に苦戦しはしたけれど、大した怪我も無くちゃっちゃとその場を制してしまう。最近喧嘩らしい喧嘩をしてなかったから久しぶりに存分に暴れられてむしろ楽しかった。

 もうちょっと骨のある奴等だともっと面白かったのに。なんだか良く分からない暴言を吐きながら殴りかかってきた相手の顔を正面から蹴り飛ばし、水溜りの中に突っ込んでやりながらそう言ったオレに、海馬は心底呆れた風に肩を竦めると、酷い事にオレに向かって蹴りつけてきた。こいつ結構綺麗好きだから、泥だらけになったのがムカついたんだろうな。酷いモンな、この汚れ。

 そんなやりとりを海馬と二人、余裕をかましてしていたら、くたばっていたと思っていたアタマがいきなりムクッと起き上がり、近くにいたオレを引きずり倒そうと手を伸ばして来た。それにこっちも直ぐに気づいたらしい海馬は、オレをかばうつもりで一歩前へ出た瞬間、標的として取って変わられ、思いっきり引き倒された挙句、辛うじて避けはしたもののパンチを一発食らっちまった。しかも顔に。

 ……まあ、海馬にそんな事をしちまえば、100倍返しが待っている訳で。そいつは直ぐに物凄い報復を受けて完全に伸びちまった。今も多分同じ場所で寝てるんじゃねぇかな。凍死しない内に気がつくといいけどな。

 そんな訳で、その一発が結構いいところにあたっちまったらしい海馬は口の端を赤紫に変色させて、キッとオレを睨みつけて来たと、こういう訳です。

「ひー!!めっちゃ冷てぇ!!この水で死ぬ!」
「ごちゃごちゃ煩い。早くせんか!」
「お前良くこんなの我慢できるな」
「泥まみれよりましだわ」
「帰ったら風呂入ろうな。服貸してやるから」
「このオレに貴様のみすぼらしい服を着ろというのか」
「みすぼらしいとか言うな。お前の変なコートよりはずっとマシです!」
「変なコートとはなんだ!」
「事実だろ。どういうセンスだあれは」
「やかましい!」
「あー冷たかった!寒いっ、寒すぎる!あ、ハンカチ貸して」
「そのまま自然乾燥に任せればいいだろう」
「凍死するって!……お、サンキュー。そういや口大丈夫かよ」
「分からん。寒くて感覚がないわ」
「あ!お前大口開けんなっつったろ。さっきより酷くなってるじゃねぇか。見せてみ?」
「嫌だ」
「いーから見せてみ?消毒してやる」
「近づくな!!」

 勿論オレの言う『消毒』はその傷を舐めてあげる事なんだけど。

 この寒さの所為で白い肌がますます白くなってるところに滲んでる血の赤とか、内出血の紫とか、なんか凄く……エロイんだよな。オレSじゃねぇつもりだけど、こういうのに反応しちまうって事はちょっとはそういう気があるのかな。良く分かんねぇけど。

「うーん。やっぱり凄くエロイ。こういうのもいいかも」
「黙れ変態。さっさと帰るぞ!」
「あ、うちに薬箱ない。切れてる」
「別にいい」
「じゃーしょうがない。舐めて治そう」
「やめろと言っている!」
「口開けんなってば!見てる方が痛い!」

 海馬が口を開く度に生々しく見え隠れする赤い傷痕を、オレは伸ばした舌と唇で優しく覆って舐め上げた。

 少し苦い鉄の味が、ちょっと癖になりそうだった。