Act12 噛む(Side.城之内)

「お前黙ってると超不気味。でも煩くないっていいよなぁ」

 そう言って、オレがにやにや笑いをあからさまに滲ませながら手を伸ばすと、凄い睨み顔を向けられてパシッと軽く払われる。その仕種はまるで猫がじゃれてるみたいだ、と思う。

 まぁでも実際目の前にいるのは猫じゃなくて思いっきり風邪を拗らせた人間の海馬くんで。いつも元気に喚き散らすその唇からはぜいぜいと聞くだけで苦しくなってくる呼吸だけで、口を開いても声は全く出てこない。一番初めに喉に来るんだって、今年の風邪は。

 さっきからオレの手を容赦なく払いのける可愛げのない掌は、触ると物凄く熱い。発熱してるんだから掌だけじゃなくって身体全体が熱いんだけど、普段はこいつ生きてるのか死んでるのか分からない位体温が低いから、その熱さがなんだかとても新鮮で珍しくて(熱さだけじゃなくって弱ってる事自体が、なんだけど)ついついちょっかいをかけたくなってしまう。

 名目的には看病って事でこの場に居座ってるんだけど、その実ただ単に構い倒したいだけだった。だってこういう時じゃないと普段苛められてる分の仕返しって出来ないもんな。そうだろ?

 そんなオレが面白がってアレコレ話しかけたり、弄繰り回したりするのを阻止する力は今の海馬には残っていない。普段なら「やめろ犬」だの「死ね」だの酷い暴言を吐いてくる筈なのに、声が出ないもんだからなんともならないわけだ。

 じゃあ言葉じゃなくて力で、ってのも無理。精一杯頑張って精々猫パンチ位だもんな。音も何時もならドカッとかバキッなのに、パシッとかペシッなの。あー面白い……いやいや可哀想な事で。

 あ、でもオレだって根は意地悪じゃねぇから、苛めてるばっかりじゃなくってちゃんと看病もしてやってんだぞ。会話が出来ないと結構不便なんだけど、オレ等位の付き合いの長さになってくると、視線と表情だけで何を言いたいのかちゃんと分かって、ある程度的確に要望を叶える事は出来る。

 まぁその中で時たま何が言いたいのか分からないフリをしたり、超嫌な顔をしているのに気付かないフリでやったりしてるだけで。こんな意地悪なんて可愛いもんだろ。

 そんなこんなでオレがこの部屋に居座りだしてから数時間、段々ストレスが溜まってきたらしい海馬くんはオレが傍によると唸るようになって来た。ちょ、お前マジ動物じゃねんだからそういう威嚇の仕方はないだろうよ。

 大体具合悪いんなら大人しく寝てればいいのに、起きようとするからオレがちょっかいかけるハメになるんだろうが。オレだって何も寝てるヤツを起こすような真似はしないっての。ワーカホリックもここまで来ると重症だね。いっぺん死んだ方がいいんじゃねぇの。

 オレが幾ら言っても目を離した隙にベッドから逃げ出そうとする身体を捕まえて耳元でそう言ってやると、海馬はフンッと顔を背けてまた唸った。わぁ可愛くない。

「あのなぁ、オレは心配して言ってるんだけど。別に意地悪してるんじゃねぇんだぞ。その辺ちゃんと分かってる?」
「………………」

 はい全然分かって無い。何その反抗的な目。

 今口が聞けたら罵詈雑言の限りを尽くすんだろうなー、今心の中凄い事になってそう。これも全部想像だったけど、そう思うといい加減カチンと来たオレは、今まで敢えてやめておいて上げた、その身体に直接ちょっかいを出しに掛かる。

 と言っても病人に手を出すなんて気の毒な真似は出来ないから、精々身体を拭いてあげよっか?と無理強いする位なんだけど。なんだかんだ言ってこいつも人間だから熱を出せば汗もかくし、汗って拭かないと身体が冷えて酷くなるから、とかなんとか正当な理由を心の中で述べつつ手を伸ばす。

 案の定猛烈な無言の抗議にあったけれど、ぜーんぶ無視して振るってくる腕を難なく捕まえて、片手で纏めあげると緩く止まっているボタンを外しに掛かった。その時だった。

「うわっ!!いってっ!!」

 腕を押さえてない手の指先をヤツの喉元に持って行こうとしたその途中、口に触れたと思った瞬間、物凄い痛みが走った。なんだ?!と思ってそこを見ると、海馬の奴オレの手に噛みついてやんの。しかも思いっきり!!

「ちょ、お前!!痛いって!噛みつくな馬鹿!!……いでででで!!わ、分かった分かった離すからッ!」

 腕の力は無くなってた癖に噛む力はがっつり残っていたらしく、物凄く痛い。慌てて掴んだ手を離してやると、海馬も直ぐにオレの指を離してくれた。でも、噛まれた箇所には怖いほど綺麗な歯型がくっきりと付いちまった。

 にやりと苦しそうな顔が笑う。ちくしょう、余裕あんじゃねぇか。けどやべーこれはマジで痛い、噛み切られなくて良かったー!っつーか本気出しすぎだろ!

 しっかしこの攻撃は考えてなかった。全くの予想外。……身を持って一つ勉強になりました。そっか、今度は口も塞がなきゃ駄目って事ね。どんな猛獣だよ一体。取り扱い危険すぎるだろ。

 未だジンジン痺れる指先を誤魔化すように振りながら、オレは相変わらず凄い顔で睨んでくる海馬を負けじと見下ろして、今度は名目とかなんとか一切抜きにして、報復の為にもう一度両手をガッチリと拘束すると、悪さをした唇を思いっきり塞いでやった。舌は噛まれないように、慎重に。

 その時のオレは頭に血が上ってて、相手が風邪っぴきだって言う事をすっかり忘れちまってたんだ。

 ……勿論後日オレもベッドの住人になりましたよ。そして海馬くんにそれはもう徹底的に看病と言う名の意地悪を沢山されて、涙が出るほど悲しい……じゃない、幸せな気分になりました。

 そして。もう二度と風邪はひかねぇ!と心に誓った。

 あんなに怖い思いはもうごめんだしな。