Act19 気にくわない(Side.海馬)

 入学式で、嫌に目立つ金髪を見つけた。

 そいつは品の無い笑いを辺りに響かせて、まだ顔を合わせて数分しか経っていないクラスメイト相手に遠慮無しに声を掛けて騒いでいる。近年稀に見る馬鹿面だ。その周囲を見渡してみても、見かけ的にはお世辞にも頭がいいとは言い難い連中が集っている。……まぁ、『こんな』高校だしな、仕方ない。そう内心ごちたオレは、一人密かに溜息を吐く。

 学力レベルから言って下から数えた方が早い、大学進学を真剣に目指す人間はまず選ぶ事の無い公立高校。オレは剛三郎の意に反したい一心で、それまで在籍していた中高大一貫の私立学園を退学し、この童実野高校へ新たに入学する事にした。

 この時点でオレの学力は既に大学を卒業出来るレベルだったのだが、後々剛三郎を社長の座から引きずり落とし、自らがこの地位に着いた場合『学生』という肩書き……しかも大学よりは高校の方が何かと有利になる点が多いという事を知っていた為、オレは敢えて本来ならば到底必要の無い高校進学という道を選んだのだ。

 重要なのは入る高校の名前やレベルではない。高校生という名目の方だ。だからこそ校則や出席日数に厳しい有名私立を無視し、成績や校内治安共に底辺レベルであるが故に規則が緩い、社から通うにも一番近くて利便性のあるここに決めた。

 オレが童実野高校の生徒になったのには、そんな理由があったのだ。

 それにしてもあの金髪の声が煩い。イライラする。ちょこまか動く所為で無駄に視界に入るし不愉快極まりない。高校生にもなって一分もじっとしていられないとはガキにも程がある。それに入学式から全身校則違反とは恐れ入った。奴が着ている制服とオレが着ている制服は同じ物なのか?むしろそのアレンジに敬服するわ。だらしなさもここまで来るとどうでも良くなる。実際他人事なのだからどうでもいいがな。

 しかし落ち着きが無いな……あの頭の色からして悪目立ちするが故に自然と視線がそちらへと向いてしまう。お陰で何故か勝手に押し付けられた入学生代表挨拶の文章を見る気にならない。いざとなれば適当にやればいいのだから特に困りはしないのだが、集中力を殺がれるとやはりイラつく。

 そう思いつつもやはり奴から目を離せずになんとなく動向を追っていると、不意にオレの記憶の中のとある人物とそいつが重なる事に気付いた。そういえばこの町にいたな、こんな奴。
 

 始めて見たのは確か、中学二年の冬だったと思う。

 それまでいた私立学園は名の知れたお嬢様・お坊ちゃま学校だった所為で、中身は『上品』そのものだった(ただし上品の皮を被った最低人間も沢山いたが)。黒や紺の学ランやブレザーが多い中で白ランを指定服とし、それが県内の学校では唯一無二だった所為か偉く目立っていた印象がある。

 そんな環境故に校内暴力は一切無かったが(事を起こせば即退学だ)、校外暴力に晒される事は多かった。基本的に不良と呼ばれる人種は、とかく自分よりも恵まれた環境にいる人間を貶める事に悦を見い出す節があるらしく、オレの在籍していた学園はそれらの格好の餌食だった。

 裕福な家庭に育ち、お綺麗な服を着てつんと澄まして歩くその様が気に障る、というただそれだけの理由で主に登下校時を狙って個人で、または集団で襲い掛かり、暴力を振るった挙句金品を強奪する、というのが常なるパターンだった。

 まぁ、こちらもこちらで元々がご令嬢やご子息故に徒歩で登下校など滅多にせず、仮にそうしたとしてもボディガードは大抵付いている。故に何か事件があっても大抵は返り討ちに遭うだけで、実際の被害者数は不良達の方が多かった。それでも凝りもせずに繰り返すのだから馬鹿の考えている事は分からない。

 クラスでそんな話が持ち上がる度にそう思っていたオレは、「海馬くんも気をつけた方がいいよ。君、力なさそうだし」との有難迷惑な忠告に、黙って頷きながらも聞き流していた。当時のオレはそういう印象を意図的に植え付けていた事もあったが、まだ成長途中で身長も低く、滅多に外になど出なかった故に、そう見られてしまうのも仕方が無かったのかもしれないが。

 そんなオレの前に立ち塞がったのが、目の前で馬鹿騒ぎをするあの金髪男だった。名前は……そう、『じょうのうち』とか呼ばれていた気がする。

 当時の印象は今のような阿呆面ではなく、いかにも不良と言った佇まいで、数人の手下っぽい男を従えてまるで親の敵と言わんばかりに何の関係も無いオレに因縁をつけて来た。そのやり取りは余り覚えていないが確か「生意気だ」とか「殴られたくなければ金を寄越せ」等の常套句だった気がする。

 その日はたまたま用事がある故に迎えの車を断り、一人で人気のない細い道を本を片手に歩いていたのだが、気が付けば持っていた本は遠くに弾かれ、数人に囲まれていた。その様子からするに結構な距離をつけられていたらしい。

 奴らはいつ人が通るか分からない公道の真ん中で事を起こすのも目立つと思ったのか、どこで見つけてくるものやら更に人の気配のない廃工場の裏へとご丁寧に案内してくれた。錆びついたパイプや散らかった木片、割れた硝子の欠片。あらゆる凶器が散乱するこの場所で脅せば素直に言う事を聞くと思ったのだろう。

 ざり、とわざとらしく落ちていた鎖を踏み付けて顔を斜に構え、長い前髪の間から威嚇するような眼差しを向けてくる『じょうのうち』の事を、オレはただ静かに見返していた。こんな奴ら、見下す事すら勿体ないと思ったからだ。

 そんなオレの内心が態度から伝わってしまったのだろう。威嚇の姿勢から攻撃態勢へと変わった奴は、チッと鋭い舌打ちと共にその場に唾棄し、「てめぇのその面が気に食わねぇ」と一言吐き出し、地を蹴って襲い掛って来た。他の人間もそれに倣い、一気にそこは修羅場になった。

 しかし数分後、その場に立っていたのはオレと『じょうのうち』の二人だけ。しかも互いに無傷だった。  

 複数対一人という構図は剛三郎に己の身は自分で守れと言われ、体得した護身術でよく習うパターンだったし、つい先日今と似た状態を想定して修練したばかりだったから、オレにとっては実技の復習にしかならなかった。否、復習にもならなかった。素人の喧嘩程単純でつまらないものはない。

 そんな中で唯一オレの動きを既の所でかわし、オレの髪や服を僅かに触る事が出来たのはこの『じょうのうち』だけだった。奴は終始オレの顔を睨みつけ暴言を吐いてきたが、息が上がり過ぎていて良く聞こえなかった。時間が許せばもう少し付き合ってやりたい所だったが、幸か不幸か通りがかりの住人に現場を目撃されてしまい、互いに撤収せざるを得なかった。

 下らない茶番だった。運動にすらなりはしない。そう内心溜息を吐きつつ、白い学ランに僅かについた埃を叩いていると、後ろから声を掛けられた。振り向くと律儀に手下をその身に背負って悔しそうな顔でこちらを見ている『じょうのうち』がいた。

「おいお前!今度会った時は覚えてろよ!その上品そうなツラをボコボコにしてやっからな!」
「……生憎、僕は君の様な人の顔を覚えるのが苦手でね。忘れてしまうと思うよ」
「うるせぇ!顔が覚えられなきゃ名前を覚えとけ!オレは、城之内克也だ!」
「そう。じゃあ城之内克也くん。二度と会う事はないだろうけど、お元気で」
「ふざけんな馬鹿!ぶっ殺す!」
「やってみれば?僕に触る事が出来ればの話だけど」
「ったく最後まで気に触る野郎だな!」
「だから襲って来たんだろう?当てが外れて残念だったね」

 無気力が服を着て歩いているような世の中でこれほどまでに元気な人種も珍しいと、オレは珍しく喉奥から湧きあがる笑いを堪えながら、じょうのうち……いや、城之内克也に背を向けた。歩き去るオレの背に向かって奴はまだ何事かを喚き散らしていたが、全て無反応を貫き通した。

 どうせもう会う事などないのだ。興味はない。そう思ってその日の出来事はすぐにすっかり忘れてしまったのだが、……こんな場所で、こんな形で再び出会う事になろうとは。

 城之内克也。

 全身校則違反で、言動は馬鹿丸出し。馴れ馴れしく小煩い、嫌でも視界に入ってしまう、過去に不良グループのリーダーをやっていたらしい最悪な男。

『気に食わねぇんだよ!』

 過去の城之内に言われた言葉が、不意に鮮やかに蘇る。それと同時に自分の胸にも全く同種の感情が浮かんだ。

 気に食わない。ああ、オレはこんな馬鹿と同じクラスに身を置かなければならないのだろうか。同種扱いなど屈辱以外の何物でもない。けれど決められたルールに従うのが学生の本分で、決まってしまったからにはどうする事も出来ないのだ。今のオレの出来る事は、とにかく奴からは距離を置いて関わらない様にする事だ。傍にいたら馬鹿菌に汚染される気さえする。

 そう思い、今度こそ手元の文章に集中しようとしたその時だった。ポン、と肩を後方から叩かれオレは思わず振り向いてしまう。

 そこにあったのは、城之内克也の鬱陶しい位の全開の笑顔。

「お前も同じクラス?よろしくな!……ってあれ?お前どっかで見た事があるなー」

 ああ、そうだろう。今度あったらボコボコにしてやると言われたからな。肩に触れる手を心底煩わしいと思いつつ、オレはどう反応しようかと迷っていた。気付かれたら気付かれたで厄介だし、気付かれないままというのもそれはそれで不愉快な気がする。まぁ、現在は素性隠しの為に伊達眼鏡を掛けているから気付きにくいのも無理はないが。

 そんな事を内心ぶつぶつと呟きながらオレは未だ小難しい顔で必死に記憶を掘り起こしている奴の事を眺めていた。傷んだ金髪がいかにも軽薄で、脳が軽そうに見える。こいつ、二年前と大して変っていないじゃないか。そう一人ごちた、その時だった。

「……んー、やっぱり思い出せねぇや。まぁいっか。なぁなぁ、ところであんたが持ってるそれ、新入生代表挨拶?あんた入試トップで入ったんだ?すっげ、同じクラスに天才くんがいるなんて超ラッキー!テストの時は宜しく頼むな!」

 言いたい事だけを自分のペースで勝手に吐き出して、後は特に用もないとばかりに次の席に座る人間へと移って行ったその後ろ頭を、オレは何故か怒りを持って見つめていた。

 なんだこいつ、色んな意味で最低にも程がある。何がラッキーだ。テストの時は宜しく頼む?誰が頼まれるか馬鹿め。オレは金輪際貴様などには近づかんし口も利かない。関わりになるつもりなど毛頭ないわ!全く腹が立つ!気に食わない!

 ぐしゃりと手にした紙を握り潰してそう勝手に宣言したオレは、新学期早々大きな大きな溜息を一つ吐き、かなり憂鬱な気分になった。

 叶うならばオレがこの場で貴様をボコボコにしてやりたいぞ、城之内克也!

 そこまで心で絶叫して、オレはふと気が付いた。なんだかんだいいつつすっかり奴に意識を奪われていた事を今更ながらに自覚したのだ。見た瞬間嫌悪して心底腹が立ったあの男に、この場に来てから入学式が始まるまでの一時間ずっと魅了されていたのだ(勿論悪い意味で)。

 その事にオレはすっかり茫然自失し、その後式が終わり初めてのHRをクラスにて行い、そのままさっさと帰宅した後もずっと落胆していた。何にそんなに落ち込んでいるのか自分でもよく分からなかったのだが、確かに残念な気持ちで一杯だった。なんなんだこれは。 

 が、そんな事があってから約一年後。事態はもっと深刻なモノになる事をこの時のオレはまだ知らなかった。そんな軽い落胆など鼻で笑いたくなるほど、とんでもない事件。そう、確かにこれはとんでもない事件で、予想だにしない事だったのだ。

 城之内克也に恋をするなんて。

 本当に、なにかの間違いなんだろう。

 だがオレは確かに奴に恋をしたのだ。否、奴がオレに恋をしたと言ってもいい。今となってはどちらでも同じだ。有り得ない。本当に有り得ない。

 けれどもう恋人としての証たる行為は全て終えてしまっていて、今更無かった事にする事も出来なくなっていた。

 気に食わない。

 たった一言の感情から始まったこの物語は未だ途切れる事無く続いている。

 胸に、ほんの少しの疑問と納得出来ない気持ちを抱えながら。