Act2 立てない(Side.城之内)

 腕に鈍い衝撃が走った瞬間、マズイ、と思った。慌てて振り返るも時既に遅し、かなり大きな音と共にオレのすぐ後ろにいた筈の男は数段下の広い踊り場で倒れこんで呻いていた。

 奴が持っていた高級そうな鞄は留め金が外れ、中に入っていたらしい少ない中身がその周辺に散乱している。流石に青くなったオレは直ぐ様鞄を放りだして、駆け降りるのももどかしいからその場から思い切り飛び降りた。

「ちょ、海馬、大丈夫か?!まさか当たるとか思ってなくて!」
「……う……痛っ……」
「あ、頭とか打ってないよな?起きれるか?」

 その場に膝をついて倒れている身体をゆっくりと抱えあげる。きつく顰められた顔は酷く辛そうで時折唇を噛み締めて痛みを堪えているようだった。幸い意識ははっきりしているし、汚れていたのはガクランの背中の部分やズボンの方だったから頭は打っていないようだったけど。

 さすがは隠れ武闘派、どんな時でも受身を取るのは忘れない。っていうか、そんな事に感心してる状況じゃないよなこの場合。

 現場は放課後の学校で、三階から二階へと続く西階段。授業も終わり昇降口に向かう前に、教室で本当にどうでもいい事で口論したオレ達は、その剣幕のままこの場所へとやって来たんだ。

 その口論の発端はマジ下らない事だったし、良く声が響く廊下で大喧嘩をやらかすのも段々と馬鹿馬鹿しくなって来たオレは、それでもしつこく食い下がる海馬を宥めようと階段の途中で立ち止まった。

 けれど腹の虫が治まらないこいつはそんなオレの肩をぐいっと掴み、こっちを見ろとばかりに力を加えたもんだから、それを反射的に振り払っちまった。そしたら、海馬は一段下の階段から足を踏み外し、そのまま下へと落ちちまったらしい。

 ……オレ、すごい冷静にこんな事思い返してるけど、これって立派な事故じゃんか。一歩間違えたらこいつマジ死んでたかも。今更ながらに事の重大さを思い知り、背筋に嫌な寒気が走った瞬間、海馬……可愛さ余って憎さ100倍のオレの恋人であり被害者であるこいつが、立派な憎まれ口を叩いてくれた。

「凡骨……っ貴様、オレを殺す気か……!」
「だからごめんって。やる気でやったんじゃないんだって。たまたまお前が」
「……オレが、後ろにいる状況で、腕を振るったら、どうなるか位っ……分かるだろうが!」
「……はい、分かります。ってそんな事より大丈夫かって聞いてんだよ」
「何がっ、そんな事より、だ!!……傷害罪で訴えるぞ犬め!」
「あ、良かったー元気じゃん。オレマジ警察行きかと思った」

 なんだ、思ったより元気じゃん。ほっとした。そんなにぎゃんぎゃん喚ける位なら大丈夫だよな。そんな事を心底ほっとしながら思いつつ、オレは腕の中で唸っている海馬の顔を見下ろして、大きな溜息を一つ吐いた。

 が、どうやらこいつ、みかけよりも大分ダメージを受けているらしい。よくよくみたら額に汗が滲んでる。……あれ?

「っ元気、では、ないっ!」
「えっ、どこ?!どこやっちゃった?!」
「多分……足、と、背……っ!」
「どういう落ち方したんだよ。見せてみ?」
「さ、触るな!」
「立てる?」
「この状況でっ、立てると思うか?!」

 うっすらと涙目になりながらそんな事を言う声を聞きながら、オレは慌てて海馬がさり気なく押さえつけている右足首を確認する。多分踏み外す時に捻りでもしたんだろう、大分腫れてはいたけれど幸いな事に折れてはいないようだった。それだけでも、一安心だ。

「ごめん、マジごめん。今から保健室連れて行くから」
「馬鹿者!この状況なら、病院に行った方が早いわ!……磯野に連絡しろ!」
「あ、そっか。そうだよな。じゃあちょっとまっとけ」

 自分でするって言わないって事は相当痛いんだろうな。オレは即座に海馬から携帯を奪うと磯野へと連絡し、事情を話して直ぐに来てくれるように手配する。幸いな事に車はもう近くにいて、後数分で駆けつけてくれるらしい。それをそのまま海馬に伝えると、奴はもう頷く位しかしなくなった。ついに力尽きたか。

 うう、ヤバイ。やる気でやった事じゃないとは言えマジ酷すぎる。これは全面的にオレが悪い。ひと段落したら、殴られる事を覚悟しておかなけりゃ。

「海馬、本当にごめんな」

 堪えるように唇どころか歯を噛み締めてきつく目を閉じているその横顔に、オレは今まで取っていたふざけた態度を全て収め、至極真剣に謝った。
 

 それが功を奏したのか、オレがこの件について海馬に何か危害を加えられるような事は、一切なかった。