Act3 鼻血(Side.城之内)

「喧嘩か」
「まぁね」
「今回はなかなか骨のある相手じゃないか。貴様にそんな傷を負わせるとは」
「うるせぇ。1対10だったんだよ!っつーか笑ってんな!!お前、彼氏が怪我して帰ってきてんのに薄笑い浮かべるとかどういう神経してんだこの人でなし!」
「その顔で言われてもな。笑うなという方が無理だ。酷いな」
「くっそ!もう何でもいいから何とかしてくれ!」
「ではそこに座れ」
「痛いのはなしな」
「散々殴られた癖に今更痛みに怯えるな。根性なしが」
「うー。あ、でもさ、相手の腕折ってやったぜ!で、三人病院送り」
「誇らしげに語るな」

 ふうっ、と呆れたような海馬の溜息が大きな部屋に木霊する。巨大スクリーンに流れる経済ニュースと時折控えめに鳴る電話以外は本当に静かな海馬の部屋。オレが来る前までは、多分もっと静かだっただろうその空間は、今はオレの話し声と海馬があちこちマメに動き回る音が響いて結構賑やかだ。

 オレがこうして喧嘩の後この部屋に転がり込んでくるのはそんなに珍しい事じゃなくて、だからこそその動きも手馴れたもんだ。お陰でオレは海馬がいなくても治療道具一式が何処にあるかきっちりと覚え、一人で勝手になんとかする事も出来る様になった。でも大抵不器用が災いして治るもんも治らなくなるから滅多にしない。

 しっかし、鼻がめっちゃ痛い。すんごい図体デカイ野郎に思いっきり後ろ蹴りされたもんな。革靴の底ってなんであんなに固ぇんだよ。良く折れなかったもんだ。最近オレも丸くなって滅多に喧嘩なんかしなくなったけど、昔取った杵柄っつーのか、あちこちに未だ因縁はちりばめられていて、時折思い出したかの様に襲撃を仕かけてくる奴がいる。

 今日やった集団も中学の頃に派手にやりあっていたグループの一つだった。あーあ、昔はあんな奴等かすり傷一つ負わないで叩き伏せてやれたのに、やっぱ身体って鈍っちまうもんだよな。本田でも呼べば良かった、ちくしょ。

 そんなことを思いながらズキズキと痛む鼻を抑え、蹴られた所為で派手に出てしまった鼻血を服の袖口で擦りあげる。海馬がオレを一目見て笑ったのは多分この鼻血の所為だ。まぁ、鼻血以外にも視界が余り良好じゃねぇから、頬や目の上が腫れたりとかしてんだろうけど。鏡見てないから分かんねぇ。

 一体どんな顔になっちまったんだろう。すんごい不細工になってたらショックなんだけど。……オレは急に不安になって、とりあえず様子を見に行こうとすぐ傍にあるバスルームへと行こうとした。が、それよりも早く、立ち上がろうとしたオレの髪を思い切り掴む手があった。

「俯くな。余計出るぞ」
「んあっ!おまっ、いきなり髪ひっぱんな!」
「何をうろうろしようとしている。怪我人は大人しくしていろ」

 その怪我人に対する態度としてはちょっと酷いんじゃないですか海馬さん?相変わらずオレの髪を鷲掴みにしたまま、とりあえず汚れを拭おうと言うのか、海馬は片手で暖かいっていえる程度の温度に調節されたタオルで丁寧にオレの顔を拭ってくれた。

 真っ白だったそれは泥だの血だの色んなもので直ぐに凄い色になる。うわ、グロ……自分の顔についていたものなのになんだか物凄く気味が悪くなって顔を顰めると、海馬は全く表情を変えないまま慣れた仕草で傷の手当てをしてくれた。あまりの手際のよさに、オレは殆ど痛みを感じなかった。なんかすげぇ、尊敬しちまう。

「鼻血は?」
「あーまだ止まんねぇ。出てくる」

 顔以外にも幾つかあった痣や擦り傷の処置を終えて、漸くオレの顔を直視した海馬が素っ気無い声でそんな事を尋ねてくる。また髪を引っ張られるのが嫌で、その間ずっと上を向いていたオレは、試しとばかりに顔の位置を元に戻してみたものの、やっぱりたらりと奥から血が垂れてきた。

「脱脂綿でも詰めておけ」
「なんか間抜け臭くて嫌なんだよなーこれ」
「何を今更。既に十分間抜けだから心配するな」
「首筋トントン叩くといいんだっけ?」
「逆効果の場合があるとも聞いた。やめておけ」
「うえっ、喉にも流れた」
「うがいをしてこい」

 ……どこまでも冷静な事で。まぁ、女みたいに毎回「ひどーい!」「痛そー!」「触りたくなーい!」なんて言われるよりは迅速に対応してくれるコイツの方が数百倍いいけど。なんつーかもっとこう心配して欲しいわけ。優しくされたいっていうか。

「ね、オレすんごい顔になってる?ヤバイ?」
「なんだ気になるのか」
「一応。思春期ですから。ちょっと鏡貸してくんない?」
「今はやめたほうがいいぞ」
「ゲッ、そんなに酷いのかよ。ショックすぎる。明日学校行けっかなー」

 海馬に手渡された氷嚢を頬に当てながら、化け物みたいになってる顔を想像して大いに凹んだオレは、イケメンが台無しだぜ……とぽつりと呟いた。もちろんそれは自分自身の気を晴らす為に海馬のツッコミを狙った戯言だったんだけど(海馬に嫌味を言われると大したことないなって思えるから)、意外にも海馬はその一言には一切ノッて来なかった。

 ちょ、そんなに、茶化せないほど酷いのかオレ?!

 全く表情の崩れない目の前の白い顔を呆然と眺めながらオレがそんな絶望感にどっぷりと漬かりそうになった、その時だった。

 すっと海馬の両手が動いて、オレの比較的腫れてない頬へ触れる。それにひやりとした指先がちょっと薬臭い、なんて見当違いの感想を抱いた瞬間……海馬は、あろう事かオレの顔をぺろりと舐めた。もっと正確に言えば、多分最後にちょっとだけ出てしまった……鼻血を。
 

 ……えぇ?!
 

「!!お、おまえっ!!なんてもん舐めんだ!!汚ねぇだろ?!」
「安心しろ凡骨、とりあえずオレが口をつけてもいい程度で収まってる」
「はぁ?!」
「その大して造形の良くない顔の事だ」
「え?ホント?……って、いやいや今はオレの顔の事よりもお前が鼻血を舐めた事に対してだな」
「ふん、貴様は普段オレのもっとおぞましい部分に口をつける癖に今更鼻血を舐められたぐらいでガタガタ騒ぐな」
「でっ、でもさぁ!」
「今更どうとも思わん」

 相変わらずの涼しい顔で、そうさらりと言ってのけた海馬は、追い討ちとばかりにもう一度同じ場所を舐め上げて、その優しい唇とは裏腹の乱暴な仕草でオレの鼻の中に脱脂綿を詰め込んだ。ああもう、喜べばいいんだか驚けばいいんだか分かんねぇよ!どうすりゃいいんだ!

 そう騒いだら、最後は煩いと言われて、キスで唇を塞がれた。……オレの鼻血を舐めた、その口で。

「……ひー!なんかすっげー嫌なんだけど!!血の味がするっ!!」
「嫌ならば今度はもっと上手く喧嘩するんだな」

 にやりと素敵な笑みつきでそう言った海馬は、そのままオレを優しく抱き締めて、ぽんぽんと背中を叩いてくれた。なんだかんだ言って、こいつ結構優しいんだ。
 

 けどさ、嘘を吐くのはやめてくんねぇかな。
 

 ……オレ、次の日鏡みて気絶したんですけど。