Act23 笑うな(Side.城之内)

「ちょ、なんだよ城之内その顔!ぎゃははははは」
「いきなり笑う事ねーだろ?!っつーかまずそれ以前に顔全体を見ろよ!酷いだろ?」
「顔も酷いけどそれが一番酷いぜぃ。あーお腹痛いっ!」
「なんつー心無い言葉……お前、やっぱり海馬の弟だな!っつーか海馬だってそこまで爆笑しねーよ」
「ごめんごめん。だっていきなりだったから。兄サマだって絶対笑うぜ、その顔。お前、そのままで家まで来たの?!まぁ、口開けなければそんなに変でもないけどさ」
「変とか言うな」
「だって変だもん」
「うーもういいっ!海馬の部屋に行ってるぜ!」
「兄サマ今日帰ってくるの何時か分かんないぜ?取り敢えず、顔だけでも何とかした方がいいんじゃないの?ほっとくと倍になりそう」
「えっ?!それはイヤだ」
「じゃー一緒に行くよ。オレが超優しく手当てしてやるぜぃ」

 そう言って心底楽しそうな笑顔を見せたモクバに引っ張られる形でオレは長い長い海馬邸の廊下とのろのろと歩く。途中すれ違う殆ど顔馴染みになったメイドさん達は、オレの顔を見るなり一瞬噴出し、咄嗟に頭を下げて肩を震わせた。

 ……めっちゃ笑ってるんですけど、そんなに酷い?

 まぁ確かに自分でも超間抜け面だとは思うけどさ。しょーがないじゃん、まともに食らっちまったんだからさ。今回の相手は結構強かったなー。ここ最近やりあった奴等の中では一番かも。あいつは誰だったかな……多分中学時代に何回か顔を合わせたようなそうじゃねぇような。近頃は大分物騒な世の中になって来たから、ケーサツの巡回も増えて来て、喧嘩も目立つ所で派手に出来なくなってきた所為か、こういう機会もめっきり減っちまって、今日は本当に久しぶりだった。

 やっぱりこういうのって、普段から体動かしてないと鈍るよなー。なんか前よりも大分手足が重くなった気がする。素早さも落ちたよな。じゃなかったからあんなへなちょこキックを顔面で受けるなんて事にはならねぇし。 未だジンジンと痺れる頬を軽く手で押さえながら、オレがそう独り言を言っていると、それを聞いたモクバが心底呆れたような溜息を吐いた。

「お前さぁ、なんで喧嘩すんの?怪我するし、汚れるし、いい事ないじゃん」
「何でって言われてもなぁ。昔っからの癖と言うか、なんと言うか。たまに暴れるとすんごく気持ちがいいんだよね。スポーツみたいなもんかなぁ」
「だったら体育真面目にやれよ。普通の教科で点数取れない奴はそういうので稼ぐしかないだろ」
「えっらそーに。お前の成績はどうなんだよ」
「全教科オール5に決まってるだろ。兄サマの弟だぜ?」
「可愛くねぇ。お前、超生意気。そういや海馬といえばさ、この間の授業でドッヂやってさぁ」
「知ってる。顔面狙ってボール投げたんだろ。兄サマ『今度会ったら殺す』とか言ってたよ」
「今度といわずその場でやられたけどね」
「仕返しされるの分かってるならやるなよ」
「だってむかついたんだもん」
「ガキだなー」
「お前には言われたかねぇっての」

 オレよりも5つも下のチビガキの癖に。そう言ってやったらモクバはフン、と鼻を鳴らして「その内お前よりも大きくなるんだからな!覚悟しろよ!」なーんて言ってくる。その言動はかなり小憎らしいけど、今のこいつから言われても可愛いなぁとしか思えない。

 小さいって便利だよなぁ。と更に嫌味を重ねてやったら、今度は蹴りを入れられた。蹴りとか。ほんっと手足の癖が悪いよな、この兄弟は!

「大体さ、兄サマだってオレと同じ歳の時は身長同じ位だったんだぜ?なのにあんなに大きくなっただろ。だからオレだって絶対ああなるし。そうしたら城之内なんてイチコロだぜぃ。オレは兄サマと違ってちゃーんと体鍛えるから、すっごく強くなると思うよ」
「そーですか。じゃ、楽しみにしてるから頑張れよ」
「お前、完全に馬鹿にしてるだろ」
「してないって。ほら、部屋に着いたぜ。なんとかしてくれ」
「もーなんで偉そうなんだよ。あ、お前そのまんまソファーに座るなよ?制服泥だらけじゃん。お風呂入った方がいいかもね」
「え。お湯染みるじゃん」
「そういう問題じゃないの、どっちみち傷口洗うんだから一緒だろ!」

 これ以上痛い思いをすんのやだなーとオレがぼやくと、モクバは酷い事に背中をバンッ!と強く叩いて、オレを浴室に放り込んだ。何時来てもキレイで明るいそこは眩しい位で、入った瞬間に目に入る巨大な鏡に映った自分の顔が嫌でもバッチリ見えてしまう。

 うわ、これは酷い。オレも自分の顔じゃなかったら爆笑すっかもな。頬が腫れてたり口の端が真紫になっているのはいいとしても……これって……。

 そんな事を思いながら、はぁっ、と盛大な溜息を吐くとオレは鏡から顔を背けて黙々と服を脱いで風呂に入った。当然お湯やらボディソープやらが触れた瞬間、ものっすごい染みたけれどこれも自業自得だと我慢した。喧嘩すんのはいいんだけど、確かにその後が面倒なんだよなーそういう意味ではモクバのいう事は一理ある、うん。

 本人には絶対言わないけどね。

 風呂から上がったオレは、用意されていた多分海馬のモノだろう部屋着を借りて、モクバのいる部屋へと戻って来た。袖も裾も大分余る綿シャツとズボンは奴の手足の長さを思わせてちょっとイラッとする。くそ、ズルイよな。だからあいつと喧嘩すると手足の長さ分負けるんだ。リーチが違うってハンデだよな。

「あーもーオレももうちょっと手足が長かったら向かうところ敵無しなのに」
「何言ってんだよ今更」
「だってさ、海馬と喧嘩するといつもコレで負けるんだぜ。オレがどんなに足伸ばして蹴ったって届かねぇんだ。お前の兄サマ宇宙人なんじゃねぇの?」
「お前の足が短いんだろ。変なインネンつけるなよ。っていうか、そんなのどうでもいいから動くなよ。やりにくいだろ」
「あ、ごっめーん、届かなかった?ってイッテッ!おまっ……原液ぶっかけんな!」
「こんなのが痛いのかよ。軟弱な奴」

 だから喧嘩にも負けるんだぜぃ。そう言ってニヤニヤ笑いながら、それでも器用に傷の手当をしてくれたモクバは、散らかした薬やらガーゼやらを片付けながら、なんとなくオレを見る。そして、やっぱり小さく噴出した。

「……なんだよ」
「だってお前、やっぱり間抜け」
「うるせぇ!」
「早めに歯医者に行ったほうがいいよ。歯並び悪くなるぜ?」
「そんな金ねぇよ」
「じゃーオレが作ってやろうか?オレ、結構上手いんだぜ?紙粘土」
「何で紙粘土だよ。有り得ねぇだろ」
「でもさ、すっごくみっともないぜ。歯抜けとかさ」
「歯抜けじゃねぇ。歯欠けだ!」
「どっちだって同じじゃん。小学生かよ」
「好きでこうなったんじゃねぇ!」

 そう。そうなんだ。オレがモクバに顔を見せた瞬間爆笑され、すれ違うメイドさんに必死に笑いを堪えさせた理由……それは例の喧嘩で相手の蹴りを顔面に食らった際、見事に前歯を二本折られちまって……まぁ『そういう顔』になっちゃったと、そういう訳。

 歯が無いって予想以上に間抜けなもんで、どんなにカッコいい奴でも物凄く間抜けに見える。そこに来てこのボコボコ面だろ?笑うなってのが無理なんだ、実際は。

 まぁそういう訳で、オレは皆に別の意味で笑いを振りまいたと、そういう訳。

「……兄サマにお金借りるしかないんじゃない?オレが貸してやってもいいけど」
「嫌だ。お前絶対恩着せがましくあれこれ言ってくるし」
「そんな事ないよ。来週のジャンプ買って来いとか、可愛いもんだろ?」
「なんだそれ、パシリじゃねぇか」
「あはは。冗談だけど」
「やっぱいい。海馬に言うから」
「兄サマはお前の顔なんてどーでもいい、とか言いそうだけどねー」
「……言いそう。あいつの事だから」

 そう言って二人で苦笑いをしながら顔を見合わせたその時だった。不意に部屋の扉が開いてたった今噂をしていた海馬が何食わぬ顔で帰って来た。瞬間、さっきの小憎らしい態度は何処へやら一転して偉く可愛らしい笑顔になったモクバが、「兄サマ!」とこれまた甲高い声を上げて扉の前に立つ海馬の下へと駆けて行った。そしてその腰元に飛びついて何やら楽しげに話している。

「早かったね!もっと遅くなると思ったぜぃ」
「ああ、予定より早めに仕事が片付いてな」
「城之内、来てるぜぃ。なんか喧嘩して来たって凄い顔してさ。笑ってやってよ兄サマ」
「何?凡骨が?」
「うん」

 ほら、そう言ってわざとらしくオレにしか見えないニヤニヤ笑いを浮かべながらこっちを指差したモクバに、海馬はゆっくりと目線を弟が指し示す場所へと向ける。そして、案の定思い切り顔を顰めた。

「貴様、なんだその顔は」
「なんだって。見たまんまだろ。今日はちょっとだけ派手に……」

 海馬のいかにも嫌そうな声に、オレがイラッとしてそう答えたその時だった。顰め面だった奴の顔が少しだけ歪んで、急に口に手を当てたと思った瞬間「ぷっ」と奴らしからぬ声が上がる。海馬もそれは予想外だったのか、慌てて顔を背け唇を噛み締めたっぽいけど、その『衝動』は収まらなかったらしく、肩を震わせて「くくく」なんて笑ってる。

 つーか、爆笑ですか?海馬さん?!

「ちょ!お前っ!笑うな!」
「……いや、ちょっと、それは無理だ。愉快すぎるぞ凡骨」
「そんなにウケて頂いて大変嬉しいんですけど……それと同じ位悲しいんだけど……って聞いてる?」
「こ、こっちを見るな。苦しい」
「お前、モクバよりも酷いじゃねーか!仮にも恋人が怪我して帰って来てんだぞコラァ!」
「そんなものは自業自得だろう。これを笑わずして何を笑えというのだ。……ぶっ」
「噴き出すな!」
「だから言ったじゃん兄サマだって笑うって。んじゃ二人とも、オレは一足先に食堂に行って夕食の準備をして貰ってくるから、少し経ったら来てねーあ、城之内はお粥にして貰う?」
「歯が一、二本無くたってメシは食えます。普通のにしてくれ」
「ぶっ!わ、わかったぜぃ。ぎゃははははは!」
「お前も噴き出すんじゃねぇ!」

 そう言って部屋を出ようとしたモクバにほとんど牙を剥きながらそう言ったオレだったが、その顔がまた笑いの種に火をつけちまったのか、奴は腹を抱えながら扉の向こうへと消えて行った。

 そして部屋に漸く海馬と二人きりになったのに、海馬は相変わらず声を立てずに爆笑してる。目の端に涙まで浮かべてまぁ、お前のツボってこんなモンだったのかよ。馬鹿じゃねぇの。

「……こんなに笑ったのは久しぶりだったぞ凡骨。腹筋が痛い」
「そんな事言われても全っ然嬉しくないんですけど!」
「取り敢えず、治療費は出してやるから即歯医者に行って来い。み、見るに耐えない」
「あーもう!顔を見る度笑うなっつーの!」
「ならばもう派手な喧嘩は止めるんだな。それ以上愉快な顔になってどうするんだ」
「何が愉快な顔だって?!……ちくしょーコノヤロウ。今日は体中痛いからやめようかと思ったけど、やっぱヤッてやる」
「やめてくれ、笑い死ぬ。その顔で近づくな」
「むしろ笑い死ね!」

 何時までもしつこく笑い続ける海馬に、いい加減堪忍袋の緒をブチ切ったオレは、その言葉通りこの薄情な馬鹿を襲ってやろうと、勢いよく飛びかかる。そして、何時もの通りまずはキスからやってやる!と顔を近づけた瞬間……盛大に噴き出された。

 もうオレの顔、海馬の唾塗れ。何これ。何プレイ?

 結局なんだかんだと笑いをとりつつ最後までやるにはやったんだけど、オレも海馬も全く集中出来なくて、もう何をやってるんだか分からなくなっちまった。最高に凹むんですけど。もう嫌だ。

 その後、オレが折れた前歯を元通りに修復するまで海馬と顔を合わせる度に爆笑された。ものすごーく微妙な気分だったけど、楽しそうな笑顔を見るのは悪くはないから、まぁこれはこれで……と思うようにした。つーかそう思わないとやってらんなかったし。

 そんなこんなで、オレの前歯が無事に戻った日。これでもう笑われる事はねぇだろ、と意気揚々と海馬の下へ遊びに行くと、奴はオレを見るなり心底残念そうな顔をして「前の方が良かった」とのたまった。

 どんだけだよ!

 ……この恋をちょっと考えてしまう今日この頃です。