Act6 踏みつける(Side.城之内)

「あ、あの、海馬さん?そろそろその辺で許してやった方が……」
「許すだと?!貴様、この汚らわしい汚物が何を仕出かしたか分かっているのか?!」
「そりゃ、大体の事は分かるけどさ……な、何もそこまでしなくても」
「ふん、本来ならば殺してやる所だ!」
「ちょ、殺人はやめろって!お願いだから!」
「チッ。だからこの程度で済ませてやっているんだろうが。文句は言わせん!というか貴様、何故この汚物を庇うのだ!この場合庇われるべきはオレの方だろうが!」
「だ、だって、どうみたってお前の方がやりすぎ……」
「不愉快だ!」
「だー!!だから足どけてやれって!男として死ぬってマジで!」
「むしろ踏み潰してやるわ!!」
「ぎゃー!!やめてあげて!!あんまりだから!!」
「この海馬瀬人に不埒な真似を働こうとするからこうなるのだ!思い知るがいい!!」

 そう言ってお得意の腕組&腰反らしポーズで豪快に笑い声を上げた海馬は、その笑い声とは裏腹の空恐ろしい表情を浮かべて、コンクリートの上に仰向けになって倒れている生贄……もとい、どこぞのオッサンを踏みつけていた。

 その踏みつけている部位は男の急所で、こいつが本気になって力を込めれば簡単に踏み潰してしまいそうで(っつーかそのつもりでやってんだろうけど)とにかく尋常じゃない殺気を放ってるもんだから流石に相手が心配になったオレは、必死にその身体にしがみついて「許してやってくれよー!」と懇願した。海馬にとってはその事自体超気に入らないようで、力が入りまくりの足は頑としてオッサンの上から動かない。
 

 ああああ、マジそれ以上やったら不能になっちまうって海馬ぁ!

 大体お前ちょこっとケツ触られた位で大げさなんだって!!
 

 オレの眼下で意識不明になっているこの不幸なオッサン……偉く赤い顔ですげぇ酒くせぇから多分酔っ払ってたんだろうけど……がこんな事になったのは、一重に自業自得だった。

 今日は土曜日で学校が休みだったオレと海馬は、前々からオレがどうしても行きたいと喚いていた映画を見る為に、なんとかバイトや仕事のスケジュールを調整してレイトショーだけど無事目的の映画を観る事が出来た。レイトショーだからオレ達が映画館を出る頃には夜の11時を大きく回っていて、町は当然休日前の夜遊びを楽しむ奴らで溢れ返っていた。

 来週の月曜日はたまたま祝日だったりしたもんだから同じ土曜と言ってもその人出は半端なくて、道路にはタクシーがずらりと並んでこんな時間だっていうのに交通渋滞を起こしている始末だった。

 そんなこんなで、当初はいつもの通り海馬の車を呼びつけて真っ直ぐ海馬邸に帰る予定だったんだけど、これじゃー車がいつ来るかわかんないって言うんでごねた海馬を持て余したオレは、仕方なく余り気は進まなかったけれど、こいつを伴って電車で帰る事にしたんだ。

 土曜日の終電近くって酔っ払いだのスリだのが横行してて余り使いたくねぇんだけど、この際背に腹は変えられない。オレ的には酔っ払いに絡まれるより、海馬の機嫌を損ねて「やっぱり貴様は家に帰れ」なーんてすげなく追い返される方が問題だったから、迷い無くこっちを選んだんだ。
 

 ……だけど、今回は失敗だった。まさかこんな事になるなんて。

 ま、予想してなかったって言えばウソになるけどさ。
 

 満員に近い電車の中ってのはスケベなオヤジにとっては格好の餌場になるわけで、そんな余りに多い痴漢野郎の対策として、最近は女性専用車両が出来て女は皆そっちに隔離されちまった。だけど、そんな対策を講じても痴漢被害は一向になくならないらしい。女がいないのになんで?と思っていたら、エロオヤジ達は悪戯をするんなら何も性別に拘らないらしく……被害が女から男に代わったと、そういう訳らしい。

 で、今回海馬くんがその痴漢に見事狙われてしまったという訳です。

 『若い男の痴漢被害の急増』って見出しで時たまテレビで取り上げられるこの珍事態に、最初オレは男が男に痴漢って頭おかしいんじゃねぇのか?と思ったけど、よくよく考えてみたらオレの恋人は男なわけで。このオレがころっと騙される位だから、顔やスタイルといった外見だけは見目麗しい海馬にエロオヤジが惑わされる気持ちもまぁ分からないでもない。

 でもこいつ、普通の男よりもよっぽど男らしいんだぜ。そりゃもうありえない位に。そんな奴のケツ触ったら殺されるのに。マジで!
 

「城之内、オレの後ろにいる男の首根っこを掴んで連れて来い」
 

 乗車して30分。海馬邸から一番近い駅に漸く辿り着き、さぁ早く降りて車を呼ぼうと人込みの所為でロクに振り返ることも出来なかった海馬にそう言おうとオレが口を開きかけた時、海馬は一瞬早くオレの耳元に顔を寄せると、怒り心頭の低い低い声で、そう一言口にした。

 何で?なんて聞く余裕はなかった。海馬の声色だけで、こいつが心底激怒している事は分かったし、とにかく言う通りにしないとオレがぶん殴られそうな雰囲気だったから、オレは首を傾げつつ腕を伸ばして海馬の後ろにいたオッサンのコートの襟をガッチリ掴むと、先に降りた海馬に続いて電車を後にした。

 そして、海馬が顎をしゃくって導くままに人気のないホームの端までオッサンと共について行くと、奴はこの身も凍りそうな冷気よりもまだ冷たい声で「その屑をそこに捨てろ」と言い放ち……思いっきり足を振り上げた。そこから先は語るのも恐ろしいから割愛しとく。

 あ、ただ一つだけ。これを誰かに目撃されたら、海馬は確実に警察行きになる事は間違いない。そん位凄い事を無表情でやってのけたこいつは、最後にトドメとばかりにピクリとも動かなくなったオッサンのナニを踏みつけて今に至る。
 

 その様子はまるで女王様だ。AV出したら売れそうだぞこれ。
 

「な、海馬。もういいだろ?」
「オレはまだ気が済まない!」
「あーオレがお前の後ろに立ってなかったのが悪かったよ。ガードしてやればよかったな」
「フン、オレはわざと貴様の後ろに回ったのだ!」
「え、なんでだよ」
「当然だろう。貴様を背後になんぞ回らせてみろ。この汚物と同じ事をしでかすだろうが!」
「ちょ、オレ痴漢扱い?!一応彼氏ですけど!」
「関係などどうでもいい。そういう愚劣な発想が問題だと言ってるんだ!貴様にも同じ事をしてやろうか?!」
「とばっちりだろそれは!でも当たらずも遠からずだから謝っとく。ごめんなさい!謝るから、ほんっとその辺で許してやって。このオッサンにだって家族いるかもしんねぇんだからさ」
「………………」
「な?もう外すげー寒いし。早く帰りたいだろ?」

 オレはそう言って、未だ興奮冷めやらないその身体を抱き締めて(実際は押さえるために元から羽交い絞めにしてたんだけど)駄々っ子を宥めるように極力優しい声でそう言ってやる。すると、オレに甘やかされるのが実は好きなこいつは、漸く身体の力を抜いて、両足とも無事地面に付けてくれた。……オッサン大丈夫かな。だ、駄目になってねぇよな。

 そんなオッサンの事を心配しつつ、オレは海馬が大人しいうちにさっさと駅から連れ出して、漸く海馬邸へと辿りつく事が出来たんだ。そこから先はまぁ、言わずもがな。海馬のご機嫌も次の日の朝にはちゃーんと直っていましたとさ。

 ちなみに心優しいオレは、海馬邸に着いた直後、海馬の目を盗んで例の駅に電話して、ホームの隅っこでボロボロになって捨てられたオッサンの保護をお願いしておいた。

 噂によると、その後駅には救急車が来たとか来なかったとか。
 

 ……痴漢する相手は、良く選んだほうがいいぜ、オッサン達。