Act7 つねる(Side.城之内)

 化粧室という名に相応しい小綺麗な木製の扉を押し開けた瞬間、オレは余りにも想像通りだった目の前の光景を見て愕然とした。

 オレが立っている場所から距離にして5メートル程先にある某カフェレストランの入り口前。壁ではなく全面ガラスで出来ているその片隅で、格好は偉く地味なのに存在が全く持って地味ではない恋人が、オレがトイレに行くと言って離れた時と全く同じポーズで佇んでいた。

 が、奴が何一つ変わらなくてもその周辺はかなりの変化を遂げていた。時間が時間故にそんなに人も入っていなかった筈のカフェに溢れた人の波(しかも窓際の席に集中している)少し遠巻きに離れた場所から立っているこいつをあからさまに観覧している老若男女。町のど真ん中の往来なのに足を止める奴多数。どこぞで黄色い声をあげる若い女の声(いや、男もかな)。何故か色めき立っているオレの後から出てきたオッサン達。

 それだけならまだしも、勇気のある奴は声なんかかけちゃったりしてる。まるっと無視されてるけど。あ、ちょっと鬱陶しそうな表情してる。人に注目されるのは慣れてるけど、人に構われるのは慣れてないんだよなこいつ。しかも女は苦手と来ている(きゃーきゃー煩いから、らしい)うわー怖い顔しちゃってまぁ。けど、あの顔に全く怯まないで絡む女もすげぇ。ある意味尊敬する。

 オレはそんなある意味困っているだろう恋人……海馬に声をかけ様かどうか迷ったけれど、ちょっと面白いから暫く観察する事にした。さっきオレの言う事を聞かなかったからちょっとだけ懲らしめてやる。

 オレとしてはこうなる事が分かってるから一緒に来た方がいいって言ったのに、海馬の奴「貴様は小学生か?」と馬鹿にしやがって。あのなぁ、オレはお前と連れションしたかったんじゃなくって、お前を一人残すのが嫌だからそう言ったんだけど?現にこんな事になってんじゃねーか。言わんこっちゃない。

 ……普段が普段ならオレだってそんな事いわねーけど(つーかオレよりも100倍優秀なSPがこっそり付回してやがるし)、今日はちょっと特別なんだ。なんたってお前、すげぇ格好してるし。

「あれ、城之内くん、先に出たんじゃないの?こんなところで何してるの?海馬くんは?」

 そんな事を心持ち身を隠しながら考えていると不意に背後のドアが開いて、遊戯の暢気な声が降って来た。遊戯はきょろきょろと辺りを見回しながら「杏子は?」と聞いて来たんで、海馬に注目して周囲の様子を怠っていたオレは、慌てて近辺をぐるりと確認すると「まだ来てないぜ」と答えてやった。

 そういやすっかり忘れてたけど、今はデート中だった。男女4人のダブルデート。まぁ、ダブルデートっつーか、たまたま出先でこいつ等……遊戯と杏子に出会ったから一緒にいるだけなんだけど。この二人はオレ達の事を最初から知っていて、はっきりとバレちまった時も「別にいーんじゃない?」と軽く受け流してくれたなかなか骨のある友達だ。

 ……まぁ実際オレと海馬がどうであろうがこいつ等には関係ないんだろうけどさ。なんだかんだ言って喧嘩をした時は仲裁に入ってくれたり、遊戯は勿論女にしてはやけの活気のいい杏子の事を海馬も別段悪くは思ってないから、オレ的には凄く有り難いと思ってる。

 まぁそうじゃなかったらこんな風に一緒にいるとかありえないけどな。海馬とオレ達、一時期は殺るか殺られるかな関係だったのに、人生って不思議なもんだぜ。今となっちゃーどーでもいいけど。

 そんな訳でオレのすぐ後ろに立った遊戯は、オレがさっさと待たせている海馬のところへ行かないのを不思議に思って、そんな声をかけて来たらしい。うんまぁ、オレも直ぐに呼んでやろうと思ったんだけどさ、タイミングを逸しちゃって。

「ん。そこにいるぜ。ほれ」
「あ、ほんとだ。って!なんかすっごく注目されてるみたいだけど大丈夫?」
「ああ、めっちゃ見られてるよな」
「……やっぱり、あの格好がマズイんじゃないの?コート買ってあげたら?さっきのお店で海馬くんの好きそうな白いロングコート、売ってたけど。杏子がこれいいんじゃない?とか言ってたよ」
「だって海馬がいらないっていうし」
「海馬くんはいいかもしれないけどさー周りが迷惑だよ。僕も目のやり場に困るし。今だってホラ、周囲の視線集めちゃって」
「……アイツなんだかんだ言って露出の気あるからなー顔も隠さねぇし、ほんと参る」
「海馬くんの場合、顔もそうだけど問題はスタイルだよね。あの体型!」
「お前やらしー事言うなよ」
「だって事実じゃん。皆の目線見てみなよ」

 ほら、と遊戯が指を指すまでもなく、オレは十二分に分かっていた。周囲の人間が海馬の何処をみているかなんて。……モデル立ちしてんだもんなーすっげぇ目立つよ。しかも海馬の奴、今日は気分じゃないとか行って、いつも必ず着用してるコートを着て来ないでやんの。

 あいつ、コートはヒラヒラの奴が好きな癖に中に着る服はタートルネックだの皮パンだのってピッチリしたもんが好きだから……それを隠すコートがない今の格好はとにかくとんでもない事になってるわけだ。

 ぶっちゃけて言えば裸よりもエロイ、と思う。

 だから皆奴の身体に集中してる。特にあのほっそい腰と足を。

「アレみてるとさ、僕も城之内の君の気持ち、ちょっと分かるよ」
「え?わ、分かるってなんだよ」
「だってさー特にあの腰、ぎゅっとしてみたいって思うもん。足とかもさ、触ってみたい」
「ちょ!!駄目だからな!大体お前杏子がいるのに何言ってんだよ!」
「杏子は杏子で凄くスタイルがいいけど、海馬くんとはまた違うじゃん」
「贅沢言ってんな!胸があるだけいいだろうが!」
「そりゃそうだけど、でもさぁ」
「でもさぁ……何?男二人でこんな所で何の話をしてるのよ?」
「うわぁ!!杏子ッ!!」
「デブで悪かったわね!!」
「そ、そんな事言ってないよ!!」
「男ってサイテーね。ちょっと目を離すとそんな事ばっかり口にして」
「別にエロイ話してた訳じゃねーって」

 うおっ!ビビッたぁ!!突然降ってきた鋭い怒鳴り声。同時に振り向いたオレ達の後ろに、何時の間にか女子トイレから戻ってきた杏子が鬼の形相で立っていた。やべ、今の話聞いてたのかな。オレはいいけど、遊戯はまずいんじゃないのかコレ。

 そんな事を他人事の様に思っていると、杏子は呆れたような溜息を一つ付き、オレと遊戯の頬を片方ずつ抓りあげると、不意に視線を海馬がいる場所へと向けた。そして、驚いた様に声をあげる。

「ちょっと、誰よあそこに海馬くんを放置したの!早く回収して来なさいよ!」
「イデデデデデ!!ちょ、お前、海馬をゴミみたいに言うなよ!」
「馬鹿言ってる場合じゃないでしょ。危ないじゃない!」
「ど、どっちがだよ。海馬が?それとも、海馬の周りに居る人間が?」
「どっちもよ!」
「なんだそれ」
「城之内、あんた仮にも彼氏なんだから、ちゃんと服を着るように言いなさいよ。こっちが恥かしいでしょ!」
「いたたたたた!あ、杏子、そんな言い方しちゃ駄目だよ。それじゃー海馬くんが裸みたいじゃない」
「似たようなもんでしょ!何あれ?私だって触りたくなるわよ!」
「うわっ、ヘンタイ!……つか、オレ、あの只中に飛び込んで行きたくねぇ」
「なっさけないわねぇ!じゃあいいわ。私が連れてきてあげるから」

 言いながら顔の形が変わるまで思いっきり指先に力を込めてくれた杏子は、ふん!と盛大な鼻息を一つ吐き出すと、つかつかと海馬の元に歩みより(しかもなんか彼女面して)、ちゃっかり腕なんか組んで帰って来た。その間、海馬はひたすら無表情だった。っつーか、この数分間でかなり不機嫌になっていたらしい。それよりも、その場を離れていく杏子と海馬を見守る面々の顔が凄かった。羨望と嫉妬が入り混じったかなり嫌な視線。うわーこえぇ。オレ行かなくて良かったー!

「遅いぞ凡骨!!貴様等何をやっていた!」
「ぼ、僕は今来たばっかりだよ!」
「この二人、トイレの影から海馬くんの事じーっと見てて、なんかエッチな事言ってたわよ」
「何だと?!」
「ばっ!適当な事言うなよ杏子!!なんも言ってねぇよ!!」
「そうそう!言ってないよ!た、確かにコート着てない海馬くんってちょっとエッチだなとかは思ったけど」
「うわ、馬鹿遊戯!で、でも海馬、それは事実だぜ。だからコート着ろ!な?!さっきも周りの奴皆見てたじゃねぇか。お前が隠すの嫌いなの知ってるけどさ!」
「ほう。確かに最悪だな。そうと知っていて助けもせず人を露出狂呼ばわりか」
「見損なっちゃうわよね!二人ともサイテー」
「よし、真崎。結束の力だ!」
「望むところよ!二人とも覚悟しなさい!」
「は?何?」
「え?え?杏子も海馬くんも何言ってるの……?ちょ、来ないでよ!!」
「貴様等二人ともそこに直れ!!」
「ぎゃーーー!ちょっとタンマ!!」

 ……そんなこんなで、激怒した海馬と杏子に、左右から頬をおもいっきり抓り上げられたオレと遊戯は、仲良く変形した顔を擦りながら、カップルが微妙に変化してしまったダブルデートを続けた。

 それから二人の機嫌を直すのに、オレと遊戯は一週間の時間を費やした事をここに追記しておく。