ズルイ男

「あーもうお前むかつく!!気にいらねぇんなら出てけよ!!」
「やかましい!貴様が出て行け!」
「つーかここオレん家なんだけど?!」
「連れ込んだのは貴様だろうが!」
「人聞きの悪い事言うな!人を誘拐犯みたいに!」
「誘拐犯の方がまだマシだわ。この強姦魔!」
「お前強姦魔言いたいだけだろ!」
「強姦魔を強姦魔と言って何が悪いのだ!」
「ちょ、ここお前ん家と違って壁薄いんだから大声で言うな!ヤバイだろうが!警察来たらどうすんだ!」
「むしろ逮捕されろ!」
「そういう事言う?!……お前、言ってもいい事と悪い事があんだぞ!」
「知った事か!」
「あ、そ。そういう態度取るんだ?じゃあもう知らね。出て行かねぇんならオレ、お前の事いないもの扱いするから」
「勝手にすればいいだろうが」

 フンッ!とお互いに盛大に顔を背け合い、小さな賃貸マンションの一室は静かになった。おざなりにつけていたクイズ番組の正解音が妙に虚しく響き渡る。うわぁ……またやっちまった。ボロコタツの一端を占領してむすっと押し黙っちまった海馬の顔をちらりと盗み見ながら、オレは今更ながら後悔した。

 オレ達の喧嘩なんて原因は些細なもんで、いつも後から「どうしてあんな事であれだけ大騒ぎが出来たんだ?」と首を傾げてしまうことになるんだけど、今回もまさにそんなどーでもいい事が発端だった。

 まぁオレも海馬も短気で大げさだから、一回火がついちまうと燃料が空になるまで燃え盛ることしか出来なくて、どっちも負けず嫌いだから一歩も引かない。で、結局完全決裂で終わってしまう。

 つい数分前までは、珍しく海馬が家に来て(まぁ、オヤジがいねぇからって呼んだのは確かにオレなんだけど)帰宅して早々一回ヤッたし、すんごい簡単だったけど夕メシも二人で作って食べて後片付けして寛いで、結構雰囲気的にはいい方だったんだけど。オレが海馬に何気なく言った一言にこいつが過剰反応しやがって、喧嘩しちゃった、という訳だ。

 狭い部屋だから小さなコタツと石油ストーブで十分に暖かくなっているはずなのに、オレ等の間が冷え切ってる所為で凄く寒く感じる。入れたばかりのコーヒーは喧嘩の間に冷めちまって、口にしても苦いばかりでちっとも美味しくない。……海馬の持って来た奴だから高級品な筈なのに、なんだか凄く勿体無いような気がする。

 沈黙が重い。耐えられない。けど、オレ等はどちらも素直に謝るって事ができないから、引き結ばれた口はそのまんまだ。

 オレは仕方なく、自分で宣言したとおり、海馬を「いないもの」として、時間を過ごすことにした。マズイコーヒーをこれ以上飲む気はしなくて、席を立って冷蔵庫からコーラを出して来て、漫画本をコタツの上に散らかして、海馬が余り好きじゃない大半が下ネタで構成された、バラエティ番組にチャンネルを変えて一人で笑った。

 コタツに突っ込んだ足が触れても、海馬が苛立ったように机の上をペンでカツカツと叩いてもまるっきり無視。オレは本当に、いつもここに一人でいる時のように凄く自由に振舞った。勿論実際は至近距離に海馬がいるわけだから一人じゃないわけで、視界の端にずっと見慣れた顔がチラついてる状況だったけど、海馬もオレと同じ様に一人で勝手に色々してたから、まぁいいかって思った。

 本当は、少しだけ寂しいけれど。自分から謝る事はどうしても出来なくて。
 

 

 そうこうしてる内に夜も更けて、何時の間にか日付が変わろうとしていた。オレは明日も早いしもう寝ようと思って、やっぱり未だ口をきかない海馬をチラっとだけ見るとさっさと立ち上がって、一応オレの部屋にしている隣の6畳へと移動して万年床に横になった。そしてふと考える。

 当然オレの家には布団はオヤジのとオレ、二組しかなくて(来客用を備えておく余裕なんてあるわけない)海馬がここに泊まる時は勿論この布団で一緒に寝るんだけど……今夜はあいつ、どうするつもりなんだろ。いい加減諦めてオレに謝るか、家に帰るか、あのままコタツで寝ちまうか、選択は3つある。

 ちなみにあのコタツは海馬が横になれるような大きさじゃない。座ったままだってちょっと足を延ばすと爪先は確実にはみ出るし、大体あの部屋は結構寒い。オレは部屋を出て行く時、ストーブのスイッチをちゃんと消したから、結構室温は下がってるだろう。さて、どう出るか。

 オレは布団の中で一向にやって来ない眠気に半ば諦めつつ、内心興味津々で隣の海馬の動向を伺っていた。ちら、と目の前に置いてある目覚まし時計を見ると、オレがここに来てからそろそろ30分が経とうとしていた。馬鹿だなーもうすっかり寒くなってるだろうに、何やってんだあいつ。

 そんな事を考えていると、ガチャ、と大きな音がして部屋のドアが開く音がした。そして体重を全く感じさせない、静かな歩みが背を向けたオレの前で止まる。お、こいつふて腐れて帰るんじゃなくってオレに謝る道を選んだか?ちょっと予想外。……なーんてもうすっかり怒りも収まってしまったオレは、逆にワクワクしながら『その瞬間』を待っていた。そしたら、海馬の奴オレが全く考えもしなかった行動に出やがった。

「……ちょ、おいっ!」

 一瞬冷やっとした冷気を背後に感じたと思った瞬間、背中にぴったりとくっつくモノがあった。薄くて骨っぽくて冷たいそれはそれは考えなくても海馬の背中で。こいつ、オレに謝りもしないで勝手に布団に入って来てやんの。つーか一緒に寝るのかよ?!

 さすがのオレもこれにはビビッて思わず無視していた事も忘れて声を上げたんだけど、海馬は相変わらず無言のままじっとしている。多分寝てなんかいない。眠れる訳が無い、こんな状況で。

 寒い部屋に暫くいた所為か、ほんの少しだけ震えている体はオレの背中の温度だけじゃ到底温まる気配はなくって……オレはもうそれが気になって気になって、後ろを向いている事すら出来なくなる。もう何でもいいから振り向いて腕を伸ばして、震えているその身体を既に熱いほど暖かくなっているこの腕で抱き締めてやりたくなる。

 ……くそ、ズルイ。なんつーズルイ男だコイツは。

 お前はそうやってオレが折れざるを得ない状況を作るのが上手くて、謝りもしない癖にオレの怒りを静めてしまって、何もしていないのに、むしろ怒らせていた筈なのに可愛いなーとか、好きだなーとか思うように仕向けてくる。

 それはまるで好き放題やっても許される生まれたばかりの小動物のようで、噛まれても引っかかれてもまぁしょうがないかなって気分になっちまうんだ。実際は、小動物どころかオレよりもデカイ人間なんだけど。どんな大きさでも、動物好きのオレにはたまらないわけで。

 あーあ。結局折れるのはオレの方なのかな。つーかお前、一回でいいから謝ってみろよ。

 そんな事を思いつつ、やっぱり頑なに振り向きもしなければ言葉も発さない後ろのコイツに一人大きな溜息を吐いて、オレはくるりと後ろを向いて、その体に手を伸ばして、ぎゅっとその背を抱き締めた。すると、途端に可愛げのない台詞が聞こえてくる。

「無視するんじゃなかったのか」
「寒いんだよ、馬鹿。お前ずうずうしいにも程があるだろ。喧嘩した相手の布団に入るかフツー」
「気にしなければいいだろうが。いないものとして扱うんだろう」
「無茶言うな。謝れ」
「嫌だ」

 結局こうなっちまうと海馬もオレもどーでもよくなって、有耶無耶になってしまう。なんだかなーと思いつつ、くっついた場所からジワリと伝わる暖かな体温に幸せを感じてしまうのもまた事実で。今回は勘弁してやるけど、今度こそ絶対ごめんなさいって言わせてやる、と無駄な決意を胸に抱いて、オレはそれ以上何も言わずに目を閉じた。海馬も勿論何も言わない。

 でも、ちょっとだけ悔しいから、耳元に最後に一言呟いた。
 

「お前ってズルイよな」
 

 けれど、そんなところも好きなんだけどな。