Fragile

「あ、あのー。これ、どうしたらいいの?」
「どうしたらって。お前等の責任だろ!」
「いやだって、オレ等知らなかったし!」
「ふーん。未成年の飲酒は法律でー」
「……禁止されてます」
「分かってんのにやったんならお前等が悪いだろ。オレは知らないぜぃ。後片付けとか全部やれよ!兄サマ怖いんだからな!」
「や、あの、後片付けはちゃんとやるけどさ。そーじゃなくってこいつ!!」
「だから知らないって。お前がちゃんと面倒見ろよ」
「そんな殺生な!お前の兄貴だろ?!」
「オレじゃなんともならないもん。ベッドまで運んで寝かせてあげたら?」
「うえええええ〜?!」
「と・に・か・く!明日の朝までになんとかしとけよ!じゃ、そういう事で」
「見捨てるなよモクバぁ!!」

 バタン、と無情にも閉ざされた扉に城之内は殆ど半泣きなりながら声を上げた。しかし、ついさっきまでそこで仁王立ちしていたこの屋敷の二番目の権力者は、薄情にも軽快な足音を立てて去って行ってしまう。余りにも広くて綺麗な部屋に残された悲痛な叫び声の主プラス一名は、途方に暮れて顔を見合わせた。

 彼等の周りにはビールの空缶数本とスナック菓子、コンビニで買ってきたつまみの類が散乱し、それらを綺麗に空けた所為で二人とも顔が赤い。そこまでは良くはないがまぁ置いておいて。問題は、彼等の直ぐ傍……というよりも地べたに座っている城之内の『その上』でなんとも気持ちよさそうな寝息を立てている、この部屋の主の事だ。

 そう、ここは海馬邸の海馬の部屋。そして、城之内の上で眠っているのも……海馬だった。

「……なぁ、どうしよう遊戯」
「どうしようって。モクバくんの言う通り、ベッドに寝かせてあげるしかないでしょ。もうっ!もう一人の僕はずるいんだから!!飲むだけ飲んでさっさとひっこんじゃってさ!」
「お前、案外強いんだな」
「じーちゃんも母さんも強いからね」
「なるほど。オレはまぁオヤジがアレだし」
「そうだね」
「でも……まさかコイツが……予想外だぜ」
「うん。びっくりしたね。人は見かけによらないって言うか。でもなんか、可愛くない?」
「か、可愛いかぁ?まぁ黙ってこうしてりゃー……うん」

 この有る意味非常事態をなんとか動揺せずに乗り切ろうと、二人はそんな他愛も無い話をする。しかし、城之内の方は余り心中穏やかではいられなかった。心底気に入らない喧嘩相手が、赤い顔をして大騒ぎをし、泣き喚きながら傍に居ただけでも驚愕なのに、それが最後に強引に向かい合わせの形で膝の上に乗って来て、まるで幼い子がするように肩に頭を乗せて来たと思った瞬間、爆睡するなんて誰が想像出来ただろうか。

 自分よりもかなり図体が大きい男が抱き締めて来た事も驚きだったが、それよりなによりこれは海馬だ。あの、常に躁病の気があるのではないかと思う程騒がしく、言動全てが憎たらしい、海馬瀬人なのだ。

(い、一体何の冗談なんだよこれはッ!)

 今も彼は大人しく城之内の身体に全体重を預ける形で、すやすやと心地よさそうな寝息を立てながら眠っている。酔って汗をかいた所為か少しだけ湿っぽい、それでもさらさらとした感触の髪や、薄い唇から吐き出される熱っぽい吐息が首元を霞め、身体全体で受け止める暖かな体温と相まって、物凄く落ち着かない。大きさの割に中身はないのか、余り重いとは感じなかったがやはり邪魔なのには変わりは無い。っていやいやそんな事ではなく。

 どうしようもなく床についたままの手はやり場がなくて、無意味に冷たい大理石に敷かれた高級絨毯を掻き毟る。呼吸で上下するその動きの一つ一つが妙にリアルで、幾ら相手が海馬だと分かっていても、なんとなく、いやかなり居心地が悪かった。それでも 眠っている相手を邪険に扱う事も出来ず、さりとて何時までもこのままの状態というのもありえない為、途方に暮れている、といった状況だった。

 そもそも彼等がこんな事態になったのは、城之内が年齢を偽って働いているバイト先から労いの為に缶ビールを数本貰い受けた事から始まった。

 即座にどこぞで空けようとした彼だったが、今の季節は冬で外は小雪がちらつくような寒さだった為、外での飲酒は困難。友人宅は誰も皆家族が在宅していた為、むやみやたらと騒げない。そして自宅は父親がいる為に取り上げられるのを懸念し、その他安全に飲酒出来る場所……と吟味した結果、何故かこの海馬邸が選ばれたのだ。

 ちなみに海馬と犬猿の仲である城之内がその選択をしたわけでは勿論ない。途中偶然に出会った遊戯が、「これから海馬の家にデュエルしに行くんだ」と一言教えてくれた為、城之内がそれに加わる事になったのだ。そして二人連れ立って海馬邸へと向かったのだが、当初城之内の姿を見た海馬は「貴様なぞ呼んでない」だの「帰れ」だの散々暴言を吐いたのだが、遊戯の必死のとりなしによって、なんとか留まる事を許可され、二人のデュエルを鑑賞しつつ一人酒盛りを開始した。

 そして、それは何時しかその場にいた全員を巻き込んだ小さな宴会となってしまったのだ。

「遊戯も飲めよ!お前実はイケるクチだろ?」
「酒は飲めなくはないが、ビールとやらは始めてたぜ。美味いのか?」
「美味い美味い。飲んでみりゃ分かるって。はい、一本」
「……うーん。不味くはないな」
「だろだろ?」
「貴様等、人の部屋で何をやっているのだ!」
「見りゃ分かるじゃん。酒盛り。お前も飲む?」
「誰が飲むかッ!我が家では飲酒は全面禁止だ!!」
「何今時面白い事言っちゃってんだよ、社長さん。お前なんて普段接待でガンガン飲んでるんだろ?」
「さも見て来た様な事を言うな。オレは酒は飲まんわ!味もわからん!」
「へぇ?意外だぜ。オレもお前は酒豪タイプと見たがな」
「遊戯もそう思うだろ。カマトトぶるなよ海馬ぁ〜」
「やかましいわ!」

 程よく酒も入り、段々と上機嫌になって来た二人は、その様を怒り半分呆れ半分で眺めていた海馬に絡み始め、頑なに飲酒を拒否する彼を逆に面白がって炊きつけて、ついぞビールの缶を握らせるに至ったのだ。ちなみに最終的な決定打となったのは、結果的にデュエルの勝者となっていた遊戯(デュエルを開始した時点で既に彼は闇遊戯だったが)のこんな一言だった。
 

「海馬!罰ゲームだ!勇気を示せよ!」
 

 結果、今の惨状に繋がったのは言うまでも無い。
 

 海馬の言う通り、海馬邸は飲酒厳禁だった。しかしそれは道徳上の問題ではなく、単に海馬自身の問題で。『海馬に酒を飲ませるな』と、そういう意味だったという事に漸く気づいたのは、その現場を目の当たりにして絶句したモクバの口から齎された後だった。

 それまで散々海馬の奇行を見てきた二人でも、その時の彼の様子は群を抜いて凄まじかった。思い返すのも脳が拒否するのだが、ビールを一缶一気飲みした途端、目が据わり、最初の10分はわけの分からない事を喚き散らし、次の10分でその場にいた誰も理解できないような事を生真面目な口調で滔々と説明し(多分、何かの科学式の話だったようにも思う。と城之内談)、最後には何故か号泣し、常の彼からは想像できない呂律の回らない言葉で何かを訴えられた挙句、城之内にしがみついて寝てしまった、とこういう訳である。

 途中あまりの凄まじさに奥に引っ込んでしまった闇遊戯を責める間も、海馬の怒涛の攻撃に応戦する術もなく、ただただその姿を呆然と眺めていた城之内は、自分の上で漸く大人しくなった彼を見下ろして、恐怖半分、安堵半分の深い溜息を吐いたのだ。

 そして、今に至る。

 暫くぼんやりとその場にただ存在していた二人は、急に大きく鳴り響いた遊戯の携帯の着信音によって、びくりと身体を跳ね上げ、やっと次の行動に移りだす。

「あ、母さんからだ。じゃ、夜も遅くなったし、僕帰るね」
「ちょ!遊戯!お前まで見捨てるのかよッ!!」
「だって、ビール持って来たのは城之内くんでしょ?」
「そ、そりゃそーだけど!!こいつどうすんだよ!!離れないんだけど!」
「添い寝でもしてあげれば?」
「海馬と添い寝?!いやいやいやそれはちょっと!!」
「大丈夫、この海馬くん可愛いから。」
「いやそういう問題じゃなくって!」
「明日お休みで良かったねー。頑張って」
「頑張ってじゃねぇって!おい!遊戯!」
「おやすみー城之内くん」

 まるで自分は何も見なかった聞かなかった!といわんばかりの爽やかな笑顔と共にそそくさと部屋を出て行ってしまった遊戯に、城之内は盛大な舌打ちと共に途方に暮れる。

 相変わらず海馬はピクリとも動かずに爆睡中で、先程よりももっと密着度を高めるかの如く城之内の背中部分のシャツをきつく握り締めている。すっかり馴染んでしまった体温は、何時の間にか居心地の悪さから心地の良さに変わっていくようで。その事に対しても。城之内はヤバイ!と思った。

 このままで行くと自分の海馬のイメージが悉く粉砕する。いや、それどころかなんか違う世界に足を踏み入れそうな気がする……!現に自分の体温は、部屋の暖かさやアルコールの所為ではない要因で急上昇して、全身に汗をかいて来た。このままでは絶対にマズイ。何がどうマズイのかは口にしたくないが、マジでマズイのだ。

(と、とりあえず。こいつを引っぺがすのが先決だよな!うん!)

 シーンとした部屋の中で、一人物凄く挙動不審な動作をしながらそう思った城之内は、自身がマズイと思ったこの体勢を何とかしようと、寝ているのにも関わらず意外に強く服を握り締めている手を力任せに外してしまうと、そっと海馬の肩を支えつつその下から抜け出して薄い背中を抱え、その体勢のままずるずると寝室である隣室へと引きずっていった。

 いかな城之内でもぐったりとした186センチの男を担ぎあげる腕力はなく、こんな形になったのだが、それが寝ていても不満なのか、海馬は顔を顰めて何事か呟いている。……気のせいか微妙に幼児退行している気がしたが、これ以上知りたくも無い姿を知る事は精神的ダメージが大きいので、敢えて華麗にスルーした。

 個人の部屋の癖にやけに遠い寝台まで無理無理引きずっていき、力任せに持ちあげる。ドサリとした衝撃と共に、漸く寝ている人間が安定できる場所へと到達させた城之内は、ほっと胸を撫で下ろしつつ、下敷きになっている上かけを強引に引っ張りだすと、海馬の上にかけてやった。そして、この場は早めに逃げ出すに限ると、そそくさとそこを離れようとしたその時だった。

 何時の間にか伸びてきた白い手が、寸での所で城之内の腕をがっしりと捕まえる。

「えっ?!」
「………………」

 ごにょごにょと呟かれた言葉は、多分「行かないで」的なものだったらしいが、普段とのギャップが余りにも違う為、それは城之内に言葉として認識されなかった。が、掴まれた腕はどうやっても解けなくて。

 結局、彼は図らずも海馬邸に泊り込む事になってしまった。

 その後、なすがままに共寝した彼は、起床と共に何もかもリセットされてしまった海馬によって、蜂の巣にされた挙句、新雪降り積もる野外へと放り出されてしまったらしい。

 寒さに震えながら遊戯宅へと避難した城之内の事を、遊戯は後にこんな風に語っている。

「酷い顔の割に、なんだかすごーく幸せそうだったよ」と。

 その暫く後この事件をきっかけに城之内と海馬がそれまでとはまた違った関係になったとかならないとかいう噂が流れたが、その真意は定かではない。
 

 ── 未成年の飲酒は、法律で禁止されています。