Act10 「お前……オレの事、試したな?!」

『要するに貴様はオレの事などどうでもいいのだろう?』
「んな事言ってないじゃん!ただ、今日は都合が悪くなっただけで!急に言われたから断れなかったんだよ!」
『それで先約をドタキャンか。いい根性をしているな貴様。これで何回目だと思っている?』
「だから、悪かったって言ってるじゃん。ちゃんと埋め合わせすっから……」
『もういい。貴様がそういう態度を取るのならオレも好きにさせて貰う』
「……な、何だよ。好きにさせて貰うって」
『貴様が今日都合が悪くなったのだとしたら幸いだ。前々から出かけないかと散々誘われていたからな。そちらの約束を優先する事にする』
「えっ。どういう意味だよ?!つーか誘われたって誰に?!男?女っ?!」
『貴様ではない『男』と出かけると言ったのだ。あちらは凄く楽しみにしていたらしいからな。オレも嬉しい』
「ちょ、何言ってんだよお前。男って何。浮気かよ!」
『浮気?下らん事を言うな。どちらが本命かと問われたらあちらが本命だ。馬鹿め』
「えぇえ?!何だよそれっ!オレとの方が浮気?!」
『煩い。もう切る』
「ちょ、海馬ッ!!」

 握り締め過ぎて熱くなっちまった携帯を足の上に落として、オレはただ茫然とその場に立ち尽くしていた。ボロテレビから聞こえる大好きなお天気お姉さんの声が「今日は快晴で行楽には持って来いでしょう」なんて言ってるけど、全く持って浮かれた気分にはなれなかった。これからその行楽へ行こうと思っていた矢先なのに。

「……男と出かけるってなんだよッ!」

 誰もいない部屋にヒステリックなオレの声が響いて消える。次いで勢いで叩いてしまったテーブルの上で、置いてあった朝食代わりの牛乳が派手に倒れて見事に零れる。一気に大洪水になってしまったそこを慌てて傍にあった雑巾で拭って、牛乳臭いそれをシンクに放り込んだ所でオレはまた止まってしまった。
 

『貴様ではない『男』と出かけると言ったのだ』
 

 海馬が、男とデートだって。オレと約束していたこの日に!!

 ていうか今日約束を先に破ったのはオレで、その理由はこっちもダチと遊ぶ為……だったんだけど。

 海馬と付き合い始めて数ヶ月。最初の頃は一瞬一秒でも離れて居たくないっ!ってほど熱烈な恋をしていたオレは、ダチの誘いを放課後から休日まで全て断り、空き時間全部を海馬といる様な毎日を過ごしていた。

 海馬との事は相手が相手っつー事もあるしこっそりひっそりの極秘恋愛で、そりゃもう学校なんかでは極力関わり合いを持たない様にしたり、仕方がない場合は喧嘩してみせたりして偽装工作には余念がなかったんだけど、やっぱり全てを隠し通すには無理があって、最近いきなり付き合いが悪くなったオレにダチは全員で「彼女でも出来たのか、いるんなら紹介しろよ」としつこく絡まれる事が多くなった。

 そこで必死に弁解しても、こういう話は否定すればするほど「嘘だね」と言われちまって埒があかねぇ。だからオレは仕方なく「じゃー夏休みはお前らに付き合ってやるよ。彼女なんていねぇから暇だし!」なんて言ってしまった。

 結果、奴等と近くの海岸で海水浴をする事になったんだ。

 それがなんで海馬との約束があった今日と重なったかっていうと、その誘いを受けたのが一昨日の夜で、その電話をかけて来た本田が「明後日はバイト休みだろ。休みなのに都合が悪いって事はねぇよなぁ?」と、いかにも挑発的な台詞を投げつけて来たから、かっとなったっつーのもある。

 ……我ながらアホだとは思うけど、一度OKを出してしまったら「今更ナシ」も言えなくて、渋々海馬の方の約束を延期して貰おうと、奴に電話をかけた訳だ。
 

 そしたら……あああもうどうしよう!
 

 確かに、夏休みに入ってから約束を破ったのは三回目だ。海馬が怒るのは分かる。けど、海馬だってオレの事情を知ってるんだし、これまで散々海馬の為に時間を使って来たんだからちょっとぐらいしょうがないじゃん。

 大体海馬との事を大事にしたいからこうやって努力してるのに(や、ダチと遊びに行く事は単純に楽しいけど)それをなんですか?!浮気ですか?!ふざけんなよコラァ!!

 オレがそんな事を声にも出して大騒ぎしていると、落したまま放置していた携帯が派手に鳴る。急いで駆け寄ってディスプレイを見るとそこには『遊戯』の文字。

 あれ、今日の約束何時だっけ?オレもしかして遅刻でもした?!そんな事を思いながら慌てて出ると、なんだか申し訳なさそうな声が聞こえて来た。

『あ、城之内くん?おはよう。えっと、もう家出た?』
「はよー遊戯。家?まだ出てねぇけど。約束何時だっけ?もう遅刻?」
『あ、ううん。そうじゃなくて……ごめん、今日の海水浴、ナシになったんだ。なんか杏子と本田くん、急なバイトが入っちゃったらしくて。獏良くんも夏風邪ひいて声が出ないってメールが来たし……だから延期にしてくれって本田くんが。……僕もそういう事情ならじいちゃんの手伝い頼まれてるからそっち優先しようかなって……』
「えぇ?!だってお前ら絶対今日にしろって!!」
『ほんっとにごめん!今度埋め合わせするからっ!』

 あれ、なんかどっかで聞いた事がある台詞だ。

 ……って!!ちょっと待てよ。延期ってなんだよ!

 お前らの所為でオレの海馬が浮気しちゃうかも知れないんですけど!!

 携帯の向こうで必死に謝り倒す遊戯の声を聞きながら、オレは絶望のどん底に突き落とされた気分で思わずまだ話し中なのにも関わらずパチンと蓋を閉じてしまった。そして急いで海馬へとかけ直す。

 ……けれど。
 

『お客様のおかけになった電話番号は現在電波の届かないところに……』
 

 繋がらねぇし!!マジかよ!?

 オレは半ばパニくりながら速攻着替えると、取るものも取らずに家を飛び出して、とりあえず海馬の家に行こうとチャリに跨って高速で漕ぎ始める。ああでももう携帯が通じねぇって事は出かけちまったって事で……もぬけの殻の海馬邸に行ってもどうしようもねぇのか……。

 海馬はああ見えて人をからかったりはするけど嘘だけはつかないから、あいつが口にした事は漏れなく真実で、今日デートするらしい『男』は紛れもなく本命なんだろう。

 ……じゃーオレはあいつのなんだったんだ。遊び相手か?それともセフレ?

 相手にそんな程度にしか思って貰えてないのに、オレマジ恋してたの?

 さっきの会話を思い出して、考えれば考えるほど思いっきり凹んでしまったオレは、いつの間にかペダルを漕ぐ力すらなくしてしまって、チャリを降りてとぼとぼと歩き始める。悲しい、悲し過ぎる。これからどうしよう……そんな事を呟きながら、それでも海馬邸に行くのを止められないでいたその時だった。

 オレの横を一台の白い高級車が通り過ぎて、数メートル先でいきなり止まる。何だ?と思って顔をあげると、突然開いた窓から見慣れた顔が飛び出て来て、元気よくオレの名前を呼び付けた。

「城之内ー!!」
「え?モクバ?!」
「あれ、お前今日は都合悪いって兄サマとの約束キャンセルしたんじゃなかったのかよ?!」
「へっ?!そ、そうだけど」
「じゃー今からお出かけかー。オレもこれから兄サマと遊びに行くんだぜぃ。水族館!」
「……?!や、ちょっと待てよモクバ。海馬は今日他の奴とデートだろ?前々から約束してたって……」
「うん、約束してたよオレと。ずーっと前から。お前の所為でなかなか時間取って貰えなかったけど、今日は一日空いたっていうからさ。嬉しくて!」
「……じゃあ、まさか……海馬の言う『本命』って……」
「?なんの事か分かんないけど。お前も約束あるんなら早く行った方がいいぜぃ。じゃあな!」
「ちょ、ちょっと待てよモクバ!海馬は?!そこにいるんだろ?!」
「え?隣にいるけど」
「ちょっと話させてくれよ!おい海馬ぁ!!お前……オレの事試したな?!」
「何騒いでんだよ変な奴」

 すっかり気力を無くしていた所為で立ち止まったまま歩くことすらしなかったオレは、少し遠くに車を止めたモクバと何故かそのままの距離で話をしていた。だから黒く塗りつぶされた窓に囲まれた後部座席の様子が全然見えない。モクバがここにいるって言う事は海馬も隣にいるはずで、ある意味オレの事を騙そうとした海馬に一言文句を言ってやりたかった。

 けれど海馬の奴、拗ねているのかモクバの呼びかけを思いっきり拒否した挙句、運転手に「早く行け」とでも言ったんだろう。一度車内に引っ込んだモクバが奇妙な表情をして再び顔を出し「兄サマはお前と話したくないって。じゃあな」とだけ言うと、車はそのまま走り去ってしまった。……なんだそれ。

 けれど、オレはフラれても浮気されてもいなかった。それだけは、単純に嬉しかった。海馬の意地の悪さには閉口したけれど、今回はオレも悪かったからおあいこだ。  
 

  

 その夜、オレは海馬に『本命君との水族館デートは楽しかったですか?』とメールを送った。そうしたら、こんな返事が返って来た。  
 

『物凄く楽しかった。が、やはり、犬がいないとつまらないな』
   

 ……次の約束は「死んでも守ろう」と、オレが心に誓ったのは言うまでもない。